小竜蛇駆逐
ベッドに入ると即座に眠りの妖精が僕の枕元にやってくる。
ウィルは彼にその身を委ねると、眠りの世界の住人となった。
そのまま朝まで眠り続けるのだが、眠れないものがひとりいた。
そのものの名はイージス。
聖なる盾である彼女は擬人化したばかりで体力が有り余っているのだ。
無機物の盾とのときはなにも感じなかった光景も人間になると違ったものの見方になる。
例えばこの神殿の客間の天井も新鮮だ。
盾だった頃は天井にある染みを無意味に数えることくらいしかやることはなかったが、人間となってからはあらゆる角度で見ることが出来る。
ベッドの上、ベッドの下、時折、無意味に立ち上がって見たり、しゃがんでみたり、柔軟な身体を生かして己の股の間から見たりもする。そのたびに見える景色が変わる。まるで万華鏡のような景色が眼前に広がるのだ。
「世界って美しい!」
イージスはまさに今、生まれたばかりの赤子。なにをしても楽しい年頃なのだ。 そんな好奇心と体力の塊であるイージスがベッドで眠れるわけもなく、元気さを持て余していた。
「やべー、目が冴えて眠れない」
どうしよう、と部屋をぐるぐる回るが、すぐに頭の上に電球が灯る。
「眠れなければ寝なければいいじゃん!」
至極単純な結論に達したイージスは、そのまま部屋の外に出た。
夕刻の神殿、皆、忙しなく働いていた。
大地母神教団は地に足を根ざした集団、勤勉と勤労を美徳とするのだ。ゆえにサボるという概念がなく、常になにかしら働いている。そんな中、声を掛けるのは悪いなあ、と思ったイージスは、神殿を抜け出し、散歩することにした。
「そういえば神殿の裏に森があった。散歩にはちょうど良さそう」
神殿の付近の森ならばモンスターもいないだろうし、散歩には丁度いいだろう。
夕食まで二時間はあるし、ちょっとしたハイキングでお腹を減らしておくのも悪くない。
「擬人化して気が付いたけど、ご飯ってまいうーなんだよね」
何百年も生きてきたし、色々な相棒を見てきたけど、まさか食事があんなにも楽しいものだなんて夢にも思わなかった。
「ご飯食べたらうん○になるだけなのに、って思ってたのに」
食事を楽しむこと、美味いものに舌鼓を打つこと、楽しい仲間と一緒に食べること、それらは人間にしか出来ないことだ。食べることは人生を楽しむこと。大昔にそのようなことを口にしていた貴族の相棒がいたが、その言葉の意味がやっと分かった。食べることこそ人生、楽しむことこそ人生なのだ。
と言うわけで森に成っている木の実や野苺などを食べながら森を進む。
「もしゃもしゃ、まいうー」
徒然とお散歩。食事も楽しいが、お散歩も楽しい。
「モンスターも出ないし、最高だね。半年くらいここでゆっくりしたいなあ」
そのように独り言を言っていると、イージスの足が止まる。
「………………」
沈黙もしてしまうが、その理由はフラグを立ててしまったから。
「……あれ、ここは聖域のはずじゃ」
神殿といえば聖なる気で守られた聖域、邪悪なものは近寄らない。また大地母神の総本山ならば自警団が組織され、凶悪な魔物は駆逐されているはずであった。このような魔物と遭遇するなど、あり得ないことであった。イージスはしばし目の前の魔物、悪魔の熊に注目する。
「悪魔の熊は何十年も生きたグリズリーに邪悪が取り憑いた特殊個体、聖地には絶対現れないはずなんだけど……」
たらり、と冷や汗が流れる。聖なる盾のときはどのような敵と対峙したときも臆することはなかった。聖なる盾はどのような攻撃にも耐える無敵の盾、絶対に傷つくことのない身体を持っていたのだ。
――しかし、今は違う。擬人化したイージスの身体は脆い。人間の小娘と同じ脆弱な柔肌しかないのだ。事実、エビル・グリズリーの巨大な手がイージスの真横を通り過ぎた瞬間、イージスの頬が切り裂かれる。
「……かすっただけでこれね」
ぺろり、と己の頬を舐めるイージス。少し格好つけてみたが、この悪魔の熊に勝てるかは未知数だ。盾のときは負けることなどあり得ないが、今のイージスはとてもか弱い存在、戦闘力がないわけでもないが、慣れぬ人間の身体でどこまで出来るか、未知数であった。
「せっかく、ピチピチギャルの身体を手に入れたんだ。堪能するまで死ねないよ」
人間になったらやりたいことがいっぱいある。王都のお洒落なストリートでタピオカミルクティーを飲みたい。可愛いお洋服を着たい。イケメンとデートがしたい。盾のときに夢見たことをすべてしたいのだ。
そう思ったイージスは己の右手に魔力を込める。
イージスの右手が聖なる炎で真っ赤に燃える。
悪魔の熊を倒せと轟き叫ぶ!
