頂点の種
マリーが挑む最後の「試練」は、幻想の獣たちの頂点に位置するドラゴンによってくだされる。
ドラゴンという種族は、地龍が代表する龍種とは全く異なる存在だ。その居姿は長躯を持つ龍種とは異なり、屈強な四肢に巨木のような尾、加えて鷲獅子をも凌駕する勇猛な大翼に、狂暴を絵に描いたような頭。その全てがドラゴンを最強種に押し上げる要素であり、象徴であり誇りである。
その住処は霊峰が立ち並ぶチョウランの奥地の渓谷にあった。清流から離れ森林から離れ、他の幻獣から離れた場所で静かに暮らしを営む。その理由は単純明快だ。ドラゴンは他の幻獣にすら興味はなく、悠久に思える長寿を哲学に浸りより高尚な叡智を蓄える。
そしてドラゴンたちは、時折挑みかかる塵を振り払うのみだ。大嵐や地殻変動にも匹敵するドラゴンが、それに立ち向かう動物に気を砕くだろうか。彼・彼女らはつまらなく尾を振り腕を払い、降りかかる塵を無為に返すだけだ。
他の生物に興味はなく、己の最期にも興味はない。長寿故に時間という概念すら乗り越えたドラゴンは、今日も今日とて変わらぬただの1日を貪っていた。全てを忘れてしまうほどの時間の中で、ドラゴンは眠りに着いていた。
ただ不倶戴天の仇敵と定めた、生涯の好敵手を除いては――――。
そんなドラゴンたちの営みに、もう何度目かのさざ波が立つ。彼らが塵とみなす矮小な存在が、履き違えた身の丈を虚栄で多い、対等な挑戦を申し出した。
「……何者だ」
渓谷で瞑想していたドラゴンが瞳を見開いた。その瞳に写った矮小な存在は計5つ。その中ではいつか見た幻獣たちも含まれているが、すでに記憶に埋もれて忘れ去られている。それが何であるかなど、ドラゴンにとってはどうでもよかった。
第一声がこれであったのかは、定型文というものだろう。大した意味はなく、返答など期待していなかった。
「私はマリー・ホーキンスって言います。ドラゴンの「試練」を受けに来ました」
「……またか」
ドラゴンはその巨躯を持ち上げ、頭にそびえる龍角を持ち上げた。翠色の眼で5つの塵を見下ろし、深々とした溜め息を溢す。ただの呼吸であるはずの溜め息も、ドラゴンのそれはつむじ風を巻き起こす。
マリーは身体を巻き上げる強風を堪え、負けじとドラゴンを睨み返す。
「私は地龍さんに命じられて、幻獣の「試練」に挑んでいるの。だから、あなたに挑戦を」
「……地龍、だと……?」
ドラゴンの目の色が変わった。翠色の眼差しに闘争心の炎が灯る。紅蓮の体躯に見合った強者のオーラを解き放つ。今まで静かに眠りに着いていた災害の化身が、確かに目覚めたのだ。
ドラゴンは忘れはしない。忘却の時間の中で、決して忘れることのできない名を、塵と見なした存在が口にした。
言葉の真偽などどうでもよい。ただ、その魔女はドラゴンを眠りから起こした。乾き枯れた存在に濁流のような潤いを与え、燃える闘志を着火した。
「貴様、名は」
「名、名前……、はさっき言ったけど。私はマリーって言います」
「貴様が地龍から命を受けたのか。ならば他の者共は何だ?」
「我らはマリーの兵だ。貴様という存在に打ち克つために、数の優位を取らせてもらう。「卑怯」などとは言ってくれるなよ」
「無論だ、若き鷲獅子よ。もののついでだ、貴様の名も聞いておこう」
「くっ……」
ドラゴンの穏やかな問いかけに、ガウロンは奥歯を噛み締めた。ガウロンはかつてドラゴンの「試練」に挑戦し、惨敗した結果命辛々生き延びた。若かりし思いでだとしても、数十年前の出来事であり、その相手は記憶違いでなければこの紅蓮のドラゴンであろう。
そのドラゴンは、今一度ガウロンの名を聞いた。しかし、依然も聞かれた内容なのだ。
そう、ドラゴンはガウロンのことを完全に忘れている。その程度だと言っているのと変わりない。
普段のガウロンならばプライドに任せて噛み付いているが、相手が相手だ。勢いに任せることはできない。ガウロンはプライドを折って、ドラゴンを相手に頭を垂れる。
「我が名はガウロン。グリフォンの長である。よく覚えておけ」
「ふむ。賢しいのは歴戦の獣であるが故が。覚えておこう」
しかし、その言葉には「忘れるまでは」が続く。ドラゴンは嫌味ではなく、自然体で口にしている。ドラゴンは小さき者のプライドなどを解さない。これがドラゴンという存在の大きさを物語っている。
紅蓮の巨躯を誇るドラゴンは、鎌首を持ち上げると5メートルを超える身長を伸ばした。尾の先まで含めた全長は10メートルに匹敵し、翼を広げると存在感は一層際立つ。そして胸一杯に空気を吸い込むと――――、
「GUWOOO!!」
雄叫びを上げた。
渓谷を震撼させる咆哮に、マリーたち一同は耳を覆う。
「我が名はドラグノート。ドラゴンの長である。
地龍より預かった命を達成したくば超えてみせよ。不可能ならば、我が地龍を喰らうのみ。若き魔女とその従者たる幻獣共よ、我が屍を超えてこそ強者である。さぁ、精々足掻いてみせるがよい」
ドラグノートの羽撃きが開戦の合図だ。




