邂逅 side.道周
あらすじ
爺さまを捕らえた道周は、凝り固まった爺さまの懐柔に苦心していた。しかし徐々に心を開く爺さまは、ガーランドロフの姿を語り始める。明らかになるガーランドロフの全貌を目の前にしたとき、道周は敵と邂逅を果たす――――。
馬の獣人兄弟が「爺さま」と呼び慕っていた老練の獣人は、年季の入った独特の覇気を放っている。
その爺さまが真一文字に結んだ口を開くことはなかった。狸寝入りであるのは見るに明らかなのだが、意地か頑固か一向に起きようとはしない。
人質の爺さまを見守る道周はかける言葉を失いながら、時が経過する。
蒼天に上っていた太陽は地平線に沈み、立ち替わって燦々と輝く半月が夜空に居座っている。雲の少ない夜空は星が散りばめられており、遮る建物も光源もない平原ならではの情緒を醸し出している。
現代では滅多にお目にかかれない景色に、道周はただただ息を飲んでいた。
「ほえー。これはいいもんだ。あんたもそう思うだろ?」
「……」
道周の呼びかけにも、爺さまは頑として口を閉ざす。
岩と同化したように沈黙する爺さまに、道周は手を焼いていた。一応は人質であるので手荒には扱えない。もし雑な扱いで怪我の1つでもさせてしまえば、バンジョーとの約束を違えることになってしまう。
道周の誇りにかけて、そのような無様を晒すことだけは避けたかった。
何とかして会話の糸口を探る道周は、星空を眺めながら思考を回す。その中で、エルドレイクで見た「常夜の結界」の光景が鮮明に蘇る。
夜王が自身を強化するために展開した結界は、まさしく夜王の在り方そのものであった。常にそこに鎮座する夜の王は、今頃何をしているのだろうか。
待っている夜王の姿に想像を走らせていると、どこか今の自分と姿が重なる。
そこから始まる思考の連鎖が、言の葉となって口を突く。
「「走れメロス」みたいだな」
はは、と乾いた声で自嘲気味に笑う。
道周の何の気なしの呟きに、爺さまが片眉を動かした。どうやら未知のフレーズに本能的に反応したらしく、道周はその兆候を見逃さなかった。
「……気になるか?」
「別に……」
素っ気なく答える爺さまだったが、返事をした時点で爺さまの敗けである。
折れた爺さまを見かねて、道周は大きな独り言を呟くことにした。
「あー、「走れメロス」ってのは、俺のいた異世界の話だったけな。
えーと、どんなストーリーだったのか、思い出してみるかー!」
道周は大袈裟に声を張って独り言を溢す。
爺さまは興味ない素振りをしているものの、馬耳をピクピクと動かせている。本能的に示してしまう耳には気が付いていないようで、静寂な草原の真ん中で道周の声が響き渡る。
その後も、道周は「走れメロス」のあらすじをなぞっていく。
学生時代に読んだ内容でも、存外鮮明に覚えているものだな。と内心で関心しながら、道周は丁寧にストーリーを物語る。
メロスの怒りも感嘆も、苦悩も挑戦もまざまざと想起される語り口に、爺さまは途中から狸寝入りを解いていた。それどころか縛られていた身体を前のめりに、食い入るように聞き耳を立てる。
興が乗った道周も、独り言に関わらず語り口に熱を帯びていった。熱くなる物語の展開に呼応して、爺さまの瞳は子供のように爛々と輝きを得ていく。
「――――と、メロスの疾走と、友を思う気持ちに動かされ、王は民の気持ちを考える王に変わったとさ。
これでおしまい」
道周は物語を締め括った。うっすらと額に浮かぶ汗を拭い、蒸気した身体の熱を実感して、力が入っていたのだと自覚する。
爺さまも、もはや取り繕う様子はない。興味深く道周の身なりを観察し、おもむろに問い掛ける。
「「異世界の物語」と言っていたが、お前が異世界人だとでも言うのか?」
「そうだ。信じるかどうかはあんたの勝手だが」
「いいや、変わったやつとは思っていた。納得が入ったぞ」
道周はそうかいと相槌を打ち、爺さまの隣に腰を下ろした。
爺さまはビー玉のような瞳で道周を見詰め、年季の入った鋭い眼光を向ける。
