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異世界転生は履歴書のどこに書きますか  作者: 打段田弾
「絶界領域チョウラン」編
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水面の走者

 ――――ブルルンッ!


 風を追い越すほどの疾走の後、目的地に到着するとユゥが鼻を鳴らした。

 マリーは常人ならぬ常馬離れしたユゥの気丈に何とかしがみつき、自慢の金髪を風に荒らげて食い下がっていた。

 いくらマリーがユゥの「試練」を乗り越えたとはいえ、やはりこの疾走を乗りこなすには体力を必要とする。

 そう実感したマリーは、髪の毛を整えながらユゥの背から降りる。

 そして地に足を着けたマリーは、今までいたチョウランの環境とはことなる感触を踏み締めた。思わず足元を見下ろすと、青々と茂る草木がある。

 ハッとしたマリーは、そのまま顔を上げて周囲を見回した。

 今までマリーが見てきたチョウランの大地は、灰色の岩盤を剥き出しにした山岳地帯であった。そこには野生動物はおろか、自生する草木はなかった。

 しかしユゥが連れてきたこの場所には植物が生い茂っている。それもチョウランの環境独自のものではなく、マリーが見た経験のあるようなごく一般的な植物である。

 そのことから分かる事実は一つだけだ。チョウランには厳かな岩肌だけでない、確かな水源とそこに芽吹く自然があるということだ。


 では、その水源とやらはどこにあるのか?


 マリーはその答えをすでに承知していた。


「――――わぁ」


 マリーは目の前に広がる光景に絶句した。

 ユゥより清流だと聞いていたため、ある程度の想像は付いていた。しかし、マリーの目前の風景は言葉に形容することが難しいほどに満ち足りていた。

 流れる川は陽光を照り返し、絨毯の上に宝石を散りばめたように輝いている。目を刺激する光の反射ではあるものの、視界を覆いたくなるような煩わしさは全くない。

 マリーは清流をもっと近くで見てみたいと歩み寄り、膝を折ってその水面に顔を近付けた。


「涼しいー」


 水の透明度はもちろん、頬を掠める風に含まれた水気はひんやりとしている。水面に映ったマリーの表情は穏やかに頬を緩めている。さらには、透き通って見える水底に生い茂る藻たちが、鮮やかなエメラルドグリーンの色彩を放っていた。

 この川はテテ河のような大河ではない。

 片方の岸から対岸の様子がはっきり見えるほどの規模ではあるが、どうやら支流のようだ。こういった川がいくつも束なり、大きな流れになるのだろう。


「もう少し先の場所にヒッポカンパスたちはいます。ここからは歩いて行きましょう」

「そうだね! こんなきれいな大自然、滅多に拝めるものじゃないし」


 好奇心旺盛に飛び回るマリーに、ユゥが穏やかに声をかけた。

 乗り気のマリーはユゥの隣に戻り、川の流れる音と風に靡く木々のざわめきに気持ちを投じた。マイナスイオンを肌で感じながら歩んだマリーは、行く手に転がる石に気が留まり足も止めた。

 マリーは苔の一つも生えていない不思議な石を見下ろす。周囲の岩も石にも鬱蒼と苔がむしているにも関わらず、足元の石は地肌を露わにしている。


「ねぇユゥ」

「何でしょうマリー?」

「この石なんだけど、他の石と違って苔が生えていないよね。それも一つや二つじゃなくて、あちらこちらにあるけど、どういう石なの?」

「これですか。これは「チッカ石」という、チョウランでのみ出土する鉱石です。「光を内部に溜め込み、暗くなると自ら発光する」という性質を持っています。

 地龍様の洞窟で、彼を足元から照らしていた石ですよ」

「あ、そういえばあったね。思い出した」


 マリーはユゥの説明に深く頷き納得した。同時に手ごろな大きさのチッコ石を拾い上げ、360度から観察する。結局見ても分かるはずがなかった。


「さぁ、見えてきましたよ」


 マリーがチッコ石に気を取られていると、ユゥが一角を持ち上げて行く先を示した。

 マリーが顔を持ち上げると、支流の合流地点である湖が見えた。

 透き通った清流が流れつく湖は、太陽光を反射する鏡面を映し出す。広がる湖面は対岸が薄らに臨める程度の面積を有し、湖畔には緑に茂る木々はない。湖を囲むのは灰色の地肌を露出する山々に、切り立った断崖だ。

