裏切り
ルナマリアとイージスの助力によって鬼火を倒すことに成功する。
イージスは鬼火程度に苦戦と嘆いていたが、先ほどの鬼火はそのような生やさしいものではなかった。幻獣や神獣に近い神々しさと力強さを兼ね備えた鬼火であった。
「昔、ヴァンダル父さんが召喚した鬼火よりも強かったかもしれない」
そのような感想を漏らすが、これ以上、鬼火について考察する時間はなかった。さらなる襲撃があったからだ。目の前を覆う黒い膜。先ほどと同じ人物と思われるものがなにかを召喚しているようだ。今度は先ほどの清らかさはなく、邪悪な気配に満ちていた。
焦燥感に駆られる。
なにかよくないことがあったのでは、そのような不安を覚えてしまったのだ。
イージスは考えすぎ、と主張するが、ルナマリアは僕よりも深刻な顔をしていた。神と対話できる彼女、また明敏な洞察力も持っている。僕よりもより多くのことを感じていることは明白であった。彼女と話し合いたい衝動に駆られたが、まずは黒い膜から飛び出つつある魔物を討伐すべきだろう。
次元の狭間を切り裂くかのように現れた下級のデーモン。
彼らを倒すため、僕たちは全力で戦いに挑んだ。
悪魔を数匹倒すと、僕はうめく。
背中の傷口が開いてしまったのだ。
ルナマリアは慌てて回復魔法を掛けるが、傷口が閉まった瞬間、歩みを再開させる。
「いけません、ウィル様。安静にしてください」
「駄目だよ。一刻も早くポウラさんを追わないと」
その主張は正しかったので、ルナマリアは後ろ髪引かれながらも僕の背中から離れる。三人はそのまま地上に向かうが、地上に出た瞬間、絶望することになる。
地上には無数の陰があった。
生気を無くした巫女たちが松明を持ち、列を成していた。彼女たちの表情に以前の清らかさはない。あるものは虚無、あるものは邪悪な表情をしている。
〝それぞれ〟表情が個性的なのは、彼女たちの〝脳内〟に巣くう洗脳蟲の個性だろう。
洗脳蟲は個体差がある上、宿主との相性がある。
意識を完全に奪えるもの、行動は奪えても意志は奪えないもの、あるいは贖い続けるもの、巫女たちは様々な症状に分かれたが、皆、等しく僕のことを憎んでいるようだ。
「――ウィルを殺せ。神々に育てられしものを殺せ」
と、呪詛のようにつぶやいている。その光景を物陰から見守る僕たち。
「……教団のものはすでにそのほとんどが洗脳されているようです」
残念そうにつぶやくルナマリア。
「別の出口を使ってよかったね。待ち伏せされていたら厄介だった。ありがとう、ルナマリア」
「いえ、空気の流れを感じたので具申したまでです」
「さすがはルナマリアだね。空気のスペシャリスト、空気嫁だ」
イージスはにたにたと言う。きっとくだらない意味が含まれているだろうから無視をする。
ただ、そんな駄盾も稀に核心を突くことも言うようで……。
「ねえ、ここまでゾディアック教団に浸食されているってことはポウラさんやフローラさんもやばいんじゃね?」
「たしかに。彼女たちも洗脳されていると見たほうがいいかも」
「それは大丈夫です」
ルナマリアは言いきる。「なんでさ」とイージスは尋ね返す。
「ポウラ様は戦闘が不得手ですが、その分、防御能力が凄まじいです。彼女を支配することは難しいかと」
「まあ、たしかに三賢母の中でも異常はなかったけど。じゃあ、フローラさんは?」
「そちらは論外です。大司祭フローラ様の意志はアダマンタイト鋼よりも固い。彼女の意志を奪うなど、神々でも不可能かと」
「大地母神でも?」
「大地母神とて万能ではありません」
間接的に己の信じる神の限界を示すと、ルナマリアは言った。
「――おふたりともお静かに」
「なになに?」
「――し、ルナマリアはなにか聞き取っているらしい」
イージスの口にチャックをする。ルナマリアは聞き耳を立てる。
「ウィル様、イージスさん、巫女たちの会話から、ポウラ様が捕まったようです」
「なんだって!?」
