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異世界へ

 ベルセル・ブルの剛毛が燃え上がる。

 それを確認しながら僕たちはきびすを返す。


「ウィルならばあの程度の魔物、簡単に倒せるんじゃないか」


 疑問を投げかけるのはジンガだが、僕は冷静に返答する。


「あの大きさのならね。でも森の奥から不穏な空気が流れている」


 深刻そうに言うとルナマリアがうなずく。


「森の奥からとても大きな物体が近づいてきます。木々をなぎ倒し、最短距離で」


「ルナマリアの聴覚は正確だ」


「つまりこの前倒したみたいなのが森の奥にはまだいる、ってことか」


「この前のよりも大型かも」


 ルナマリアも深刻にうなずく。


「ならば逃げの一手だな。三十六計なんとやらだ」


 避けられる戦闘は避ける。強大な魔物と戦ってこそ冒険者冥利に尽きる、などという感性を持ち合わせていない僕らはなんの躊躇いもなく走り出す。


「しかし、ユニコーンはあいつらが湧いてくる森の奥にいるんだが」


「ならば巨大種がこの場にきたら、入れ替わるように隙を付いて、森の奥へ向かおう」


「妙手だ。ただ、これ以上進むと異界の門に引き込まれる可能性がある」


「ジンガさんはその台詞をマイル君の母親に伝えられますか?」


「……ふ、そうだな。愚問だった。おまえたちもここまできたからにはもはや恐ろしいものなどなにもあるまい」


「そうですね。恐るべきは自分の中にある怯懦のみです」


 ルナマリアは怯むことなく言い放つ。


 この森の奥に現れる異界の門は普通の人間には見えないらしい。それに取り込まれればどのような勇者も帰ってこられなくなるらしいが、だからといって逃げ帰る理由にはならなかった。


 ルナマリアは言う。


「私は神に視力を捧げることにより、神の声が聞こえるようになりました。それに聖なる力もその身に宿っています」


「つまり異界の門を察知できるんだね」


「ある程度ですが……」


 こくりとうなずく。なんでも地母神の大司祭様から習ったそうだ。この世界には異界に通じる門があり、それを察知する術も。光を捧げた彼女はそういった超常的なものを察知しやすいらしい。


「ならばルナマリアを先頭に進もう。今、森の奥から現れたベルセル・ブルを倒したら、一斉に駆け込むよ」


「はい!」

「おお!」


 ふたりはなんの躊躇もなく応えてくれたので、そのまま雷撃の魔法を放つと、ベルセル・ブルを倒した。すると同時に木々をなぎ倒しながら巨大なベルセル・ブルが今までいた場所に押し入ってくる。


