大地の鎧
村人を救出した大地母神の教団、そのまま護衛を何人か残し、神殿に撤収する。
道中、なぜ、神殿のお膝元である村でこのような事件が起きたのか、三賢母のひとりに尋ねる。三賢母のアニエスさんは「分からない」と首を横に振った上で、こう答えた。
「ゾディアックの魔の手であることには変わりない。やはりゾディアックは討つべき存在だ」
その言葉にポウラさんも賛同する。
「ゾディアック教団は闇の陣営、大地母神教団は光の陣営です。永遠に相容れることはないでしょう」
温厚な彼女が言うのならばその通りなのだろう。しかし、問題なのはゾディアックが大地母神の神殿の喉元まで侵入していたということだ。悪魔の熊、それにワームの群れについて尋ねる。ポウラさんは神妙な面持ちになると、吐息を漏らす。
「このようなこと、大地母神教団の歴史数千年の中でも初めてのことなのです」
「やはり異常事態なのですね」
「はい。おそらくはゾディアックの仕業だと思われますが、早々簡単に聖域の中には入れるはずがないのですが……」
溜め息を漏らすと、なぜでしょうか? と僕に尋ねてくるポウラさん。なぜでしょうかと言われても部外者である僕に分かるわけもない。そのように返答すると、「ですよねえ」と再び溜め息を漏らすふくよかな女性。意気消沈な彼女に追い打ちを掛けるかのようにミスリアさんが報告をしてくる。
「手の空いている巫女に聖域の結界を調べさせたのだけど、何者かによって破壊されていたわ。――内部から」
「内部!?」
その言葉を聞いたポウラさんとアニエスさんは眉をひそめる。
「内部からということは教団内の誰かが――」
ポウラさんの言葉がそこで止まったのは、アニエスさんが「滅多なことを言うものではない」と口止めしたからである。味方を疑うようになったら敵の思うつぼだぞ、というのが彼女の主張であった。しかしだからといって調査をしないわけにはいかない。三賢母たちは直属の部下たちに調べさせることにしたようだ。
このように襲撃事件は展開していくが、もうひとつ気になることが。ルナマリアの様子がおかしいのだ。先ほどから心ここに在らずという顔をしている。
教団内に裏切り者がいるかも知れないという事実はそれほど衝撃的なのだろう、と口にすると聖なる盾であるイージスは「違うよ」と主張する。
やれやれ、というポーズとともに、
「ウィルはルナマリアのどこを見ているんだい。おっぱいしか見ていないんじゃないの?」
と呆れた。
そのようなことはないと反論すると、イージスは冗談だよ、と村のほうを指さした。
「ルナマリアが集中しているのはあれだよ」
「あれ……?」
イージスが指さす方向を見てみると、そこには先ほどの御婦人がいた。サイナさんだ。どうやら三賢母たちが鱗甲のワームの腹を切り裂き、救出してくれたようだ。彼女は愛しい娘をぎゅっと抱きしめている。麗しい親子愛であるが、この光景を見てなぜ、放心しなければいけないのだろうか? そのように考えているとルナマリアはこのように漏らす。
「……サイナさんは我が身も省みずに子供を助けた。今も宝物のように娘さんを抱きしめている」
その台詞でルナマリアの心境を察した。世間一般の親子関係というものを改めて考えているようだ。僕はルナマリアの母親の姿を探す。
大司祭フローラ様はすでにこの場にいなかった。義理の娘の奮闘を称えることなく、神殿に戻っていた。酷薄というのは正しくないだろうが、サイナさんとは雲泥の差であることはたしかだった。しばし、彼女の哀愁漂う姿を見つめるが、ルナマリアはくるりと振り向き、
「ウィル様、世間の親子というのは皆、ああいうものなのでしょうか?」
と尋ねてきた。
「…………」
僕はルナマリアに慰めの言葉を掛けたかったが、それは出来ない。父と母に甘やかされて育ってきた僕に「肯定」も「否定」も出来ないと思ったのだ。
僕はただ、
「親子の形は人それぞれだよ」