「うぉー! 必殺のイージス・フィンガーだー!!」
魔力に満ちた一撃、イージス最強の技が熊の顔に直撃する。
「ヒーット・エンド!!」
そう叫んだ瞬間、熊の頭部で爆発が起きる。普通の熊ならばその一撃で昏倒、あるいは戦闘力を削がれる、そんな一撃であったが、生憎とこの熊は〝普通〟ではなかった。
爆炎と煙が消え去った悪魔の熊の頭部、彼の頭部はほぼ無事だった。
ほぼダメージを受けていない。余裕の笑みも見られる。
実際、熊は痛痒も感じていないようで、右腕を大きく振り上げると、それを振り下ろす。
ぐおん!
まるで巨大な丸太が飛んできたかのような勢いだった。もしも数センチずれていればイージスの顔は吹き飛んでいたかも知れない。そのように恐怖し、数歩後ずさりしてしまう。
「へへ、人間の身体は恐怖を感じるのか」
格好付けてみたが、要は腰を抜かしてしまったのだ。へなへなと草地に腰を着ける。まったく、この世界最強の盾とも謳われたイージスが腰を抜かした上に悪魔の熊に食べられるなんて。どんな三流の小説家でも思いつかない展開であるが、現実とは往々にしてこのようなものなのかもしれない。開き直ったイージスはあぐらをかき、腕を組み、口先を3のような形にする。
「ええい、もう勝手にしろ。喰らわば喰らえ。でも、ボクは絶対不味いからね。お腹壊しても知らないんだからね!」
逆ギレ芸であるが、熊の巨大な顔が近づいてくるとさすがに震える。
「ひい、ごめんなさい。神様、もう保存食を盗み食いしたりしないから、どうか命ばかりはお助けを~」
その声に反応したのは天使のように清らかな声だった。
「イージスさん、あなたが祈った神は大地母神ではありませんでしたか?」
声の持ち主はよく見知った人物だった。草原のダンジョンでウィルの持ち物に成って以来、ずっと一緒に旅を続けてきた少女。ウィルの左腕からずっと見ていた少女だ。
「ルナマリア!」
彼女の名を呼ぶ。
「胸騒ぎがするためやってきたのですが、まさかこのような魔物がいるなんて」
ルナマリアはそう言い放つと、背中から小剣を取り出す。
「この森は巫女が沐浴に行く聖なる森。邪悪なものの侵入は許されない」
熊さん、ごめんなさい。そう結ぶとルナマリアは隼のように剣を振るった。ウィルよりは数段落ちる速度であったが、それでも目にも止まらぬ、と形容していいだろう。剣豪のような剛の剣ではないが、それに準じるものがあった。光の筋のようなものが見えると、次の瞬間には悪魔の熊の首が飛んでいた。
すぱっ!
