死病
ルナマリアの窮地を知った僕たちは走る。
風と一体化したような速度で走る。疾風となった気持ちで走る。道中、休むことも息継ぎをすることもなく、ただひたすらに走る。先ほどの戦闘の疲れなど無視をする僕たち。どこにそのような体力が残っていたか、不思議であるが、僕たちは疲労を知らぬ速度で駆け抜けた。
途中、ポウラとアニエスを見つける。どちらも傷付いてはいたが、命に別状はない。それどころか洗脳蟲も除去されていた。
「ルナマリア、すごいな」
レヴィンはそう口にするが、その意見には同意だった。
「この旅を通してルナマリアは大幅にパワーアップしていたんだね。三賢母を倒すくらいに」
「さすがは未来の大司祭様候補。だけど、そのルナマリアが窮地ってことはやっぱり大司祭フローラと戦っているんだろうか」
「おそらくは……」
言い淀んでしまったのは、「戦っていれば」まだいいと思っていたからだ。最悪、すでに敗北しているという未来図も考えられた。
「……駄目だ、駄目だ」
不吉な予感を頭から振り払うと地上に向かった。遠くから地上の光が見えてくる。長らく試練場に籠もっていたせいか、地上の光はまばゆいばかりに感じられた。
「――いや、違う」
すぐ反語を漏らす。
「気のせいじゃない。本当にまばゆいんだ」
見れば地上付近、大地の神殿では壮絶な戦いが繰り広げられていた。試練場へ続く大きな広間、そこでルナマリアとフローラが死闘を繰り広げていた。ルナマリアの小剣が舞うように空間を切り裂き、フローラの錫杖が空間を押しつぶすかのように振られていた。圧倒的な剛と柔の勝負が繰り広げられていた。その姿を見てごくりと唾を飲んでしまうが、すぐに身体を動かす。ルナマリアの味方をしようかと思ったのだが、それを制すは聖なる盾だった。
「ウィル! 駄目だ、そっちに行っては」
(――そっち? そういえば三賢母は三人のはず)
そう思った僕は後方に跳躍する。入れ替わるかのように大量のエネルギー波が僕のいた場所を通り過ぎる。その光景を見て、「ちい」と舌打ちするのは三賢母のひとり、ミスリア。彼女は心底惜しそうに言う。
「おしゃべりな盾ね。舌を切り取っておけばよかった」
べえ、と舌を出し意趣返しするイージス。
僕は無益な戦闘を終わらせるために、彼女に警告する。
「ミスリアさん、もうあなたがたはお終いだ。三賢母のうち、ふたり倒れた」
「そうみたいね。情けない」
「あなたも同様に倒れる。僕はあなたを傷つけたくない。投降してください」
「それは無理ね。なんのために洗脳蟲をみずから飲んだか分からなくなる」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。あのふたりは洗脳蟲をゾディアックに飲まされたけど、私は自分の意志で飲んだの」
「なんだって!?」
「ちなみに大地母神教団にゾディアックを手引きしたのも私」
「なんのためにそんなことを!?」
「決まっているじゃない。次期、大司祭になるためよ」
「…………」
「このまま順当に行けばルナマリアが次期大司祭になることは分かっていた。それはあなたをここに連れてきたことで確定した」
「そんなことのために悪魔に魂を売ったというのですか!」
「あなたには分からないのよ。親がいない子供の気持ちは。巫女として生きるしかない女の気持ちが……」
ミスリアの表情は沈む。もしかしたら彼女はルナマリアよりも悲しい宿命を背負って生まれてきたのかもしれない。幼き頃より巫女の厳しい修行に耐えてきたのは大司祭になると子供の頃に誓ったからかもしれない。だからこそまばゆく輝くルナマリアに嫉妬をしてしまったのかも。そう思ったが、だからといって彼女に同情はしなかった。
僕は一歩前に出ると、
「一撃で片を付けます」
と剣を抜き放ち、宣言した。
彼女はおかしそうに微笑みながら、
「それは可能かしら」
