トロール三兄弟
大地母神への神殿に続く街道、信者たちの寄付もあり、とても綺麗に整備されている。
また道中の治安も万全に保たれており、巡礼者たちが絶えなかった。
特にトラブルもなく進むのだが、ひとつだけ問題が。
それは巡礼者たちがルナマリアを見つけると、目の色を変えて近づいてくることだった。
「せ、聖女様!?」
「盲目の巫女様!?」
「未来の大司祭様!?」
それぞれに言葉は違うが、驚きと敬意に満ちていることは共通していた。
ルナマリアは信徒たちが話し掛けてくるたびに、丁寧な対応と祝福の言葉、それに大地母神の祈りを捧げた。そのたびに信徒たちは感涙にむせ、信仰を篤くしていくのだが、一〇分ごとにそれを繰り返すとなかなか目的地までたどり着けない。
巡礼者の団体と出くわしてしまったときなどは、半日近く拘束されたこともあった。
さすがのルナマリアも困り果てたようで、なんとか対策できないか、と漏らすようになる。
僕たちは街道から少し外れ、なにかいいアイデアはないか、協議することにした。
街道から少し離れた場所、小さな林にテントを張る。そこには湧き水が湧いているのだそうな。ルナマリアはテーブル・マウンテンにくるときもそこで一休みしたと教えてくれる。僕がテントを張っている間にルナマリアが湧き水を汲む。
手慣れた分担作業だが、本当は水を汲む作業も僕がやりたかった。なぜならば飲食の準備は皆、ルナマリアがやってしまうからだ。テントを張り終えると途端、僕のやることがなくなる。
なにか手伝うよと主張するが、「飲食についてはルナマリアにお任せあれ」の一点張りだった。
彼女は男子厨房に入るべからず、という思想を持っているようだ。テーブル・マウンテンでは食事の用意に男も女もなかったから、ちと受け入れられない主張であるが、抗議すると、「では、食事は従者の仕事ということで」の一言でかわされてしまう。
もう様式美となりつつあったので、僕は大人しく手紙を書くことにした。
ルナマリアがお湯を沸かしている横で、手紙を書く。
送り先は、「剣の勇者様」 だった。
剣の勇者様とは僕たちが旅をして最初に会った女性だ。
文字通り勇者の紋章を持つ女性で、色々あった末に仲良くなった女性だ。ルナマリアを別枠にすれば初めて出来た友達かも知れない。
その後、彼女とはいったん別れたのだが、交易都市シルレというところで再会、そこでもトラブルに巻き込まれるのだが、なんとか一緒にそれを解決したという経緯がある。
もはや友人にして戦友ともいっていい間柄なのだけど、行動は一緒にしていない。
剣の勇者様レヴィンは、
「あたしは少年と一緒に旅がしたい! あたしは少年と一緒に旅がしたい!」
大事なことなので二回いました、とのことだが、諸事情によってその夢は叶っていない。
まずレヴィンにも仲間がいたからだ。従者のリンクス少年を始め、彼女は多くの仲間に囲まれていた。そのうちのひとりが古代遺跡で呪いを掛けられてしまい、それを解呪する方法を探さなければいけないのだそうな。
解呪を手伝ってあげたいところだったが、それは彼女からお断りされる。
「少年にはやるべきことがあるはず」
と逆に諭されてしまった。彼女は僕がゾディアック教団を討ち滅ぼさなければいけないと熟知していたのだ。黙って見送ってくれるが、いくつか約束も交わされた。
ひとつは「ピンチになったらいつでも駆けつけること。困ったら報告しあうこと」もうひとつが、「定期的に手紙を書くことだった」僕たちはヴァンダル父さんが飼っている遣い鴉を使って、定期的に手紙をやりとりしていた。内容は他愛のないものだ。昨日はリンクスが鯉を釣ってきた。ルナマリアの身長が伸びた。大切なお皿が割れた。など、本当にどうでもいいことばかり。ただ、定期的な日課として、頻繁に手紙をやりとりするようになっていた。
