親愛なるウィルへ
翌朝、僕たちは目覚めると、先日のように山羊のミルク絞りの手伝いをする。
もちろん、リアは朝食の時間まで起きることはなかったが。
「本当、ものぐさな女の子だな、リアは」
ルナマリアの爪の垢でも煎じて飲ませようか、と冗談を言うと、ルナマリアはお腹を壊してしまいますよ、と返す。
「でも、僕が知っている女性って、ルナマリアと、ミリア母さんとリアしかいないんだよね」
アイーシャが自分を指さしたので「アイーシャも」と付け加える。
「今のところ二種類の女の子しかいないんだよね。ルナマリア、アイーシャタイプの真面目な女の子、ミリア母さん、リアが分類されるぐーたらな女の子。ちょうど、半々だけど、世の中、どっちが多いんだろうね」
僕の問いにルナマリアは苦笑し、
「どちらでしょうね」
と笑った。
その笑いにはなにか意味が込められているようだが、僕には分からなかった。
そのようなやりとりをしていると、山羊の乳搾りが終わり、朝食の準備を始める。
「ここからは私たちジュガチ村の女の出番です。おふたりはリアさんを起こしてきてください」
承知、とふたりでテントに戻ると、「ぐがー」とお腹を出しながら寝ているリアを見つける。
「まるでミリア母さんみたいだ」
「そうですね」
ふふふ、と続けるルナマリア。
僕たちはゆっくりとリアを起こすと、彼女を着替えさせる。
もちろん、男である僕は着替えに付き合わないが。
カーテンの中で着替えるリアに言う。
「そういえばリア、君はどこまで付いてくる気なの?」
「そりゃあ、お墓の中まで」
「墳墓ならばダンジョンで行ったよ」
「たしかに。でも、そういう意味じゃなく、一緒のお墓に入りたい、って意味」
「東方じゃないんだから、火葬して同じ骨壺に入ることはないと思うけど」
「それでも隣のお墓がいいー!」
だだをこねるリアが、カーテンを開ける。
一瞬、「おわっ」と思ったが、すでに着替え終わったあとだった。
まったく人を驚かせることに掛けては一級品である、と文句を言うと、彼女は「ふふん、そうでしょ、明日はもっと驚かせてあげる」と言った。
なにをしてくるのやら……と思ったが、どうせ他愛のない悪戯だろう、と思った僕は彼女を無視すると、先に朝食の卓へ向かった。
その後、僕たちはゆっくりと疲れを取る。
ノースウッドの街から歩きっぱなしであったし、戦いぱなしでもあった。
いくら神々に鍛えられた子とはいえ、疲れが溜まってしまう。それに女性であるルナマリアはもっと大変だろう。
というわけで今日は完全に休養日、なにもせずに過ごす。
だらーっとその場で呆けたり、ごてーっとベッドで眠ったり、日がな一日、羊を数えていたりする。
すると体力が回復していくのを感じる。英気が満ちていく。
夜になるとそこら中を走り回りたくなるほどに元気になる。
「よし、これならばいますぐにでも旅に出られそう」
ルナマリアを見るが、彼女も同意する。
「私も大分疲れが取れました。明日には旅立ちたいですわ」
「だね」
とリアを見ると、彼女も異存はないようだ。
というわけでもう一晩だけお世話になる旨を伝える。村長は「もちろんだとも」と白ひげを縦に振って同意してくれる。
アイーシャは嬉しそうに「わーい」と僕たちの周りを回る。
「一生いてくれても構わないのだぞ」
というがさすがにそういうわけにもいかないので、もう一晩だけ甘えると、翌朝、僕たちは出立する。
朝食を食べてから出る予定だ。
しかし、朝食になっても起きない人物がいることに気がつく。リアだ。
まったく、ねぼすけだな、と彼女の布団を剥ぐと、そこにいたのは枕だった。
触ってみるがぬくもりはない。
どういうことだろう、とルナマリアと相談するが、すぐにそれが彼女の悪戯であると気がつく。
ただの悪戯ではなく、特大級の悪戯であるが。
枕の下には、
「ウィルへ」
という達筆な文字で僕の名前が書かれていた。
何事だろう、と思った僕はその手紙を開く。
ルナマリアにも読み聞かせるため、声に出して読み上げる。
「親愛なるウィルへ。
えっちな気持ちになりながら私の布団をはいだかもしれませんが、残念ながら私はそこにいません。
ジュガチ村にもいません。
ですが心配しないでください。
誘拐されたわけでも、消えてなくなったわけでもありません。
私はとある神に仕える巫女といいましたが、本来、私は神域で暮らしているのです。
神域以外に長期間いることはできない身体になっているのです。