「神殿のどこかに幽閉されているようです」
全神経を集中するルナマリア、しばし彼女を見つめるが、それ以上の情報は得られなかった。
「仕方ない。まずはポウラさんを救出しよう」
「それがよろしいかと」
僕たちは巫女たちから隠れるように神殿の食料庫に潜み、情報を収集することにした。
ルナマリアの聴覚、僕の魔法が頼りであるが、イージスは申し訳ないと手紙を書いている。
「てゆうか、誰宛に書いているの?」
僕は尋ねるが、イージスは「ふふん」と鼻を鳴らす。
「それは秘密。でも遣い鴉を貸してよ」
使用用途も教えずに借りる度胸もすごいが、貸す僕も大物かも知れない、とはルナマリアの言葉。僕はルナマリアに説明する。
「まあ、いいさ。イージスにも手紙を送りたい人がいるのだろう」
そのように纏めていると、上空を飛んでいた遣い鴉は舞い降りる。イージスは鴉の頭を撫でると首に手紙を括り付ける。鴉は大空に飛び立つ。
遣い鴉が見えなくなるまで見送ると、僕たちはそのまま調査を進めた。それによって多くの情報を得られたが、それらの情報を纏めると改めて僕たちの不利が浮き彫りになった。
――時間が経過するごとに神殿内は巫女で満ちていく。大地の鎧捜索隊が次々と地上に戻ってきたこともあるが、神殿の外に出ていた自警団も集結しつつあるようだ。それに門前町の男衆の姿も見える。ゾディアックの洗脳は思ったよりも広範囲なようだ。
ルナマリアに包帯を換えて貰っていると、イージスがつぶやく。
「ねえ、もしかしてボクたちってピンチ?」
「もしかしなくてもそうだよ。周囲は敵だらけ。唯一の味方のポウラさんが捕縛。フローラ様の状態も不明だ」
「さらにウィル様の背中の傷は思ったよりも深いです……」
ルナマリアは悲しみを込めて主張するが、これしきの傷は傷の内に入らないと返す。ローニン父さんのような不敵な笑顔を浮かべるが、父さんのように上手くは決まらなかった。
ルナマリアは沈痛な面持ちを浮かべるが、意を決すると僕に決断を求めた。
「このままここに籠もっていても事態は悪くなるばかり。こちらから打って出ないと」
「そうだね。でも闇雲に飛び出すのは危険だ」
巫女たちは皆、神官戦士としての訓練を受けている。無論、一対一では絶対に負けないだろうが、それでも数で襲いかかってこられたらひとたまりもない。よしんば彼女たちを倒せたとしても後味の悪さしか残らない。彼女たちは自分の意志で僕を憎んでいるわけではないのだ。
「巫女さんたちを傷つけないためには接敵しないことが一番だな」
「それしかありませんね。しかし、幸いなことに我々は『潜入任務』に長けた人材です」
「そなの?」
イージスは「初耳」と尋ね返す。
「私は目が見えない分、聴覚が優れています」
「たしかに」
「巫女の足音や話し声をあまさず聞き取ることが出来る」
「スパイにもってこいだ」
「それにウィル様の洞察力と観察力は語るに及ばず」
「それもあるね。いや、それがすごいのかも」
「というと?」
「いや、長年、剣豪や賢者の類を見てきたけど、ウィルの凄さはその知恵だと思うんだ」
「たしかに」
ルナマリアはうなずく。
「どのような強敵にも臆さず、窮地に陥っても思考を放棄することなく最善手を取り続けることができる稀有な才能をお持ちです」
「そうそう。そんな人間、齢一〇〇〇歳のボクですら見たことがないよ」
「聖なる盾ですらそうなのですから、私もです。もしかしたら未来永劫、ウィル様を超える人材など現れないかもしれません」
「かもね。でも、それを知るためにももう少し長生きしないと」
盾がそのように纏めるとルナマリアもうなずく、
僕たちはそのまま神殿の最深部に向かった。ポウラが幽閉されているのだとすれば警備が厳重なところにいると思ったのだ。
僕たちの想像は当たった。途中、巫女たちのこんな会話を聞く。
「ポウラ……さ……ま……はいまだに洗脳蟲を飲まれ……ない……」
「我……々の同志になれ……ば……いい……ものを……」