 入れ替わるようにして僕らは森の中に入った。


 ベルセル・ブルの大きな鼻と耳は僕たちの存在をすぐに嗅ぎつけたようだ。即座に反転して追ってくる。


「僕たちにご執心だね」


「相当仲間を狩ったからな、恨まれているのだろう」


 と思ったが、ベルセル・ブルは前方にいる仲間をむんずと掴むと、頭ごとかじりついた。鮮血が飛び出て木々を濡らす。


「敵討ちではなく、お腹が減っているだけみたいだね」


「そのようだ。神々に育てられた少年と穢れなき巫女様の肉だからな。さぞ美味しそうな匂いを発散させているのだろう」


 ジンガがそう言い張るとくるりと上半身だけ回転させ、背中から爆裂矢を取り出す。


 それを大型種のベルセル・ブルの顔に当てる。見事な精度だった。致命傷こそ与えられないものの敵を怯ませるに十分だった。


 その間に距離を詰めたいところだが、それはなかなかに難しい。すでにここは普通の森ではなかったからだ。


「ウィル様そちらは危険です。この世界とは違った空気が流れている」


 ルナマリアを全面的に信頼している僕は彼女の言葉に従う。その道は避ける。すると側面から攻撃しようとした小型のベルセル・ブルが次元の狭間に飲み込まれ、姿を消す。


「……あれが異界の門か」


「そうです」


 ルナマリアはうなずく。


「あれに取り込まれたら容易にはこの世界に戻ってこられません」


「気をつけないとね」


 と言うと前方にさらに門があるらしいとルナマリアが教えてくれる。

 僕たちはその道を避けるが、大型種もそれを避ける。


「もしかして私たちの会話が聞こえているのでしょうか?」


「聞こえてはいても理解は出来ていないと思う。大型種は本能で避けてるんだと思う」


 それにはジンガも同意する。


「ウィルの意見に賛成だ。やつを異界の門にいざなってこの世界からご退場願おうと思ったが、そうは問屋が卸さないようだ」


「ですね。逃げながらユニコーンを探すのは不可能だ」


 幻獣であるユニコーンは騒音どころか衣擦れの音ですら嫌うといわれている。今、この状況でユニコーンを捕獲するなど不可能のように思われた。


 ――それにこのまま永遠に逃げ続けることはできない。速度こそ僕らのほうがわずかに早いが、ベルセル・ブルには無限にも近い体力がある。このままではいつか補足されてしまうだろう。


 なんとかこの状況を変えないと。

 そう思った僕はルナマリアに尋ねる。


「ルナマリア、君の聴覚は木菟(ミミズク)のように鋭敏だね」


「ありがとうございます。これも神の恩寵です」


「その神の恩寵に頼りたい。この近くに異界の門はない?」


 ルナマリアは目をつむると、耳に手を添える。全神経を聴覚に集中させているようだった。十数秒後、回答を得られる。


「あります。この先が崖になっていてその下にぽっかりと門が開いています」

 それを聞いた僕は思わず笑顔を漏らす。


 これ以上ない場所に門があったからだ。


「最高だ。これもルナマリアが毎朝、地母神にお祈りを捧げてくれるお陰だ」


「いい作戦を思いつかれたんですね」


「まあね」


 僕はそう言うと前方にある木の枝にぶら下がっている大きな蜂の巣を指を指す。蟻塚のように大きな蜂の巣だ。


「あれはキラー・ビーの巣だ。とても凶暴な蜂」


「知っています。しかしその蜂の巣から採取できる蜜は絶品です」


「知っている。ルナマリアがよく紅茶に添えてくれるからね。ちなみに今、キラー・ビーの蜂蜜は持っている?」


 こくりとうなずくルナマリア。彼女から蜂蜜の瓶を拝借すると、人差し指で軽く舐める。


「うん、いい味だ。さて、これからこれをベルセル・ブルの顔に投げつけるけどいいかな?」


「食べ物を粗末にするのは地母神の教えに反しますが、ウィル様が意味もなく食べ物を粗末にするわけがありません」


「もちろん」


 と言うと僕は蜂蜜の瓶をベルセル・ブルの顔面にめがけ、瓶を投げる。粘度の高い琥珀色の液体はベルセル・ブルの顔全体に広がる。


「蜂蜜で目くらましをさせるのですね、さすがはウィル様です」


「さすウィルは早いかな」


 たしかにベルセル・ブルは蜂蜜によって視界を奪われているが、それも数秒のことだった。腕で拭うとすぐに視界を回復させる。足止めにもならない。ルナマリアとジンガはそう思ったようだが、ここからが僕の本領だった。