と言い放った。
「可能です」
そう言い放つと最速の抜刀術、天息吹活人剣を使う。飛燕のような速度でダマスカスの刃が彼女に向かうが、それはなんなく受け止められた。
――彼女にではない。
蒼と灼の騎士にである。その悪魔は次元を割るように空間を切り裂くと、右手で僕の剣を受け止めた。その手は真っ赤に燃え上がっている。もう一方の手は次元をこじ開けるのに使う。氷の手はぐわしと次元の穴を広げると、巨体をくぐらせた。
その姿を見てレヴィンはこう口にする。
「……まさか、こいつはさっき倒した」
「そのまさかみたいだね。最強の氷炎使いというわりにはあっけなすぎると思ったんだ。これがやつらの真の姿か」
次元の狭間を切り裂き、現れた怪物。
それは右半身が炎、左半身が氷の化け物だった。
「ソウエイグホウ」
二四将のうち、二体が合体した化け物はそう名乗ったが、それ以上の言葉は発しなかった。ふたりの兄弟は合体し、大幅に強化される代わりに知能を失っているようだ。その代わり圧倒的な戦闘力を得ているようで、強力な一撃を放ってくる。氷の拳がまっすぐに伸びてくる。腕の周囲にはブリザードとかまいたちが舞っていた。 その一撃を剣の腹で受けるが、あまりの威力に僕は数十メートルほど吹き飛ばされる。ぼきり、あばらの折れる音が響く。
「ウィル少年!」
心配するレヴィンに僕は叫ぶ。
「あばらが折れただけ。僕は大丈夫。レヴィン、そいつは僕たちの力じゃ倒せない。ミスリアを狙って!」
レヴィンは一瞬意図を察することが出来なかったようだ。尋ね返してくる。
「なぜ?」
「ソウエイグホウを召喚したのはミスリアさんだからだ」
「なるほど、召喚主を倒せば次元の狭間に戻っていくというわけか」
「そういうこと」
そのようなやりとりをするが、当のミスリアは余裕綽々だった。
「神々に育てられしものは本当に勘が鋭いわね。そう、たしかにソウエイグホウは私が召喚したもの。神器を用いてこの世に具現化させた悪魔よ。私を倒せば元の世界に戻る」
「ならばおまえを倒す! 痛いが我慢してくれよ!」
そのように言い放つとレヴィンは横なぎの一閃を加えようとするが、ミスリアは避けようともしなかった。
三賢母のひとりを切り裂くレヴィン、多少、後味の悪さが残るが、これも戦場の倣いであった。そのように心の中で締めくくっていると、横から威圧感が迫ってきた。見れば真っ赤な拳が目の前にあった。レヴィンはなんとか聖剣でそらすが、炎の追加効果だけは喰らってしまう。
己の身を焦がす。致命傷は避けられたが、攻撃を食らう必然性を見いだせなかったレヴィンは叫んだ。
「馬鹿な、召喚主は倒したはずなのに!」
「ならば倒していないのでしょう」
そのように言い放ったのは上半身を切り裂かれたミスリアだった。彼女はさも平然と言い放つ。一瞬、無敵なのか? そう錯覚してしまうが、種を明かせば単純だった。ミスリアの身体は霧で出来ていたのだ。
「私の別名は霧のミスリア。その身体を聖なる霧にすることが出来るの」
「なんて能力だ」
「戦闘には役立たないけれど、捕縛されても逃げられるし、逃げに徹することも出来る。つまり私を倒してソウエイグホウを元の世界に戻すことは不可能」
にやりと笑う小柄な司祭。
倒されることがない、そのような余裕に裏打ちされた笑顔だった。
「……そうなるとソウエイグホウは実力で倒すしかないのか。この化け物を」
僕は改めて強壮な化け物を見上げる。
とてつもない脅威に包まれた悪魔。この悪魔を倒すにはどのような方法を使えばいいのか。皆目、見当が付かなかった。しかし、それでもやるしかない。僕は折れたあばらに僅かばかりの回復魔法を掛けると、悪魔に斬り掛かった。相棒であるレヴィンも斬り掛かる。Xの形、交差するように斬撃を放つが、氷炎の怪物は痛痒も感じないようであった。ソウエイグホウの化け物じみた実力におののく僕たちであったが、それでも剣を振るい続けた。
