ルナマリアとミリア
大地母神の神殿に続く旧街道、そこにかつてあった宿場町の名をスケアという。
今はニュースケアとして新街道にある街だが、旧のほうもなかなかに規模の大きな街であった。少なくとも三〇分は歩かないと町を突っ切ることは出来ないだろう。
僕たちはゴーストタウンと化した街を歩く。途中、ギシギシと扉が開いたり、窓の中に薄ぼんやりとした女性の影が見えたり、ゴーストタウンに恥じぬ怪異を見せてくれたが、襲いかかってくる気配はなかった。
「やっぱ神官戦士がふたりもいれば幽霊もびびるのね」
ターン・アンデッド! と叫ぶリア。
ルナマリアも聖なる魔法が付与された小剣を握り絞め、臨戦態勢を取っていた。
「こういうときは本当に助かるけど、ある意味、活躍の場がなくて可哀想かも」
「ですよねー。アンデッドってあんまり出てこない上に、出てきても瞬殺じゃ立つ瀬ないわー」
そのように余裕をかますリアであったが、ルナマリアの表情は険しかった。
「どうしたの? さっきから、マリ坊」
マリ坊とはルナマリアのことだろうか。ルナマリアは気にすることなく、返答する。
「いえ、変なのです」
「うち捨てられた街に幽霊が集うなんてよくあるでしょう」
リアは窓の外から恨めしそうにこちらを見る幽霊にガンを飛ばす。
幽霊は震え上がって昇天する。
「はい。それは承知していますが、建物内にいる幽霊たちには敵意はありません。いえ、むしろ私たちを心配してくれているような」
「心配?」
「そうです。なんとなくですが」
ルナマリアは目が見えない代わりに気配を感じ取ることに秀でている。僕は彼女の直感をなによりも信じていた。なので窓際にいる幽霊たちを観察する。ひとりの女性の霊を見ると、彼女の唇が動いていることを発見する。ヴァンダル父さんに習った読唇術の出番かも知れない。そう思った僕は注意深く彼女の唇を見つめる。
「は、や……、く、に、げ、ろ……かな」
女性霊の唇はそのように告げているような気がした。幽霊は己が最後の幻影を見続けるという習性があるから、気にしていなかったが、稀に知性のある幽霊もいる。そんな幽霊が「逃げろ」と伝えているにならば、もしかしてなにかあるのかも知れない。そう思った僕は歩みを早める。
「ちょっとちょっと、ウィル、なに早足になってるのよ。こっちはか弱い女子なのよ?」
「ごめん、でもできるだけ早くこの街は抜けたほうがいいみたいだ」
「ですね、急ぎましょう」
少し小走り気味になるルナマリア。リアも最後は納得し、歩調を早めるが、すぐに異変に気が付く。リアが指摘をする。
「――おかしいわね。街の先が見えない」
「街の先が見えない……のですか?」
ルナマリアは目が見えないから確認することはできないようだ。代わりに僕が説明する。
「もう、街に入ってから結構経つのに出口が見えない。――この街はどこまでも続いているような気がする」
「まさか……」
驚愕するルナマリアだが、リアは冷静に、
「無限回廊かも知れないわね」
と言った。
「無限回廊とは無限に続く道、魔法や不可思議な力で作られた特別な空間ということですよね」
「そういうこと。もしかして私たちは罠にはめられたのかも」
「ゾディアック教団でしょうか」
「だろうね。他に思い浮かばない」
せっかく、フローラに抜け道を教えてもらったのだが、どうやらそちらの道も押さえられていたようで……。
「まあ、仕方ない。ゾディアックが一枚上だった、ということで」
「そうですね。今さら戻ることも出来ないですし」
「そういうこと。じゃあ、さっそく、無限回廊から脱出する手段を考えましょう」
リアは元気に言い放つと、己の身体に聖なる力を纏わせる。
「神聖魔法だって、こんなこともできるんだからね」
彼女はそう前置きすると、己の背中に光の翼を生やす。
「ばびゅーん! 《聖なる翼》の神聖魔法。《飛翔》なんかよりも持続時間は長いんだからね!」
リアはそう宣言すると、そのまま空を飛ぶ。