その後、彼女たちはポウラの居場所まで話すことになるのだが、居場所よりも重要なのはポウラがまだ洗脳されていないということであった。
「ポウラさんを奪還、その後、フローラ様のことを協議する。いけそうだね」
「はい、三賢母のひとりが味方になってくれれば心強いです」
その通りだったので幽閉場所である座敷牢へと向かう。座敷牢とは普段の生活スペースに檻をつけたもののことだ。貴人や不具者などが隔離される居住空間のことを指す。
「大地母神の教団にも稀に隔離しなければいけないほど心を病むものが現れますから……」
ルナマリアは寂しくつぶやく。そのようなものが出ることもだが、そのような施設があること自体、心優しいルナマリアには看過出来ぬものがあるのだろう。
その優しさに改めて感服したが、今はその是非や人権について語るときではなかった。
ポウラを救出する。
そのためにどうやって座敷牢に近づくか、どう上手く潜入するか、それを考えるのが先決だった。
潜入調査を進める。
ルナマリアの聴覚を頼りに接敵を避け奥に進み、どうしても回避できないときは僕が魔法で音を飛ばして巫女さんたちの注意を引いたり、ときには《透明化》の魔法で回避したりする。そのような塩梅で座敷牢の側まで来るととある事実を思い出す。
「当たり前だけど、座敷牢は施錠されている。鍵を見つけないと」
「魔法で解除できないの?」
「それは無理だと思う。大地母神教団の座敷牢ならば《魔法対策》はバッチリだと思う」
ルナマリアに軽く視線をやると、彼女はこくりとうなずく。
「まずは鍵を入手しないといけませんが、どこにあるのやら……」
ルナマリアは途方に暮れる。
巫女たちは洗脳蟲で洗脳されていたが、皆、無秩序に僕を探していた。ゆえに比較的簡単にここまでやってこられたのだが、今はそれが仇となっている。秩序だって組織化されていない分、誰が鍵を持っているのか、まったく分からないのだ。未成年と思われる巫女も、老女と思われる巫女も、皆、ゾンビのように徘徊しており、上意下達の指揮命令系統はなさそうであった。
「こうなってくると誰が鍵を持っているか分からないな……」
「じゃあ、歩いている巫女さんを片っ端からぶん殴ってジャンプさせよう。じゃらじゃら音を鳴らせば持ってるはず」
名付けて昭和の不良作戦、だそうだが、意味が分からないので却下。巫女さんはなるべく傷つけたくない。そう思っているとルナマリアがなにかに気が付く。
「ウィル様、イージスさん、お静かに!」
神妙な面持ちになるルナマリア、僕は即座に歩みを止めるが、イージスは「トイレ?」とのんきに歩く。僕は彼女のツイン・テイルを引っ張ると、「むぎゅう」っと黙った。
ルナマリアは、
「なにか物音が聞こえます。――座敷牢から」
と言葉を発する。
「……ポウラさんかな?」
「十中八九。――ただ、言葉ではないのです。なにか固いもので壁を叩く音が断続的に聞こえます」
「穴を掘っているのかな。脱出の定番だけど……」
「違うと思います。そのような力強い音ではない。リズミカルではありますが、洗練されていない感じ、不規則です」
「石を叩く不規則な音か……」
僕は首をひねる。ポウラさんは知的な女性、意味もなくそのような真似をするとは思えなかった。おそらく、なにか意味がある行為なのだろうが、皆目、見当が付かない。
頭に霧が立ちこめるが、それを払拭できそうな気配もあった。脳裏に保管された記憶の層が刺激されているのだ。知能方面の師匠であるヴァンダル父さんの言葉を思い出す。
「ウィル、遠くにいる相手に自分の意志を伝えるにはどのような魔法を用いればいい?」
「《念話》だね。相手の心に直接語りかければいいと思うよ」
「では結界などによって魔法を封じられていたら?」
「うーん、ならば《拡声》かな。大きな声で話し掛ければいいと思う」
「それでは喉が潰されていたら?」
