平らかな風
超巨大ミノタウロスによる暴虐により、ナジュラの領域は丸裸にされていた。
鬱蒼と生い茂っていた森林は、樹木の一本も残さずにに吹き飛ばされている。広漠とした大地も地表を捲り上げられ、岩盤を露出させている。
怒涛の咆哮により吹き飛ばされた土塊と倒木は、あちらこちらで天高く山積している。
ナジュラを蹂躙したミノタウロスが消失してもなお、崩壊した自然は戻ってこない。
「……――――」
誰の声もなく、生物の息すら聞こえない。無の空間が広がっていた。
「――――っ!」
しかし、荒涼とした大地で呻き声が上がる。人の影もない大地の、山積した瓦礫が前触れもなく崩壊する。
「――――あぁぁぁ!
アイリーンに逃げられたと思えばミノタウロスの怪獣。一体何が起こったんだ!?」
土塊を穿ち倒木を切り裂いて、生き埋めになっていた道周が怒号を上げながら脱出した。口の中に侵入した土を唾とともに吐き出して、悪態を吐く。
血の上った頭を左右に振って、平穏を取り戻した現状を理解した。物静かな夜明けの静けさに耳を傾け、頬を撫でる冷たい風に気持ちが安らぐ。
「ミノタウロスのは……、倒されたのか……? 一体誰が?」
ミノタウロスが現れた瞬間に生き埋めにされた道周は、この現状に至った経緯が分からない。
なぜ、突如として超巨大ミノタウロスが現れたのか。消えたアイリーンはどこへ行ったのか。ガーランドロフとの戦闘はそうなったのか。そして、なぜミノタウロスは消えたのか。
その全てが、生き埋まっていた間に決着していた。
「肩透かし感……。俺、活躍してなくね?」
静寂の中で道周は一人ごとを漏らした。誰かが答えるわけでもなく、暁の空に吸い込まれて消える。
道周がレスポンスのない空間に物寂しさに包まれたとき、快活な返答が鳴り響く。
その声は倒木の間を縫い、隆起した大地を乗り越えて届いた。
道周は声の方向へ顔を向け、やってくる者を警戒する。意識を研ぎ澄ませて、もう一度聞こえてくる声に耳を傾ける。
「――――ぃ。ミチチカ!」
再び鳴り響いた声は、確実に道周の名を叫んでいた。
道周は聞き覚えのある声音に、思い当たる節しかない。快活で跳ねるような声の主、ソフィ・ハンナが身軽な身体を駆使して道周に駆け寄った。
「ソフィか! 状況が分からないんだけど、一体何がどうなっているんだ?」
「落ち着いてください。一つずつ整理しましょう」
ソフィは道周を諫めると、現状にいたるまでの過程を掻い摘んで説明した。
マリーは魔法の修行を終え、ジャバウォックの異変を解決すべく、バルバボッサの暴風に乗ってナジュラを目指したこと。
到着する寸前に、アイリーンがガーランドロフをミノタウロスに変えたこと。
アイリーンの跡を追って、ソフィが道周を見付けたこと。
そしてミノタウロスはマリーの魔法によって討伐されたであろうこと。
一部、ソフィの主観の混じった説明ではあったが、道周が状況を理解するには十分な情報である。道周は顎に手を当て、唸りながら情報を整理する。
そして思い浮かんだ疑問を、ソフィへ真っ直ぐに投げ掛ける。
「……で、アイリーンの行方は分かったのか?」
「いいえ。私が追いかけたときには、魔法の痕跡すら薄れてしまっていまして……。エヴァーの方角に行ったと言うことまでしか分かりませんでした」
「それだけ分かれば十分だよ。
……アイリーンにまんまと逃げられた俺とは大違いだ」
道周はアイリーンに逃げられたことを、かなり根に持っている。たられば話にはなるが、道周がアイリーンを逃さなければナジュラが悲劇に見舞われていなかっただろう。
「仕方ありませんよ。それだけ相手が偏屈でひねくれていたんです。最初から逃げるつもりの相手を逃がさないなんて、不可能ですよ。それが強者なら、なおさら不可能ですよ。
ミチチカは、よく頑張りました。無事に生きていただけでも、偉い偉いです」
「くぅぅ……。マリア・ソフィ、聖母よ……」
道周の禍根と後悔を汲み取り、ソフィは慈愛の言葉を投げ掛ける。
ソフィの母性に癒される道周は、折れかけた心を何とか持ち直した。
「皆の元へ戻りましょうか?」
「……そうだな。戦い抜いてくれたセーネとマリーを労ってやらないと。ついでにリュージーンも」
「ですです」
疲労困憊の脚に鞭を打ち、道周は朗らかな表情で歩みを始める。ソフィもその後に続き、堂々たる姿勢で帰還する。
熱戦の果てに、多くの自然と生命が奪われた。
ガーランドロフの圧政と、アイリーンの悪逆は決して赦してよいことではない。名も知らない命のバトンと、ウービーが繋いだ意志は、「魔王討伐」という意志に収束する。
「元の世界に帰るため」という動機だけではない。
フロンティア大陸を破壊する魔王軍を、魔王を倒す。
道周たちの胸には、確固たる決意が宿っていた。