真横でウィルとレヴィンが氷炎の怪物と対峙している。一方、ルナマリアは育ての親にして師、世界最強の司祭と戦っていた。フローラは悠然と錫杖を振るい、ルナマリアを追い詰めていく。 師匠に圧倒されるルナマリアであったが、負けっぱなしではなかった。 時折、反撃を繰り返しては鋭い斬撃を加えていく。好勝負であったが、それを実現していたのは、ルナマリアの成長だった。ルナマリアの剣はフローラ直伝、圧倒的な技量差があったが、経験によってその差を埋めていた。ウィルとの冒険、出逢った仲間たちがルナマリアに力を与えてくれたのだ。
「ルナマリア、上達しましたね」
「ありがとうございます。これもウィル様と巡り合わせてくれた大地母神の思し召し」
「ああ、あの小さかったルナマリアがこんなに立派になって」
「それはフローラ様のお陰です。あなたが育ててくれなければ今の私はなかった」
「あなたには才能があったから」
「子供の頃は巫女になれないと太鼓判を押されていました」
「それは周囲のものの見る目がなかっただけ。私は信じていましたよ」
「ありがとうございます。だからこの目を潰してくださったのですね」
「ええ、そうよ。才能はあった。でも天才ではなかった。あなたが立派な巫女になるにはこうするしかなかったの」
「分かっています。有り難いことです。お陰で大地母神と対話することが出来る」
「我が子の目を潰すなんて酷い親ね」
「目を潰す代わりに芽を伸ばしてくれました」
「ふふふ、面白い言葉遊び」
「本当に感謝しているんですよ」
ありったけの思いを込めて斬撃を放つ。フローラから教わった袈裟斬りだ。
その一撃によって衣服の一部を切り空かれたフローラ。彼女は心底嬉しそうに言う。
「本当に成長したわね。ルナマリア」
「はい」
「大地母神様はなんと言っているの?」
「と申しますと?」
「一連の事件のこと。あなたのことだから神と相談したのでしょう」
「そのことですか。はい、しました。しかし、大地母神は己の信じる人々を信じよ、としかおっしゃいませんでした。だからそうしております」
「なるほど、さすがは大地母神様ね。ちなみに私にも同じ神託をくださったわ」
「それは良かったです」
にこりと微笑むと、フローラは矛を収める。
彼女の首先一枚手前でぴたりと止まるルナマリアの小剣。
「――どうされたのですか、フローラ様」
「どうもしないわ。このまま戦っていても私の敗北は必定。あなたの剣を見てそう悟りました」
「まさか、力はフローラ様が圧倒している」
「表面的なものはね。神を信じる力、誰かを愛する力はあなたが圧倒しているわ」
「――フローラ様」
「さあ、行きなさい。あなたが愛するものは今、窮地に立たされています」
ウィルのほうに意識をやる。たしかに彼は今、ピンチだった。氷と炎の悪魔の前に圧倒されている。聖剣を持ったレヴィンもいるが、あと五分持つか、といったところであった。ルナマリアはしばし逡巡し、
「――フローラ様はもしかして洗脳など」
と尋ねた。それに対する答えは沈黙であったが、ルナマリアはそれ以上尋ねることはなかった。剣を収めると、フローラに深々と頭を下げる。
「ウィル様を助けに行ってきます」
「それが一番です。あの少年ウィルは世界を照らす光、あなたを包み込む慈愛です。大切になさい」
「はい」
短くも万感の思いが籠もった返答を返すと、ルナマリアはフローラに背を向けた。そのままウィルたちのもとへ向かうが、自身の目からは溢れんばかりの涙がこぼれ落ちていた。
(――涙が、涙が止まらない)
ルナマリアから涙が間断なくこぼれ落ちる。
なぜならばルナマリアは神からこのようなお告げを聞いていたからだ。
『あなたは最後に母であるフローラと剣を交える。あなたはその戦いに勝利するでしょう。しかし、それがあなたと母の最後の別れとなります』
