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森の野獣

 森を翔ける。

 密集した木々の間を縫うように走る。

 木の根や地面の凹凸などがあり、走りにくかったが、すぐに現場に到着する。

 するとそこには弓を振り絞った毛皮の男と、毛の長い雄牛のような生き物がいた。

 蛮族の狩人と思わしき男は冷静に雄牛と対峙しながら、的確に弓を放っている。


 雄牛の身体には無数の矢が刺さっていたが、どれも致命傷にはなっていないようだ。


 雄牛は通常の牛よりもふた周り大きく、毛糸のような体毛にくるまれているため、防御力が高いようである。矢が深々と刺さることはなかった。


「面倒な生き物だな」


 そうつぶやくと狩人はにこりと笑った。黄色い歯を剥き出しにし、同意する。


「同感だ。長年、狩人をやっているが、ベルセル・ブルよりも厄介な魔物はそうはいない」


「あれはベルセル・ブルという魔物なんですか?」


「そうだ。この付近にしかいない雄牛タイプの魔物だ。その肉はA5ランクでとても美味しい」


「いくら美味しくても狩るのが大変でしょう」


 改めて観察するが、ベルセル・ブルは雄牛とというよりも大きな猿のようにも見える。ゴリラのような筋骨隆々の体躯に雄牛の顔がある凶暴な姿をしている。別名〝凶暴牛猿〟ともいうらしい。


「そうだ。だからこちらから手を出すことはないよ。森で『捜し物』をしていたら出くわしてしまっただけさ」


「なるほど、かなり興奮しているようですが、今から戦闘を回避できますか?」


「そうだな。一応、聞いてみるか? 食べ物はすべて差し出すからどうか命ばかりはお助けください、と」


 狩人の言葉は皮肉そのものだった。ベルセル・ブルの血走った目、興奮した鼻息、口からしたたる涎を見ればそれは不可能であると悟る。


「牛のくせに肉食のようですね」


「その通りだ。俺たちを食べたくて仕方ない、といった顔をしているだろう」


「たしかに。しかし、大人しく喰われてやる道理はこちらにありません」


「分かっているじゃあないか」


 狩人はそう言い放つと、背中の矢筒から二本矢を取り出し、それを弓にあてがう。


「褒美に面白いものを見せてやろう」


 狩人は不敵に微笑むと、二本の矢を同時に放つ。

 弓矢は綺麗に二通りに分かれ、雄牛の右肩と左肩に命中する。


 苦痛の痛みを咆哮に乗せるベルセル・ブル。

 素晴らしい技術を見せてもらった僕は素直に称賛をすると名を尋ねた。


「僕の名前はウィルといいます。あなたのお名前はなんというのですか?」


「オレの名はジンガ。この森で狩人をしている。ウィルはなんでこんな危険な森に入ってきたんだ?」


「神々の山に所用があって。最短距離を駆け抜けようとしたら迷ってしまいました」


「はっは、正直な男だな、おまえは。神々の山は禁域だ。そこに向かうと正直に言うなんて」


「禁域ですが、神様たちはいい人たちです。ちゃんと理由があれば怒りませんよ」


「たしかに人のいい神々らしいからな」


「それには同意です」


 激しく納得するが、僕がその神々の子供です、と名乗り出ることはできなかった。


 僕が神々の子供であるということは特別隠すようなことではない。むしろ人によっては積極的に開示している情報であるが、今回、そのことを説明する時間がなかった。


 なぜならば両肩を負傷したベルセル・ブルの筋肉が異常に膨れ上がったからだ。


 めきめきと音を立てて筋肉を肥大化させるベルセル・ブル。両肩を射貫かれ、『スイッチ』が入ってしまったようだ。生存本能を呼び覚ましてしまったようである。


 筋肉を肥大化させたベルセル・ブルの両肩から矢が抜け落ちる。そこから血が噴き出すが、それも収まると肥大化した筋肉を活用する。目にもとまらぬ速さで突進してきたのだ。


「危ない!」


 僕は狩人を押し出し、その突進を避けさせる。


 先ほどまで僕たちがいた場所、そこには土煙が充満し、その後背にあった巨木が砕け散っていた。


 その光景を見てジンガは口笛を吹く。


「……やべえな。ウィルがいなければ死んでいた」

 ありがとうと、礼を言われるが、杓子定規に返礼をしている暇はなかった。

 僕はミスリル製の短剣を握り直す。


 短剣に魔力を送り込むが、分厚い毛皮に包まれたベルセル・ブルを見ると少しだけ焦りを覚えてしまう。


(……悪魔との戦闘で短剣にひびが入っている。魔力を送り込めば絶対に折れるな)