「お前が送り出した仲間だが、ガーランドロフに正体を暴かれた途端に殺されるぞ」
「だろうな。ウービーもリュージーンも、聞くところのガーランドロフとやらには勝てないだろうな」
「私には理解できないな」
爺さまは失望に似た溜め息を漏らす。しかし道周は失望などせず、凛として視界を遠くの宮殿へ向けると、自信に満ちた声で返す。
「俺は2人の能力を正当に評価しただけさ。「個」の強さじゃなくて「群れ」の強さってやつさ」
誇らしげに仲間を語る道周を見据え、爺さまは納得した。
「お前は、仲間を信じているということだな」
心に持った感想を、そのまま道周にくれてやる。
年季に裏付けされた、爺さまの言葉が道周の胸に突き刺さる。爺さまの言葉は、正しくバルバボッサが道周に突き付けた課題そのものであった。
(そうか。こんなことでよかったのか……)
簡単なことだと、道周は目が覚めたような快感に襲われる。自覚していなかったとは言え、己の殻を破った気持ちはすがすがしいものであり、決して忘れてはいけない感覚である。
忌憚ない気持ちに触れ、心境に変化があったのは道周だけではない。
爺さまもシワの深い顔をクシャっと崩し、心を縛っていた鎖を解く。雪解けのような温かい気持ちで、爺さまはポツリポツリと言葉を溢し始める。
「お前たちなら、あのガーランドロフを倒してくれるのかい?」
「あぁ。俺たちだけじゃない。バルバボッサもいるし、他に仲間だっている。きっと、勝つ」
「そこまで言い切るのか……」
爺さまは、どこか楽しそうに呟いた。無邪気だったころの孫たちの面影と道周を重ね、年甲斐にもなく心が沸き立っているのを自覚する。
「一度しか言わんから、よぉく聞けよ」
「ん? 今なんて――――?」
「ガーランドロフは身の丈2メートルほどの虎の獣人だ。速さと怪力を補強する権能を持ち、最近では新たな力を得たようだ。個人で起こし得ない規模での環境破壊が目立っている。きっと新しい力の実験をしているのだろう」
爺さまは聞き返す道周を置き去りにして捲し立てた。誰かに聞かれることなど決してないように、口早に持っている情報を開示しきった。
「その「新しい力」って言うのはガーランドロフのものなのか? 新しい仲間によるものだったりする可能性は?」
「私がそこまで知るか」
「じゃあさ、誰か詳しそうな人に心当たりは――――」
そのときだった。道周は言葉にならない切迫感に襲われる。全身で感じる危機に、思わず言葉が途切れた。
天頂から注ぎ込む月光もいつの間にか雲に隠れ、何かから姿を隠すかのようだ。平原の草を掻き分けた風には、覇気と濃い血の香りが混ざっている。
全身に走る鳥肌は虫の知らせであり、理由のない戦慄であった。
雲に隠れた月が姿を現すことはない。
否、雲はすでに晴れていた。
道周が見上げた夜空に月はなく、煌々と燃えるような双星がこちらを見据えている。
刹那、道周は魔剣を爺さまに向ける。
爺さまを縛る縄を乱暴に断ち切り、有無を言わさず老体を引き倒した。爺さまは道周の腕力に気圧され、されるがまま傾斜を転がった。
何をするっ!?
威勢よく食い下がろうと口を開ける。しかし、その言葉が爺さまの喉を駆け上がるころはなかった。
ドゥゥン――――。
咆哮とともに粉砕される岩石。露わになった謎の巨体は、奇形と形容するにふさわしい四肢を携えていた。
隆起した上躯は隆起した僧帽筋から腰に掛けての逆三角形を誇る。パーツごとに膨れ上がった筋肉は、詰め込まれた暴力の密度を手に取らずとも感じさせる。
続く下半身は上半身に見合わず華奢である。決して貧弱ではなくとも、上半身の強大さに見合っているとは到底思えない。引き締まった腰に大腿筋は目を見張るものがあるが、それ以上に道周の目を引いたパーツがあった。
「GYAAAAA――――!!」
大地を震撼させる雄叫びを上げる巨獣は、天を突く2つの牛角を突き上げ上体を逸らして天を仰ぐ。
逞しい猛牛の上半身に、人の下肢をもつ異形の怪物。
道周にとって不倶戴天の仇敵。その名は、
「ミノタウロス――――ッ!!」




