我が儘だから side.マリー
あらすじ
衝動的に駆け出したモコが目指すのは、かつての縄張り。理由はない、自分でも分からない、人生で初めての我が儘を通して、やりたいことがあったから。
――――なぜ駆け出したのか?
それは、モコ本人にも分からない。
答えるとするならば、そうしたかったからだ。
しかし、己の意志を封じて、運命に流されるまま生きてきたモコにとって、自らが取った行動は理解しがたかった。
きっとラブに、マリーにもソフィにも迷惑をかけている。迷惑だなんて、まだ甘いかもしれない。もしかすると、自分の暴走で命の危機に晒しているかもしれない。
それでも、モコは走った。
今から反転して戻ることだってできる。けど、したくない。
群れから迫害され、ラブに引き取られ……。
そこにモコの意志はなかった。
ならば、今だけでも我が儘を通したい。そのために、与えられた才能を磨いてきたのだ!
決別したはずのかつての群れを見捨てることは、モコの生から歴史を消すことと同義だ。
そんな強迫観念に迫られてモコは走った。
モコはおぼろげな記憶を辿る。もう何年も歩いていない道を行き、確かこの辺りだと群れの縄張りへと脚を踏み入れる。
聞こえてきた悲鳴の方角へ従い、さらに速度を上げて草木を掻き分けた。
「みんな! だいじょうぶ!?」
「「「っ!?」」」
木々の隙間を突き抜け、突如として現れたモコに獣人たちは驚愕した。たどたどしい武器の扱いで応戦する獣人も、逃げ惑う獣人も、同じ表情でモコを見詰める。
まるで幻でもみるかのように硬直した獣人たちに、ありとジャバウォックが牙を剥いた。
「てい!」
疾走の勢いを乗せ、モコはジャバウォックに飛び蹴りをお見舞いする。
真横から胴を蹴り込まれたジャバウォックは、大きく姿勢を崩して倒れ込んだ。地面を転がって体勢を整えると、モコの追撃が目前まで迫っていた。
掌に火の粉を集中させたモコが掌底を打ち込む。掌底は見事ジャバウォックの顎を打ち、火の粉は逆巻いて炎の柱を立てる。
小さいながらも炎はジャバウォックの顔を包んだ。即死とはいかないものの、撤退させるだけの成果を上げる。
ジャバウォックを一頭退けたモコは、呼吸を荒らげている。
ジャバウォックの体躯はモコの2倍を誇る。それを撃退するだけでも一苦労だ。
「はぁはぁ……」
「Burblleee!」
モコに休む暇はない。二頭目のジャバウォックが唸りを上げ、モコへと巨腕を振り上げる。
「っ! このっ!」
モコは奥歯を噛み締めて振り向く。鉛のように重たい身体に鞭を打ち、掌に魔法を展開する。
モコが次に掲げた魔法は、眩い発光の魔法である。それを襲い来るジャバウォックに向けて放つことによって、一時凌ぎの目晦ましを行う。
「Bugya!?」
モコの思惑通り、ジャバウォックは仰け反って後退する。がら空きになった胴に、モコは追い打ちをかけた。
モコは構えた手刀に強化の魔法を施す。手の刀の文字の通り、刃と化した一手でジャバウォックの顔面へ打ち込んだ。
頭上にあるジャバウォックの鼻頭を見事に切り裂き、鮮血とともに嗅覚を奪った。
一方で、ジャバウォックも目晦ましから復帰する。瞳を剥いて、眼下の小兵に狙い定める。
復帰したジャバウォックのその後ろ、3頭目のジャバウォックが振り向いたのがモコの視界に写る。
合計3頭のジャバウォックがモコに狙いを定めた。阿吽の呼吸でタイミングを合わせるでもなく、本能的な獰猛さで同時に猛威を振るう。
1頭は牙を剥き、もう1頭は腕を振り上げる。別の1頭は巨体を揺らして助走をつけ、踏み潰さんと突進を仕掛ける。
「3頭同時は無理だ。逃げろ!」
モコの決死の戦いを見ていた獣人が叫ぶ。
しかしモコは退かない。ここでモコが撤退すれば、抵抗する力のない獣人が、群れごと壊滅する。
ジャバウォックを撃退することも不可能な今、モコにできることは獣人たちが逃げるまでの時間稼ぎだ。