空から一気に無限回廊を抜けようと試みるつもりのようだが、数十メートルほど飛んだところで頭をごっちんこする。
「ごいん!」
というすごい音を鳴らすと、そのまま落下してくる。僕は慌てて彼女を受け止めるが、彼女の瞳は星がくるくると周り、頭に大きなたんこぶが出来ていた。空を見上げればたしかに薄もやのカーテンのようなものがある。そこが境界線になっているようだ。
「横は無限に同じ場所をループする回廊。空は魔力の壁か」
「厄介ですね」
ルナマリアはリアのたんこぶを魔法で癒しながらつぶやく。
「だね。でも、この無限回廊が人為的に作られたものならば、解除する手段は必ずあるはず。それを探そう」
「はい」
ルナマリアは即答する。
たんこぶを作った娘ことリアは、無限回廊の制作者に復讐心を燃やす。
「絶対、このフレイルで殴ってやる!」
燃え上がるリアだが、彼女の馬鹿力で殴られるものは堪ったものではないだろう。僕は迷宮の作者に同情をしながら、脱出方法を模索し始めた。
†
三人で手分けをして脱出方法を探す。
戦力の分散は危険であったが、この広い街をひとかたまりで散策するのは非効率だった。
ただ、リアとルナマリアの安全は配慮したかったので、彼女たちにはペアで散策してもらう。
リアは「ぶーぶー」と文句を言ったが、なんとか説得すると、僕は西に、彼女たちは東を探索して貰うことにした。
ウィルの背を見送るルナマリアとリア。
二人きりになるとリアは小さな声でありがとうと言った。
「なんのことでしょうか?」
ルナマリアはすました声で尋ね返す。
「いや、まあいいけどさ」
とはリア。ちなみにリアがなぜ礼を言いたいのかといえばそれはルナマリアが秘密を守ってくれたことに対してだ。ウィルはいまだに気が付いていないが、リアの正体はミリアなのである。草原での出会いもそうだが、ウィルは少しだけ鈍感なところがあった。まさか育ての母のミリアが十七歳の姿でやってくるとは思っていないのだ。
ミリアは他の神々に「私もまだまだ捨てたもんじゃないでしょ」と自慢したが、ウィルが純真すぎるだけだ、と反論された。ウィルの純真さを誰よりも知る身としては反論できないのが悔しいところであるが……。そのように神々とのやりとりを思い出していると、ルナマリアはにこりと微笑み、こう言った。
「ウィル様が羨ましゅうございます。こんなにも素適なお母様がいて」
「ありがとう。それは否定しないわ。私はママにしたい治癒の女神ランキング一位だもんね」
ちなみに治癒の女神と呼ばれる女神はミリアだけである。
「剣術馬鹿のローニンは過保護って言うけどこればかりはやめられない」
「いいことだと思いますよ。お母様は何歳になってもお母様です」
「……」
じーっという擬音が出そうなほどルナマリアを見つめるミリア、さすがに冷や汗をかいてしまう。
「な、なぜにそんな目を……」
「いや、私に取り入って嫁入りを狙ってるんじゃないかと思ってさ」
「私は大地母神の巫女ですよ。その身を神に捧げたものです」
「じゃあ神様の子供の嫁にちょうどいいすわー、とか思っていそう」
「思っておりません!」
「ほんとにー? 毛の先ほども考えなかった?」
「それは……」
言いよどんでしまったのは脳裏にウィルの笑顔が浮かんでしまったからだ。
もしもあの笑顔に包まれ続けることが出来たら、女性として幸せなことだろうと思ってしまったのだ……。
ルナマリアは慌てて不純な考えをかき消すと本当の気持ちを話した。
「ウィル様は素適な方だと思いますが、私は従者としてお傍に居られればそれで幸せです」
ミリアはさらにルナマリアを見つめると、ルナマリアの中に真実を見つけたようだ。以後、茶化さなかった。
「ウィルと私の関係を羨んでいるようだけど、あんただって木の股から生まれてきたわけじゃないんでしょう?」
「そうですね。このルナマリアも人の子、産みの親もいれば育ての親もいます」
「そうか、あんたそういえば幼い頃に親を亡くしたんだっけ」
