表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
164/180

血塗られた豹

 大地母神教団の朝は早い。

 鶏どころか太陽よりも早く目覚めると、朝の修練の準備を始める。巫女は沐浴や水垢離をし、神の声を聞こうと尽力する。見習い巫女は朝餉の準備や掃除を始め、巫女や司祭が修行に集中できるように努める。一部の遅滞もなく繰り広げられる日常、いつもと同じ朝。

 ひとつだけ違うところがあるとすれば今日は客人がいるということだろうか。いつものように朝の日課をこなす大地母神の女性たち、彼女たちの勤勉さを見つめるのは僕。朝餉の準備に加わろうとすればやんわり断られ、掃除をしようとすれば黙って掃除道具を没収される。無論、沐浴などは手伝うことは出来ない。完全に客人扱いであるが、それも仕方ない。大地母神の教団は女性のみで構成された宗教団体、男子である僕は異分子以外のなにものでもない。お手伝いをするほうが邪魔になるのだろう。そう思った僕は神殿の庭で素振りをすると、朝食の時間を待った。

 朝食は質素なものであった。昨晩の歓待は異例のことで、今日の朝食が平常のものらしい。イージスは味気ないと不満を漏らしていたが、僕は巫女たちを見習うように勧める。彼女たちは粗食に文句をつけることなく、美味しそうに食事を食べていた。無論、食事の前のお祈りも欠かさない。イージスにも見習うように勧めるが、彼女には暖簾に腕押しのようだ。


 一五分ほどで食事を摂り終えるとそのまま神殿の奥に向かう。

 奥に進むほど物々しくなるのは重要な宝物などが安置されているかららしいが、僕たちはその中でも一番最高のお宝を取りに行かなければいけない。神官戦士たちが守護する扉を何個か抜けると、ひと際大きな門が見えてくる。

古めかしくも美しい意匠が凝らされた門だ。おそらくこれが大地の鎧が安置されているという試練場に続くという門であろう。 同行している三賢母たちが鍵を開ける瞬間を見つめる。

彼女たちが懐から取り出した鍵は眩い光を放つと、かちゃりと音を上げる。ルナマリアはごくりと喉を鳴らす。

「試練のダンジョンの扉が開くのは聖魔戦争以来のことです」

と説明をしてくれる。由緒正しいダンジョンなのです、とのことだが深さはどのくらいなのだろうか? 尋ねてみるが、彼女は明確に答えることが出来なかった。

「この世で最も深いとも、地獄の底に繋がっているとも言われています」

正確な情報がないのは辛いが、数千年近く潜ったものがいないのならば仕方ない。仮に地獄の底まで通じていたとしても潜るしかないのだ。

大地の鎧を手に入れれば、ゾディアック打倒の第一歩となるかもしれない。そう思った僕は大地の試練場とあだ名されるダンジョンを潜った。

 大地の試練場の第一階層は人工的なダンジョンであった。かなり広く、丁寧な造りだ。質実剛健な大地母神の教えにそぐわないような気がする――。

お上りさんのように観察していると、三賢母のひとりが僕の心中を察したようで。

「このダンジョンは教団が作ったものではありません。聖魔戦争のときの遺跡を利用したものです」

 ミスリアさんの説明にポウラさんが補足する。

「この遺跡は元々、ゾディアックを祀るものでした」

「え? そうなんですか? まったく、邪悪な雰囲気はありませんが?」

「大地母神様が浄化しているのです。そもそもこの穢れた遺跡を浄化するためにここに神殿が建てられたと伝わっています」

「なるほど、合理的だ」

「大地は時間を掛けて汚染された土地を浄化しますからね」

「ということは少なくとも第一階層ではモンスターとは出くわさない、ということでいいんですよね?」

「はい。この階層には不浄な生き物はいません」

 ポウラさんがそのように言い放った瞬間、前方に気配を感じる。

 三賢母のひとりであるアニエスさんは剣を抜き放ちながら皮肉に満ちた台詞を放つ。

「浄化されているんじゃなかったっけ?」

「…………」

 ポウラさんとアニエスさんは沈黙によって答える。前方からやってきたのはイクストルと呼ばれる夢魔だった。半透明の蛸のような化け物で、ゾディアックの代表的な眷属の一匹だ。