「えー、それはもう無理だよ。相手になにも伝えられないよ」
「そんなことはないぞ。どんなに離れていても、声が出せなくても、魔力がなくなっても会話は出来る」
「どうやって?」
「それはモールス信号じゃな」
「モールス信号?」
「そうじゃ」
「へえ、初めて聞いた。父さんから貰った魔法辞典には載っていなかったよ」
「そうじゃろう。これは魔法ではない」
「魔法じゃないんだ」
「そう。これは技術じゃな。昔、異世界からやってきた〝えんじにあ〟なる職業のものが広めた」
「へえ」
「この方法を使えば魔法も使わずに相手に意思疎通が出来る。山に出入りするレンジャーや神職のものが稀に使う」
「ふむふむ」
「我らはつい便利だから魔法に頼ってしまうが、いつなんどき魔法が封じられるか分かったものではない」
「そうだね。あらゆる対策はしておくべきだね」
「そう。転ばぬ先の杖。というわけで今日の授業はモールス信号じゃ」
「わーい」
無邪気に手を挙げ、喜ぶ僕。見知らぬ知識を吸収するのはなによりも楽しいのだ。
ヴァンダルとのやりとりが明瞭になる。
「……モールス信号」
そのようにつぶやくとルナマリアがはっとした表情をする。
「たしかポウラ様のお父上は森の隠者でした。それにポウラ様は他の神殿との連絡役を務めていました」
「ということはモールス信号が使えるんだね」
「はい」
僕はルナマリアの顔をじっと見つめると、彼女にお願いをする。
「ルナマリア、今、ポウラさんが送っている信号を僕に口頭で伝えて」
ルナマリアはうなずくと、「ツゥ――、トントン」と信号を音読し始める。
僕は耳を懲らし、ヴァンダル父さんの授業を思い出す。
「いいか、ウィル、モールス信号は単純だ。その神髄は可変長符号化された文字コード、それがモールス信号だ」
父さんはさも簡単に言うが、モールス信号を覚えるのは一苦労だ。魔法言語よりも難解なところがある。しかし丸暗記できる言語でもあるので楽と言えば楽だが。そのように纏めると、ルナマリアの美しいトンツー発音を聞きながら、それをリアルタイムに翻訳する。
「か、ぎ――は、な――な――だんめ――のし――た?」
「鍵は七段目の下!」
途切れ途切れの言葉を明瞭な言語に直すとルナマリアの表情が輝く。
「分かりました! ウィル様!」
ルナマリアは言葉にするよりも早く、歩み始めると、座敷牢に続く階段の「七段目」を調べ始めた。石畳の階段、そのうちのひとつがぱかりと開く。
「先ほどここに足を付けたとき、妙な音がしたのです。空洞になっていたのですね」
「さすがはルナ坊!」
イージスはルナマリアを抱きしめ賞賛する。照れるルナマリアだが、空洞の中から素早く鍵を取り出すと、そのまま座敷牢に向かった。道中、巫女さんと遭遇してしまうが、強行突破する。ここまでは色々な手を使って回避してきたが、もはや小細工が通用する段階ではなかった。巫女さんの密度はとても高いのだ。僕とルナマリアが聖なる力や手刀で巫女さんたちを気絶させると、イージスが座敷牢の鍵を開ける。
「ぴったんこかんかん!」
叫ぶイージスに指示をする。
「中にいるポウラさんを助けてきて」
「合点承知の助!」
イージスは勇んで部屋に入るが、軟禁されているポウラさんを連れてくるのにどれくらい時間が掛かるだろうか。軽く焦る。なぜならば周囲にいた巫女さんの数が多かったからだ。傷つけぬように倒すのは想像以上に難しい、戦線を維持できるのはもって数分というところか。焦りが行動と言葉に出たのだろう。ルナマリアに見透かされる。
「ウィル様、ご安心を。座敷牢は単純な造りです。即座に救出できるかと」
「それは助かる。――でも、妙に遅くない? 室内で漫才でもしているのかな」
「まさか。イージスさんもそこまで馬鹿ではありません。すぐに出てきますよ」
「そうだといいけど」
七人目の巫女さんに手刀を決めた瞬間、イージスは出てくる。
にゅい、と扉の奥から顔を出す。
よし! これで離れられる!
