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外伝 長雨

今朝から雨が続いている。強い雨でもなければ弱い霧雨ですらない、いたって普通の雨である。機械仕掛けのメイドであるリディアは今日の天気が雨になると予想をしていたので、ルーティンとなっている洗濯をしなかった。リディアは研究所の窓から空を見上げた。明日も雨だろう、と彼女はため息をついた。この空き時間に何をしましょうか。と彼女は悩み、主人のもとに歩いた。



「失礼します。アレンシュタイン様」



「こんな時間に珍しいな」



「雨のため洗濯ができないのです。何かお仕事や手伝うことはありますか?」



「雨か……」



アレンシュタインは研究室の中で、遠くを見つめた。その眼差しは優しく温かく、そして寂しい。リディアはアレンシュタインが亡き奥様を想っていることに気が付いた。黙って見守ることしかできない。アレンシュタインとリアンナの間にリディアは入ることができない。

もし奥様が御存命の時に私を作っていただければ、奥様を想う気持ちと慟哭を分かち合って、近くで支えることができたかもしれない。もしかしたら、奥様を病から助けられたのかもしれない。そんな思いを言わずにリディアはただ静かに、気配を消した。



「……リディア」



「はい」



「少し、散歩にでもいかないか?」



「散歩、ですか?」



「ああ」



「仰せのままに。では雨具の準備をしますので、お待ちください」



「いや、いい。リディア、玄関で待っていなさい」



「かしこまりました」



アレンシュタインは優しく微笑むと研究室から出ていった。リディアは命令通りに玄関に向かい、ただ待った。しばらくすると二本の傘と二つの長靴を持ったアレンシュタインが戻ってきた。リディアは目を見張った。



「アレンシュタイン様、そちらは……」



「私と妻の傘と長靴だよ。まだ数回しか使ってないから使えるだろう」



サイズの大きい淡い黄緑色の長靴と小さい黒色の長靴。シンプルな黒色の傘が二本。

アレンシュタインはリディアに黒色の長靴と傘を渡した。受け取ったリディアはそれらとアレンシュタインの顔を交互に見た。



「こちらは奥様の」



「ああ、妻のだ。……君が使ってくれ」



「……わかりました」



リディアは納得ができなかったが、長靴を履くことにした。その隣でアレンシュタインが黄緑色の長靴を履いた。リアンナの髪の色だ。リディアが履いたリアンナの長靴はアレンシュタインの髪の色を表しているのだろう。

本当に私が……機械が奥様の品を使っていいのでしょうか? リディアはこれも口に出さなかった。



「行こう」



「仰せのままに」



アレンシュタインは頷くと玄関を出て、傘を開いた。リディアも続いてそれに倣う。バサッと音をたてて傘が開かれた。丈夫な傘なのか錆びることなく綺麗なままだった。リディアは傘を差しながらアレンシュタインの三歩ほど後ろを歩く。会話はなく傘が雨を弾く音と足音だけが聞こえるだけだった。



「妻は……」



ぽつりとアレンシュタインは言った。



「……」



「リアンナは、雨が好きだったんだ」



「素敵ですね」



「素敵? なんだ君も雨が好きなのか? さっきは洗濯できないと困っていたじゃないか」



「雨は好きですよ。たしかに洗濯ものができないのは困りますが……。雨音が心地よいですから」



「妻もそう言っていたな。私は、雨が嫌いだった。研究材料が湿気るし、本にカビが生えるからな」



「きちんと管理すれば湿気ることもカビが生えることもありませんよ」



「……そうだな。今は君がいるから大丈夫だ」



前を歩くアレンシュタインの顔をリディアは見ることが出来ない。リディアは寂しそうな背中を見るだけだ。



「雨が嫌いと言い続けていたら、妻が長靴と傘を買ってきたんだ」



雨の日の散歩はいいものよ。アレン、行きましょう。



「最悪だと思った。だが、リアンナの笑顔が綺麗で……妻が喜ぶなら雨も悪くない、と考えが変わった」



「雨の日は、アレンシュタイン様と奥様の大切な思い出のある日なのですね」



「ああ、大切だ。これからもずっと」



そう言ってアレンシュタインは振り向いた。首元にはロケットペンダントがかけられていた。アレンシュタインは歩いている間にペンダントを取り出していたらしいが、リディアは気づかなかった。ロケットが開いており、リアンナが微笑んでいた。



「もしリディアが雨嫌いだったら、好きになってもらいたかった。だが、いらなかったな」



「そんなことはありません。アレンシュタイン様と奥様のお話を聞いてますます好きになりました。」



この言葉に噓偽りはない。リディアは嬉しかった。まるで両親の思い出話を聞いて目を輝かせる子どものように。二人の世界にほんの少しだけ入れてもらえたようで。



「帰ろう」



「はい」



再び雨音と足音だけになった。二人は無言で歩き続けた。リディアはアレンシュタインの肩越しに研究所を見た。明かりをつけたままだったため部屋の明かりが窓から漏れていた。



「研究の続きをする」



「後ほどコーヒーをお持ちします。長靴と傘を手入れさせてください」



「ああ」



玄関は冷えていた。長靴から靴に履き替え、アレンシュタインはリディアに長靴と傘を渡した。リディアは快く預かるとさっそく手入れを始めた。

次にこの長靴と傘を使うのは夫婦揃っての雨の日の散歩の時だ。と丁寧に靴用ブラシで汚れを落とす。泥が落ちていく。

仲睦まじい夫婦の傍で見守るのだ。と洗剤を溶かしたぬるま湯の入った桶に入れて優しくスポンジで擦った。汚れがぬるま湯に溶けていく。愛する主人のために、奥様のために。会ったことがないがリディアはリアンナのことも愛している。


愛するアレンシュタイン様、愛するリアンナ様。御二方のためにも『永遠の命』の研究が成功するように全てをかけてでも尽力します。


 この長靴を履いて傘を差して散歩から帰ってくる夫婦に「おかえりなさい」と言うのだ。そうしたらきっと「ただいま、リディア」と笑顔で返してくれるはずだと、リディアは信じている。そのためにリディアは黙々と手入れを続けた。


雨はまだ止みそうにない。

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