僕はルナマリアが注いでくれたお茶に口を付けると、今し方したためた手紙を便箋に入れ、封蝋をする。ちなみにこの封蝋、特別製でレヴィンしか開けられないようになっていた。
「ヴァンダル父さんが作った特別製さ」そのようにルナマリアに説明すると、遣い鴉の足に括り付け、解き放つ。
一歩足の鴉は大空を舞うかのように一直線に北に向かった。
鴉が視界から消えるまで見送ると、ルナマリアが声を掛けてくれた。
「早い鴉ですね。何日くらいでレヴィンさんのもとに届くでしょうか」
「レヴィンはシルレからだいぶ離れたところにいるみたいだから、早くて三日かな」
「返信を書く時間を含めると戻ってくるのは一週間後ですね」
「そういうこと。ま、ダンジョンとかにいたらもっと時間が掛かるけど」
「ちょうどいい塩梅です」
「だね。異世界のニホンという国では、皆、魔法の石版を持っていて、一瞬で文字を送れるそうだけど」
「便利と言えば便利ですが、疲れてしまいそうです」
「かもしれない。母さんが持ってたら一時間に何通の手紙がくるやら」
「尋常ではない数でしょう」
「なにごとも過ぎたるは及ばざるが如しだ」
この国、この世界に生まれて良かった。
改めて感謝すると、ルナマリアは夕飯の準備を整え終える。
いつの間にかルナマリアはオニオン・グラタン・スープを作り終えていた。
「さすがはルナマリア、早いね」
「オニオン・グラタン・スープはすぐに火が通りますから」
「ルナマリアのスープは最高だ」
「そんなことは……」
謙遜するが、それは本当に謙遜だった。ルナマリアのオニオン・グラタン・スープは絶品だった。
これでもかというほどに玉ねぎが入れられており、その甘味がすべてスープに溶け出している。チキンブイヨンもケチらないものだから、旨味と甘味の調和も取れていた。
一言で言うのならば、「玉ねぎと鶏出しの宝石箱や!」と言ったところだろうか。
まさか野外でもこのように美味しいスープを飲めるとは夢にも思っていなかった。そのように絶賛するとルナマリアはにこやかに微笑む。
「玉ねぎは旅の友です。保存が効きますし、美味しいですし、栄養満点ですね」
「だね。ヴァンダル父さんも言っていた。玉ねぎは医者いらずなんだってさ」
「玉ねぎを食べていれば健康に過ごせる、という意味です」
「うん、おかげで僕の家族は風邪ひとつ引かないかな」
「それはすごいです。でも、玉ねぎのおかげなのか、神々の特性のせいなのか、わかりにくいですね」
「たしかに」
ルナマリアの言葉ににこりと反応を示していると、彼女は僕の後方に意識をやる。
正確には僕の後方上部、空のほうに意識をやっていた。
何事だろうと、と僕も振り返ると、上空に一体の鴉が旋回していた。
「あれは使い鴉?」
「まさかもう返信が来たのでしょうか?」
「さっき出したばかりだよ」
「なにかトラブルがあって戻ってきたのでしょうか?」
「有り得るね。――でも、あの鴉は僕が放った鴉じゃないようだ」
「となると別の手紙を持っているということですよね」
「まあね、使い鴉だもの」
と、やりとりしていると鴉は舞い降りる。食卓の近くにある木の切り株で羽を休める。
近づくが逃げる気配はない。
僕は鴉に近寄ると、驚かせないように留意しながら書簡を取る。書簡を取ると、鴉は再び大空に舞い戻っていった。鴉は大地母神の神殿がある方向へ飛び立つ。
どこからやってきて、どこへ行くか、とても気になったが、それは書簡を見れば判明するだろうと思った僕は、小さな筒を開け、手紙を見る。
巻物状の手紙を広げると、達筆な文字が続いていた。差出人を見る。
そこには、「大地母神教団司祭長フローラ」と書かれていた。
意外ではないが、驚きではあった。僕は思わずルナマリアに尋ねてしまう。
「ルナマリア、これは君の育て親のフローラさんの字かな?」
「それは分かりません。私は盲しいていますから」
そうだった、ルナマリアは目が見えないのだ。文字だけで判断することはできないだろう。
