火舟
テーブル・マウンテンの頂上を目指しているとルナマリアがつぶやく。
「雨が降りそうですね」
すると僕の頭に雨がひとしずく。
「どうして降るって分かったの?」
「雨の匂いがしましたから」
さも当たり前のように言うが、嗅覚だけで雨を察知してしまうのはさすがルナマリアだった。
ただそのルナマリアでも雨雲を消し去ることはできない。降り落ちた雨は容赦なく僕たちに降り掛かる。
雨宿りができる場所を探す。幸いなことに数十メートル先にちょうどいい塩梅の洞窟を見つける。
僕たちはそこに駆け込む。
洞窟に入るとほっと溜め息を漏らすが、衣服が濡れていることに気がつく。ルナマリアは、「この程度は我慢できます」というが、彼女の白い衣服が濡れると年頃の男子としては目のやり場に困る。
透けて下着が見えてしまうのだ。レウス父さんに男は常に紳士であれ、と教え込まれている僕としてはまずは衣服を乾かしたかった。
なので洞窟の中にある可燃物を探す。このテーブル・マウンテンの洞窟には可燃性の苔が生えていることが多いのだ。探せば暖くらい取れそうであった。そう思ったのだが、その考えは正解だった。ちょっと奥に入ると件の苔がびっしり生えていた。
僕はそれを山のように抱えて持ち帰ると《着火》の魔法で火をつける。
またたく間に燃え上がり熱と光を発する苔。ルナマリアは失礼しますと濡れた衣服を脱ぐ。ここで席を外したりすると逆に彼女が暖を避けるのは明白だったので、心の中で『素数』を数える。
(二、三、五、七、十一……)
煩悩と戦うこと数分、僕たちの衣服が乾くと手早く火を片付け、そのまま洞窟を出る。すると雨は嘘のように止んでいた。
「地母神の思し召しですね」
にこりと笑うルナマリア。なかなかに可憐だったが、先ほどの光景が鮮明に残っているので視線を合わせずに山を登る。このまま一気に神域まで――つまり父さんと母さんたちがいる場所まで向かおうとしたが、それはできなかった。
道中、僕たちを遮る人物がいたからだ。
彼女は神域へ続く道の中央に立っていた。フードの付いた黒い衣服を着ている。服はずぶ濡れであった。先ほどの雨に打たれてしまったのだろう。しかし雨宿りもせずにずっとここに立っていたのだろうか。奇妙な話である、と、いぶかしむと、ルナマリアも同様の意見を述べる。僕に注意をうながしてくる。
「……ウィル様、怪しい気配がします。それ以上お近づきにならないでください」
こくりとうなずく。
「……目の前の人物からは尋常じゃない殺気を感じる。僕を殺したくて仕方ないようだ」
僕たちが殺気に気が付いたことに気が付いた黒衣の人物は、にやりと口元を歪め、不穏な言葉を紡ぐ。
「……よかった。私の殺意に気が付いてくれて」
そう言い放った瞬間、黒衣が地面に落ちる。ずぶり、と重力を受け、地面に広がる。脱皮をしたかのように見えるがそうではない。黒衣の中身が目にも止まらぬ速さで黒衣を脱ぎ捨てただけだった。
黒衣の中身は風と一体化するような速度で僕の懐に飛び込んでくる。視認できた瞬間、すでに相手は目の前に居た。刀を抜き放ち、刹那の速度で僕を両断しようとしていた。
僕は無意識のうちに左腕の盾を動かし、敵の斬撃を防いでいた。
カキン!
と金属音がぶつかり合う音がした。
その音にいち早く反応したルナマリアは言う。
「ウィル様! ご無事ですか!?」
今のところはね、と返すと左腕のイージスは茶化す。
「攻撃を受けるたびにこんな有様じゃ、もしも怪我をしたら全世界の半分の女性が嘆きそうだね」
「ミリア母さんひとりで全世界の半分くらいの涙を流すかもね」
皮肉を冗談で返すと僕は足払いをする。
ぶおん、と空を切る僕の右足。
その姿を見て聖なる盾は「へえ」と感心する。
「君って案外やるね」
「体術はローニン父さんも得意なんだ」
「違うよ。そういう意味じゃなくて、君ってフェミニストだと思ってたからさ」
「フェミニスト?」
「いや、だって今、蹴ろうとした子、女の子じゃん」
「…………」
まさか、と確認するが、後方に跳躍し、僕の蹴りをかわした人物はたしかに女の子だった。
「気が付かなかった」
「ふふん、ウィルは観察眼が甘いね」
「正面から見ると髪が短く見えたんだよ」
言い訳じみているかもしれないが、彼女は長い髪を後ろで束ねており、僕の角度からは男の子に見えた。
「あんな可愛い顔した男の子なんていないでしょ。……まあ、ウィルがそうだけどさ」
「どうも。……しかし、それにしてもやりにくいな」
そんなやりとりをしていると件の少女が表情を緩ませる。
「神々に育てられしもの、あまり私を甘く見ないほうがいい。こう見えても私は剣の達人。油断した瞬間、刹那の速度でおまえの首を切り落とす」
