表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/180

20年後の誓約

 性懲りもなく現れたベルセル・ブル。やつは興奮の絶頂にいた。


 当然か。僕の罠によって崖から突き落とされたかと思えば、いつの間にか異界の森に閉じ込められていたのだから。


 僕のはらわたを引きずり出したくて仕方ないのだろう。

 殺気に満ちた赤い目を見るとそう思うが、恐怖はしなかった。

 むしろ冷静に事後のことを考える。


(……ユニコーンは角ごと食べられてしまった。でもユニコーンの角はなかなか消化できないはず)


 魔術の神の書斎に置かれていた生物図鑑の解説を思い出す。


 ――となれば今、ベルセル・ブルの腹を切り裂けば角を回収できる可能性が残っているということだ。


 改めてベルセル・ブルの凶暴な顔を見ると僕は腰の短剣に意識を集中させる。


(ローニン父さんに教わった剣閃があればやつの腹を切り裂くなんて簡単だ)


 でも今の僕には剣閃は使えない。短剣がそろそろ完全に破壊されそうだったからだ。


 ならば魔法?

 

 いや、それも駄目だ。無論、魔法でダメージを与えるのはいいが、やつが消し炭になるような一撃を与えることはできない。僕たちの第一優先はユニコーンの角なのだから。


「……面倒くさいな」


 普通に戦えば負けはしない相手であるが、勝利条件が絞られると途端に厄介になる。


 ヴァンダル父さんとよくやった変則チェスを思い出す。


 変則チェスとは勝利条件が変わるチェスだ。時間制限がシビアであったり、キングとクイーンも取らないと勝てなかったり、駒が少なかったり色々とバリエーションがある。様々な状況に対応できるように、樫の木のように堅い頭ではなく、葦のように柔軟な発想を持てるようになる訓練の一環としてやっていた。


「時間制限がシビアってのが共通しているかな」


 今現在の状況は一手三秒以内に指す早指しと一緒だ。早くベルセル・ブルを倒さないとマイル少年を救うことができない。


 そう思った僕は腰の短剣を抜く。


 それを見てルナマリアは血相を変える。勘の良い彼女は僕がなにをしようとしているか分かったのだ。


「ウィル様、駄目です。その短剣で剣閃を放ったら刀身が持ちません」


「だね。修復不可能なくらい壊れてしまうかも」


「その短剣はローニン様にもらった思い出のしな。その短剣で多くのものを助けてきた聖なる短剣です」


「ならばこそだよ。仮にこの短剣が一〇〇人の人間と動物を救ってきたならば、この短剣は一〇一人目を救って果てるべきだ。たしかにこの短剣には思い出がいっぱい詰まっているけど、人の命と比べることはできない」


