王都を旅立つ
ミッドニア王国の王宮に滞在する僕たち。
僕のような『普通』の冒険者がなぜ、王宮にいるのかといえばそれは僕がこの国の王子様に間違えられたからだ。
紆余曲折の末、その誤解は解けたのだけど、その裏でゾディアック教団が蠢いており、王宮は彼らの襲撃を受けた。僕らは教団の幹部であるマルムークという名の悪魔を倒し、王宮に平和をもたらした。
――襲撃の最中、病気を患っていた王様はそのまま天に召されてしまったけれど。そのとき僕はとっさに王子の振りをし、彼の手を握りながら死を看取った。
王様を欺いてしまったのは少し心苦しいが、ルナマリアは僕を褒め称えてくれる。
「ウィル様は良いことをされたのです。胸を張って誇りに思ってください」
爛々と瞳を輝かせる。
僕のことを長年探し続けていた第三近衛騎士団の団長アナスタシアもにこりと言う。
「ウィル様の唇は嘘を吐き出したのではありません。優しさを紡ぎ出したのですわ」
ふたりは賞賛をしてくれる。
本当の王子様を探し出そうとしていたクラウス司法卿も同様の言葉をくれる。
「おぬしは本物のウィリアム・アルフレード殿下ではなかったが、その心は本物の王子と変わらぬ。誰よりも正義を愛し、他人を慈しむ」
クラウスは僕を賞賛すると、半分真顔で尋ねてきた。
「……今回の顛末を知っているのはここにいる数人、皆が黙せばおぬしはこの国の国王になれるが、この国を治める気はないか?」
最初は冗談かと思ったが、どうやら本気の成分のほうが多いようで――。
僕はしばし言葉を窮すると、慎重に言葉を選んだ。
「やめておきます。国王なんて柄じゃありません」
「国王は柄でやるものじゃない。魂でやるものだ。おぬしの魂には王者の風格がある」
「最大限の評価、ありがたいですが、テーブル・マウンテンには父と母もいますから」
神々の住む山がある方向を見る。
父さんと母さんが微笑んでいるような気がした。僕がこのままこの国の王になればなかなか里帰りできなくなる。そうなれば彼らはとても悲しむだろう。僕は大好きな彼らを悲しませたくなかった
。
――それに。
隣にいる銀髪の巫女を見つめる。
地母神の巫女ルナマリアだ。
彼女に連れられて山を飛び出し一ヶ月。様々な場所を見てきたが、僕はまだ世界の一部しか見ていなかった。まだどこまでも続く大海原を見ていない。灼熱の砂漠も、氷の大地も。多くの素敵な人々にも出会ったが、まだ満足はしていなかった。
もっと旅をしたい。この世界を隅々まで見て回り、もっと多くの人と出逢いたかった。
その思いを虚心なく伝えると、クラウス卿は白いあごひげを軽く触る。
「そうか。貴殿はこの国のすべてを手に入れるよりも、この世界のすべてをその目に焼き付けたいのだな」
決意に満ちた目でうなずくと、クラウスは頬を緩める。
「いいだろう。これ以上は無理強いしない。おぬしはどこまでも飛び続ける猛禽のような存在。鷹に縄を付けて飼い慣らせばそれはもはや鷹ではない」
クラウスはそのような表現を用いて、僕を王にすることを諦めた。
アナスタシアは「残念ですわ」と眉を下げる。
「もしもウィル様が国王になればわたくしが愛人一号に名乗り出ましたのに」
すかさずルナマリアが間に入り、
「ウィル様は愛人など持たれません!」
と言うが、アナスタシアは茶化す。
「あら、ならば本妻ならいいのね。では妃にして貰いましょう」
と言うが、それにはなかなかツッコミを入れられないようだ。
この国ではもちろん、地母神の教団でも妻を娶るのは合法であった。それどころか地母神の教団の基本的教義には、
「産めよ、増やせよ!」
というものがある。
この大地を人の子で埋め尽くすのは彼らの悲願なのである。
ルナマリアは「……むむぅ」と唸ると、
「……巫女は戒律によって結婚できないのが辛いところ」
と漏らした。教団の教義は多産推奨だが、地母神に仕える巫女は例外なようだ。どこの教団も処女性を大事にするものらしい。
悩ましげなルナマリアを見てアナスタシアは挑発するように僕と腕を組むが、丁重にそれを振りほどくとクラウス卿に尋ねた。
「僕を国王にするというのは冗談として、本当のウィリアム・アルフレード殿下はどこにおられるのでしょうか?」
「本物か……。それは分からない。真実の鏡に聞くことはできなかったか?」
「真実の鏡に尋ねることができるのはひとつの事象のみです」
「ならばこれからまた八方手を尽くして探すが、もしかしたら見つからないかもしれぬ」
「…………」
「一〇年近く探索を続けて、わずかな情報からおぬしを探し出した。結局、おぬしも本物の王子でないとなるともはやこの世界に王子はおられぬかもしれぬ」