恐怖に歪む口角を笑みに変え、モコは奥歯を噛み縛る。
「逃げてください! ここは私が引き止めます!」
モコは万感の思いで叫ぶ。その実、身を翻したい思いを踏み留まり、疲労に重たい身体に鞭を打っていた。
モコの震える膝に気が付きながらも、獣人たちは決心する。背に腹は変えられないと自分に言い聞かせ、断腸の思いで踵を返す。
退却を始める獣人たちを確認し、モコは安堵する。己が人壁となることに手応えを感じつつ、寂しさと悲しさと恐怖を無理矢理飲み下して怪物に立ち向かう。
「そう……、私はこのために魔法の修行をしてきたんです……!」
腹を括ったモコは、小さな両掌を眼前に掲げる。広げた掌に意識を集中させ、怪物から獣人たちを守る壁を想像する。
モコのイメージは徐々に実体として掲載される。空気を寄せ集め、仄かな光を結束した小さな盾を掌に携えた。
「まだ……、足りない……!」
だがモコは満足しない。脳に上る血流を高速で回し、血眼でイメージを加速させる。
モコの願いは魔法に反映される。
小さな盾はより多くの空気を吸い寄せた。集めた空気の膜を薄い光で包み、それは壁となった。
今にも火の噴き出しそうな赤面で、モコは壁を維持する。その眼前に迫るジャバウォックの1頭が、振り上げた腕を振り下ろす。
「Burrraa!」
「がっ!? ……ぐぅっ!!」
ジャバウォックの攻撃と、モコの防御が正面衝突した。ジャバウォックの雄叫びとモコの苦悶が重なり、爪と壁が折衝する鈍い音が響いた。
「ぅぅ……だぁっ!」
正面から壁を削られたモコだったが、魔法による強化と後押しと気合いで辛うじて攻撃を弾き返した。
ジャバウォックは体格で遥かに劣る小兵に攻撃を防がれ、奇怪そうに瞳を歪めた。同時に言いようのない屈辱を感じ、怒りに身を任せて両腕を連打する。
先頭のジャバウォックに続き、2頭のジャバウォックも攻撃を加える。
強靭な顎による噛み付きと、巨躯を乗せた体当たりが重なる。
「っ……!」
3頭の猛攻に、防ぐだけのモコは言葉も出ない。踏み留まるために息を吐き、命を削って耐え忍ぶ。
ジャバウォックの攻撃のタイミングに合わせて両足を踏ん張る。攻撃のタイミングが3頭で異なれば、踏ん張りは三度。3頭で異なれば三倍の力を込める。
この防戦を幾度となく繰り返し、その度に構えた壁が擦り減っていく。
モコの全身に残る筋力は、すでに底を着いている。立っているだけでも奇跡なのであろうが、すでに限界は超えていた。
「「「Brrraaa!」」」
3頭の攻撃が重なった。ジャバウォックたちは示し合わせたでもなく、同時に右腕を振り降ろす。強靭で鋭利な爪を光らせ、魔法の壁を突破せんと膂力を奮う。
もう何度目の防御だろろうか。モコは薄れてぼやける思考を回し、ジャバウォックの攻撃にのみ集中して防御する。
ガンッ!
重たく鈍い音が木霊する。
ジャバウォックたちが壁を突破することは敵わなかった。
モコの魔法は死線において進化し、鉄壁を誇っていた。
「ガッ――――!」
と同時に、器を超える才能の露見が身体を蝕んでいた。
モコは滝のように血を吐いて、膝から崩れ落ちた。モコの小さな両手によって支えられていた鉄壁は、いとも簡単に瓦解する。
以前として吐血するモコは、鼻から零れる血流に目を剥く。すると栓の抜けた管のように、涙腺から血涙が落ちた。
頬を伝う生暖かい線に、モコは自覚した。
(あ、この程度だったのか……)
血で滲む視界で、ジャバウォックが大口を開けた。苛立ちを募らせた荒い呼吸で、小兵を食い千切らんと牙を剥く。
諦念を抱えながらも、モコは瞳を閉じない。最後に、自らの意志で選んだ道の結果を知りたいと、逃げた獣人たちの行方を追う。
獣人たちは木々の向こうに消え去り、背中も見えない。見えるはずもないのに、必死に姿を探
「Buriy――――」
ジャバウォックの牙は、小気味よく甲高い音を立てる。