そう思った僕だが、その考えは浅はかだった。
イージスの顔は真っ青に染まっていた。
両手を頭の後ろで組み、申し訳なさそうに、
「ご、ごめん、ウィル」
と涙目になっていた。
なにがあったんだ!? 僕は確認するが、イージスに遅れてポウラが出てくるとすべてを悟った。彼女は右手に小剣を持っていた。それをイージスに突き立て、勝ち誇った顔をしている。すべてを悟った僕は、今の状況をルナマリアに説明する。
「…………どうやらポウラさんはとっくに洗脳されていたみたいだ」
「な!? 本当ですか? ウィル様!?」
その言葉ににたりと呼応するポウラ。
「ふふふ、相変わらず人を見る目のない娘ね、ルナマリア。お人好し過ぎるわよ」
「お人好しならばポウラ様も負けていないはず。多く貰ってしまった釣り銭を返すため、二〇キロ離れたパン屋に夜通し歩いたこともある方ではないですか」
「そうね、うふふ」
「あなたのような正直で清廉な司祭が演技できるとは思えません。幽閉されたあとに洗脳されたんですよね?」
「違うわ。わたしたち三賢母は同時に洗脳蟲を飲まされた」
「な……」
言葉を失うルナマリア。
「元々、適性が合ったのでしょうね。清々しい感じだわ。お人好しで人柄がいいだけの三賢母、裏で皆がそう陰口をたたいていたのは知っているけど、今はそんなことどうでもいいの。わたしはもっともゾディアック様に近しい存在、アニエスとミスリアよりもね。――ああ、なんて誇らしいのでしょう」
恍惚の表情を浮かべるポウラ。なんでもこの一連の策略は彼女自身が立案し、ミスリアと共に実行したらしい。
「なぜ、このようなことを――」
「それはゾディアック様のためよ。わたしはゾディアック様の忠実なしもべだもの」
「あなたのように信心深い方が……」
「信心深いからかもね。純粋な白は黒にも染まりやすいの。そういう意味ではルナマリア、あなたは洗脳しがいがあるわ」
ポウラはにたりと笑うと、巫女から「洗脳蟲」が入った籠を受け取る。
「そのような邪悪な蟲には屈しない!」
「強がっても無駄よ。巫女は蟲とか触手に弱いものだから」
「っく……」
唇を噛みしめるルナマリアだが、これ以上、好き勝手にはさせない。敵と分かった以上、遠慮などする必要はない。
僕は最後に、
「フローラ様も洗脳されているのですか?」
と尋ねた。
ポウラは邪悪な笑みを浮かべ答える。
「わたしたちの目の前で蟲を飲まされたわ」
「なるほど」
それが分かれば十分だ。もはやこの神殿に味方はいない。ここに留まる必要はない。そう思った僕は右手に聖なる魔力を込め、光の矢を放つ。
「な、馬鹿な。あなた、人質が見えないの?」
「人質? その子は盾だよ」
「く、神々に育てられしものは情がないの!?」
吐き捨てるように言うとイージスを蹴飛ばし、後方に下がるポウラ。
あなたもなかなか鬼畜ではないか、と思うが、言葉にはしない。彼女は報いを受けるからだ。
まっすぐに飛ぶ光の矢、それは先ほどまでポウラがいた場所に向かうが、当然、そこにはイージスがいる。このまままっすぐ飛べばイージスに突き刺さるだろう。
事実、矢はイージスに吸い込まれる。しかし当の本人であるイージスは平然としていた。
「まったくもう。ウィルは僕を人間の女の子として扱ってくれないよね。……まあ、そういうクールなところも好きなんだけどね」
など嘆く暇まである。
その余裕は脳天気から生まれているわけでない。互いの信頼関係から生まれているのだ。
僕は彼女が最強の聖なる盾であることを知っていた。
彼女は僕が一流の魔術師であることを知っていた。
それがこのトリックの仕掛けなのだが、ポウラはその瞬間まで想像することさえ出来なかったようだ。
