いざ尋常に
マリーがチョウランに立ち入ってから、一夜が経過した。マリーが過ごした夜は冷ややかな風が吹き荒んだが、魔女が残した建物と生活痕を十全に利用することで乗り越える。
魔女の加護を受けた建物は風化も劣化もなく、残されたベッドにはカビの一つもない。そのおかげで、マリーは夜を快適に過ごすことができた。
領域一帯を断崖絶壁で殺風景な灰色の霊峰に包まれているチョウランは、日の出・日の入りともに周囲の環境とは二刻ほどずれが発生する。よって夜が長く昼が短いという環境が生まれる。
そして慣れない環境と幻獣の威圧感に気圧され、疲労が溜まっていたのだろう。マリーは日の出よりはるかに遅い時間、太陽が霊峰を乗り越え天頂に近付いた時間に目を覚ました。
「――――はっ! ここは!?」
「チョウランですよ。ようやく目覚めましたね。疲れが溜まっていたのでしょう」
快眠の後、最高の覚醒をしたマリーは視界に入り込むユニコーンを確認した。夢にまで見た幻獣が目覚めとともにいる生活、さすが異世界だと息を巻きつつ、己が置かれている状況を早期に想起した。
そして眠りすぎたと己を律し、飛び上がるようにベッドから降りる。
「そうだ。今日は地龍さんのところに行くんだ!」
「落ち着いてください。地龍様は逃げませんので、寝覚めの水をどうぞ。チョウランが誇る清流ですよ」
「あ、ありがと……」
マリーはユニコーンが用意した小瓶を受け取る。
ガラスの小瓶には、透明度の高い清流が目一杯に入っていた。小瓶を傾けて水を一息に煽ると、喉を透き通る爽快感が走る。目覚めの一杯は脳に快感をもたらし、見える世界が一変した。
「よし、完璧に起きた。行こう!」
「えぇ、そうしましょう」
張り切ったマリーを背中に乗せて、ユニコーンは疾風に変わり駆け抜けた。
目指す場所は地龍が座す洞窟へと、1人と1頭は最速で駆け抜ける――――。
辿り着いたチョウラン最大の霊峰、その中腹に存在する洞穴の最奥に地龍はいる。
とぐろを巻いた長躯の地龍は頭を地に着け、穏やかな寝息を立てて瞑目している。
しかしいくら老齢の地龍とて、己の住処に立ち入った者を前に就寝しっぱなしではない。立ち入る足音が響くと同時に、瞳を開けて頭を持ち上げる。
すでに地龍の瞳は光を受け付けない。しかし、残された感覚と気配を察知する本能が、来訪者の正体を悟った。
「――――サリーか。幻獣たちの「試練」を受ける覚悟は決まったか?」
地龍は目の前に現れた魔女に向けて、柔らかく無邪気な言葉を投げた。遠い昔日に死んだと思っていた最後の魔女を目の前にして、昂る感情は「懐かしさ」であろう。
地龍の言葉を受けたマリーも、歓迎された雰囲気を迎合して笑い返す。しかし次の瞬間、マリーは険しい顔をして気持ちを切り替えた。
「うん。覚悟は決まったよ」
「そうか。
サリーならば幻獣の「試練」とて乗り越えられるであ――――」
「違うの」
「む?」
ご機嫌に語っていた地龍が怪訝な顔をして眉をひそめる。今まで語り掛けていた「サリー」が雰囲気を変え、まるで「別人」のように声音を変えた。
マリーは地龍の深い瞠目にも負けずじと背筋を伸ばす。
「私は「サリー」じゃない。
私はマリー。「マリー・ホーキンス」が私の名前。私はここじゃない世界から来たの」
「…………」
地龍は一言として返すことはない。驚嘆と疑念の思いを眼差しに浮かべ、光のない眼から矢を放つ。黙したまま威を放ち、マリーに続きを促す。
マリーは背中に冷汗を流しながらも、必死に平静を保って冷静に振る舞う。
「私はあなたが言う「サリー」じゃないわ。確かに私は魔女かもしれないけれど、あなたの知る魔女でもなく、あなたを知る魔女でもない。
昨日は騙すようなことをしたけど、言っていかなきゃいけないと思ったから」
「では其方は……、其方の「臭い」は……――――。
……なるほど、では改めて問う。マリーは我らの力を得るために、幻獣の「試練」に挑むのか?」
地龍は静謐な声音で唸り、獰猛に牙を剥いて真意を問い質す。眼光は老齢とて侮れない鋭さを含み、心臓を鷲掴みにする隙のなさがあった。
マリーは跳ね上がる胸の鼓動に気を逸らせてなお、芯を貫いて毅然と答える。
「挑むよ。もちろん、地龍さんの「試練」にだって挑んでみる!」
マリーの豪快な回答に、地龍は鼻息を荒らげて気概を示した。満足気に笑い、マリーを「試練」に送り出した。