 マリーにとって、チョウラン特有の連峰の景色は見慣れたものになりつつある。しかし、青々とした幻想的な風景の後には圧倒される。

 マリーが改めて息を飲むと、遠方から声が掛けられた。


「おぉ、やっときましたか。待っていましたよ」

「お久しぶりです。ご紹介します。こちらが件の魔女の少女、そして私の主であるマリーです」

「ど、どうも……」


 マリーは率先するユゥにされるがまま、うやうやしく頭を垂れる。しかし、その意識は目の前に現れた幻獣に集まっていた。

 マリーの目の前に現れた幻獣は「馬」であった。「馬」であると同時に「魚」でもあった。これは比喩ではなく、見たままの現実である。この幻獣こそ、この清流を統べる「ヒッポカンパス」であった。

 マリーの前に姿を現したヒッポカンパスの上半身は馬であるヒッポカンパスであるが、前足は蹄ではなく水掻きが付いている。その水掻きで水面を掴み、水面上で2メートルに及ぶ体躯を持ち上げていた。そして腰から下は魚類のそれであり、後ろ脚ではなく尾びれで水面に波紋を描いている。

 ヒッポカンパスは翡翠色の身体を操り、湖面を歩く。そう、「泳ぐ」ではなく「歩く」のだ。


「こんにちはお嬢さん。お話はユニコーンからかねがね窺っています」

「初めまして。私はマリーです」

「ふふ、さきほどユニコーンからご紹介を受けましたよ」

「うっ……」


 ヒッポカンパスは静かな笑みを浮かべて皮肉ったような言葉を返す。ヒッポカンパスの言動に嫌味たらしくはあるが嫌悪はない。いわゆる「いけず」という愛嬌にも似た色を含んでいる。

 予想外の返答に言葉を詰まらせたマリーに、隣のユゥが小言を呟く。


「マリー、あまり彼の言葉を真に受けないでくださいね。表面的にはひねくれていますが、根はヒッポカンパスの長として一貫していますので」

「ん? 何か聞こえましたかな?」

「こちらはヒッポカンパスの長であるスイスイです!」


 ヒッポカンパスの勘繰りを誤魔化すようにユゥは声のボリュームを上げる。


「さぁスイスイ。挨拶はこの程度にしましょう」

「そうですね。私たちヒッポカンパスの試練は「時間」が肝ですから」


 ユゥとスイスイは慣れたやり取りをして話をまとめた。

 しかし、ただ1人納得ができない様子のマリーは不貞腐れていた。


「どうかしましたか、マリー?」

「一つ訂正だよ」

「……と、言いますと?」


 マリーの不機嫌は、スイスイによるいびりから来たものではなかった。しかし、マリーが機嫌を損ねるに足る要因があった。


「私の友達の名前は「ユニコーン」じゃない。「ユゥ」だよ」

「……ふ、ふふふはは!」


 真面目な顔で怒気を見せるマリーに、スイスイは思わず吹き出してしまった。一度は堪えた爆笑も、堰を切って溢れ出す。

 もちろんふざけたつもりのないマリーは、スイスイの笑いを嘲笑と受け取る。売り言葉に買い言葉、マリーが噛み付かんと身を乗り出したとき、スイスイの哄笑は突如として止んだ。


「失礼。しかし、孤高を気取っていたユニコーンに名を与え、あまつさえユニコーンのために怒るとは!

 私は「魔女」と聞いて貴女を侮っていたようだ!」


 スイスイはマリーの反論を、快活な言葉で晴れやかに笑い飛ばす。一頻り笑い終えると、ヒッポカンパスの長としての真剣な瞳に切り替わった。


「よかろう。ならばマリーには我らがヒッポカンパスの「試練」を与えよう」


 スイスイは静謐な声で宣言を下す。その言葉に従い、湖畔の岩陰から数々のヒッポカンパスが姿を現した。

 それぞれが引き締まった体躯に翡翠の艶やかさを輝かせ、麗筆な眼でマリーの一点を注視した。

 スイスイはヒッポカンパスの代表として、誇りを掲げて頭を上げた。


「我らが「試練」は、永代より引き継ぐ定型文を以って執り行う。言い直しはないので、一度で全文を噛み締めよ!

『我らが「宝物」を探し出す「試練」。

 「宝物」は深き水底にて、輝きを受けて汝を待つのみ。

 汝、光を切り裂き「宝物」に手を伸ばすのみ。

 汝、我らが「宝物」を掲げよ。

 果てに汝は、我らが誇りを手にするだろう』

 なお刻限は日没後一刻までとする!」

「受けて立つ!」


 マリーはヒッポカンパスの視線を一身に受けながら、「試練」への挑戦を明言した。

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