擬人化イージス
大地母神の神殿に向かうウィル。
最大の難所であるゴーストタウンを突破した今、ウィルの行く手を阻むものはない。
ただひとつだけ気になることがあるとすれば、左腕の盾だろうか。あれから結構な時間が経つというのに一言も言葉を発しなかった。心配になった僕、留め具を新調したり、打ち粉を打ってあげて、ご機嫌を取ったがなにも変化はない。
ルナマリアに、「女の子の機嫌を取る方法」を尋ねて実行してみたが、まったく、効果はなかった。
困り果てたが、どうしようもなく、旅を続けていると、旧街道から抜ける。
ここまでくればもはや神殿は目の前であるが、慌てることはない。神殿にたどり着く前に最後の宿場町で宿を取ることにした。
「神殿は動くことはありません。最後に旅の疲れを癒やしましょう」
この宿場町には温泉もあるのですよ、とルナマリアが勧めるので、その勧めに従ったのだが、その夜、不思議なことが起きる。温泉に入り、美味しいものを食べ、ゆっくりしていると、聖なる盾が輝きだしたのだ。最初、またしゃべるようになったのか、そう思ったが、なにも変化はない。細部も調べるが、一向にしゃべる様子はなかった。
ぬか喜びになった僕だが、その夜、驚愕することになる。
夜中、寝ていると忍び寄る影が……。
ちなみに〝彼女〟はルナマリアではない。
ここは大地母神の神殿の宿場町。宿の店主は熱心な信徒であるから、部屋は豪勢なものを用意してくれた。つまり、僕とルナマリアは別々の部屋で寝ている。
ルナマリアはリアと違って恥じらいを知っている淑女だから、夜中に男の部屋に訪れることなどない。それに長旅で疲れた彼女はぐっすりと眠っているので物理的に僕の部屋にやってくることができないのだ。
もしや〝敵襲〟?
そう思った僕は枕元に立て掛けていたダマスカスの剣に手を伸ばす。もしもゾディアックの手のものならば、容赦なく斬るつもりでいたが、その覚悟は無駄になった。
なぜならば忍び寄る影はゾディアック教団ではなかったからだ。
影には一切の敵意はない。憎悪も。
あるのは呆れるくらいに明るい〝愛情〟だけだった。
彼女は僕の懐に飛び込むと、「ウィル、だいしゅき~」と抱きしめてくる。
ある意味、ナイフを突き立てられるよりもびっくりした僕は慌てて彼女を突き放す。
「こ、こら、どこの子か知らないけど はしたないぞ」
説教口調なのは彼女が明らかに年下だからだ。
「どこの子か知らないけど、部屋を間違えたのかな?」
親御さんが心配しているよ、と続けるが、彼女はきょとんとしている。「親って美味いの?」的な顔をしている。
「ちな、ボクの親は千年前に死んでるよ。古代魔法文明の鍛冶屋は現代と寿命変わらないんだ」
(ボク……? 古代魔法文明……?)
聞き慣れた単語である。それに彼女の声、どこかで聞いたような……。
改めて彼女を観察する。黒髪の少女だ。長く美しい髪をツインテイルにしている。なかなかに可愛らしく、年の頃は一四歳くらいだろうか。
じっと観察していると、彼女はセクシーなポーズを作って、「エロい? エロい?」と尋ねてきた。その後、「ごいすーでしょ?」とも続く。
くだらない単語を二重に繰り返す様、「ごいすー」なる用語、もはや彼女が「何者」であるか、考える必要もないかもしれないが、一応、聖なる盾を立てかけてあった場所を確認する。そこにはなにも存在しなかった。寝る前は確かに存在した盾が消失している。
「……君ってもしかしてイージス? 聖なる盾の?」
その言葉を聞いた黒髪ツインテイルの少女は、破顔する。
「正解! やっと擬人化出来たんだ! しかも、黒髪ツインテイル美少女に! せっかく、だし、えちぃことしよーぜ!」
僕の布団の中に飛び込んでくるイージスだが、運悪くそこにルナマリアが。眠たそうな目をこすりながら、僕の部屋に入ってくる巫女様。彼女は最初、僕のベッドに少女がいることに困惑するが、「悪い夢でも見ているのかしら……」と扉を閉める。扉の外で深呼吸すると、再び部屋に入ってくる。
同じ位置、同じ場所に存在するイージス。Vサインまでかます。その姿を感じてルナマリアは「ごごご――」という擬音を背負ったような気がするが、僕は慌てて釈明する。
