蹂躙する紅蓮 1
大翼を持つドラグノートが、いよいよ飛んだ。その巨躯を持ち上げる羽撃きは嵐を呼び、周囲の地形を巻き上げて飛翔した。その威風堂々たるや、ミチーナが牽制で撃ち出した光の矢を受けても平然と天を仰ぎ見る。
「うぅぅ……、なんて風圧……!?」
「飛んだだけなのに、これだけの影響をもたらすのですか!?」
「堪えろ。これはまだ飛翔しただけだ。飛行されるとこの比ではないぞ!」
先に空へ舞い上がっていたミチーナ・ユゥ・ガウロンの3頭は奥歯を噛み締めた。制空権という優位を一瞬の内に奪われてしまい、苦虫を噛み粒すような表情を浮かべる。
それでもガウロンが口にしたように、ドラグノートは飛翔しただけである。ドラグノートがひとたび巨躯を推し進める飛行をしてしまえば、周囲への影響は舞い上がるだけの飛翔と比べ物にはならないだろう。
そしてドラグノートは脅して舞い上がったのではない。4頭の幻獣を従えるマリーを敵対勢力とみなし、有する権能と身体能力の全てを駆使すると決断している。故に次に取る行動は、幻獣たちを従えるマリーの打倒であった。
「噴っ!」
ドラグノートは気合いを入れると同時に、紅蓮の業火を放った。今度の放熱は球体に形成した火炎を数十発。その全てをマリーへ目掛けて絶え間なく撃ち出した。
「ガウロン、ユゥ。お願い!」
「任せろ。だが全弾を防ぐことは不可能と思え」
「えぇ、捕まっていてください。本気で回避します!」
ユゥに騎乗したマリーは、その背中により強くしがみついた。ガウロンに火炎弾の鎮火を託しながらも、その球数の多さと追撃を警戒したユゥに精密な回避を託す。
2頭の幻獣たちは要であるマリーを死守すべく、持ちうる全権を以って守勢に回る。
「ふんっ!」
ガウロンは奇々怪々な軌道を描く火炎弾の一つ一つに狙いを定め、的確に燃焼の元である酸素を断っていく。ドラグノートの業火がどれほど苛烈で超高温であろうと、酸素を絶たれてしまえば燃焼はできない。完全な無効化の術を以って球数を減らすが、如何せん攻撃の手が余りにも多すぎる。
「半分ほど撃ち漏らした。そちらに行ったぞ!」
「半分も迎撃してくれれば十分です。マリー、風に成りますよ!」
「了解!」
火炎弾を打ち漏らしたガウロンが、口惜しさを滲ませてユゥに後を託す。
思いを引き継いだユゥはその身体を疾風に化けさせ、背に乗せたマリーだった風ごと巻き上げて天空を吹き荒んだ。疾風に成ったユゥとマリーは、火炎弾の隙間を縫うように駆け巡って、同時にドラグノートの挙動を注視していた。
「破っ!」
マリーたちの警戒の通り、業火を放った後のドラグノートは次の手を仕掛けていた。龍角を操り急速な温度差を発生させ、絶対零度の光線を撃ち出した。
青白い光線は一直線にマリーたちが駆ける空間を切り裂く。一閃の光線を薙いで、剣閃のように空間を切断した。
業火によって高温に熱せられた空間を、冷却の光線が急速に冷やす。生まれた温度差により天候が激変、その先駆として出鱈目な乱気流が渓谷内を吹き乱れる。
「くっ……、風が強すぎます。このままでは私たちが煽られてしまいます。マリー、ひとまず実体に戻りますよ!」
「了解。っていうか、もう戻ってる」
風に成ることに未だ不慣れなマリーは、気流の乱れで魔法が解除されたのだ。しかしこれは不幸中の幸いであり、風に成ったマリーが暴風に攫われると無事に戻れる保証はないのだから。
ユゥは慌てて一角獣の身体を取り戻し、空中に投げ出されたマリーをキャッチした。
「助かったよ」
「安心するのはまだ早いですよ!」
マリーが乗り慣れたユゥの背中で一息吐くのも束の間、ドラグノートの光線がマリーたち狙い定めて放射される。
「そう簡単にはいかないよ!」
マリーはすぐさま兜の緒を締め直し、光線に向かって迎撃の魔法を繰り出した。マリーは愛用の杖先から光の光線を撃ち出し、ドラグノートの光線とぶつけて辛うじて相殺する。
光線と光線がぶつかり爆発、白煙を巻き起こして渓谷を覆う。
「ユゥ、今すぐ回避しなさい!」
視界が制限されたとき、より上空で俯瞰していたミチーナが激しい口調で回避を命じた。
ユゥは訳もわからないものの、言われるがままに急速に後退する。その蹄で天を踏み締め、大地を駆けるよりも自由にマリーを乗せてドラグノートから距離を取る――――はずだったのだが、突如として狂喜乱舞する大気の乱れにユゥの脚が攫われた。
自らの脚にも関わらず、ユゥはコントロールを失った。普段ならば乱気流の中でも踏み締めで駆ける大空が、泥濘のように絡み付いて精緻を奪う。
その理由としては、滞空していたドラグノートが、マリーを目掛けて飛行しただけなのだが――――。
「何でもいいから、マリーを取れて兎に角遠くへ逃げなさい!」
ミチーナはいつもの凛然とした姿をかなぐり捨てて、しゃがれた声で檄を飛ばす。ただ指示を出すだけではなく、その身を粉にして飛行するドラグノートに突進した。
「どうせ安牌な攻撃なんて歯牙にもかけんのでしょう。なら、一世一代の攻撃をするわ!」
鬼の形相を浮かべたミチーナは、純白の身体と翼を駆動させて天を駆ける。黄金色の鬣は爛々と輝きを放ち、その鍛え上げられた四肢を包み込んだ。黄金の光と一体となったミチーナは、流星の如き居姿でドラグノート突進する。
死角である直上から迫る天馬の流星は、ドラグノートの背中を見事に撃ち抜いた。
「ぐがが……、ぬん!」
延髄に容赦ない突撃を受け、ドラグノートは苦悶の声を漏らした。飛行の脚を止めることは能わずとも、速度は十分に衰える。
空中で無防備のまま二の足を踏むマリーたちへの攻撃は阻止できた。
のだが、ドラグノート本人を撃墜するには足りない。
滞空するドラグノートは紅蓮の巨躯を捩じり回転させ、甲殻で覆われた尾を鞭のように振り払う。渓谷の岩盤を削り取る一振りに、回転による遠心力が上乗せされる。尾の一振りでさえ必殺の一撃にまで昇華させると、突進後の反動で硬直するミチーナを薙ぎ払った。
「がっ――――」
全身全霊の突進の反動で、蹄の先から翼の端まで痺れが残る。ほんの僅かの間の硬直の間隙、ドラグノートの紅蓮の尾が大地を別つ一閃となり降りかかる。ミチーナの意識はそこで途切れた。