「……ウィル様」


 ルナマリアがそう漏らすと、いつの間にか側にやってきていたシズクさんがぽんと彼女の肩に手を置く。


「ルナマリア。なにを言っても無駄だよ。あたいの旦那もそうだった。男がこの『目』をしたら、女には止められないのさ」


「……シズクさん」


「あたいたち女にできることは男が大願を達成できるようにサポートすること。そして本懐を遂げた男を優しく包み込んでやることだけさ」


 シズクは不敵に笑うと背中の矢筒から矢を取り出し、ふたつ同時に発射した。ベルセル・ブルに深々と矢が刺さり、やつは悶え苦しむ。


 ルナマリアは無言でうなずくと、神聖魔法を唱え、聖なる一撃で牽制を始めた。


 バルカ村随一の弓使いと、この国有数の聖女様のサポートはなによりも有り難かった。


 失敗できない僕に余裕を与えてくれる。


 ただ、大きな隙きを作ろうと突出したシズクさんがベルセル・ブルにいい一撃をもらいそうになる。


 やつの巨腕が彼女のすぐ横を駆け抜ける。


 服の一部がはだける――いや、吹き飛ぶ一撃だったが、攻撃は喰らわなかったようだ。


「……っち」


 という顔をしたあと、「サービスタイムはないよ!」とやつの腕に矢を直接刺した。


 ルナマリアもそれに続くように神聖魔法を放つ。

 苦痛に顔を歪めるベルセル・ブル。

 彼女たちは二撃目を放つことができない僕を確実にサポートしてくれる。

 このふたりの「協力」があるのならば当たる。

 そう思った僕は彼女らを信じて剣に力を込める。


 剣閃と呼ばれる剣の達人しか放つことのできない剣術。剣から放つ斬撃属性の剣撃。


 それを放つにはとんでもない鍛錬と才能が必要であるが、剣の神様の息子である僕は容易に放つことが出来た。


 ――放つことはできたが、それと同時に「ピシリ」と嫌な音が響き渡る。短剣の限界を超えた音だ。


 この短剣は僕が幼き頃、剣神ローニンにもらったものだ。幾多の戦闘をともにしてきたが、ついに寿命を迎えるときがきたようだ。


 先日の悪魔との決闘が決定打ではあったが、長年蓄積した披露が一気に噴出したともいえる。


 つまり僕のミスリル・ダガーは天寿を迎えようとしていた。

 ルナマリアはそれを悲しがっていたが、僕にはそのような気持ちは微塵もない。


 確かにこの短剣は大切なものであったが、それと引き換えに誰かを救えるのならば喜んで捨てることができた。


 今までその機会がなかったのは山で引きこもっていたからに過ぎない。

 心の中でそうまとめると、短剣により力を込める。


「いっけえええええええぇぇぇ!!」


 と剣閃を解き放つ。


 青みがかった刀身から放たれる剣閃。それはいつもの剣閃とは違った。心なしかいつもより太く、たくましく見える。もしかしたら長年連れ添ってくれた短剣が感謝を示し、実力以上の力を発揮してくれているのかもしれない。そう思った。僕たちの思い出を威力に変換してくれているのだと思った。


 それは都合のいい考えではない。事実、剣閃はいつもよりも強力で鋭かった。隼のような速度でベルセル・ブルに向かっていく。ベルセル・ブルはそれを避けることはできない。あまりの速度に回避をすることができないのだ。


 回避を諦めたベルセル・ブルであったが、「生きる」ことを諦めたわけではなかった。ベルセル・ブルは回避を諦めると「防御」に徹した。


 剛毛に覆われた両腕を十字にし、剣閃を迎え撃つ。やつの両腕は丸太のように太く、筋肉が膨らんでいた。ただの剣では切り裂くことなど不可能であったが、僕の剣術は神様譲り、それに短剣はミスリルと呼ばれる真銀で作られていた。


 真の銀は腐食しない。

 真の銀は折れることがない。

 真の銀はなにものよりも強い。

 僕は長年連れ添った相棒のポテンシャルを最大限に引き出した。

 最高の相棒が放った剣閃は最高の結果を出した。

 丸太のように太いベルセル・ブルの両腕が切り裂かれる。

 チーズでも割くかのように簡単に切り裂かれるとそこから赤い血肉を覗かせる。


 ベルセル・ブルも己の腕が切り離されるのを感じたのだろう。なんとかいなそうと身体をひねるが、それも儚い抵抗であった。


 神速に近い速度に達していた剣閃は、ベルセル・ブルの腕を切り落とすとそのままやつの首に向かった。


 剣閃の威力はまったく衰えることなく、ベルセル・ブルの首に襲いかかる。つまりやつの身体と首は別れを告げたということだ。しかも別れを告げる暇もなく。


 すぱッという擬音が聞こえそうなほどの勢いで吹き飛ぶ雄牛の首。やつ自身、あまりのことに理解が及んでいない。「まさか?」という表情をしながら空中で恨めしそうにこちらを睨んでいた。