「まったく、第一階層からこれじゃあ、この先が思いやられるね」

 イージスはやれやれ、となるが、三賢母の皆さんは不敵に微笑む。特にアニエスは自信満々に一歩前に出ると、一瞬で消えた。

 ――次の瞬間にはイクストルは真っ二つになる。

 その光景を見て、イージスは、

「ごいすー!」

 と叫ぶ。

 ミスリアさんが冷静に評する。

「アニエス、少し腕が落ちた?」

「うっさいわね。最近、神事で忙しかったのよ」

「これで腕が落ちたのか……」

 是非、最盛期のアニエスさんとお手合わせ願いたくなった。

 僕は剣神の息子、強きものを見るとわくわくしてしまう悪癖があるのだ。しかし、今はその悪癖は封印しなければいけない。大地の鎧を手に入れるため、そのまま第二階層に向かった。


 結論から言えば大地の試練場の浄化は道半ばだった。見た目こそは清浄に包まれていたが、各階層は魔物で満ちていた。

 第二階層は「アーク・クラウド」と呼ばれるガス状の魔物が。

 第四階層は「ゼラチン・ウォール」と呼ばれるスライム状の魔物が。

 それぞれ襲いかかってきた。

 皆、瘴気に満ちた邪悪な土地にしか棲息しない魔物である。それぞれに手強い魔物として知られていたが、三賢母の皆さんは一撃で倒していく。

 最初こそその活躍を「ごいすー!」と喜んでみていたイージスであるが、まったく苦戦しない三賢母たちに飽きてきたようだ。最後のほうにはあくびをしながら「ごいすーごいすー」と言っていた。観客としては苦戦してほしいようだが、戦うほうとしてはこちらのほうが楽である、と主張するとイージスはこう反論する。

「違う違う。僕はウィルの活躍を見たいの。なにせウィル・ファンクラブ会員ナンバー001番だからね、僕は」

「いつそんなファンクラブが……」

「その歴史は古いの」

「そうなのか。でも僕の出番はなさそうだ。三賢母のみんなは強い」

「どれくらい強いの?」

「うーん、三人合わされば父さん母さんたちといい勝負するかも」

「神威を使わない三人?」

「そうだよ」

「なんだ、そんなもんか」

「そんなもんかは酷いな。神威を使わなくても父さんと母さんは地上最強の存在なのに」

「ちなみにウィルと比べたらどんなもん?」

「僕?」

 自分の鼻先を指さし、考察をするが、結論がまとまるよりも先に立ち止まる。三賢母のみんなも止まる。ルナマリアも。ひとり歩みを止めないイージスの肩を掴む。彼女は「ほへ?」という顔をしていた。

「それ以上は駄目」

「どうしたの? トイレ? 連れションする?」

 緊張感のない少女なので単刀直入に言う。

「イージスが見たかったものが見られそうだ」

「まじで? ボク、カピバラさんがみたい」

 わくわくと可愛いポーズを取るイージスだが、後方に下がって貰う。目の前に現れたのはカピバラさんではなかったからだ。先ほど出会った魔物たちとも比べようがない存在。邪悪な気に満ちたもの、悪魔のような出で立ちをしたもの。目の前にいるのはおそらく、ゾディアック最強の眷属、二四将の悪魔のひとりだった。山羊のような頭を持った悪魔は人間の言語で語りかけてくる。

「神々に育てられしもの、それに大地母神の司祭ども、よくぞここまできた」

「大地の試練場にまで悪魔がきているなんて驚きだ」

「いくらでも驚け。もはやおまえたち人間に安住の地はない」

「かもしれないね」

 そう言うと僕は一歩前に出て、ダマスカスの剣を抜く。

 三賢母も協力を申し出るが、それを制す。

「三賢母の皆さんは連戦で疲れているはずです。ここは僕が」

「しかし――」

 と続けるが、ルナマリアは、

「三賢母の皆様、ウィル様は悪魔との戦いになれております。一任しましょう」

 と口添えしてくれる。

「たしかに我々は悪魔と対峙したことがない」

「神々に育てられしものの実力を見るチャンスか」

「連戦の疲れを取らねば」

 そのような論法で彼女たちも一歩下がる。それが合図となり、僕の身体は消える。一瞬で懐に潜ると、山羊頭の悪魔の心臓に剣を突き立てる。

 その姿を見て三賢母は、

「す、すごい、なんてスピード」

「このわたしの目に映らないなんて……」

「しかも躊躇なく心臓を刺した。可愛い顔してやるじゃない」

 と評した。最後の評価は少しだけ不服だ。僕にも慈悲はある。心臓を刺したのはこの「悪魔」は心臓を刺したくらいでは死なないと知っていたからだ。 不用意に心臓をさらけだすオープン・スタンスの構え、この悪魔の弱点は心臓ではないことは明白であった。