光の矢はまっすぐにイージスに突き刺さるが、その瞬間、光が弾ける。
それと同時に「カキン」と音を鳴らし、光の矢は跳ね返される。
その光景を見てポウラは「なっ……」と絶句する。
そう彼女はイージスが元盾であることを知らなかったのだ。
聖なる盾であったイージスに聖なる属性の魔法の矢は無効であった。自称史上最〝鋼〟である彼女にとって聖属性の光の矢を受けても痛痒も感じない。それどころか〝反射〟する芸当さえ可能なのだ。
「人間の姿になっても聖なる属性ならば反射できると思ってたよ」
「パートナーの絆の勝利だね! ぶいっ!」
イージスによって跳ね返された矢はポウラに向かうと彼女に「衝撃」を与える。
刺突属性ではなく、衝撃属性を付与したのは、気絶をさせるためであった。ポウラは洗脳蟲によって悪意を露出させてしまったが、その根っこは善人だと思ったからだ。
僅かな時間しか一緒にしなかったが、食事の席で見せた笑顔が本来の彼女のような気がしたのだ。ほがらかに微笑み、大量のマッシュポテトを食べるポウラの姿が脳裏から離れない。その決断にルナマリアは感謝の念を述べてくれる。
「ありがとうございます、ウィル様」
「礼には及ばないよ。ポウラさんは僕にとっても友人だから」
ルナマリアは心底嬉しそうに微笑み返してくれるが、道理を弁えた娘でもあった。即座に倒れているイージスに手を差し伸べている。
僕は血路を開くために集まってきた巫女さんたちを倒す。大量の魔力を使い《睡魔の雲》を発生させ、一気に巫女さんたちから戦闘能力を奪う。前方に道が出来た僕たちはそこに飛び込むが、途中、悪寒を覚えた僕はルナマリアとイージスを突き飛ばす。
「ぎゃあー、なにをするのさ! 悪戯なら平常時にしてよ」
尻餅をついたイージスは僕に抗議を述べるが、ルナマリアの表情は真剣だった。僕が悪戯などするわけがないと信じ切ってくれているのだろう。その信頼に応えるため、僕は右手を構える。
手のひらから間断なく《火球》を放つ。
火球の魔法を連射できるのは魔術師の中でもごく一部、とのことであったが、僕は一〇歳の頃には連続で放っていた。ヴァンダル父さんもびっくりしていた僕の連弾は壁を突き破って現れた一匹の悪魔に襲いかかる。
青い甲冑をかぶった悪魔は炎に包まれるが、すぐに鎮火される。
絶対零度の魔力を放出させ、氷によって鎮火したのだ。
地獄の炎にも等しい本気の炎魔法をいとも簡単に消火するということはこの悪魔は相当に手練れだろう。その物々しい姿から僕はこいつが二四将であると察した。
その推測は正しかったらしい。
蒼い悪魔は冷静沈着めいた口調で、
「我が名はソウエイ」
と名乗った。
「ソウエイか……」
強そうだな、と漏らすと反対側の壁が崩れ去る。
イージスは「ひい」と怯える。そこから出てきたのは赫い甲冑を装着した悪魔だった。
「ふはははー! ソウエイ、抜け駆けとは汚えじゃねえか」
「グホウか……」
「そうだ。俺様の名はグホウ。二四将最強の炎使い」
「そしてソウエイが氷使いってところか」
「そういうこと。見た目まんまだな」
ぐははは、と笑うグホウ。氷使いはクール、炎使いはうざい、キャラクターも分かりやすくて助かる。
「しかし、ここにきて二体同時に二四将か。ゾディアック教団の幹部はよっぽど僕が目障りなんだね」
「そういうことだ。ウィル、おめーはちっとばかりやり過ぎだ。いったい、ひとりで何体の二四将を倒す気だ」
二四すべて、と言いたいところだが、そうもいかないだろう。
「神々に育てられしものよ、おぬしは教団の最重要敵対者として認知されている。もはや各国の首脳よりも厄介な位置にいる」