 魔術の神ヴァンダルの言葉を思い出す。



「いいか、ウィルよ。おまえはこのテーブル・マウンテン最強の人間じゃ」


「えへへ、ありがとう。これも父さんと母さんが修行をしてくれているからだよ」


「うむ。しかし、最強なのは『人間』としてだ」


「だね。父さんたちにはとても敵わない」


「ああ、我々はこれでも神だからな。剣神ローニンはおまえに最高の剣術を教えた。だが剣術ではローニンに敵わないだろう。治癒の技でもミリアに遠く及ばない」


「魔術でもヴァンダル父さんに勝てないよ」


「そうじゃな。しかし、おまえは自分が足りないことを知っている。己の実力が不足していることを謙虚に自覚している。無知の知の境地にたどり着いている」


「無知の知?」


「そうじゃ。無知の知とは自分が知らぬことを謙虚に認め、足りない部分を補おうとする心持ち。この精神を持つことが出来る人間は少ない。人はすぐに驕ってしまうからな」


「死ぬまで修行の連続だね。精進しないと」


「そうだ。しかし、力こそ我らに及ばないが、おまえには我らにない武器を持っている」


「武器?」


「そうだ。その武器は『全能(オールマイティ)』だ」


「オールマイティ? それは少し言い過ぎじゃ……」


「言い過ぎなものか。それが厭ならば汎用性と言い換えてもいいぞ。いくら知識や技術を持っていてもそれを活用できないものは多い。しかしおまえは違う。知識や技術を活かす知恵を持っている」


「そうかな。ヴァンダル父さんの足下にも及ばないと思う」


「わしは机の上で物事を考えられるが、戦いながら考えるのは苦手じゃ。生来の運動音痴だからな。ローニンは逆に戦いながら考えるのが上手い。しかもなかなか兵法にも通じている」

「ミリア母さんは?」


「あいつはなにも考えていない」


 思わず苦笑してしまう当時の僕。


「――しかしその直感力はなかなかのものだ。なにも考えずに最適解を選ぶことが多い」


 たしかにそうだった。ミリア母さんは塩と砂糖の入った壺が分からなくなったとき、九九パーセント位の確立で正解の壺を取る。(その一パーセントが失敗をしたとき、魔女の釜で茹でたようなグロい料理を出すが)道に迷ったときもすぐに正解の道を選び、元の道に戻れる特技もある。


 ミリア母さんの特性を考える僕を見て苦笑を漏らすヴァンダル父さん。


「このように我ら神々は最強の能力を有しながら、それぞれに短所を抱えている。しかし、おまえにはそれがない。ウィルよ、おまえはわしに匹敵する知識を持ちながら、ずば抜けた運動神経を有している。俊敏に動き回りながら『汎用性』を発揮することができる」


「子供の頃からローニン父さんに鍛えられたからね」


「さらにおまえはミリア譲りの勘の良さを持っている。無意識に最善手を見極めてしまうのだ。その場所(フィールドにあるものを活用し、自分よりも強いものを倒す、いわば強者殺し(ジャイアント・キリング)の能力を持っているのだ」


 目を細めるヴァンダル。僕の成長を心の底から喜んでくれているようだった。



 しばし過去に思いをはせるが、過去を懐かしむほど歳を取っていなかった。


 それに今、思いをはせなければいけないのは目の前の魔物だった。ベルセル・ブルは感傷に浸りながら対処できるようなモンスターではなかった。全力で対処しなければ倒せないモンスターなのだ。


 改めて気を引き締めると己の内の策をルナマリアとジンガに披露する。


「ルナマリアにジンガさん、これからあいつを崖の下に落とすけど、手伝ってくれる?」


 ルナマリアは即答する。


「もちろんですわ。でもあの魔物は賢しく、狡猾です。どうやって崖から落とすのです?」


「簡単さ。こちらがやつ以上に狡猾になればいいんだよ」


 軽く返すと僕はベルセル・ブルを指さす。


「やつの顔に蜂蜜を投げつけたのは美容パックをするためじゃない。森にいるとある生き物の習性を利用するためさ」


 そう説明すると同時に後方から、「ぶーん」という重低音が聞こえる。耳の良いルナマリアはすぐに気がつく。


「あれは羽音。……ウィル様は蜂の習性を利用するのですね」


「正解。来る途中でキラー・ビーの巣に石を投げつけておいた。さらにやつの顔にキラー・ビーの蜂蜜を塗ったから――」


 その先はルナマリアが得意げに言った。


「怒ったキラービーはベルセル・ブルを敵と勘違いし、襲うというわけですね」

「その通り」


 と言うと言葉の通りになる。巣を刺激されたことで怒った蜂たちがベルセル・ブルの顔に群がっている。キラー・ビーは大型種蜂であるが、戦闘力は高くない。ただ、小さい身体の割には闘争心が高く、一度敵と認定したものを執拗に追い回す習性がある。まさに殺人蜂だ。


