その名は
このチョウランを1から気付いた大英雄たる地龍は、その最期を自らの手で選択した。それは誰にも見送られることもなく、送り出されれる言の葉は一欠けらもない。
そんな切ない最期を、どうして受け入れられるのか。あなたは、それが本心なのか。
マリーが胸に秘めた怒りにも似た感情の渦は、地龍の姿を目にすると消し飛んでしまっていた。
「――――はて、嗅ぎ慣れた臭いだ。懐かしい者が現れたものよ」
長躯を起こした地龍は、物静かな声を発した。一切全貌の掴めない体長は、推察で数百メートルに及ぶのであろうが、肝心なのは 物理的な大きさではない。その身体に刻まれた歴史と風格が、視界以上の威圧感を放っていた。
純潔の龍種たるロン・イーウーは、いわゆるところの東洋龍の姿かたちをしている。蛇のように細長い体躯に、全身を覆う鋼鉄の鱗。一対の腕と一対の龍角を有し、体躯の半分まで伸びる髭が特徴的な種である。
しかし最もマリーの目を引いたのは、地龍の顔色である。
それほどの威圧感と年季を感じさせたにも関わらず、地龍の顔には血の気が通っていないように見えた。その中でもマリーと地龍を繋ぎ止める「瞳」の色は、マリーにとある不安を与えた。
「あなた……、もしかして「視えて」――――?」
「言うでない。儂のこのような惨めな姿、そうそう他者に見せられるものではない」
色を失った黒目を湛え、地龍は瞳を歪めて笑って見せた。その微笑みは予想外に柔らかく、全てを包み込む引力を孕んでいる。
柔和で温和、父性の塊のような微笑みを浮かべる地龍は、朧気な意識の中で目の前の魔女を認識した。
「まさか、お主が尋ねてくるとは思ってもいなんだ。
久しいな、サリー」
「サ――――?」
「しっ。ここは話を合わせて」
マリーは地龍の言葉にひっかかりを覚えた。
マリーが思わず聞き返そう二なったところを、ユニコーンが助言を入れて制止する。どうやらユニコーンは、地龍の言葉の意味を察しているらしい。
マリーは不承不承ながらも、ユニコーンの指示に従って口を閉ざした。
地龍は髭を動かして周囲の気配を感じる。そして光の届かない眼を動かし、マリーを見据えた。
「お主が姿を消したから170年になるか。てっきり、あの戦いで死んだものと思っていたが、今までどこで生きていたのか。
いやはや、歳を重ねたせいか、昔のことが懐かしく思えて仕方がない。いかんな、懐古など儂の柄ではなかったというのに」
一度口を開いた地龍はご機嫌に言葉を並べる。孫が訪れたときの祖父母のように、跳ねるような声で嬉々とする。
地龍の姿を目の当たりにしたマリーは、どこか騙しているような居心地の悪さを感じる。しかし、ここで地龍の長話に付き合うために来たのではない。地龍がマリーを誰かと勘違いしているとしても、切り出すべき本題を忘れはしない。
マリーは意を決して、一歩前へと踏み出した。
「ごめんなさい。私の話も聞いてくれるかな?」
「応とも。積もる話もあるだろうが、ここまで来た本題があるのだろう」
地龍は案外あっさりとマリーの言葉を聞き入れた。饒舌に話していた口を結び、黙してマリーの言葉を待つ。その居姿や、朗らかな老人のそれではなかった。荘厳な龍種としての威厳を放ち一縷の隙もない風格を漂わせる。
だが、マリーとて退くことはできない。その腹の内を、嘘偽りなく吐露する。
「私は魔王を倒すために、あなたたち幻獣に力を貸してほしいの。地龍さんから、皆に協力してくれるように言ってくれないかな?」
「……」
マリーの提案に地龍は沈黙した。一度もたげた首を地に降ろし、深い呼吸の中で思考を張り巡らせる。
「その提案、到底受け入れられぬ」
そうして地龍が下した回答は、単純明快なものであった。
「どうして?」
マリーは地龍の機嫌を損ねないように、慎重に探りを入れる。リュージーンや道周たちのように哄笑上手ではないマリーは、真心で向き合うことしかできない。地龍がどのような答えを返してこようと、マリーは本音で語り合うことを腹に決めている。
地龍は瞑目してまま、淡々と重厚な声音で答える。
「この領域にて、幻獣たちを動かすのは儂の声ではない。己が定める「試練」を踏破し、力を示すことのみだ。
それは儂がチョウランを治めるにあたり、一切衆生に課した不文律である。それをこの手で破ることなど論外であり、もはや儂を以ってしても不可能だ」
「そんな……」
「しかし、幻獣たちの協力を得ることが不可能というわけではない。方法はある」
「それって」
マリーは地龍の言わんとしていることを察した。この話の流れであれば、否が応でも理解してしまうというものだ。
「お主が幻獣たちの「試練」を踏破すればよい。「試練」は絶対服従の不文律。これを違える誇り無き幻獣は、この領域には居らぬよ。無論、この儂とて例外ではない」
地龍はしたり顔で言い放つ。その表情からは、地龍は自らが課す「試練」とやらに絶対的な自信があるらしい。
「うそぉ……」
マリーは想定内すぎる返答にドン引きした。
地龍は見えていないものの、マリーの豊かな表情の変化を理解しているようだ。呵々と哄笑を上げて、隣のユニコーンに指示を出す。
「今日のところはもういいだろう。サリーを案内してやってくれまいか?」
「承知しました」
ユニコーンの案内で、マリーは地龍の元を去る。再び暗がりの洞窟を抜けて連峰に出ると、ドッと疲労感に襲われた。
あれだけの威圧感と存在感の塊のような地龍と、ずっと相対していたのだ。無意識のうちに心労が蓄積していたのだろう。
それに、洞窟から抜けると外は夜の帳が降りていた。
四方八方が天まで聳え立つ山々なのだ。通常よりも日光が遮られるのが早いことも頷ける。
深い溜め息を漏らしたマリーは両手を伸ばして身体をほぐすと、気にかかることを早速質問する。マリーは説明も訂正もされることもないまま話を進められ、人違いのまま終わる。こんな扱いを受けたマリーは、どことない怒りを醸し出していた。
「――――で、地龍さんが言っていた「サリー」って何なの?」
マリーの質問に、ユニコーンは呻き声を上げた。込み入ったチョウランの内情の、そのまた深部にある事情であることは察した。
ユニコーンは慎重に言葉を選ぶ。自然に歩みを始め、どこかの目的地を目指して蹄を鳴らす。固く口を閉ざしたユニコーンは考えと言葉を取りまとめ、ポツリポツリと言葉を漏らし始めた。
「地龍様が仰った「サリー」という方は、かつてチョウランに居た魔女の名なのです――――」
ユニコーンに追随するマリーは、その第一声から話に引き込まれていった。