まるで鋭利なカミソリで切ったかのような切れ味であった。
「しゅ、しゅごい」
と漏らすが、同時に少し残酷なようにも見えた。しかし、この一撃はルナマリアの優しさだった。せめて苦しまずに死ねるように。そして自分の腕でも一撃で仕留める方法を探った上での斬撃だった。ある意味優しさが滲み出ている一撃だった。それを証拠に悪魔の熊の死に顔は、悪魔とは思えない安らかなものだった。熊の胴体から紫色の魂が抜け出る。憑依していた邪霊が浄化された証拠であった。ルナマリアは死んだ熊のために祈りを捧げると、イージスのほうに振り向いた。
「お怪我はありませんか? イージスさん」
「ないよ。ありがとう、ルナマリア!」
元気よくいったが、ルナマリアはまだイージスの腰が抜けていることを看破していた。手を差し出す。イージスはその手を取ると、なんとか体勢を立て直した。パンパンとお尻に付いた草を払うと、もう一度お礼を言う。
「気にされないでください。私たちは仲間です」
「だね、マブダチだ」
馴れ馴れしく抱きつくが、ルナマリアをぎゅうっとするととあることに気が付く。
「そういえばルナマリアはなんの疑いもなくボクに接しているね」
「と言いますと?」
「いや、だってルナマリアから見ればボクがパーティーにしれっと参加しているのは不思議に見えない?」
「イージスさんは聖なる盾が擬人化した姿なのですよね?」
「そだよ。でも、なんの疑いもなく自然と受け入れているように見えたから」
その素朴な疑問にルナマリアは答えてくれる。
彼女はさも当然、当たり前といった風に言う。
「ウィル様がそうおっしゃられたのです。なにを疑う必要がありましょうか?」
「…………」
草原の風のような涼やかな笑顔をする巫女様。聖女の名に恥じない清らかな笑顔だった。
思わず見とれてしまうイージス。
(ウィルは大切な相棒だけど、この子に取られるならまあいいかな)
そのような感想を抱くが、勿論、言葉にはしない。擬人化する前はともかく、擬人化した以上、イージスはすでにウィルの攻略対象。イージス・ルートもあり得るのだ。一度くらい命を救われたくらいで諦めるのは馬鹿らしすぎた。
(まあ、それでも助けてくれたことは感謝するけどね)
イージスはその後、ルナマリアに「だいしゅきホールド腕版」をすると、ルナマリアの柔らかさを堪能した。
魔物を撃退したイージス一行。(ボクはなにもしてないけどね)そのまま散歩を続行する。悠長かもしれないが、ルナマリアのような達人がいるのならば問題ない。
うん、おkおk。
ルナマリアも聖域となっているこの森の様子を見て回りたいようだ。
「この森に魔物が現れるなど、初めてのことですから」
表情を引き締めるルナマリア。
「ルナマリアは昔からここにきていたの?」
「はい。ここより少し先に行ったところに聖女の泉と呼ばれている泉があります。毎朝、そこで身体を清めていました。今日もこれから入ろうと思います」
「さっきも入ってたような、それにこれからお風呂に入るんじゃ」
「沐浴は魂も清めるのです。何度入ってもいいのです」
そのように弁明するが、たしかに彼女の身体は熊の返り血で汚れていた。
「てゆうか、今は温かいけど、冬も沐浴していたの?」
「一日も欠かしたことはありません。……あ、ありました。四〇度の熱が出たときはさすがに止められました」
「で、ですよねぇ」
「三八度になったら入りましたが。それ以外は毎日です。フローラ様のいいつけですし」
「フローラ様って大地母神の大司祭様だよね? ルナマリアの育ての親の」
「はい」
「なんかちょっとルナマリアに厳しすぎない?」
「そうでしょうか?」
「そのエピソードもだけど、久しぶりに帰ってきたっていうのに淡泊すぎる」
「この時間は瞑想の時間なのです。お顔だけでも出してくれただけで望外の極みなんですよ」
にこりと微笑むルナマリア。
うーん、となるイージスだが、「ま、いいか」となる。
幸せは人それぞれ、そのように纏めると、ルナマリアとふたり、森を散策した。
魔物とは遭遇することはなかった。
聖なる泉に浸かる。ルナマリアは、
(……たまたま迷い込んだ? しかし、聖域に魔物だなんて)
と心の中でつぶやく。次いで衣服を脱ぎ、冷たい泉に浸かりながら瞑想を始める。己の肌をアンテナ代わりに周囲の気配を探る。
(相変わらず神聖な空気に満ちている。……しかし、なにかがおかしい。森がざわついている……?)