 殺人蜂はベルセル・ブルの親指ほどの大きさであったが、それゆえにまとわりつくことが出来た。


 鼻の穴や目を攻撃されたベルセル・ブルはのたうち回る。


 それを見たジンガは「いい気味だ」と笑うが、これだけでベルセル・ブルを崖の下に誘導するのは難しいと思ったのだろう。弓を素早く速射し、目を攻撃する。


 ベルセル・ブルは「ウォォォン!」堪らないと言った感じで仰け反る。これを好機と見たルナマリアは右手に聖なる魔法を溜め、前線に出ようとする。


 あと数歩、十数メートル、後ろによろめかせれば崖の下に落とせると思ったのだろう。ここぞとばかりに攻撃を加える。その判断力は素晴らしかったので僕も攻撃に加わるが、僕の魔法がやつの足に当たったのが決め手となった。


 やつは数歩、よろめくとそのまま崖の下に落ちていく。

 それを見たルナマリアは表情を緩める。


「さすがはウィル様です。キラー・ビーの巣を使う機転、それに的確に魔法を加える判断力、まるで賢者のようです」


 その後も僕の美点を褒め称えるルナマリア。いつもの「さすウィル」が始まった。しかし、それは戦闘が終わった証拠でもあると思う。さすがのルナマリアも余裕があるときしか僕を褒め称えないのだ。


 ――そんな感想を抱いたのがいけなかったのだろうか。それとも僕がベルセル・ブルの生命力を舐めすぎていたのだろうか。あるいは双方なのかもしれないが、僕を含め仲間の全員が油断していたのはたしかだった。


 崖の下に落ちたはずの化物の咆哮が耳をつんざく。


 見ればベルセル・ブルはまだ崖の下に落ちていなかった。その下でぽっかりと口を開けている異界の門に取り込まれていなかった。


 やつはまだこの世界にとどまり、崖に掴まっていたのである。

 右手を崖に刺し、落ちずに済んでいたのだ。


 その執念、恐るべきものがあるが、それ以上に恐ろしいのはやつが自分の身よりも復讐心を満足させようとしているところだった。


 ベルセル・ブルは空いていた左手をがけの縁に伸ばすのではなく、崖を破壊することに使った。左手で崖を殴りつける。渾身の一撃を見舞う。


 すると崖にヒビが入り、崩れ落ちる。


 一瞬のことだった。ベルセル・ブルの予想外の行動に僕たちはとっさに反応できなかった。


 ゆえに一番崖に近い場所にいたルナマリアが崖に飲み込まれていく。

 まるでスローモーションを見ているようだった。


 彼女もなにが起こったのか分からなかったようだ。ただ手を伸ばし、重力に支配される。


 ジンガはただ呆然としていたが、僕は無為無策にはいられなかった。ルナマリアを救おうと崖の縁から手を伸ばす。一瞬、あと数ミリのところまで手が届くが、彼女の手を握りしめることはできなかった。


 やがてルナマリアは小さくなり、消えていく。

 崖の下にある異界の門へと吸い込まれていく。


 見ればあれほどの巨体と存在感を誇ったベルセル・ブルはすでにこの世界から消えていた。


 まるでこの世界に最初からいなかったかのように忽然と消えていた。

 ルナマリアもである。

 彼女がいない世界はどうしようもなく静かだった。


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