 事実、山羊頭の悪魔はにやりと口元を歪ませると、刹那の速度で反撃をしてきた。ぶおん、

とものすごい音が耳元をかすめる。今の一撃を食らえば首から上が吹き飛んでいただろう。その光景を見てミスリアさんは言う。

「これが悪魔。そして悪魔との戦い方か」

「たしかに不用意に戦っていれば三賢母の誰かは死んでいたかもしれません」

 ポウラさんはうなずく。

「それにしてもウィルの強さはすごいな。どっちが悪魔だか分からない」

 アニエスさんはそのように纏める。ルナマリアは少し鼻高々だ。あの三賢母が恐れ入る戦い方をするものの従者であることはとても誇らしいことであった。――ただ、ひとつだけ気になることが。それは先ほどから三賢母のひとりの動きが不穏なことであった。

 彼女だけはウィルを賞賛するどころか、敵意を向けているような気がするのだ。まるで獲物を捕食しようとしている獣のようにウィルを見つめていた。無論、ルナマリアの気のせいのはずであるが、妙に気に掛かる。ウィルと一緒に旅をしていたせいか、彼に対する悪意に敏感なルナマリアであった。

(……気のせいよね)

 聖なる三賢母がウィルに敵意を向ける理由などひとつもない。考えすぎだろう、という結論に達したルナマリアは、ウィルに声援を送る。


 悪魔の物理攻撃をかわしながら、斬撃を加える僕。

 様々な悪魔と戦闘してきたが、この悪魔は搦め手を使わないタイプのようだ。

 かといって身体能力が特別優れているわけでもないようで……。つまり今まで戦ってきた悪魔の中でも最弱に分類される。そう思った僕は彼にトドメを刺そうとするが、その瞬間、脳裏に声が響く。


「――気をつけて」


 悪魔の攻撃よりもその声に反応してしまった僕は、思わず斬撃を止めてしまう。

 悪魔と戦いながらその声がどこからきたか考察するが、周囲に声の主はいなかった。

 しかし、その声にはどこか聞き覚えがある。

 そのように考察しているとさらに声が。


「気をつけて。その悪魔にではなく、あなたの後方に控える悪意に」


 悪意? 悪意とはなんですか? 心の中でそのように叫ぶが、回答は得られなかった。

 代わりに悪魔がものすごい形相で僕の心臓を穿とうとする。

 このままでは死ぬ。

 意識を戦闘に切り替えた僕は、必殺の一撃を放つ。ダマスカスの剣に魔力を込め、最速で袈裟斬りを決める。心臓を破壊してさえ死なない悪魔を殺すには、肉体そのものを抹消するしかない。それくらいの勢いで魔力を込める。この世にあるものすべてを断つ、そのような勢いと魔力を込めて放つ斬撃。山羊頭の悪魔はその攻撃を防げるほど強靱ではなかった。