 狙う獲物が悪かったな、そう諭してやりたかったが、そんな暇はなかった。

 長年連れ添った相棒の死を看取るほうが重要だったからだ。最高の剣閃を放たせてくれた友人、凶悪なベルセル・ブルの猛攻から救ってくれた友人を見る。


 不朽の金属は折れることはない。しかしどのようなものにも最後はある。ミスリルの短剣は今、まさに砕けようとしていた。


 小さかったひびが刀身全体に広がる。蜘蛛の巣のように広がったひびは刀身を砕くに十分だった。最後、僅かな風がそよぐとそれに呼応するかのように短剣は砕けた。

 僕は悲しげな表情でそれを見る。友の葬式に立っているかのような気持ちになる。


 ルナマリアはそれを察してくれたのだろう。僕の横に立つと祈りを捧げながら言った。


「最高の短剣でした。ウィル様とともに戦えてさぞ嬉しかったはずです」

「それは僕のセリフだ。一緒に戦えて幸せだった」

「…………」


 しばしふたりで感傷に浸っているとシズクさんがベルセル・ブルの死体の腹を切り裂いていることに気がつく。


 おそらく、ユニコーンの角を回収しているのだろう。それを見たルナマリアははっとなる。


「そうでした。ここは私たちの世界とは時間の流れが違うのでした」


「だね、まごまごしているとジンガさんがおじいさんになってしまう」


「マイル少年も薬が不要になってしまうかもしれません」


「そのとおりだ」



 そう言い切るとシズクさんのところへ向かい、回収を手伝う。幸いなことにシズクさんは解体が上手く、すでに角を回収していた。さすがは森の民一の狩人である。


 そのように称賛するとシズクさんはユニコーンの角についた血を拭いながら言った。


「さて、これを持ってもとの世界に戻りな」


 その言葉に驚く僕たち。


「その物言い、もしかしてシズクさん、ここに残るつもりじゃ……」


「もしかしなくてもそうするつもりだけど?」


 さも当然のように言うシズク。あまりのことに僕は声を荒げてしまう。


「駄目だ、シズクさん、あなたの帰りを待っている人がいる」


 僕の声に呼応するかのようにルナマリアが言葉を添える。


「そうです。ジンガさんがシズクさんの帰りを待っています。なぜ、今さら帰りたくないなどと言うのです」


「たしかにここでの気楽な暮らしに慣れた、というのもあるけど、帰りたくないわけじゃないよ」


 シズクさんははっきりとそう言うと、己の右肩を探す。先ほどの戦闘で衣服がはたけ、乳房が見えか掛かっていた。ただ注目すべきなのはそこではない。彼女は懐から破れた護符を取り出す。


「それは!?」


 僕とルナマリアは同時に声を上げる。


「正解。これはさっきウィルが持たせてくれた結界打破の護符さ」


「……それが壊れたら元の世界に戻ることはできない」


「そういうこと。さっき、ベルセル・ブルとの戦闘で少し攻撃を受けたのを見てたろ? あのとき護符をやられちまったのさ」


 まいったね、と困ったようなポーズをする。

 僕は懐に手を伸ばそうとするが、それはシズクさんに止められる。


「おっと、優しいウィル坊や、それはいけないよ」


 彼女は僕が自分の分の護符を差し出そうとしたことに気が付いたようだ。


「ですが――」


 彼女は僕の反論を許さない。


「あっちの世界ではもう数十年の時間が過ぎた。夫とは死別しているし、あたいと会いたいのはジンガくらいなもんだろ」


 しかし、あんたは違う、とシズクさんは力強く続ける。


「あんたの帰りを待っている人たちはたくさんいるはずだ」


「…………」


 沈黙してしまったのはそのたくさんの顔が脳裏に浮かんでしまったからだ。

 テーブル・マウンテンの神々、それに山の動物たち、ヴィクトール商会のご令嬢に剣の勇者の顔も浮かんだ・


「それにあたいの息子ジンガもあんたに会いたがっているはず。ならば考えるまでもなくあんたが元の世界に戻るべきだよ」

「しかし僕たちはあなたを救いにきたのです。なんの成果もなく帰ったらジンガさんに合わせる顔が」


「あるさ。――ある」


「…………」


「それはあっちの世界の人々の笑顔だよ。あんたが戻ればより多くの人々が笑顔になる。あんたの家族や友達だけでなく、これからもより多くの人々が救われるだろう。ジンガもそれを喜んでくれるはず」