と一般論を語ることしか出来なかった。
悔しくも情けない回答である。いわば僕は逃げ出したのだ。どのような魔物にも、悪魔にも臆することはなかったのに……。そのように下唇を噛みしめ、空を見上げるが、そこには一匹の鳥が舞っていた。
レウス父さんだ。今こそ導きの言葉が欲しかったが、父さんはなにも言わずに僕たちの頭の上を旋回するだけであった。
†
神殿に戻ると湯を勧められる。元々、お風呂を用意して貰っていたということもあるが、先ほどの戦闘で泥だらけ、血だらけの僕たち、そんな格好で神殿の中を歩き回られたら堪ったものではないということなのだろう。
これから一連の事件と今後の対処について、大司祭フローラ様と話し合わなければいけないので、まずは身を清める。ルナマリアはさらに森に沐浴までしてくる。
イージスは、
「シズちゃんみたい」
とわけの分からないことを言うが、気にせず風呂を馳走になる。
大神殿の大浴場はとても広い。
ドワーフが作ったと思われる彫像が水瓶を持っており、そこからお湯が出ている。
客人用、あるいは団体客用の風呂で、滅多に使われることはないらしいが、それでも手入れが常にされているらしく、素晴らしい質のお湯が間断なく流れていた。
かぽーん、
と頭に手ぬぐいを乗せ、お湯を楽しむが、途中、イージスも乱入してくる。
はしたない、と、たしなめるが、彼女は平然と主張する。
「大地母神の神殿は女性の園なんだよ。女子用しかないの。そこを使っているウィルのほうが異分子なんだよ」
「…………」
なるほど、たしかにそうかもしれない。大地母神の神殿には男湯も男用のトイレもない。皆、女性用だ。僕のほうが異分子という主張はある意味説得力がある。なので手ぬぐいで目隠しをすることにした。
イージスは、
「ぷぷぷ、可愛い」
という言葉をくれるが、僕は無視すると、ルナマリアについて尋ねた。
「あの親子を見ていたルナマリアは少し変だった」
「だね。たぶん、色々と思うことがあるんだよ」
「サイナさんだけでなく、昔から仲の良い親子を見ると、ぼうっとしていた。たぶん、子供の頃に家族を亡くしたことが原因なんだろうけど……」
「それと育ての親であるフローラさんの厳しさも」
「かもしれないね」
「まあ、子供は親を選べないからね」
「そうだね。僕はとても幸せだったのかもしれない」
「だよ。もっと感謝しな」
「うん」
僕もルナマリアと同じように実の両親はいない。赤子の頃に万能の神レウスに拾われたのだ。以後、テーブル・マウンテンで優しくも厳しい父母のもとで育てられた。
ある意味、ルナマリアと同じ境遇なのだ。僕は仲の良い幸せな親子を見てもなにも思うことはないが、ルナマリアは違った感情を覚えるようで……。色々な感情が渦巻くことは容易に想像できるが、こればかりは彼女の問題であった。なんとかしてあげたいという気持ちを抑えつつ、僕はお風呂から上がる。
「ぞうさーん」
と叫ぶイージスを無視すると、そのまま身体を拭き、神殿の奥に向かった。そろそろルナマリアも戻ってくる頃だと思ったのだが、寸分違わぬタイミングで合流する。ちらりとルナマリアを見るが、彼女はいつもの気高さと神聖さを携えていた。
(……やはりルナマリアは強い子だ)
改めて彼女の強さに敬意の念を抱くと、そのままフローラ様に面会を求めた。
大司祭の執務室の扉を開く。
神殿は立派であるが、大司祭の執務室は呆れるほど質素だった。
飾り気のない机がひとつ、フローラ様が座っている椅子もとても粗末だ。まるでローニン父さんが日曜大工で作ったかのような出来映えの椅子だった。事実、その椅子は教団の巫女さんが作ったものらしい。
質実剛健を旨とする大地母神の教えを地で行くような部屋であった。改めて教団の素朴さに感心をしながら、室内を見渡すが、すでにそこには三賢母も揃っていた。皆、神妙な面持ちをしている。いや、それを通り越して好戦的なものもいた。無論、僕たちに対して憤っているのではない。ゾディアックにである。三賢母のひとり、アニエスさんは今にも剣を抜き放たんばかりにフローラ様に詰め寄る。