「ば、馬鹿な、なんて一撃だ。この俺を雑魚扱いだと!?」

 それがやつの遺言のなったわけだが、弁護してやるのならば彼は決して雑魚ではない。

 僕が強すぎる、などという増長もしない。山羊頭の悪魔は二四将の中でも弱いだけで、十分強敵だった。一撃でけりを付けられるのは「後先考えずに」魔力を使い切れたからだ。

珍しく、僕の後方には仲間がいる。心強い司祭三人とルナマリアまで控えているのだ。ここで全魔力を使ったとしても魔力を回復する時間を得ることが出来る。

 それが今回の勝因であったが、そのことを説明する暇もなく山羊頭の悪魔は消滅する。やつが消滅した瞬間、僕は「しまった」と、つぶやく。ルナマリアは顔を青く染め上げる。

「ウィル様、もしかしてお怪我をされたのですか?」

 すぐに治療します。ルナマリアは袖をまくし上げるが、僕は笑う。

「いや、そういうわけじゃないよ」

「ならばなにがしまってしまったのですか?」

「いや、やつの名前を聞きそびれてしまって」

「まあ」

 と口を押さえるルナマリア。

「あまりにも早く倒しすぎて、名前を聞きそびれてしまったのですね」

「そういうこと」

 そのようなやりとりをしていると、三賢母の内、ふたりが拍手と共に僕を賞賛してくれる。

「さすがです、ウィル。神々に育てられしものの実力、しかと拝見させて貰いました」

「まさに神々に祝福されし子供、その実力、見事としか言いようがない」

 ポウラさんとアニエスさんの言葉であるが、気恥ずかしくもある。ルナマリアにさすウィルされるのは慣れたが、年上の女性、それも実力者に褒められるのはなかなかに照れるものがあった。ぼりぼりと頭をかくがその手もすぐに止まる。道の先に神聖な力を感じたからだ。ルナマリアも同様のようで、僕に意識をやる。

「ウィル様、大地の鎧のようです」

 そのように考察を述べる。

「最深部にあるんじゃなかったのかな。もう少しダンジョンは続いていると思ったのだけど」

 地の底まで潜る覚悟を固めていたのだが、ミスリアさんはこのような考察を述べる。

「大地の鎧もあなたに会いたがっているのかも。強力な鎧は意志を持つから」

 大地の鎧は大地を貫き、移動する力を持ち合わせているのかもしれない、と纏めるが、今は考察するよりも先に鎧と面会すべきだろう。そう思った僕たちは歩みを進める。すると大地を切り裂く鎧の姿が。結晶によって大地を割った鎧はタケノコのように突き出していた。なかなかに壮麗なオーラを纏っている、とても強力そうであった。神聖な武具との対面、思わず生唾を飲んでしまうが、ルナマリアが、

「この鎧はウィル様のものです。ウィル様に装備されることを望んでいるはず」

 そのような言葉をくれると、平常心を取り戻す。

 かつて大勇者が装備していたらしいが、この僕にも装備出来るのだろうか。目前に現れてくれたということは出来る可能性が高いのだけど……。どちらにしろ装備するしかない。そう思った僕は、一歩、歩みを進め、大地の鎧を手に取る。大地の鎧は鎧だというのにとても軽かった。金属で出来ているわけではないようだ。

「……これは藤の枝で作られているのかな」

 想像以上に軽いが、想像以上に強力な魔力を感じる。防御力は十分、ありそうだった。イージスが「ウィル、装備してみてよ」と囃す。たしかに装備できるか確認したほうがいいだろう。珍しくイージスの意見を採用しようとしたが、鎧を装備する動作は途中で止まる。

 殺気を感じたからだ。

後方からおどろおどろしい情念が降りかかる。消滅させたはずの悪魔の気配を感じた僕は、振り返る。見ればそこには肉片となった悪魔が蠢いていた。脳漿と目だけとなった悪魔は僕を睨み付けながら言う。

「見事だ。神々に育てられしものよ。まさか俺を倒し、大地の鎧のもとまでたどり付くとはな」

 敵の賞賛には裏がある。そう思った僕は剣の柄に力を込めるが、想像に反して悪魔の言葉は弱かった。

「我をここまで圧倒したものは、聖魔戦争のときにもいなかった」

「賞賛、有り難いけど、話はそれだけかな? 今からあなたを滅したい」

 剣に力を込めるが、山羊頭の悪魔は高笑いを挙げる。

「なにがおかしいの?」

「いや、貴様にもはや力がないのは知っているからな。魔力は空のはず」

「さすがに見破られていたか。……でも三賢母のひとたちは違う。弱ったおまえなど数秒で浄化してくれるはず」

「なるほど、たしかにそうだが、しかし、それは三賢母が協力してくれたらの話であろう」

「なにを言っている――」

 そのように尋ね返そうとしたが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。

 悪魔の予言を成就させるため、行動したものがいたからだ。彼女は蝙蝠のように素早く、梟のように狡猾に飛びかかってきた。後背――、最も安全だと思っていた場所からの攻撃、信頼していた人たちの中からの裏切り、僕は致命傷を避けるだけで精一杯だった。

 背中に激痛が走る。それと同時に大地の鎧を落とす。それを拾うとそのまま悪魔の方へ駆け寄るのは三賢母のひとりだった。彼女の名はミスリア、三賢母の中で最も聡明な女性であった。彼女は苦痛に歪む僕の顔を見ると愉悦に満ちた表情を漏らす。