「はい。流行り病で親を亡くしました。四歳のときでしたでしょうか。その後、神殿に引き取られ、以来、大司祭のフローラ様に育てて頂きました」
「へえ、ある意味、巫女のエリートコースね」
さぞ才能があったのでしょうね、と続けるとルナマリアはゆっくりと顔を横に振る。
「まさか、その逆です。あまりにも才能がなくて、フローラ様以外は困り果てたそうです。この子だけは巫女にはなれないだろうと太鼓判を押されました」
「意外。器用そうに見えるのに」
人は見た目によらないのです、少しだけ偉そうにえっへん。
「ですがフローラ様はそんな不器用な私を慈しんでくれました。手塩にかけて育ててくれました」
他の巫女候補よりも手間と暇をかけてくれた。他の巫女候補よりも厳しく躾けてくれた。
端から見れば虐待にも近い育てられ方をしたが、そのおかげでルナマリアは神の声を聞けるまでの巫女となれたのだ。感謝の言葉しかない。ルナマリアはフローラにどのように育てられたか、詳しく話す。
大地神殿での生活は日が昇る前から始まる。かじかむ手を吐息で温めながら、先のほうが霞んでいる廊下を雑巾掛け。それで温めた身体を冷やすため、神殿の裏にある滝で滝行を行う。唇が紫色になるまで滝に打たれ続ける。その後、やっと朝ご飯であるが、マッシュポテトと酢漬けのキャベツが少しだけ乗った質素なものが毎日続く。それが朝の基本で、昼は托鉢や説教、あるいは神学や農法の勉強、夕刻には剣の訓練や神聖魔法の鍛錬が待っていた。日が落ちると二度目の質素な食事を食べて、眠る。そのような生活を五年ほど続けると、やっと神の声が聞こえ始めるのだ。
視力のほうは神殿にやってきて間もなく神に捧げた。フローラ様が、この子ならば神の声が聞こえる、と見切り発車的に捧げたのだ。彼女の慧眼は素晴らしく、一〇歳になる前には神の声を聞こえるようになっていた。そのことをリアに話すと、彼女は顔を引きつらせる。
「あ、あんた、児童虐待って言葉知っている?」
「知っています、恐ろしいことですね。我が教団は地上からそのようなものを一掃しようと努めております」
「いやいや、まずは大本からなんとかしなさいよ」
「と、申しますと?」
「あんたの育てられ方は異常だって」
「巫女を目指すものは皆、同じように育てられていますが?」
「じゃあ、集団虐待だ。常態化してるのね」
「そんな、大げさな。このような試練を受けるのは巫女と巫女候補だけです。辞退すればこのようなカリキュラムは受けません」
「なんで辞退しなかったの?」
「私には身寄りもありませんでしたし、それにフローラ様の期待に応えたくて」
「そのフローラってのはあんたの目を潰したんでしょ?」
「はい」
「他の子たちも?」
「まさか。私だけです。私は盲目の巫女になれると周囲の反対を押し切って光を失う薬を飲ませたそうです」
「やっぱ変よ。あんたにだけ異常に厳しい」
「期待の表れ。他の司祭様はそうおっしゃっていました」
にこりと即答するルナマリア、これ以上、なにを言っても無駄なのかも知れない。虐待された子供は保護されたあと、虐待した親を庇うことがあるという。それと一緒なのだろう。そう思ったリアはぽりぽり、と頬の辺りを人差し指で掻くと、ルナマリアを抱きしめる。
「わ、急にどうされたんですか?」
「なんでもないわよ。寒いから暖を取っているだけ」
「今日は小春日和ですが」
「女は冷え性なの」
そのように言い訳すると、しばし抱擁し、離れた。
一応、勘違いされないように釘は刺すが。
「いい? 別にあんたのことなんてなんとも思っていないんだからね! これでウィルのお嫁さんになれるかと思ったら、大きな間違いなんだから!」
指を突きつけ、そう言い放つミリア。そんな彼女の姿を見ていると、笑いが漏れ出そうになる。彼女に言い様が「ツンデレ」そのものだったからだ。ウィルに読ませてもらった物語に出てくるツンデレお姫様に瓜二つのミリア。なかなかに可愛らしいと思ったが、ツンデレの対処法は決まっている。
ただ、にこやかに、「ありがとうございます」と返すだけだった。