「ち、違うんだ、ルナマリア。この子はイージスなんだよ」
イージスに説明を求めると、彼女は自分の両頬に指を刺し、
「イージス、どぉうぇーす! 一夜限りの女じゃないよ♪ きゃは☆」
と宣言する。
(余計なことばかり言う……)
この娘、絶対にイージスだな。そう確信した僕は、その後、数十分にわたってイージスが擬人化したこと、そして指一本触れていないことを説明する羽目になった。
最終的にはルナマリアも納得してくれたが、最後に疑問が生まれる。このツインテイル娘がイージスであることは疑う余地はないが、一体、どうやって、なぜ、擬人化したのだろうか。気になった僕たちは、深夜にもかかわらず、コーヒーを用意してその辺の事情を聞くことにした。
ルナマリアが宿の厨房でお湯を借りてくると、それをコーヒー豆にそそぐ。紙フィルター越しに黒い液体がこぼれ落ちるが、五分ほどで全員分のコーヒーが注がれた。
イージスははしゃぎながら、
「うひょー、これがコーヒーか、一度、飲んで見たいと思っていたんだよね」
と言い放ち、実行する。
数口、口を付けると、涙目になりながら、
「……苦い」
と言い放つ。
ルナマリアは優しげな口調で、
「砂糖とミルクを入れるんですよ」
とスプーンで加える。多めに。
イージスは再び恐る恐る口を付けるが、今度はご満足のようだ。「意外と美味しいかも」と言い放ったあと、
「またひとつ、大人の階段を昇っちゃったね、てへ」
と喜んでいた。
ルナマリアは僕に耳打ちする。
「――感情表現が豊かな盾でございますね」
「――そうだね。盾のときからずっとこんな感じ」
「――さぞ、騒がしかったでしょうね」
「――異論はないよ」
そのようにやりとりしていると、イージスは二杯目を所望する。ルナマリアは快く二杯目を注ぐ。イージスはそれを「ふーふー」と飲みながら、自分が擬人化した経緯を語る。
「ほら、ボクの夢って擬人化してウィルと一緒に冒険して、えちぃなことすることじゃん」
「たしかにそんなことを言っていたね」
「ずっと神様にお願いをしていたら、ある日、鷲の形をした神様が願いを叶えてくれたんだ」
「鷲の形ってもしかして、レウス父さんかなあ……」
「名前は知らないけど、いい神様。ボクの夢を叶えてくれるんだもの」
「まったく、今度会ったら、不用意に盾を擬人化しないでって伝えておかないと」
「なぜに?」
「いや、今、僕たちは危険な状態だからだよ。ゾディアックと呼ばれる悪の教団と戦っているんだ。そんな中、か弱い女の子を連れて冒険なんて」
「ボクは聖なる盾だぞ」
「でも、今は柔らかい女の子だよ」
試しに頬を突くが、ぷにぷにしていた。
「うひひ」
「はあ、困ったなあ。まあ、それでも置いていくわけにはいかないから、一緒に冒険するけどさあ」
「お、ウィルは物分かりがいいね」
「まあね」
「でも、安心して足手まといにはならないから」
「そうなることを祈るよ」
そのように返すと、僕はあくびをする。部屋にある柱時計を見るとまだ四時だった。明け方である。宿の朝食は六時かららしいから、まだだいぶ時間が有った。
どうやって時間を潰そうかな、と迷っていたが、ルナマリアとイージスはやることが決まっているようだ。ルナマリアは朝の沐浴を行うらしい。大地母神の神域に戻る日、身を清めてから行きたいらしい。宿場町にある公衆沐浴場に向かった。朝から冷たい水を浴びるかと思うと頭が下がる。
一方、イージスは宿場町を散策したいのだそうな。なんでも人間になったたばかりでお腹がぺこぺこぺこりんこらしい。朝市というやつに行って屋台でなにかを食べたいのだそうな。
「いやあ、人間になったら一度、買い食いしたかったんだよね」
と嬉しそうに語る。素朴な夢であったので、僕はそれを叶える。
「付き合ってくれるの?」
「コーヒーを飲んで眠気が覚めたからね。二度寝するほど時間もないし」
「おお、さすがはボクの御主人様」
「ただし、二時間ほどで朝食だから食べ過ぎないように」
「だいじょうV、ボクの胃袋は宇宙だ!」
「……食費が掛かりそうだなあ」
吐息を漏らすと、衣服を着替え、財布を持って朝市に向かった。
宿場町の朝市はなかなかに盛況であった。この宿場町は大地母神の神殿の門前町も兼ねているから、規模が大きいのだ。イージスは市場に並ぶ物品を物珍しげに見ている。