 ということは今回の戦闘では短剣に魔力を送り込むことはできない。

 つまり大幅に攻撃力が低下した状態で戦わなければいけないのだ。

 焦っていると後方からルナマリアの声が聞こえる。


「ウィル様、大丈夫です。ウィル様はどのような怪物にも負けません」


 その声援はなんの疑いも打算もない。ルナマリアは純粋に僕の実力を信じてくれているようだ。まるで絵物語の英雄を目の前にした幼女のようである。その穢れなき瞳の持ち主の期待に応えたいところであるが――そのように逡巡していると左手が振動する。


『ウィル、君はさっきからボクのことを忘れていない?』


「あ、イージス」


 光り輝く盾に語り掛ける。


『君は幼き頃からその短剣ひとつで敵をなぎ倒してきたから盾の力を過小評価しているでしょう』


「そんなことはないけど、ローニン父さんの流派に盾を使う技術はないね」


『飛んだ片手落ちの流派だね。いいでしょ、ならばこのイージス本人が盾も立派な武器だと教えてあげる』


 そう言うとイージスはさらに光り輝く。

 それを見ていたベルセル・ブルは興奮し始める。


「なんか敵の攻撃力が上がっているように見えるんだけど」


『牛さんを興奮させているからね。あの牛にはボクが真っ赤に光り輝いているように見える』


 改めてイージスを見るとたしかに光の色は赤かった。


「……もしかして僕に闘牛をさせる気?」


『正解、ベルセル・ブルが赤い僕を見て興奮して突撃をかましてくるから、ウィルはそれを紙一重でかわしてボクでぶん殴って』


「むちゃくちゃだな」


『でもダメージは稼げるよ。それにお得意の短剣の攻撃力が削がれている今、こっちのほうが強い』


 イージスは断言すると、僕の同意を取ること無く、輝き始める。僕にも真っ赤に見えるほど情熱的に光り始めた。


「まったく……」


 と、ぼやくと同時にベルセル・ブルは突撃してくるが、僕はやつの動きをギリギリまで注視し、最小の動作でかわす。


 服の一部が裂けてしまうほどの危うさだったが、そこまで引き付けた甲斐があった。


 雄牛が僕の横を駆け抜けた瞬間、イージスで敵の頭を思いっきり殴りつける。

 ごいん、と鈍い音が森に響き渡る。

 ベルセル・ブルの足はよろめく。よたよたとした足取りになる。

 それを見てイージスは自慢げに宣言する。


『ふふん、どうだい? これが『盾攻撃(シールド・バッシュ)』ってやつだ。一流の戦士はこういう技も使うんだよ。オーレ!!』


 ふらついているベルセル・ブルを見る。たしかにシールド・バッシュという技は強力なようだ。生命力の塊のような雄牛ですら昏倒しかけている。


 しかしそれでもベルセル・ブルには致命傷にならないし、戦闘意欲を奪うことはできなかった。


 イージスは呆れながら言う。


『まったく、これだから牛さん系モンスターは厭なんだ。無駄にHPが高い』


「威張ってた割にはこれしか攻撃方法はないの?」


『他にもあることはあるけど、こんな牛相手に必殺技は使いたくない。というわけでここは手数でショーブ!』


「つまり今のを何回もやれってことだね」


『そいうこと。ほら、二回目の突進がきたよ』


 見ればたしかにベルセル・ブルは後ろ足で地面を蹴り上げていた。先ほどの速度には及ばないもののそれに準じる速度で突進してくる。僕は先ほどのように紙一重でそれを避け、懐に入れた瞬間に盾で殴る。


 再び鈍い音が森の中に響き渡る。先ほどよりも強力な一撃を見舞ったが、それでもベルセル・ブルは倒れなかった。その後、二回ほど同じ動作を繰り返すと、さすがに緊張感が張り詰める。四回目の攻撃では服だけでなく、皮膚の一部も切り裂かれてしまったのだ。


(……集中力が切れてきた。それに体力も低下しているのか)


