月夜の鷲獅子
「グリフォン!?」
その名を叫んだのは、ヒッポカンパスの長であるスイスイだった。自らの縄張りを侵犯した幻獣を見あげ、眼光を放って敵意を剥き出しにする。
スイスイの威圧を受けても、グリフォンは怯まない。水生の穏やかな幻獣に睨みを効かされたところで、大空と大地の王者たるグリフォンは気圧されない。
月明かりを遮って滞空するグリフォンはヒッポカンパスなど意に介さず、視線をマリーに向けて離さなかった。その鋭い嘴を開閉し、ドスの効いた声音で問い掛ける。
「魔女の小娘め。我の前から逃げたかと思えば、こんなところで遊んでいたとはな」
「遊んでなんていないよ。私はヒッポカンパスの「試練」を踏破したんだ」
「そいつらの「試練」だと? 笑わせてくれる。命を賭けない「試練」など「試練」ではない。それは「遊び」に相違ない」
「それまでです。マリーとヒッポカンパスの品位を貶める発言は慎みなさい」
嘲笑するグリフォンを、険しい顔をしたユゥが嗜めた。ユゥはヒッポカンパスの代理で怒気を滲ませ、一歩も引かない徹底抗戦を示した。
「貴様、我に歯向かうというのか? 一度は尻尾を捲って逃げ果せた分際で?」
「黙りなさい。先に彼らの誇りを貶めたのは貴方です」
ユゥはいつになく険しい声音を発する。清廉な瞳を鋭く尖らせ、周囲につむじ風が巻き起こる。ユゥは蹄を鳴らして今にも先制攻撃ができる体勢を取っていた。
しかし空中を飛翔するグリフォンは一向に気圧されない。勇猛に背筋を正し、見下すような目つきは改めない。
「まぁ逸るなよ。我ら幻獣ならば、幻獣の方法で決着を付けよう」
「……私に「試練」を挑めと?」
「否、貴様のような木っ端に用はない。我が真に挑戦を求むのは、そこの魔女の小娘だ」
「……私?」
「うむ」
月を背負うグリフォンはニタリと顔を歪める。チョウランの境界付近を縄張りにしているグリフォンが、わざわざヒッポカンパスの縄張りに出向いた真の狙いが、マリーに「試練」の挑戦を仕向けることだった。
「いいよ。受けて立つ」
マリーは長時間潜水の疲労を忘れて啖呵を切った。しかし、直後に膝を折って眩暈に襲われた。身体は無意識のうちに蓄積した疲労感の尾を引いている。自覚はなくとも、実感は遅れてやってくるものだ。
隣に付き添うユゥがマリーを支える。
マリーはユゥの身体にもたれながら、毅然としてグリフォンを睨み付けた。
「侮るなよ小娘。疲労困憊の小娘を相手に、今すぐ挑めと言うはずがあるまい。日を改め、万全の状態で我の元へ来い」
「あなたは、それまで待っていてくれるの?」
「貴様に挑戦する意志さえあれば待ってやろう。
5日だ。5日経っても現れなければ「試練」を放棄したと」みなし、代わりにヒッポカンパスどもを血祭りにする」
「何をっ!?」
グリフォンの横暴な物言いに、マリーが反駁する。が、立ち上がる気力は足らずに膝を着いた。
ユゥはマリーの脇を抱え、主の代わりにグリフォンに対面する。
「彼らを人質にするつもりですか?」
「貴様たちが逃げなければいいだけの話だ。我はその小娘の返答を待っているのだが――――」
「いいよ。受けて立つ」
「マリー!?」
マリーは身体が動かなくとも意志は固まっている。グリフォンですら舌を巻くほどの即答だった。
威勢のいい即答にユゥですら驚いたが、マリーの決意を疑うことはなかった。
「その代わり、私が「試練」を踏破したら、私に協力するって約束とヒッポカンパスとユゥに謝ってもらうからね!」
胸を張ったマリーは、空に舞うグリフォンを指して大見得を切る。
グリフォンはフンと鼻を鳴らして、言葉を残すことなく飛び去っていった。
グリフォンが消えた夜空に静寂が戻る。
残されたマリーは、「勢いで言ってしまった」と当事者であるユゥとヒッポカンパスたちに謝罪から入ったそうな。
ヒッポカンパスの「試練」を乗り越えたマリーは、グリフォンの「試練」に立ち向かうこととなった。