いったい、なにが起こっているのか。

 激痛のさなか、考察するが、この異常事態を説明してくれたのは山羊頭の悪魔だった。

やつは高笑いを浮かべながら言い放つ。

「ふははは! やっと洗脳蟲が脳の中枢に至ったか。これでこの娘はゾディアックの忠実な下部」

「……なるほど、そういうことね」

 どうやらミスリアさんはゾディアックの連中に洗脳されているようで……。まったく、ソディアックの狡猾さには呆れるが、嘆いたところでどうにもならない。まずは大地の鎧を取り返したいところであるが、ミスリアさんはその鎧が僕の目当ての物であることを知っているようだ。距離を取ると魔物を二体、召喚する。二四将ではないが、それでも上級のデーモンが二体、現れる。厄介な相手であるが、二体をアニエスが引き受けてくれる。

「あたしがこの悪魔を倒す。ポウラたちは地上に向かってくれ。このことをフローラ様に報告するんだ」

 アニエスさんはそう叫ぶが、ポウラさんは首を横に振る。

「あなたを置いて地上へは行けません。仲間を見捨てるなんて」

「見捨てるんじゃない。邪教徒に打ち勝つためだ」

 悪魔をひとり斬り伏せると、アニエスさんは頭を抱える。

「……実はさっきからあたしの頭もガンガンするんだ。こんなの子供の頃に神酒をくすねて飲んで以来だ」

「は!? まさか」

「そういうこと。あたしの頭の中にも洗脳蟲がいるみたいだ」

「そ、そんな」

「いつの間に飲まされたやら。まったく、これだから邪教徒は」

 一通り邪教の悪口を漏らすが、それが済むとアニエスさんは冷徹に言い放つ。

「今はまだあたしの意志が残っている。しかし、それも永遠には無理だ。あたしがあたしである間にフローラ様に報告し、体勢を立て直せ。ウィル少年がいる限り、いくらでも勝機はある」

「アニエス……」

「アニエス様……」

「アニエスさん……」

 僕たちはそれぞれに漏らすが、アニエスさんの策は正しい。今、すべきなのはこの事態をフローラ様に報告し、援軍を請うことであった。大地の鎧は敵の手に落ちたが、今ならばまだ、奪還可能だ。なにせここは大地の神殿の地下迷宮。ゾディアックといえども容易に抜け出せるものではなかった。僕はアニエスさんに感謝し、ポウラさんに決意をうながす。

「彼女の意志を無駄にしてはいけません」

 その言葉によってポウラさんは決意すると地上に向かった。僕たちもそれに続くが、背中に傷を負った僕の歩みは遅い。僕はルナマリアに介護される形になり、ポウラさんとイージスに先行して貰うことになる。ポウラは微笑みながら了承し、イージスは「合点承知の助」なる意味不明な言葉を遺して地上に向かった。

 

 

 水鏡に映るウィルたちの行動。

 それをじっと見つめるのは大地母神の大司祭であった。

 大司祭フローラは裏切ったミスリアでもなく、足止めをするアニエスでもなく、地上へ急ぐポウラでもなく、ウィルを見つめていた。その瞳は達観、あるいは諦観の色で満ちていたが、フローラの心を計れる人間はいない。この部屋に人がいないということもあるが、フローラの心の底を察することが出来る人間などいないのである。

 それが寂しいことなのか、辛いことなのかは分からないが、フローラは〝とある〟目的を果たすため、身命を賭すつもりであった。そのためには一刻も早く、ウィルに試練を課さねばならない。

 なぜならば自分は――。

 胸を軽く押さえていると、部屋の中に気配を感じる。この部屋には人は入れない。強力な結界を張っているため、巫女程度の魔力では通過できないようになっているのだ。そのような場所に〝人〟が現れるはずなどない。そう思ったフローラは恭しく頭を下げると、〝神〟に敬意を表した。

「この世界に残りし古き神々の一柱、無貌にして無限の顔を持つもの、万能にして全能の神」

 過剰な形容ではない。目の前にいる牡鹿はこの世界にいる数少ない古き神々だった。この世界の創世に関わっている神々、この世界を作り出した造物主のひとりなのだ。大地母神も古き神々の一柱であり、大地母神に仕える司祭としては、礼節を尽くさないわけにはいかなった。