違和感を覚えるルナマリアであるが、それを言語化することは出来ない。ルナマリアは珍しく、焦燥感を覚えるが、聖なる盾娘のイージスはそれを払拭する。
「うぉー、ちべてー!」
裸身のイージスは身体をこわばらせながら大声を張り上げる。
「まだ秋口でこれならば冬は拷問じゃね? 氷が張ってワカサギ釣れそう」
「イージスさんまで沐浴されることはないのに……」
「なに言ってるの。ルナマリアの苦しみはボクの苦しみ。それに聖なる泉を浴びて、処女力アップだ!」
そのようにやりとりしていると、ルナマリアの耳にぴきりという音が響く。
一瞬にして真剣な表情になるルナマリア、イージスはなにごと? と尋ねてくる。
「なにものかの気配がします」
「さすがルナマリア、耳がいい。――魔物の気配?」
「いえ、違うようです。人間かと」
「うぉ、きっとデバガメだ。巨乳でえちぃなボクの胸を視姦しにきたんだ」
「……巨乳?」
ルナマリアはイージスの胸を確認するが、彼女の胸が揺れた記憶は一切なかった。ツッコミを入れたいところであるが、今はそのような雰囲気ではないので無視するが。
「――人間の足音。――ひとりですね。おそらくは御婦人のもの。――武器は携帯していないようです」
「善人?」
「そのようですね。歩き方に悪意はありません」
「じゃあ、接触したほうが早そうだね」
「そういうことです。おそらく、足を挫いているか、怪我をしています。びっこを引いています」
「なるる」
イージスはそう言うと。「そこの御婦人、なにかあったの? 世界一可愛い盾がなんとかしてあげるかもよー」と茂みをかき分けて接触を図る。
茂みの奥にいた御婦人はびくりとする。まさかこのような場所でこのようなキャラと出逢うなどとは夢にも思っていなかったのだろう。さもありなんだが、彼女は僅かな時間で自分を取り戻すとイージスに尋ねる。
「もし、もし、あなた様は聖女様ですか?」
「おお、ボクの清らかなオーラは隠し通せないか」
「……違うようですね」
ガクっと精神的によろめくイージスだが、「まあ、たしかにそうだけどさ」と口先を尖らせる。
「ボクは聖女ではないよ。聖女様はそこにいる。泉の中に」
「いえ、正確にはもうここにいます」
見ればルナマリアは裸身のまま婦人の前に立っていた。
一糸まとわぬ美しき裸身、それに堂々とした態度、まさしく彼女こそが聖女であった。
「ああ、聖女様、お会いしとうございました。あなた様が沈黙の巫女様ですね」
「はい。世間ではそのように言われています」
「先ほど村のものからあなた様をお見かけしたと聞きました。皆、聖女様の帰還を心より喜んでおります」
「有り難いことです。……しかし、その血相どうしたというのです?」
「たしかにすごい剣幕」
イージスも同意する。目の前の御婦人、名前をサイナというらしいが、彼女は明らかに困惑していた。焦燥と恐怖を孕んだ表情をしていた。とても聖女の祝福を受けに来たようには見えなかったので、ルナマリアは単刀直入に尋ねた。
「なにかお困りごとがあるのですね? おっしゃってみてください。解決に力を貸せるのならば貸しますよ」
「……!?」
その言葉を聞いた瞬間、サイナのこわばった表情が緩む。それと同時に堰を切ったかのように涙が溢れ出る。しかし、彼女は言語不明瞭になることはなく、冷静に事態を告げる。
「聖女様、お願いします! どうかわたしの村をお救いください! わたしの村が魔物に襲われているのです! わたしの娘が――」
最後の言葉は弱々しいが、切実であった。
その様子を見て感じ入ったルナマリアは、こくりとうなずくと、サイナの村を救うため、村に向かった。
女三人、村へ急ぐ。サイナが鈍足であるため、早くはないが、休むことなく向かう。道中、イージスが尋ねる。
「ねえ、本当にウィルを呼んでこなくていいの?」
「はい」
即答するルナマリア。
「たしかに長旅で疲れているだろうけど、あとで聞いたら怒ると思うよ」
「でしょうね、お優しい方ですから」