……合理的な考えであったが、間違っている、と指摘することはできない。
また一〇年掛けて存在しないかもしれないものを探せ、などと無責任なことは言えなかった。
「となるとこの国に王様はいなくなるということですか?」
「いや、それはない」
即答するクラウス。
「長期間、王を不在にはできない。しばらく身罷れた前国王のために喪に服すが、その期間が終れば近い血族の者の誰かが王に就くだろう。『王選会議』によって」
「王選会議……」
「そうだ。王選会議とはこの国の有力者が密室に籠もって王を決める会議だ。三日三晩不眠不休の論議の末、決める」
「それは大変ですね」
「だな。年寄りには骨が折れる」
自嘲気味に笑うとクラウス卿は僕の背中を叩く。
「本当はおぬしに王宮に残って貰って色々と手伝って貰いたいが、それはおぬしの翼に枷をするも同じだろう」
クラウスは感慨深げに僕を見つめると言った。
「だからここに残れとは言わない。しかし、世界をその目で焼き付ける際、またこの王都にやってくるときもあろう。そのときはどうか我が屋敷にも来てくれ。いつでも歓待する」
次いで握手を求めてきた。
ガシリと彼の手を握る。その手は分厚く、力強い。おざなりな握手ではなかった。
僕はクラウス卿に別れを告げる。
「ウィル様はなにか目的があるのですか?」と尋ねてきたのは、アナスタシアだった。
「…………」
僕が軽く沈黙してしまったのはなにも目的がなかったからだ。
偉そうに世界を見て回るとは言ったものの、さしたる将来設計があるわけではなかった。
もちろん、魔王復活をもくろむゾディアック教団などの動きは気になるが……。
そのように思考を巡らせていると、僕は腰にぶら下げた短剣の存在に気が付く。
軽く抜き放つと、ミスリル製の短剣にヒビが入っていた。
「そのヒビは……?」
ルナマリアが控えめに尋ねてくる。
「ああ、うん、これはさっきの戦闘で」
「ヒビが入ってしまいましたわね」
ルナマリアの眉目が下がっているのは、彼女はこの短剣が剣神ローニンから貰った大切なものだと知っているからだ。幼き頃、僕はローニン父さんからこの短剣を譲り受け、以来、この短剣を相棒に多くの敵を倒してきた。
「ルナマリアが落ち込むことはないよ。形あるものはいつか壊れるのさ」
魔術の神ヴァンダルの言葉を引用する。
「しかし、それは世にも貴重なミスリル製。もう、二度と手に入りません。それにそれは初めて大木を切り裂いたときに貰った記念品だと伺っていますが」
「そうだね。でも、ローニン父さんはぴんぴんしている。形見じゃないんだから」
「それはそうですが――」
それでも表情が晴れないルナマリアの顔を見て、僕はピコンと頭の上に電球を出す。
「そうだ。いいこと思いついた」
「いいこと?」
「そうだよ。ミッドニアからテーブル・マウンテンはそんなに離れていない。もう一度、北部を冒険してみたかったから、ちょうどいい」
頭の中に地図を思い浮かべる。
ミッドニアの王都アレクセスは、国のほぼ中央にあるが、北にはテーブル・マウンテンがある。つまり北部方面に行くには山をぐるりと回らないといけない。
「たしかに北部に行くならば通り道です」
「迂回すると時間が掛かるから、テーブル・マウンテンを突き抜けよう。そのとき里帰りをして、ヴァンダル父さんに短剣を修復して貰おうと思う」
「魔術の神ヴァンダル様は冶金学にも長けていますしね」
「うん、きっとヴァンダル父さんならばなにか知恵を貸してくれる」
善は急げ、とばかりに僕とルナマリアはクラウス卿とアナスタシアを見る。
彼らは激戦のあとでもすぐに冒険を再開しようとしている僕たちに呆れ顔だが、今さら僕たちの冒険を止める気もないようだ。
ただせめて一晩くらいは歓待させてほしいと申し出てくる。
僕たちはその申し出を有り難く受け取ると、クラウス卿の屋敷に向かった。
そこで美味しい料理と、温かいベッドを提供されると、僕たちは体力を回復させる。
そして翌朝、僕たちはクラウス卿とアナスタシアに別れを告げる。
アナスタシアは「ウィル様に幸福あれ」と抱きしめてきた。
もっとごねたり、情熱的な別れをされるかと思ったので意外であったが、アナスタシアは嬉しそうに言う。
「これは一時の別れに過ぎませんから。――そう遠くない未来、ウィル様はこの王都に戻ってきて、わたくしと運命を共にするのです」
魔女のような予言を自信たっぷりに残すアナスタシア。
ルナマリアのほうを見ると彼女は黙して語らない。もしかしたら彼女も神様からそのような預言を預かっているのかもしれない。そんな感想を持った。