 このまま戦闘が続けば後れを取ってしまうかもしれない。

 冷や汗が背中を伝うが、それを見計らったかのようにジンガが声を掛けてくる。


「ウィル、弱気になるなよ。おまえの攻撃は効いていないわけじゃない。やつはこの森の主だ。誇りがあるんだよ。だから何度殴られても立ち向かってくる。しかし、あいつだって生き物だ。そんな鉄の塊で頭を殴られて無事なわけがない」


 その言葉に勇気づけられる。たしかに僕のシールド・バッシュはベルセル・ブルにダメージを与えているようだ。やつの四本足は生まれたての子鹿のように震えていた。立っているのがやっとといった感じだ。もう一発、頭にシールド・バッシュを叩き込めば倒せそうだった。


 そう思った僕は次が最後、そんな気持ちで集中力を高めた。


 端から見ると余裕綽々に見えるかもしれないが、雄牛の突進をかわすのはとても大変だった。弾丸のような速度で突っ込んでくる雄牛、一歩間違えばそのまま押しつぶされる恐れがある攻撃を紙一重でかわすというのは集中力を要するのである。


 ――これが最後。


 自分に言い聞かせるように雄牛の攻撃をかわすと、渾身の力を込め、雄牛の頭に盾を振り下ろす。


 ごいん、という音と共にボキッ、という音も聞こえる。


『やりぃ! クリティカル。これは頭蓋骨も貰ったね』


 イージスはそうはしゃぐが、僕の左手にもいい感触があった。

 最高の一撃を与えたはずである。

 そう冷静に分析するが、雄牛は鼻息荒くこちらを見つめていた。

 後ろ足で土を蹴り上げている。


「……まだ来るのか」


 この雄牛は不死身なのかも知れない。そう思い冷や汗をかいた瞬間、ルナマリアが僕の前に出る。彼女は腰のショート・ソードを抜き放ちながら言った。


「……私の小枝のような剣はベルセル・ブルには通用しないかもしれません。しかし、ウィル様を見捨てることはできない」


 ルナマリアの安全をなによりも願う僕は彼女の献身的な行動を歓迎できない。

「ルナマリア、駄目だ。やつは不死身だ。君だけでも逃げて」


「そのような真似をするくらいならばこの剣で自分の喉を切り裂きます」


 僕はルナマリアを押しのけ、彼女より一歩前に踏み出すが、彼女はそれに抗議の声を上げる――ことはなかった、狩人のジンガがそれを制したのだ。


「お嬢ちゃん、男の世界に口を出すもんじゃないぜ」


「魔物との戦闘に男女は関係ありません」


「気の強いお嬢ちゃんだ。その気高い心は見上げたもんだが、今回に限りは空回りだぜ」


「どういう意味ですか?」


「もう誰も戦う必要はないってことさ。ウィルが勝ったんだよ。あの化け物に」


 彼がそう宣言した瞬間、ベルセル・ブルは白目を剥く。そのまま巨体が大地に倒れ込む。


「頭蓋骨が陥没したのさ」


 見れば口からは大量の泡が出ていた。黒い身体は痙攣をしている。


「見事なシールド・バッシュだな。皮膚をほとんど傷つけずに殺したから、高値で売れるぞ」


 ジンガは嬉しそうに言い放つと腰から短剣を取り出し、ベルセル・ブルの皮を剥がしに掛かる。ルナマリアは呆れながら「まずはウィル様の安否確認、それにお礼が先ではないでしょうか」と溜め息を漏らすが、彼にも言い分はあるようだ。


 なんでもベルセル・ブルの皮は新鮮なほど高く売れるのだという。早く解体して村に持って帰りたいのだそうな。


 ルナマリアは少し呆れ気味だが、僕はまったく気にしない。ジンガに悪気はないと知っていたし、それに彼の行動はもっともだと思ったのだ。


 手早く皮を剥いでそれで素材が高く売れるのならば誰も困ることはない。狩人はお金を稼げるし、商人は良質な毛皮を手に入れ、それを最終的に購入したものは幸せになれる。誰も損はしないのだ。


 そのようにルナマリアを諭すと、ルナマリアにお茶を入れて貰うようにお願いする。


 戦闘直後であるし、散々、森を迷ったあとだから喉が渇いたのだ。

 僕が所望したからだろうか、彼女は嬉しそうにお茶を入れる準備を始めた。

 僕もそれを手伝う。


 ジンガの解体の手伝いをしても良かったのだが、ベルセル・ブルの皮剥は熟練の腕を要するらしい。僕のような素人は出る幕がなかった。

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