そのように肯定するとルナマリアは続ける。
「ウィル様の力は疑っていませんが。今は時間がありません。到着を待ってから助けに行ったのではなにもかも手遅れになってしまうかもしれませんから」
「なるほど」
「それに他の村人が神殿に行っているのですよね?」
息も絶え絶えのサイナ夫人に尋ねる。
「はあはあ……、はい、他の……村人が……」
「…………」
呼吸が乱れているサイナを見たルナマリアは決断する。サイナをこの場に置いていくことにしたのだ。幸いと村の位置は把握した。遠くから魔物の咆哮と村人の悲鳴、戦闘音が聞こえてくる。そこに向かえば村に到着するはずであった。ルナマリアはイージスに向かって声を張り上げる。
「イージスさん、サイナ夫人をよろしくお願いします。私は先に村に赴き、魔物に天誅を下してきます」
「……この期に及んで抜け駆けとは言わないよ。分かった。サイナ夫人は僕が守りながら連れて行くから」
あうんの呼吸で了承するイージス、長年連れ添った仲間のような意思疎通力であるが、事実、彼女との付き合いは長い。無論、ルナマリアは彼女と言葉を交わすことはできなかったが、それでも何度もともに死線をくぐり抜けてきたのだ。
この戦いでもまた――。
そのように心の中で締めくくると、ルナマリアは最大速度で村に突入した。
サイナの村を襲撃していたのはワームだった。ワームとは蛇と竜の合の子のような形をした生き物だ。頭は竜、身体は蛇の化け物であるが、五メートル級のワームが村人を頭から丸呑みしようとしていた。ルナマリアは躊躇することなく、ワームを切り裂くと、村人を救う。
暗闇から解放された村人は感謝するが、ルナマリアはそれを受け取ることなく、次のワームに斬り掛かった。今度は三メートル級であるが、それでも敏捷で力強い。
(少しでも気を抜けば私も食べられてしまう)
ルナマリアは神経を研ぎ澄ませ、ワームの群れに対処する。
(しかし、それにしてもこんな大量のワームが村を襲撃するなんて……)
元々、大地母神の神殿周辺はワームが出現することで有名であったが、このように群れをなすことは稀であった。
「……先ほどのエビル・ベアーもそうだけど、なにかがおかしい」
そのように口にしながらルナマリアは村の最深部に向かった。
最深部に向かったのはサイナの家がそこにあると聞いていたからだ。そこには彼女の娘が取り残されているという情報だった。水竜祭の飾りがしてあるとのことだったので、すぐに家の目星が付く。家が無事だったのを確認すると、ルナマリアはほっと吐息を漏らすが、すぐにその吐息も止まる。
足下が揺れ出したからだ。地震のような揺れと地鳴り。地下からとんでもない化け物がやってくる。そう確信したルナマリアは飛翔する。
すると先ほどまでルナマリアがいた場所は陥没し、そこから巨大なワームが口を出してきた。ルナマリアを捕食しようとしたのは巨大なワームであった。姿形を見ることが出来ないルナマリアであるが、異様な気配で即座にそれがなんであるか察することが出来た。
「鱗甲のワーム!」
鱗甲のワームとはこの辺りに住むワームの主のような存在だ。通常、ワームは一年に一枚、鱗が増えていくが、鱗甲のワームの数は万に近い。つまり文明が成立するよりも前からこの付近に住んでいるという見解もあるのだ。氷河期や大災害、聖魔戦争をも生き延びた古強者。それがこの鱗甲のワームである。
ルナマリアは即座に戦闘を断念すると、村人の救出を優先する。大声を張り上げながら退避をうながす。すると遅れてやってきたイージスが上手く誘導をしてくれた。
巨竜のようなワームは村を破壊するが、ひとりの犠牲も出すことなく、待避が完了しそうであった。
――これも大地母神の加護。
天に感謝するルナマリアであるが、それも中断される。ルナマリアの信心が足りなかったわけではない。むしろ、その篤すぎる信仰心が徒となることになる。
