王都の宿屋
「王都はすごいなー」
それが偽らざる感想だった。
僕はお上りさんよろしく、見るものすべてを指さす。
「アナスタシア、あそこにある建物は?」
「あれは図書館ですわ」
「あれが図書館なの? いったい、何冊本があるんだろう……」
「六五五三五冊と言われています」
「そ、そんなに!?」
毎日読んでも読み切れないほどだ。魔術の神ヴァンダルの書庫の数十倍ある。
「数十倍で済むなんて、ウィル様のお父上は大変な蔵書量を誇るんですね」
「本の虫だからね」
しかし、それでも上には上がいると言うことか。もしもこの国の王様になったら、この図書館をまるごとヴァンダル父さんに上げたいな、と思ったが、慌てて首を横に振る。
いけないいけない、物欲が出てきたぞ。ものやお金に釣られるのはよくないことであったし、そもそもこの建物は国民の財産。
この建物の真価は税金さえ支払えば、誰でも閲覧できるということであった。
それを独占するなど、あってはならないことだ。
自分を戒めると、図書館から視線を移す。
目に入ったのは高い建物だった。塔のようなものが街の中心にある。
「あれは時計台ですわ。クロノスの塔。古代魔法文明の遺跡で正確に時を告げます。その誤差、一億分の一秒」
「い、いちおく……」
思わずひらがなになってしまうくらいの数字である。
僕の家にも時計くらいあったが、誰かが毎日巻かないといけなかったし、かなりの誤差があった。
「はー、王都はすごいな」
「ふふ、ウィル様は子供のように純粋で説明しがいがあります」
褒められてるのか分からなかったが、それでも僕は次々に質問を重ねる。
あれは? あれは?
と何度も指をさす。
アナスタシアは何度でもこころよく答えてくれる。
「あれはギュオーム卿の屋敷ですわ。この国一番の騎士です」
「あれはエルドナット商会の本店ですわ」
「あれは光の神の神殿です」
彼女は懇切丁寧に答えてくれる。
有りがたいことであったが、ルナマリアが浮かない顔をしているのが気になる。
僕は彼女に尋ねる。
「ルナマリア、やはり体調が悪いの? 王宮に行く前に宿を取って休む?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
「ふふ、ルナマリアさんはお疲れのようですね。やはり休憩をしましょうか」
「大丈夫ですよ」
「そういうわけにはいきません。それに王宮に上がる前に色々と準備をしないと」
「例えば?」
「ウィル様の身支度です。その格好も素敵ですが、もう少しフォーマルにしないと」
「なるほど」
たしかに大臣や王族と会うからにはそれなりの格好は必要だろう。
「というわけでどこかで宿を取って準備をしましょう」
とアナスタシアはがしりと僕の腕を掴み、お城のような宿に連れて行こうとする。
ルナマリアはがしりとアナスタシアの腕を掴む。
「……あら、案外、力が強いのですね」
「……そこは連れ込み宿です。ウィル様に変なことはしないでください」
「あらあら。気がつきませんでしたわ。お城みたいに立派だからつい」
てへぺろをすると、アナスタシアは大通りにある別の宿を選んだ。
その宿もお城かと見間違えるくらい立派であった。
宿屋に入ると、受付の男が愛想よくやってくる。最上級の部屋をふたつ取ると、荷運びの男が荷物を運んでくれる。
今まで僕が泊まった宿屋とは別格である。
「これがホテルというものですわ。滞在者に最高の体験と持てなしをしてくれます」
とアナスタシアはウェルカム・フルーツを手に取ると、さくらんぼを食べる。
もぐもぐと食べると、ぺろっと出す。さくらんぼのへたは綺麗に結ばれていた。
「うふふ、キスの上手い女はみんなこれができましてよ。ルナマリアさんはできるかしら」
「できます」
と対抗心むき出しにさくらんぼを食べるが、なかなか難儀していた。
ルナマリアもアナスタシアの挑発など無視すればいいものを、と思うのだが。
そのようにふたりを眺めていると、僕は高級な部屋に案内される。
立派でふかふかなベッド、疲れていればそのまま眠りたいところだが、これから仕立屋に向かわなければならない。
ただ、アナスタシアとの約束まで三〇分はある。
なのでその間、ホテルとやらがどんなものか確認する。
視界に飛び込んでくるのは広い空間に立派な作り。
広さが宿場町の宿の比ではない。作りも頑健だし、なによりも調度品がすごい。
花瓶に蘭が添えられ、絵画などもある。
どれも高そうだ。小一時間くらい観賞できそうである。
さらに探検を続けると、この部屋が複数あることを発見する。なんとホテルには浴室や洗面台が備え付けられた部屋があるのだ。
「一部屋、一部屋に付いているのか」
とシャワーをひねると、そこから出てくるのは熱いお湯だった。
「……魔法式かな? セントラル・ブロイラー式かな? サラマンダーを飼ってるのかも」
ちなみにテーブル・マウンテンにもシャワーはあった。お湯も出る。魔術の神ヴァンダルが作ったもので魔法式のものだ。
お風呂大好き、水浴び大好きなミリア母さんのために作ったものだが、魔法石の消費が半端ではないのを覚えている。
そもそも水道を引いてきて、その水圧を調整し、シャワーを出すだけでも一苦労なのだ。
それを全部屋に付けるのだから、このホテルは相当豪勢ということである。
僕は天蓋つきのベッドにごろんと横になると、
「はあ」
と溜息を漏らした。
「スポンサーが王様だからいいけど、今後、こんな立派なホテルに泊まることはないかな」
このような立派なホテルになれれば、旅の途中にある粗末な宿屋には耐えられなくなるだろう。
この前、ルナマリアと泊まった宿屋など、わら敷きの部屋に男女が雑魚寝だった。
それと比べればこのホテルは天上の楽園と言えた。
「……ふかふかなベッドだな。一〇分くらい寝るか」
僕はそう言うと目をつむる。
するとあっという間に睡魔がやってきて、僕を眠りに誘ってくれた。
僕は「はっ」と目覚める。
寝過ぎたことに気がついたのだ。
「やばいやばい、アナスタシアと約束していたんだけど……」
と備え付けの時計を見ると、数時間経過していた。
もはや夜である。
これは仕立屋も閉まっている時間帯だろう。
「……人との待ち合わせには遅れないようにしていたのだけど」
油断した。と嘆いていると、横から寝息が聞こえる。
ルナマリアとアナスタシアのものだ。
どうやら彼女たちは僕を起しにきてそのまま一緒に眠ってしまったようだ。
「――しい……、ウィル様が眠られているようです」
「あら、可愛らしい寝顔、食べちゃいたい」
とそのままふたりが僕を起こすのを諦め、添い寝を始めた姿が想像できる。
そこでバトルが勃発なしなかったことだけは救いであるが。
「……てゆうか、悪いことをしたな。明日はアナスタシアに謝らないと」
僕はそうつぶやくともう一度眠ることにした。
結局、僕たちは翌日まで「すぴー」と寝た。




