黎明と繁栄と泰平
東の領域チョウランは、初めから一つのまとまりではなかった。現領主である地龍ロン・イーウーが領主になるまでは、幻獣が種族ごとに縄張りを主張しあいひしめきあっていた乱世であったのだ。
本来、フロンティア大陸の「領域」という社会体制に「侵略」という概念は深い根を下ろしていなかった。よって、300年前に突如として現れた魔王の進行に対して後手に回ってしまったのだ。
しかし、かつての東方の大地だけは違った。
生物の理を逸脱した幻獣は、その高い知性と規格外の身体能力により、権能を扱う者がほとんであった。他の種族を圧倒する総合力を持つ幻獣は、他の種族を見下ろした。その果てに生まれる「矜持」が、他者の存在を許容しない。
結果として生まれたのは、幻獣同士による「縄張り争い」という名の「侵略戦争」であった。
個々が強力な権能と身体能力と知略を有した幻獣同士の戦争は、広大な土地を一変させるほどに熾烈を極めた。
ただでさえ種類の少ない幻獣が、その個体数を自ら削っていく争い。高い知性を持っていたが故に起きた戦争は、数百年もの長期にわたって戦火を振り撒いた。
そんな東方の大地を嘆いた幻獣がいた。その名こそが、純潔の龍種であるロン・イーウーであった。
ロンは純潔の龍種であることを生かし、純然たる身体能力と格の違いを見せ付けて他種を黙らせる。その上、修練の果てに獲得した「大地を操る」という規格外の権能を振りかざし、東方の大地を平定に当たった。
ロンが掲げた理想は、瞬く間に東方の大地に伝播する。ロンが齢300ほどのときに起こした変革は、長きに渡る戦争を終焉に導いた。
「我こそが、この東方の大地を治める者である。これより先、幻獣同士の諍いに秩序を与え、定められた「試練」によって決定する法を敷く。
さらに、他の領域への野心も捨てるがいい。我ら幻獣はこの檻の如き大地にて、その長き命に鎖を付けよう!」
やがて東方の領主を名乗ったロンが下した文言である。このときより、東方の領域に「チョウラン」という名が与えられ、唯一にして無二の、そして誇り高き幻獣たちを統べる絶対的領主「地龍」が誕生した。
この宣言をした地龍が真っ先に行ったのは、今までの戦争に変わる「代理戦争」の制定と外界との隔絶だった。
ロンは「大地を操る」という規格外の権能を用いて、荒び枯れ果てた東方の大地に変革をもたらした。圧倒的な権能の暴力により、天を衝く断崖絶壁の灰色の連峰が生え聳えたのだ。
そう。現在にまで至る隔絶の断崖絶壁の連峰は、3000年以上前に地龍が起こした地殻変動なのである。
東方の大地一帯が様変わりし、幻獣たちの間で争いに秩序がもたらされた。
それ以降は、チョウランでは比較的安定的な運営が続いた。それも、地龍という絶対的な治安装置があってこそ機能したのだ。
地龍がもたらした平穏が瓦解したのは、200年前である。
北方の領主である白夜王が持ち込んだ提案が、チョウランに不協和音をもたらした。それは地龍でさえ読み切れなかった異変である。
勇者に権能の一部を割譲した後に発生した、勇者の裏切りである。
かつて「外界との隔絶」という選択を取った地龍が、踏み込んだ「外界との接触」という選択。その果てに突き付けられた「裏切り」という結果は、地龍を外界からより遠ざける結果となった。
そして齢3500を超えた地龍は、高齢の身体に鞭を打ち続けた心労がたたったのだ。誇り高く超常の幻獣をたちをギリギリのところで、杯に溜まった水の表面張力のように抑え込んできたピアノ線が断ち切られたのだ。
高齢の地龍の心身は、バランスを崩した――――。
地龍はみるみるうちに衰弱していった。その姿や、かつての地龍を知る者ならば見るに堪えられないものだった。
死期を悟った地龍が取った行動は、簡潔で切ないものである。
その醜く弱り果てていく姿を見せないために、隠居をしたのだ。それも、誰にも告げることなく忽然と。
地龍が姿を消してからは、チョウランにはかすかな波風が立った。しかし、チョウランが荒れ狂うこともなく、再び戦乱の世に戻ることはなかった。3500年もの長きに渡り地龍が敷いてきたチョウランのルールが、チョウランの平穏を保ったのだ。
それ以降、地龍との連絡を取ることができる者は誰一人として存在しなかった。
外界からの連絡も届かない。故に「地龍は人間嫌い」という噂が立った。
領域内の者も、地龍の姿を見ることも声を聞くこともない。故に「地龍は死んだ」という事実にすり替わった。
地龍はこのチョウランの平穏を願い、老衰までの余暇を静かに待っていた。戦乱の大地を領域としてまとめ上げた功労者の長い人生の最期は、誰にも看取られることのない静寂と暗闇の洞窟の中であった。
「――――そんな最中、偶然私がこの洞窟に立ち寄ったのです。普段は幻獣でさえ近付かない最奥の洞窟に、どういして立ち入ろうと思ったのか。今の私から考えても、その動機ははっきり分かりません。
ただ、そういう運命であったとしか言いようがありません」
「それで私を招いてくれたの?」
「貴女を目にしたとき、どうしてもここに連れて来なければという衝動に駆られまして」
「そのころを地龍さんは知っているの?」
「えぇ。現在、地龍様のご存命を知っているのは私のみで、言葉を交わすのも私のみです。
これが地龍様とチョウランの現状です。それを知った上で、貴方には地龍様に会っていただきたいのです」
「うん。私だって俄然会いたくなってきた」
決意のマリーは、腹に抱えた感情をひっくるめて顔を上げた。
その輝かしい顔付きに信頼を置いたユニコーンは、「間違いではなかった」とマリーを再認識した。
「……さぁ、見えてきました」
ユニコーンが視線をやった。光の届かない洞窟の最奥、そこには不思議と光が差し込む空間が広がっていた。
天井には満面のラピスラズリ、それを照らす自然発酵の輝石が地面に敷き詰められ、大空洞の中心の「それ」は、老衰しているとはいえ異様なオーラを放っていた。
「あの方こそが、我らが地龍様でございます」
ユニコーンの言葉と同時に、地龍が眼を見開いた、色を失った黒目にも関わらず、眼光に吸い込まれてしまいそうだ。
その蛇のように細長な長躯でとぐろを巻いた純潔の龍種が、遂に立ちはだかる。