 ゆえに結界を破って入ってきたことも咎めることはない。立派な牡鹿に頭を下げていると、無貌の神レウスは言った。

「初めまして、大地母神の大司祭よ」

「お初に目に掛かります」

「おまえの噂は聞いている。大地母神教団に現れた麒麟児。数百年にひとりの逸材だと」

「いつの時代も噂は無責任です」

「そうかな。もしも聖魔戦争のとき、おまえが光の陣営にいればもう少し楽に勝てたと思う」

「過分な評価です」

「過分なものか。その溢れる聖なるオーラ、もはや神威と見分けが付かない」

「恐れ入りたてまつります」

「しかし、解せないな」

「――解せない、と申しますと?」

「そのような強大な力があるのに、なぜ、このようなことをする」

「このようなこと? 大地母神にお仕えするのは異なことですか?」

「違う。おまえの信心は疑っていない。だからこそこのような愚挙に出ることが納得いかないのだ」

「……なんのことでしょうか?」

「ときには腹の探り合いも楽しいが、今はそのような暇はない。なにせ息子の安否が掛かっている」

「…………」

「単刀直入に言おう。なぜ、ウィルの邪魔をする」

「邪魔とはこのことですか?」

 フローラは水鏡の上に指を突き出すと、短刀で指先を切る。たらりと流れる赤い鮮血、それがウィルの顔に掛かると彼の顔が滲む。するとウィルの目の前に鬼火(ウィル・オー・ウィスプ)と呼ばれている魔物が現れる。青白い炎の化け物がウィルを襲う。本来のウィルであれば一蹴できる程度の魔物であるが、今の彼は手負いだった。苦戦を強いられている。

「これは試練です。神々に育てられしものを育てるための」

「はて、そうかな。我には殺意が見て取れるが」

「見解の相違です」

「では後日、裁判でもしようか。それまでは妨害行為の執行を停止してほしい」

「それは無理です。私はとある方々とウィルさんにあらゆる妨害をすると約束してしまったのです」

「なるほど、大地母神の信徒は約束を守ることで有名だ。しかし、今回ばかりは破って貰おう」

「無理です」

「なぜだね」

「それは――」

 フローラは懐から秘薬を取り出す。禍々しく、瘴気に満ちた秘薬だ。神々しさなど微塵もない。フローラはこれをばらまき、ウィルを妨害せよ、という命令を受けているのだ。部屋の隅を見るとそこには蝙蝠が一匹いる。今もあの蝙蝠を通して監視をされていた。

薬を撒かねば、あの蝙蝠の主、つまり「ゾディアック教団」の不興を買ってしまう。そう思ったフローラは無言で秘薬をばらまこうとするが、レウスはそれを止める。神気に満ちた風の刃を放ってきたのだ。フローラはそれを寸ででかわすと問うた。

「話し合いの余地はなさそうですね」

「そうだな。惜しいことだ。お主は光の陣営の柱となってくれると思っていたのに」

「私もそうありたかった。しかし、運命がそれを許さなかったのです」

 フローラも神々しい神気をまとうと臨戦態勢になる。

「大地母神と無貌の神は盟友と伝えられていますが、手心は加えませんよ」

「望むところだ。こちらもゾディアックに屈した黒き司祭に手加減などせんよ」

 ふたりの視線が交差する。

 万感の思いが錯綜した視線が交差すると火花が散る。

 無貌の神レウスは一瞬で豹に化身するとフローラの喉を食い破ろうとする。

 フローラは錫杖に魔力を込めると、一撃でレウスを消し飛ばそうとする。

 達人同士の一戦、人外の力を持ちしもの同士の攻撃、室内は強力な魔力で満たされるが、決着は一瞬で付いた。

 世界最強の力を持つものたちは互いに時間がないことを知っていたのだ。

 ゆえに最初から相手の命を絶つ最高の一撃を放ったのだが、その一撃が決まったのは――。


 数十秒後、強烈な爆音を聞いた巫女たちはフローラが立ち入り禁止にしている間までやってくる。部屋の中を覗き込んでいいものか、巫女たちは逡巡するが、誰かが開けるしかない、と言い放つと一同を代表して、一番年嵩の巫女が扉を開ける。

 ゆっくりと開かれる大きな扉。

 巫女たちが見たものは血だらけの――。

 血だらけの豹であった。

神々に育てられしもの、最強となる 小説版 5巻、2月20日発売!


最強不敗の神剣使い 小説版 1巻も同時発売!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