「フローラ様、堪忍袋の緒が切れました。今すぐにでもゾディアック教団の本部に乗り込みましょう。悪を滅殺するのです」
鼻息荒いアニエスさんを諭すは温厚な三賢母のポウラさん。
「アニエス、いけません。ここで檄すれば敵の思うつぼです」
「ポウラ、あなたはぬるすぎる。指導者たる三賢母のひとりがこんなだから、ゾディアックに舐められるのです」
「なんですって」
珍しく口論になるアニエスさんとポウラさん、ふたりはいくつかやりとりすると味方を増やそうとミスリアさんを見つめるが、彼女は沈黙によって答えた。そうなれば第四の権力者のルナマリアに視線が行くが、彼女は僕に丸投げをする気満々のようだ。
「私はウィル様の従者です。彼の意見に従うまで」
そのような態度を崩さなかった。そうなるとすべては僕に託されるが、客人が大地母神教団の命運を決めるわけにはいかない。僕はフローラ様に尋ねる。
「ゾディアックと戦う運命は変えられません。しかし、どのように戦うかは決められる。フローラ様はどのようにお考えですか?」
玉虫色の回答かも知れないが、アニエスさんとポウラさんは納得したようだ。
元々、フローラ様の答えに従うことは決めていたようで、先ほどのやりとりはある意味、僕を試していたのかもしれない。そう思ったが口にはせず、フローラの回答を待った。
彼女は岩となったかのように沈黙する。
「――――」
深淵で神々と対話をするかのように目をつむると、ゆっくりと目を見開いた。
「――大地母神教団は光の陣営、ゾディアック教団は闇の陣営。互いに妥協することは永遠に訪れないでしょう」
それには全員、同意だった。今さら異を唱えるものなどいない。
「今こそ、ゾディアック教団を滅するときです」
その言葉は決意に満ちていたが、ポウラが控えめに反論する。
「しかし、ゾディアック教団を滅ぼす力は我々にはありません。ゾディアックは有史より前から存在する邪教。その勢力は根深く、強靱です」
「各国の要人にも信徒が紛れ込んでいるとか」
「そのようですね。たしかに我らの教団だけではゾディアックは滅ぼせません。――しかし、我々には切り札がある」
「切り札……まさか!?」
ポウラさんは己の足下を見る。
「左様です。この神殿の地下にある宝物を使います」
「宝物とはまさか〝大地の鎧〟のことではありませんよね?」
「大地の鎧?」
僕が疑問符を口にすると、ルナマリアが答えてくれる。
「大地の鎧とは聖魔戦争のときに大地母神が大勇者に与えた鎧のことです。あらゆる厄災から身を守り、どのような矛も寄せ付けないとか」
「そんなすごい鎧があるんだね」
「はい。この神殿が建立されて以来、ずっと地下に安置されてきました。大勇者の後裔に託すためです」
「僕は大勇者の後裔じゃないけど……?」
「そうです。このものはたしかに凄まじい実力を秘めていますが、大勇者そのものではない。大地の鎧を使いこなすことは出来ません」
アニエスさんもそう主張するが、フローラ様はゆっくりと首を横に振る。
「たしかに大勇者にも勇者にも紋様がありました。その後裔と目されしものたちにも。しかし、私は常々、勇者は資格ではなく、〝ありようそのもの〟が条件だと思っています」
「ありようそのもの……ですか?」
ポウラさんは問い返す。フローラ様はうなずく。
「生き様、と言い換えてもいいかもしれません。私はウィルの行動を常日頃から見ていました。彼には勇者の紋様はありませんが、その生き様は勇者そのもの。いえ、勇者を凌駕しています」
周囲の視線が集まる。気恥ずかしい。
ルナマリアはそんな僕のことなど、気にもとめずに主張する。
「その通りです。ウィル様は勇者以上の存在です。剣の勇者様も、樹の勇者様も皆、ウィル様に心酔しています。ウィル様の行動によって人生を変えられました。そのようなことは選ばれしものにしか不可能です」