「過大評価だとは思うけど、そうはありたいな」
「そんなものを殺したとあれば、我々は二四将でも筆頭の立場になれる。ゆえに始末にやってきた」
「なるほど、功名心か。ならば理解できるよ。大地母神の教団を乗っ取ったのもそのため?」
「それは教団の幹部たちの仕業だな」
「そういうこと」
「ちなみにおまえたちの指揮系統が分からない。司祭の支配下にいた二四将もいれば、勝手に動き回っているのもいるの?」
「俺たち二四将も色々あってね。聖魔戦争のときに次元の彼方に封印されたんだ」
「今、ここにいるのは仮の依り代。本体は次元の狭間にいる」
「司祭に次元の狭間から召喚されれば司祭の支配下に。自力でやってくれば自由自在に意志を持つ」
「なるほど。おまえたちは後者か」
「それは違うな」
「なんだって? 支配者がいるのか? それはこの近くにいるのか?」
「教えられないねえ」
「まあいいさ。どうせ醜怪な顔をしたやつだろう」
「まさか。活きのいい美人だよ」
グホウは茶化すように言うが、ソウエイはそれ以上しゃべらないように制す。
「我々はとある聖職者に召喚されたが、自由意志によってここに立っている。教団の小賢しい幹部どもがなにをしようとも関知しない。ただただ、武勲を立てるのみ」
ソウエイはそう言い放つと、氷の槍を出現させ、それを投擲する。その速度、鋭さ、すべてが特筆に値した。本来ならば避けるべき攻撃であったが、魔力の盾を作り、いなす。後方の巫女たちに当たるのを避けるためだった。
「優しいねえ、神々に育てられしものは」
「そこに付けいるか?」
「俺たちは武人だ。そんな卑怯な真似はしねえ」
「ならば逃がしてやるか」
「まさか。そこまでお人好しでもねえよ」
そう言うとグホウも火球の連射を放ってくる。僕以上の数、威力でだ。さすがは炎使いである。なんとか魔法の盾で受け止めるが、それも数度であった。魔力の盾が消滅すると同時に、僕は窮地に立つが、打開策も心得ていた。
「ルナマリア、神々の秘奥義を使うよ」
その言葉に反応をしたのはイージスだった。
「神々の秘奥義? そんなの初耳だけど」
一方、ルナマリアは心得てくれているようで。
「アレを使うのですね」
と即座に僕の意図を察してくれた。
「熟年カップルかよ、ペアルック夫妻かよ!」
僕たちのあうんの呼吸に突っ込みを入れる盾であるが、長年ともに旅をしてきたふたりの絆はそれくらいに強かった。黙って連携を始める。
ちなみに秘奥義の名は「三十六計逃げるにしかず」という。
由来は異世界の斉という国の兵法書の言葉である。一言でいえば逃げるが勝ちということだ。
不利だと自覚したときは逃げるに限る。相手の有利な状況で戦うのは下策中の下策だった。
蒼と赫の騎士を相手にしながら、無数の巫女さんと対峙するのは愚か者のすることであった。
ポウラさんが洗脳されている以上、ここはいったん引いて体勢を立て直すのが上策。
そう思った僕は撤退を始めるが、その刹那、強大な力を感じた。
危ない、と思った瞬間、聖なる力が僕の真横を通り過ぎる。
巨大な聖なる手が通り抜ける。
神の手が僕の横を通り抜けたのだが、命中しなかったのは僕の反射神経が良かったからではない。単純に神の手の使い手が僕に当てる気がなかったからだ。
彼女は僕の横にいたイージス目掛け、神の手を解き放つと、彼女を鷲掴みにした。神の手に束縛され、苦痛のうめきを上げるイージス、しかし使い手にイージスを捕殺する意志はないようだ。僕は使い手を見つめる。そのものは想像通りの人物だった。
「……そりゃそうか。このような強力な神聖魔法の使い手がふたりいたら堪らない」
