馬車チェイス
生まれて初めて操縦する馬車。
テーブル・マウンテンではよく狼のシュルツの背中に乗っていたが、シュルツは自分で判断し、動いてくれるので楽だった。
まったく下界は不便である。
心の中で漏らすと、僕は横に並んだ悪漢の馬車を睨む。
悪漢の馭者は底意地が悪そうであった。
「小僧、馬車の中に潜んでいたか」
「空からやってきたんだよ」
と言っても信じてくれないだろう。
「まあ、お前のような小僧は護衛にもならない。大人しく諦めて馬車を止めろ。さすれば命だけは助けてやる」
「てゆうか、この子、ええと、君の名前は?」
とアナハイム家のご令嬢に尋ねる。
「私はカレンです。ノースウッドの商家の娘です」
「いい名前だね」
と言うと彼女は「ありがとうございます」頬を染める。
僕もにこりと返礼すると、悪漢のほうに振り返り言う。
「お前たちはカレンを捕まえて酷いことをする気だろう。そんなやつに彼女は渡せない」
「酷いことなどせんさ」
「じゃあ、なにをする気だ」
「俺たちはアナハイム家のライバルの商家に頼まれただけなんだよ。娘のカレンを捕まえて人質にしろって。捕まえても人質として大切にするさ」
「もしも彼女のお父さんがそいつの言うことを聞かなかったら?」
「そうしたら毎日、指を一本切り落として、言うことを聞くまで送りつけるだけよ」
下卑た笑いでそう宣言する悪漢。
カレンは顔を真っ青にする。
「――交渉決裂だ。いや、宣戦布告だ。お前たちみたいな悪に手加減はしない」
もしも今の言葉を聞いたらローニンは祝杯を挙げ、ミリアは印画紙で写真を撮るだろう。
それくらい決まっていたのだが、僕は気にすることなく、馬車の車体を横に移動させる。
僕たちの乗った車体は悪漢の馬車に当たり、悪漢たちは動揺する。
「ば、馬鹿な、カレンごと死ぬ気か」
「まさか、僕には秘策がある。その秘策を試す前にちょっと脅しただけだよ。死にたくなければ降参しろ」
「なんてくそ度胸のある糞ガキだ。だが、近づいたのが運の尽きよ」
と言うと悪漢の馬車から一名、こちらに飛び乗ってくる人影を見つける。
僕はそれに対処するため、一時的にカレンに馬車の操縦を預ける。
彼女は「え? え?」と動揺するが、僕は「持っているだけでいいよ」と言う。
「さっき、鷹見の魔法で見たけど、この先はまっすぐだ。その先にちょっと面白い地形があるけど、それまでには決着を着けるから」
と気軽に言う。
緊急時であるし、彼女も操縦に興味があったくらいだから、「は、はい」と危うい手つきながら手綱を握り締める。
僕はそれを頼もしく思うと、幌の中にいた悪漢と対峙する。彼は短剣を握り締めている。
あの状況下でこちらの馬車に飛び乗ってきたのだから身体能力と度胸は相当なものだ。
ザコと侮ることはできない。
事実、この悪漢はなかなか強かった。
揺れる馬車の中、器用に短剣を振るう。
数合、打ち合いになるが、それも数合までだった。
もしも僕が普通の人間。神々に育てられた子供でなければ、なんとでもやりようがあったのだろうが、僕は最強の神々に教育を受けた人間だった。
このような揺れる場所での戦闘にも慣れている。
剣神ローニンと水牛の上で剣術の訓練をしたことを思い出す。
あれに比べれば街道を走る馬車の揺れなどないも同じだった。
僕は平衡感覚を保ちながら、腰のダガーを構えると、彼の短剣目掛け、振り下ろした。
同じ短剣同士の戦いであったが、僕の短剣は真銀で作られたミスリル・ダガー、一方、彼のそれは鉄のダガー、初めから勝負は決まっていた。
パキンと、割れる悪漢のダガー。
驚愕の表情を浮かべる男。
「ば、馬鹿、武器破壊技だと!? こ、こいつなにものだ!?」
「史上最強の神様の弟子だよ」
と言うと、僕は素早く男の懐に飛び込み、彼の胸を軽く押す。
揺れる車内ではそれで十分だった。
バランスを失った男はよろめきながら後方に下がる。
そのまま開け放たれた馬車の扉に向かうと、そこから転落する。
地面に転がり落ちる。
あっという間に小さくなっていく男。
どんどん小さくなる。
死んではいないようだが、大怪我はしているだろう。いい気味であるが、戦勝にひたっている暇はない。
僕はガチガチに固まって手綱を持っているだろう令嬢のもとに戻った。
戻ると案の定、カレンは固まっていた。
緊張の極致であるが、彼女から手綱を受け取ると、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
「生きた心地がしませんでしたわ」
と安堵する。
彼女はキョロキョロと後方を見ると、悪漢がいないことを確認する。
「あっという間に倒されたのですね。すごいです。――ええと、お名前は?」
「ウィル。ただのウィルだよ。平民なんだ」
「ではさすがはウィル様です。すごいです。てゆうか、もしかして名のある剣士様かなにかなのでは?」
「全くの無名だよ。僕の名前を知っている人間は十人もいないと思う」
「ではここから名を売り出すのですね」
と微笑むカレン。
出会ったときからそうだとは思っていたが、彼女は楽天家のようだ。このような状況下でも笑みを絶やさないのだから。
ならばこれから行う作戦も笑って許してくれるだろう。そう思った僕は彼女に尋ねる。
「これから僕がやろうとしている作戦はかなり危険で、しかもこの馬車を壊してしまうものだけど、いい?」
「大丈夫です」
「即答だね」
「はい、もはやわたくしはウィル様を全面的に信頼しています。明日、お嫁に来なさいと言われたら喜んでいくくらいに信頼しています」
「そんな無茶な要求はしないよ」
と笑みを漏らすと、ふたりは同時に微笑んだ。
一方、その頃、かなり後方にいるルナマリア。彼女の背筋に悪寒が走る。
「……むむ、悪い予感がします。ウィル様に近寄る女の気配」
と胸中でつぶやいているかは不明であるが、かなり心配げに街道の先を眺めていた。耳を澄ませていた。




