逢魔が時
チョウランの最奥に聳え立つ霊峰。その中腹にぽっかりと空いた洞窟のそのまた最奥に、地龍ことロン・イーウーは息を潜めて佇んでいた。時折吹き込む風がチョウランの乾いた臭いを運び込む。
いつもいつまでも変わらぬ、生命の色のない風に髭を揺らしながら、ロン・イーウーは鼻を鳴らして穏やかで浅い呼吸を繰り返していた。
「……………………む」
悠久にも思えた、長い永い生が終わる感覚に身を溶かしながら、ロンは吹き抜けた風に鼻孔を鳴らした。老衰で弱った老体に鞭を打ち、幾星霜振りに権能を行使する。今まで己を隠してきた洞窟の回廊を開き、いつ以来だかの陽光の元へ飛来して向かう。
蛇のような長躯で、大地のような堅固な身体で、神秘に満ちた龍種の能力で低空ながらに飛行する。何もロンが理由なくこのような行動をするはずがない。その行動には必ず理由があり、理由から外れた行動はしない。
ロンがおもむろに行動を始めた理由は、風が運んだ懐かしき香のためだった。数千年前のチョウランで並び立っていた、種族を超えた幻獣たちの入り乱れた薫りがした。その時分を生きた者ならば懐かしささえ感じてしまう薫りに、本能的に身体が動き出した。そして、今を逃せば永遠に香ることはないと直感した。
老体に鞭を打ち権能を奮って道を切り開き、晴天を仰いだ。もう何百年と見ていなかった空は、こんなにも青く余りにも透き通っていた。
ロンは殻に閉じ籠り、人生に見切りを付けていた己に少々喝を入れる。こんなにも素晴らしい世界から目を避けていては、今日という日は訪れなかったのだから。
「――――あ、地龍さんだ!」
その快活な声を耳にして、ロンは昔日の少女を想起する。かつての魔女の少女も、他の幻獣とは異なりロンを「地龍さん」と称し親しんだ。
かつての光景を重ね合わせ、老父心で来訪する少女たちを眺める。
靡く金髪を抑え付け、マリーは金色の瞳でロンを眺める。一度会ったことのある相手ではあるが、出会う場が違えば受ける印象も大きく異なるものだ。
以前マリーがロンと相対したのは、チッコ石が照らす薄暗い洞窟の中だ。改めて陽光の元で地龍の居姿を目の当たりにすると、その威風堂々たる迫力に息を飲んだ。
燦然と煌く太陽光は、ロンの煌びやかな鱗を照らしつける。銀色の鱗はまるで水面のようにキラキラと光を照り返し、上品な姿を一層際立たせる。
そして、何よりもロンの全貌を見るのはこれが初めてであった。洞窟で見たロンの一部でさえ、歴戦の風格漂う圧倒的な存在であった。そして全貌を見ると、その身体のスケールの違いを見せ付けられる。
ドラゴンのや巨人雄ような聳え立つ「大きさ」ではなく、「長い」の一言につきる余りにも長躯。霊峰にまとわりつきとぐろを巻いてもなお余りあるほどの身体は、大地を流れる大河のような安心感にさえ近い。
ロンは6頭の幻獣の長を引き連れたマリー焦点を合わせる。衰えても地龍。戦乱のチョウランを力で統一した者の威は健在でありながら、マリーに問い掛ける。
「マリーよ。どうやら幻獣たちの「試練」を全て踏破したようだな」
「うん。けど、これは私1人の力じゃない。皆が私を信じて力を貸してくれたから、ここにいる」
「よろしい。ならば、儂から最後の「試練」を言い渡す」
「う、うん……。受けて立つよ……」
ロンから下される、正真正銘最後の「試練」。マリーとて今まで苛烈極まる6つの「試練」を踏破してきた。しかし、地龍が下す最後の「試練」とは、誰もが知らぬ存ぜぬの未知の「試練」である。
マリーは高鳴る緊張に息を飲み、「試練」が下されるときを待った。
ロンは満を持して息を吐く。そして穏やかな口調で、最後の「試練」を下した。
「其方には、過去に挑んでもらう」
摩訶不思議な言い回しの後、ロンはチョウランと魔女の過去を、かつて起こった出来事を語り出す――――。