「すげー、野菜だ野菜!」
「野菜なんて見慣れているだろう」
「人間になってからは初めてなんですー。……うぉ、ウィル、見て見て、えちぃな形しているのがある。エロ大根だ」
「たしかに二股で妙に艶めかしいな」
「これ買って」
「屋台が食べたいんじゃないの?」
「これは前菜。先に野菜を食べたほうが太らないんだよ」
「妙な知識を知っているなあ」
「人間の女の子になるのが長年の夢だったからね。そういう知識はたくさんある」
「なるほど」
と銅貨を数枚取り出すと、店主に一本譲って貰う。
イージスはそれを嬉しそうに食している。
「ぼりぼり……もぐもぐ……」
可愛らしい少女が歩きながら大根をむさぼる姿はシュールであり、目立つ。しかし、まあ、奇異とは言えない光景なので、市場のおばちゃんたちが、
「大根にはこれが合うよ」
と調味料を分けてくれる。自家製のマヨネーズ、ビネガー、味噌など。
「へー、これが味噌か。まいうー!」
イージスは味噌をいたくお気に入りのようだ。
「これって東方から伝わった調味料だよね」
「だね。昨今、このミッドニアでも大ブームなんだ。なんでも長寿食って言われているらしいよ」
「おお、美容にもよさげ」
「タンパク質が豊富だからねえ」
そんなやりとりをしながら、屋台が密集しているほうに向かった。
屋台では串焼きと芋フライを注文する。それを先ほど貰った調味料で食す。僕は小食なので、少量だけ分けて貰う。イージスは朝食のことなど忘れているかのように食すが、まあ、美味しそうに食べているので注意はしない。
「いやあ、それにしても人間の食べ物は美味いねえ。チートだ」
「僕もそう思うよ。山にいたときも美味しいものを食べていたけど、下界に降りてからは多種多様なものを食べられるようになった」
「もう山には戻れない?」
「んー、食べ物的には不満が残るかも」
「そっかー、じゃあ、一緒にいろんな国を旅して世界中の美味いものを食べよう」
「だね。……でも、君はずっとそのままの姿でいられるの?」
「どいうこと?」
芋フライをはふはふ食べながらクエスチョンマークを浮かべるイージス。
「そのままの意味。擬人化には強大な魔力がいるはず。ずっとその形態を保てるのかな、って」
「ああ、それならば心配ないよ」
「と言うと?」
「ええと、あの鷲の神様、なんだっけ――」
「レウス」
「そうそう、レウス様が言っていたんだ。我はおまえが擬人化することを伝えに来ただけ。おまえは擬人化する宿命にあったのだ、って」
「そんなことを」
「なんだか、よく分からないけど、もうじき、ウィルに危機が迫ってるんだって、それを解決するためにボクは人間になったみたい。レウスいわく、魔力は消費しないんだってさ」
「へえ、レウス父さんがそういうのならばそうなのだろうけど」
しかし、と僕は首をひねる。
「危機ってなんだろう」
「心当たりはない?」
「いや、逆にありすぎて……」
おそらく、ゾディアック関連の危機だと思うが、どのような危機が訪れるのだろうか。
二四将が複数襲ってくる。教団兵に囲まれる。ゾディアックが復活する。
様々な危機が思い浮かんだが、どれもぞっとしなかった。
少しだけ落ち込んでいるとイージスが僕の背中をポンポンと叩く。
「ま、ウィルならなんとかなるさ。これまでは全部上手くいったし、これからも」
なんの根拠もない言葉だが、イージスが言うと本当にどうにかなるような気がする。能天気な少女であるが、不思議と人を安心させるなにかがあった。
僕は擬人化した相棒に、
「ありがとう」
と言うと宿に戻り、ルナマリアと合流した。
沐浴を終えたルナマリアはいつもより美しく、清浄に感じた。盾が嫉妬するので口に出しては言わないが、準備を終えた僕たちはそのまま神殿に向かった。宿場町から歩くこと一時間、立派な神殿が見えてくる。
白亜の神殿。
大地母神を祀る施設。
ルナマリアが育った場所。
そして僕たちが数ヶ月掛けてたどり着いた場所。ここが終着点でないことは確かだったが、ここが重要な中継地点であることは間違いなかった。
僕は服の襟を正すと、荘厳な神殿の内部に足を踏み入れた。