見ればひとり逃げ遅れたものがいた。足を怪我している少女、先ほど出逢ったサイナという女性にそっくりな少女が道の真ん中で倒れていた。どうやら転んで足を折ってしまったようだ。
このようなときに、と思わないでもないが、折れてしまったものは仕方ない。ルナマリアは彼女の骨を接ぐべく、駆け寄ろうとするが、その瞬間、二匹のワームが飛び掛かってきた。
敵にとっては最良のタイミング、ルナマリアにとっては最悪のタイミングだった。避けることは出来る。しかし、避けてしまえば少女を救えなかった。見れば眼前には巨大なワームが迫っていた。鱗甲のワームが大口を開け、少女を飲み込もうとしていた。
その刹那、ふたつの選択肢が脳裏に湧く。
ルナマリアが取れる選択肢はふたつ。
ひとつ、この身を捧げて少女を助ける。
今、このワームに右手を与えればその隙に少女を助けることができるかもしれない。
腕一本を持って行かれるが、それで少女を助けられるのならば安いものであった。
ふたつ目は我が身可愛さに保身に走る。
この場でワーム二体を斬り殺してから、少女を救うという手だ。
そのようなことをすればおそらく、間に合わずに少女は食い殺されること必定であった。
ふたつの案が浮かんだルナマリアであるが、決断は早かった。
ワームに右手を与えることにしたのだ。
喰らい掛かるワームの攻撃を避けずに少女を助けようとしたが、その行動は失敗に終わった。
ルナマリアの判断が遅かったわけではない。 むしろルナマリアの決断は光よりも早かった。能力が足りなかったわけでもない。ルナマリアの敏捷性、技術、胆力は優秀なものであった。
ならばなにが失敗に結びついたかと言えばそれは少女の母親の愛情のせいであった。遅れてやってきたサイナは娘を助けるために戦闘に加わったのだ。
しかし、武術とは無縁の村娘のサイナ。伝説のワームに対抗できるわけもない。むしろ、少女を救おうとするルナマリアの邪魔となった。ルナマリアは軌道修正を強いられる。
襲いかかるワームに斬撃を加えながら、サイナに待避をうながすが、彼女は首を縦に振ることはなかった。娘をひしりと抱きしめると、そのまま両肩を強く押し、神に祈りを捧げ始める。
母親に押された少女はよろめきながらも数歩歩き、イージスの手の中に収まる。
しかし、サイナはそのまま――、
そのまま巨大な竜蛇の口の中に収まる。丸呑みにされるサイナ。その姿を見て、ルナマリアの両目に涙が溜まる。
「救えなかった……、救えなかった。救えなかった。救えなかった」
ルナマリアは落胆し、落涙し、その場に伏せるが、この最悪の状況を覆すものが現れる。
「ルナマリア、落胆するのはまだ早い! 僕たちはまだ最善を尽くしていない!」
ルナマリアを勇気づけるもの、この世界で一番心強いもの、
そのものの名は「ウィル」、神々に育てられしものだった。
ウィルは隼のような速さで大竜蛇の懐に入ると斬撃を加える。
その一撃でよろめく大竜蛇。巨大な竜蛇にもウィルの剣技は通用するようだ。そのままウィルは鱗甲のワームを圧倒しようとするが、それは出来なかった。
大地から無数の穴がうがたれ、そこからワームが飛び出してきたからだ。その大きさは一メートルから五メートルと様々であったが、皆、〝意志〟を持っているかのようにウィルを狙った。さしものウィルも堪ったものではない、と後退する。
ルナマリアはウィルの側に駆け寄る瞬間、林の奥に人影を見いだす。黒いフードをかぶった邪悪な男、そのフードにはゾディアック教団の紋章が見て取れた。
「……やはりゾディアックが一枚噛んでいるのね」
怒り狂うワームたち、先ほどの悪魔の熊もおそらくゾディアックの仕業だろう。どうやって聖域に潜り込ませたか、は、さておき、黒幕の存在が分かると奇妙な納得を覚える。
無論、納得を覚えるだけで怒りは収まらないが。
唇を噛みしめるルナマリアだが、今は彼らをなじるときではない。今、しなければいけないのはサイナの敵討ち、それと村人の安全の確保だった。ウィルもそれは承知らしく、即座に指示を出してくれる。