ですからいったん、神域に帰り、英気を養ってきます。
てゆうか、また絶対一緒に冒険するんだからね!!」
それがほぼ全文であるが、ルナマリアへの伝言もある。
「この手紙を読み聞かせてもらっている小娘へ。
――いえ、ルナマリアへ。
あなたはウィルの従者です。それを忘れないように。
ウィルのお母様の前に出ても清く正しい従者であると胸を張れる女でいなさい。
以上」
簡潔でツンケンしているが、スプーン一杯くらいの愛情は感じさせた。
それを証拠にルナマリアは「リアさん……」と少しもの悲しげにしている。
僕も寂しかったが、そのような事情があるのならば仕方なかった。
それにまたいつか会える、と手紙にも書いてある。
これは別れではなく、再会への伏線である、と思えばあまり寂しくならなかった。
僕は努めて明るく振る舞うと、ルナマリアに言った。
「さあ、出発しようか。少し寂しくなるけど、道中の食料の減りの心配はなくなったよ」
「……リアさんは食いしん坊でしたからね」
ルナマリアはにこりと笑うとそのまま旅支度を始めた。
――一方その頃、ウィルの故郷であるテーブル・マウンテンにて。
剣の神ローニンは、大木を素手で引き抜く稽古をしていた。
「ふぬぬー」と力を込めるが、彼は嘆く
「……まったく情けないものだぜ。今日は『たったの一〇本』しか抜けなかった」
見ればローニンの横にはうずたかく積まれた巨木の山が。
それを遠くから見ていた魔術の神ヴァンダルは、ゆっくりと歩み寄るとローニンに言った。
「また無益なことをしているのか」
「……なんだジジイか」
「若造が。自然を壊すな」
「うっせーな、ちゃんと再利用するよ、乾かしたらこれでログハウスを作る。ウィルの勉強部屋にしてやるんだ」
「あの子はもう旅だったぞ」
「んなことはわーってるよ。でも、今、あの女が迎えに行ってるだろう。俺はあの女は好かんが、あの女の執念には一目置いているんだ。きっとウィルを連れて帰るはず」
「……それはどうかな。――というか、噂をすればなんとやら」
魔術の神ヴァンダルは後方に振り向く、するとそこには年頃の少女がいた。
美しく髪をまとめ上げた少女だ。
血塗られたフレイルを持っている。なんでも道中、イボイノシシを狩ってきたらしい。それを食べましょう、と言う。
まったく、血塗られたイノシシをひょいと担ぐとはとんでもない少女であるが、ローニンもヴァンダルも驚きはしなかった。
いや、ローニンだけは少し驚いたか。
無論、血に驚いたわけでも、少女の力に驚いたわけでもない。
「……てゆうか、ミリア、ひとりで帰ってきたのか」
「ええ、そうよ」
「ウィルは連れて帰らなかったのか」
「うん」
あっさり言う。
「約束が違うぞ。じゃんけんをして勝ったほうがウィルを連れて帰るはずだろう。俺がじゃんけんに負けたからお前が行ったのに」
「うっさいわね。事情があるのよ。あ、てゆうか、疲れたから変化は解いていい?」
「若作りは魔力を大量に消費するからな」
「うっさいわね」
というと先ほどまで少女だったリアが、いや、ミリアが大きくなる。
「ぷはー、一気に胸がきつくなった。私って十代の頃より胸が成長していたのか」
「乳お化けめ」
「うっさい、剣術馬鹿」
「褒め言葉だな。てゆうか、話を戻すが、なぜ、ウィルがいないんだ」
「仕方ないでしょう。連れて帰る口実が見つからなかったんだから」
「口実?」
「そう、少しでもつらそうにしてたり、ホームシックになってたりしたら、昏倒させて連れて帰ろうと思ったんだけど、ウィルはどんなモンスターに出会っても臆さなかった。どんな強敵と会っても目を輝かせていた。新しい場所を見つけるたび胸を躍らせていたのよ。まるで子供みたいに」
「そのようなウィルを連れて帰るなど、どのような神々にも不可能じゃな」
「そのとおり」
と女神ミリアも言うが、ローニンも納得はしたようだ。
仮に自分が行っても結果は同じだったろう、と心の中で言う。
口に出しては絶対に言わないローニンであるが、長旅で疲れたミリアをねぎらう気遣いはできるようだ。
さりげなくイボイノシシを持つと、そのまま神々の館へ戻った。
それを見てミリアは苦笑するが、ヴァンダルが首尾を尋ねてくる。
「ウィルには正体がばれなかったか?」
「ええ、もちろん。勘の鋭い子だけど、それ以上に純粋な子だからね」
「たしかに」
「でも、ルナマリアにはバレバレだったみたい。やっぱ、女って怖いわー」
というと治癒の女神ミリアは久しぶりの我が家へ戻った。