 シズクさんは噛みしめるように言うと、握り絞めていたユニコーンの角を僕に渡す。


「その象徴がこれさ。これを持ってジンガに言ってくれ。おまえの母さんは達者でやっているって。こっちの世界からおまえを見守っているって」


「シズクさん……」


「さあ、辛気くさいのはここまでだ。早くあっちの世界に戻るんだ。マイル坊やが死んじまったら元も子もないだろう」


「…………」


 その通りであったので返す言葉もなかった。ルナマリアが僕の横に寄りそうと、彼女は神妙な面持ちで言った


「本来ならば役立たずの私がここに残るべきなのでしょうが、それはできません。なぜならばウィル様が世界を救う手助けをしなければいけないからです……」


 彼女もここにシズクさんを残すのが口惜しいのだろう。唇を噛みしめていた。


「しかし、時間が無いのも事実。ここは彼女の言うとおりにしましょう」


「……分かった」


 ここでだだをこねればシズクさんの決意を無駄にすることになる。そう思った僕はジンガに恨まれることを覚悟し、護符を握りつぶす。


 すると僕の身体は光り始める。

 身体がこの異界を拒絶し始めたのだ。

 ルナマリアもそれに続く。

 それを見ていたシズクはにこりと微笑む。


「さすがジンガの友達だ。ことの軽重を分かっている」


「……これが永遠の別れじゃないですよね?」


「さあて、それはどうだか、この世界と異界が繋がるのは周期的なんだ。だから次に会えるのはまた二〇年後くらいかね」


「……すぐですよ」


「だね。そのときはさすがのジンガも結婚しているから孫が見られるかもしれない。――この若さでおばあちゃんってのもなんだが」


 シズクさんはそう笑うと右手を振った。その右手が何重にも見える。


 どうやら僕たちの世界と異界の境界線が曖昧になっているようだ。やがてそこに明確に線が引かれ、僕たちは二度と互いを認識できなくなる。


 消える直前、僕は彼女の真剣な顔に問う。


「なぜ、あなたはそこまで強くなれるのです。女だてらに狩人になって、息子を救うために危険な森に飛び込み、自ら進んで孤独の耐えようとする」


 僕の最後の問いに彼女は、「なんだ、そんなことかい」と返答する。「そんなのは簡単さ」とうそぶく。



「家族を愛しているからさ。おまえも同じだろう」



 最後にそう言い残すと、互いに別離の準備を整え終える。

 それまでの十数秒間、僕は心に刻みつけるようにシズクさんを見た。


 彼女の顔には一点の曇りもなかった。そのような表情をされてしまえば僕も悲しむことはできなかった。二〇年後の再会を誓う。


 二〇年後、僕は彼女が救った命、ユニコーンに角によって救われたマイル少年、それに彼女の息子のジンガとともにまた彼女を救いに来るつもりだった。


 その夢を実現するため僕は元の世界に戻った。


 ……

 …………

 ………………



 元の森に戻ると、そこにいたのはジンガだった。彼は僕が母親を連れていないことですべて察したのだろう。なにも言わなかった。


 ただ、僕が謝ろうとすると一瞬、声を荒げた。


「二〇年後!! 二〇年後だ。まだチャンスがなくなったわけじゃない。二〇年後にまた会えるチャンスがある。――そのとき協力してくれれば嬉しい」


 ジンガはそう言うとそれ以上、シズクさんに触れることはなかった。

 実の母親を救えなかった僕をなじることもなく、怒りを見せることもなかった。 

 ――やはりこの人はシズクさんの息子だ。気高いところがそっくりだ。

 そんな感想を心の中で漏らすと、そのままバルカ村に戻った。


 僕たちにはまだやることがある。ふたりの親子の時を犠牲にして得たユニコーンの角を正しい形で使わなければいけないのだ。


 異界でだいぶ時間を使ってしまった。緑熱病で苦しむマイル少年を一刻も早く救い出してあげたかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