大地母神のお告げが外れたことは一度もない。つまりフローラは死ぬのだ。ルナマリアを育ててくれた人が。ルナマリアを愛してくれた人が。この世界から消えてなくなるのである。
フローラが死ぬ。
それは世界の喪失を意味するかのように空虚だった。愛する人がこの世界から消えるなど、想像もしたくなかった。しかし、ルナマリアはそれでもウィルを助ける。
ウィルと母を天秤に掛けたわけではない。
ウィルと世界を天秤に乗せたのだ。
そのように自分に言い訳をしながら、ルナマリアは走った。
愛する愛娘の後ろ姿を見つめるフローラ。
永遠にその姿を見ていたかったが、すぐ横に気配を感じる。
そこにいたのはかつての部下であり、盟友でもあった女性、三賢母のミスリアだった。
彼女は開口一番に言い放つ。
「フローラ、あんた、ゾディアック様を裏切るつもり?」
「裏切る? それは見当違いですね。私は一瞬たりともゾディアックに臣従したつもりはありません」
「なにを言っているの? 巫女の命を救うために進んで洗脳蟲を飲んだでしょう」
「確かに飲みましたが」
「ならば言うことを聞きなさい。今すぐルナマリアを追いかけて、あの娘を殺せ」
ミスリアは邪悪な波動を解き放ち、ルナマリアを殺させようとするが、フローラは微動だにしなかった。
「なんで? あなたに埋めた洗脳蟲は一際強力なのに」
「たしかに強力でした。大地母神を持ってしても駆逐することは出来なかった。今もこの体内にいますが、私はあえてこれを〝飼っています〟」
「どういうこと?」
「あなた方は私を利用しようとしたようですが、私もあなたがたを利用させて貰っているのですよ」
「なんですって!?」
「ひとつは私の身体的弱点を補うために。洗脳蟲を飲み込めば強靱な肉体を手に入れられますから」
「そんなものに頼らなくてもあなたは最強でしょう」
その問いをあえて無視するとフローラは続けた。
「もうひとつはウィルさんに試練を与えるため。彼は苦難に接すれば接するほど強くなる。どのような困難もはね除け、そのたびに強くなる」
「……才能もあるのに成長率も最強、まさしくチートね」
「爆発的成長、どこまでも成長していく少年、試練を課す甲斐もあるわ」
「でもそれにも限界がある」
「そうね。どのような大英雄も周りの助力がなければ大成はできない。だから私は彼の大業を成すための人柱となることにしたの」
「どういうこと?」
「今から大聖堂に向かって、聖なる魔法を放ちます」
「な、まさか、あんたが放ったら、周辺数キロの洗脳蟲は死に絶える!」
「それが目的です」
「――くそ、わけが分からないわ。でも、あんたを殺さないと行けないってのは分かった」
ミスリアは得物である短剣をふたつ取り出すと、殺意を露わにする。
「まあ、でもいいわ。あなたを殺せば名実ともに私が大地母神の指導者となる」
「そんなに大司祭の座がほしかったのね」
「ええ、そうよ。いつも偉そうにしているあんたに取って代わりたいと思っていた」
「言ってくれればいつでも位を譲ったものを――、大司祭の座も結構大変なのよ」
「――馬鹿にしないでよ」
そう言うとミスリアは短剣を振り回す。フローラは錫杖でいなす。
実力的にはフローラが圧倒しているが、ミスリアは周辺の巫女や教団兵を支配下に置いていた。次々と現れる増援。フローラは彼女たちを倒しながらの行軍となる。
それにミスリアが召喚したと思われる魔物の群れもやってくる。百鬼夜行、魑魅魍魎までフローラの命を奪おうと躍起になっていた。フローラは聖なる魔力を解き放ち、応戦するが、途中、吐血をしてしまう。攻撃を食らったわけではない。
「あんた……? 病気なの……?」
「………………」
そう、フローラは病に冒されていたのだ。彼女は僅かでも命を長らえさせるために洗脳蟲を飲んだのだ。それを悟ったミスリアは愉悦の表情を浮かべ、そのことを祝った。