「たしかにその報告は受けているけれど……」
「ウィル様ならば必ず大地の鎧を手に入れ、ゾディアックを滅します。三賢母の皆様、是非、ウィル様のことを信じてください」
深々と頭を下げるルナマリア。教団の秘蔵っ子の必死の切願、それに指導者の言葉。両者、どちらも重い。三賢母は互いに顔を見合わせると、うなずき合う。
「分かりました。我ら三賢母、以後、ウィルさんに全面的に協力します」
「三賢母の皆様!」
ぱあっと目を輝かせるルナマリア。決意をした三賢母の表情も緩む。
「そうと決まったら善は急げです。さっそく、大地の鎧を取りに向かいましょう」
三賢母たちはそれぞれの懐から鍵を取り出す。
それは大地の鎧がある宝物庫に続く迷宮の鍵であった。三賢母の意志、それと大司祭の祝福が地下迷宮への鍵となるのだ。フローラはみっつの鍵に祝福を与える。すると鍵は黄金色に輝き始める。これで地下にある大扉が開くことになるのだが、フローラ様は、探索は明日にすると明言する。
「ウィルさんたちは今日、到着したばかり。疲れていることでしょう。探索は明日、教団の総力を挙げて行います」
三賢母たちはそれぞれにうなずく。フローラ様も同じように頷くと退出をうながした。なんでもこれから、各国の首脳に向けて、援助要請の手紙を書くとのこと。ゾディアックの伸張はもはや国家的危機と説き伏せるようだ。まったくもってその通りであったので、僕たちは退出することにした。
ちらりと手紙の受取人を見てしまうが、知り合いのクラウス卿やブライエンさん、アナハイムさんの名もあった。
フローラ様の部屋を出ると、ポウラさんが食堂に連れて行ってくれる。明日に備えてたくさん食べなさい、と山盛りのマッシュポテトをよそってくれた。獣肉やお酒なども振る舞われる。
大地母神教団は美食をよしとしないらしいが、ポウラさんだけは例外で、密かに美食を追求していたようで、とても美味い料理が並べられる。
この辺名産の馬鈴薯を使ったビシソワーズはとても美味しかったし、マッシュポテトの上に載せられた塩辛という食べ物はとても美味かった。馬鈴薯の素朴な甘みととても調和が取れているのだ。
文字通りお腹がパンパンになるまで詰め込むと、そのままそれぞれの個室に戻る。
明朝、大地の鎧調査団が派遣される。僕たちが主力となるので寝過ごすことなど許されない。夜明けとともに起きるためには余計なことはせずに寝たほうがいいだろう。
ユノやトランプをやろうというイージスを追い返すと、即座に眠りに付く。
目をつむると、大地の鎧について考察する。
(かつて大勇者がまとったという伝説の鎧か……)
最強の防御力に不可思議な力があるというが、問題は僕に装備できるか、であった。
かつて勇者しか装備できない聖剣を手に取ったことがあるが、見事に装備できなかった過去があるのだ。勇者の武具も装備できないのに、大勇者の鎧など、装備できるのだろうか?
ルナマリアは自信満々であったが、僕としてはあまり自信がない。それは肝心のフローラ様も同じようで……。彼女は大地の鎧を取りに行くことは勧めたが、僕が〝装備〟出来るとは一言もいわなかった。託すに足りるとしか言わなかったのだ。
あの神妙な表情、なにか深慮遠謀があるに違いなかったが、今の時点でそれがなんであるか、分からなかった。ただ、彼女はルナマリアの義理の母親にして師匠、なにか考えがあるに違いない。そう思った僕は素直に彼女の勧めに従うことにした。明日、地下迷宮に潜って、大地の鎧を手に入れる。
――それから。
それは未知数であるが、きっとゾディアック教団を殲滅できる。彼らの悪しき野望を阻止できる。いや、する。決意を新たにすると、僕は眠りに落ちた。
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