「僕が小さな竜蛇を引き受けるから、ルナマリアは村人たちの先導をしてくれ、それに少女の手当も」
「はい」
即座に承知するとイージスから少女を受け取り、回復魔法を掛ける。
その間、攻撃を一切受けなかったのはウィルの獅子奮迅の働きのお陰であった。まったく、なんと頼もしい少年だろうか。改めてウィルの凄さに感銘を覚えるが、それでも竜蛇の攻撃には辟易しているようだ。操り主の存在には気が付いているものの、攻撃に転じられないでいる。
ならばこのルナマリアが、と助力しようとするが、こちらもこちらで村人の待避と少女の手当で動くことは出来ない。時折、鱗甲のワームが攻撃を加えてくるのも厄介だった。次第に追い詰められていくウィルとルナマリア。このままでは身に危険が。いや、村人の被害が拡大してしまう。そう思ったそのとき、天から光明が差す。
それは比喩ではない。邪悪を切り裂くような光が天から漏れ出ると、灰色の雲を割った。無論、ルナマリアには見えないが、〝感じる〟ことは出来る。
神の存在と慈愛を。
光の柱の下にはルナマリアがこの世界で最も尊敬すべき人がいた。大地母神教団の指導者にしてルナマリアの育ての親。大司祭フローラがそこにいた。
彼女は神々しいオーラを携えながら、一歩、歩み出す。すると多くのワームが彼女を喰らおうと寄ってくるが、彼女は邪悪な竜をオーラのみではね除ける。まるで大地母神が乗り移ったかのような神々しさと気高さを誇っていた。
否、彼女はそのような生やさしい存在ではない。大地母神の慈愛だけでなく、戦神の猛々しさも持っていた。フローラは得物である錫杖を振り回すと、周囲に群がる竜蛇どもを一瞬で消滅させる。彼女の聖なるオーラは邪悪な存在が呼吸することさえ許さない。
清らかなる大司祭はそのまま聖なる翼を生やし、鱗甲のワームのもとまで飛翔すると、聖なる光で大きな拳を作り上げる。
《神の手》、ゴッドハンドと呼ばれる神聖魔法だ。
神聖魔法を極めたものしか使うことが出来ない究極の魔法のひとつであるが、フローラはなんなく使いこなす。神々しい神の手によって鱗甲のワームの喉元を締め上げると、そのまま押しつぶす。ものすごい勢いで暴れる大竜蛇であったが、今のやつは漁師に掴まった鰻でしかない。ぽきり、フローラは眉ひとつ動かすことなく、鱗甲のワームの首をへし折る。その姿に慈悲はなかったが、彼女の顔は菩薩のように穏やかだった。
イージスなどは無言で冷や汗を流し、ウィルも圧倒されているが、ルナマリアだけがフローラの優しさを知っていた。彼女はワームにすら慈悲を掛ける。一匹たりとも苦しめることなく殺したのだ。改めて育ての母親の慈悲を身近に感じたルナマリアであったが、まだワームは残っている。フローラには敵わないと悟ったやつらは、村人に襲いかかろうとするが、それは教団の司祭たちによって防がれる。
遅れて三賢母たちもやってきたのだ。
無論、大司祭フローラには及ぶことはないが、それでも一流の神官戦士としての腕前を見せる彼女たち。大地母神の司祭は全員、幼き頃から戦闘の訓練を受けてきて育っているのだ。大地母神の神殿は寺社領と呼ばれ、自治が認められている。その代わり国などからの庇護は受けられない。すべて自分たちでトラブルを解決しなければいけないのだ。自由と武力は同義語であることを彼女たちは知っていた。
可憐な巫女さんたちも皆、戦闘に長けていた。次々と小竜蛇を撃ち取っていく神官たち。勝負はあっという間に決した。三賢母のひとり、ミスリアさんが敵の魔術師を捕縛すると、残ったワームたちも撤収を始める。
僕たちは勝利を収めたが、誰ひとり勝ち鬨を上げるものはいなかった。大地母神の巫女たちは戦闘の達人であるが、イコール好戦的というわけではないのだ。彼女たちは即座に傷付いた村人たちの治療を始めていた。ルナマリアもその輪に加わる
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