神の手の使い手は案の定、フローラだった。彼女の後ろには残りの三賢母、ミスリアとアニエスが控えていた。アニエスはどうやら完オチしたようで、邪悪な気配を漂わせていた。ミスリアは恭しく大地の鎧を掲げている。彼女はこのように口を開く。
「大地の鎧、聖なる盾、ゾディアック様復活の障害となる聖具をふたつ押さえました。光の陣営の弱体化は免れません」
「……ご苦労様、アニエス、ミスリア、ポウラ」
「あとは神々に育てられしものを始末すれば重畳」
「……そうね。この少年がいなくなれば、邪神復活は定まったも同然」
「今、ここで討ち果たすべきです」
そう言うと邪悪なオーラを纏わせ、小剣を抜き放つふたりであるが、フローラはそれを制する。
「いえ、もう十分です」
「どういうことですか!?」
珍しくいきり立つミスリア。
「聖なる装備はすべて我々の手中です。それに神々に育てられしものの性格ならば必ず奪取を図るはず。必ずあなたたちを救おうとするはず」
「つまりここで逃してもまたやってくる、と?」
「そうです。ポウラは戦闘不能、アニエスも邪神に屈して間もないので力を十全に発揮できない。ここで体勢を立て直したいのはこちらのほうです」
「……たしかに。分かりました。ここはやつらを逃がしましょう」
そう言うとミスリアは道を空けた。僕たちはその横をすかさず通り抜ける。
途中、フローラ様、いや、フローラと目が交錯したが、彼女の眼力は尋常でなかった。
歴戦のもののふ、悟りを開いた聖者を彷彿とさせる。
ここで戦っても彼女たちが勝つ公算が高いような気がした。
圧倒的武威と畏怖を感じさせる瞳であったが、それと同時に「悲しみ」の成分を感じるのは気のせいだろうか。一瞬、意識を集中させてしまうが、止まることなく、彼女たちの横を駆け抜けると、僕たちはそのまま地下に潜った。
こうして僕たちは地下に潜伏することになる。
ウィルとルナマリアがいなくなった空間をぼんやりと眺めるフローラ。
しばし見とれるフローラだが、ポウラが気が付くと、彼女に意識を集中させる。
「ポウラ、おはよう」
「……フローラ様?」
「どう? 邪神に洗脳された気持ちは」
「……清々しい上に高揚感を感じます。力が何倍にもなったような」
「事実、あなたの力は何倍にもなっているわ」
ミスリアが補足する。
「それは有り難いわ。どんどん力強くなっている。今ならあの少年を倒せそう」
それはさすがに自信過剰すぎるのだが、フローラは指摘せずに言った。
「ところでミスリア、開けた道は試練場に続くものですね?」
「もちろんです。あそこならば袋のネズミですから」
「よろしい。この神殿にいる巫女をすべて集めなさい。封鎖をするのです。それと神殿を囲んでいる教団兵に連絡を」
「教団の手を借りるのですか? 我ら大地母神のものだけで十分では?」
「我々は新参もの。功績を立てすぎれば幹部に恨まれましょう」
「なるほど、あえてゾディアック教団に功績を分かち与えるのですね」
「そういうことです」
「さすがはフローラ様、その深慮遠謀、感服いたします」
平伏するミスリア。フローラは気にすることなく、準備を始める。
地下の試練場に潜るのだから、それなりの準備が必要だと思ったのだ。大地の試練場は大司祭フローラですら入ったことがない魔境、どのような仕掛けがあるか分かったものではなかった。今のフローラは油断することが絶対に許されない立場であった。
入念にことを進めなければ「計画」が台無しになってしまうのである。
フローラの悲願を達成するには、薄氷の上に石積みの塔を建てるような繊細さが必要なのである。