たしかに彼女から感じられる殺気はただ事じゃない。油断をすれば本当に首がすっ飛ぶだろう。しかしだからといって女の子を殴りつけるのは趣味じゃなかった。
「……君の実力は分かった。凄い剣士だと思う」
「ありがとう」
「しかし、君と戦う理由が分からない。なぜ、剣を向ける?」
「それは簡単。あなたは私の仇の息子だから」
「仇の息子……?」
「そう」
「つまり僕の父さんと母さんの誰かが君の大切な人を殺したというのか?」
「そうよ。だから殺すの」
「まさか。それは誤解だよ。父さんたちがそんなことをするわかない」
父さんたちを擁護すると、彼女の表情が変わる。
それと同時に隼のような速度で突っ込んでくる。
「許さない。――絶対に許さない。おまえの父、ローニンは私の師父を殺した。だからおまえを殺してやつの表情を苦悦に歪ませるの!!」
彼女はそう言い放つと渾身の一撃を放ってくる。上体を反らし、すんでのところで攻撃をかわすが、頬に熱いものを感じる。どうやら皮膚を切られてしまったようだ。
(……かわしたと思ったのに。なんて鋭く力強い攻撃なんだ)
背中に冷たいものが流れる。
このままだと負ける、そう思った。
今の僕には武器となるようなものがない。先日、短剣を失ってしまったからだ。
あらゆる攻撃をはじく盾に、強力な魔法なども残されているが、目の前の少女との戦いではいささか頼りない。彼女は刀の使い手なのだ。剣術の腕前を見る限り、防御一辺倒の戦いや、魔法による攻撃はあまり通じなそうだった。防御に徹していてもいつかそれを崩されてしまうだろうし、魔法を詠唱する隙も与えてくれなそうなのだ。
(――つまりこのまま戦えば負ける、ってことか)
冷静に実力差を把握すると、僕は最強の戦術を実行する。
魔術の神ヴァンダルに習った「最強」の戦い方を披露する。
軽くルナマリアに目配せすると、呼吸を合わせる。長い間、共に旅をしてきた彼女とはあうんの呼吸が成立するのだ。
黒衣の少女と距離を取ると、僕は盾を投げる。
『ばびゅーん!』
と自分で声を出しながら飛んでいく盾、その軌道は直線的だったので簡単に避けられてしまうが、それでいい。行きの攻撃は避けられても、帰りの攻撃では虚を付けると思ったのだ。案の定、ブーメランのように戻ってくる聖なる盾に虚を突かれる少女。
「――なっ!? 戻ってきた」
聖なる盾が初見の少女はその特性を知らなかったようだ。当たりこそしなかったがわずかばかりの隙を作ることに成功する。
その隙を見逃さない。右手に魔力を溜めていた僕はそれを土の魔力に変換する。
破壊力になって具現化した魔力、それを少女に当てるような真似はせず大地にぶち込む。
すると大地に大穴が空き、土煙が舞う。尋常じゃない音が響き渡り、砂や石が飛び散る。それによって少女は一瞬、僕を見失ってくれる。
ほんのわずかな時間だったが、僕とルナマリアが走り出すには十分な時間だった。
僕たちは最強の戦術「三十六計逃げるにしかず」を実行したのだ。
彼女には僕と戦う理由があるようだが、僕にはない。避けられる戦闘は避けるべきだった。この先は神域となっており、関係のないものは立ち入ることができない。神域で戦闘を行えば神々が介入してくるからだ。
おそらくであるが、少女はそのことを知っているからこそ、この場所で待ち伏せしていたのだろう。つまり、神域まで逃げ切れば当面の危機は回避できるはずであった。
――その考えは正解であった。
最初こそ僕たちの背を追ってきた少女であったが、僕たちが神域に入るとぴたりと動きが止まる。しばし、その場に留まると、僕の背中を鋭利な視線で見つめる。
「……まあいいわ。ここで仕留められるとは思っていなかった。それにあなたとは必ず再会する。そのときは必ず討ち取る。あなたの首を師父の墓前に掲げて、師父の魂を慰撫する。それが私の望み」
彼女はそこで一呼吸置くと、大声を張り上げる。
「私の名はヒフネ! 神々の子ウィルよ、その名を忘れるな。おまえの心臓に刃を突き立てるのも、三途の川の渡し賃を支払うのもこの私なのだから!!」
最後にそう言い放つと、その場を去って行った。
僕は彼女の言葉と決意を噛みしめる。彼女の言葉が真実なのか、考えを巡らせる。
「……あのローニン父さんがあそこまで人に恨まれることをするんだろうか」
そのような疑問が湧き出る。
僕の知っている剣術の神様は、酒と女性に弱いが、人情に溢れる人だった。大雑把で粗野な人だったが、意味もなく人を殺すような人ではなかった。
やはり彼女は勘違いをしているのだ。――きっとそうだ、と自分を納得させると、僕たちはそのまま神域を進んだ。