しかし、目が見えない代わりに他の感覚が発達しているルナマリア、
「失礼します」
と手紙を受け取ると視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。まずは指で筆圧を確認、次に匂いを嗅ぐ。使われているインク、体臭などを確認しているそうだ。フローラクラスの司祭になると溢れ出る神聖な気も読み取れるらしい。それらを総合的に判断すると、ほぼ間違いなく大神官フローラの直筆であると判明する。義理の娘のお墨付きを貰った僕は、手紙を声に出して読み上げる。
『はじめまして、神々に育てられしもの。わたくしの名はフローラ。大地母神教団の大司祭にして、教団の指導者、ルナマリアの育ての母でもあります』
そのような出出しのあと、ルナマリアが世話になっていることへの感謝が一ページほど綴られている。その愛情深い文章にこちらまでほっこりしてしまうが、その後に書かれた文章は穏当なものではなかった。
『実は神殿へと続く道にゾディアック教団が潜んでいるの。教団は総力をあげてあなたたちを待ち構えています』
大神官フローラは僕たちに危機を告げる。
「やはり我々は疎まれているようですね」
「そりゃあ、あれだけ派手にやりあえばね」
僕は苦笑を漏らす。切り倒した教団関係者は数十に及ぶだろうか。彼らの守護者ともいえる悪魔も三体ほど倒した。いわばゾディアック教団にとって僕は不倶戴天の敵であった。
「しかし、なるべくならば教団と戦わずに神殿まで行きたいものです」
吐息を漏らすルナマリア。
「ゾディアックが待ち構えているのならばそれをはねのけるだけだよ」
「ウィル様にしては好戦的で驚きです。ウィル様は平和主義者だと思っていました」
「昔、ヴァンダル父さんに同じことを言われたよ。でも向こうが僕の分までやる気を持ってくれている状態だし、のんきに罠に掛かる気はないよ」
「ご安心を。大神官様はこのルナマリアよりも遥かに知恵がある方です」
「…………」
手紙の続きを読め、ということだと思ったので素直に従う。
『もしもこのままなんの策もなく街道を進めば、神々の祝福を得たあなたたちとはいえ、敗北は免れないでしょう。しかしわたくしはそれを避ける策を知っています』
大神官フローラは流暢に語る。文字によって僕たちに叡智を授けてくれる。
『この先にある分れ道で右を行くのです。その先には旧街道があります。朽ち果てた道、険しい道ですが、ゾディアックの魔の手を避けることが出来るはず』
文字に力強さが加わっている。文字からも彼女が興奮しているのが伝わってきた。
軽くルナマリアを見る。彼女もまたフローラの意見に賛同のようだ。
「この辺りの地形を考慮すれば旧街道は難路ですが、それでもゾディアックが手ぐすね引いて待ち構えている道よりは、遥かに安全かと」
神殿へ続く街道を知り尽くしているルナマリア、彼女の言葉は重かったので、フローラの提案に従うことにする。
その後、僕たちはテントの中でぐっすり休むと、翌朝、旧街道に向かった。
†
ベーコン・サンドの朝食を食べ終えると、そのまま街道を西に向かった。
まっすぐに行けば最短距離で大地母神の神殿に到着するが、トラブルを嫌った僕たちは旧街道に向かう。
途中、大地母神の熱心な老夫婦に祝福を授けるルナマリア。彼らのような善良な市民に害が及ぶのは出来るだけ避けたい。旧街道を使ってなんのトラブルもなく神殿に向かうことを決めた僕たちは、なんの躊躇もなく、分かれ道を右に曲がった。
旧街道――。大地母神の神殿に続く道。
かつてはこの街道が主要な道路であったが、使われなくなって久しい。フローラさんが手紙で説明したとおり、難路なのだ。
今にも崩れ落ちそうな断崖、それに凶暴な魔物が棲息する森のすぐそばを通らなければ行けない。かつてこの道を使っていたときは、大地母神の神殿に向かうものたちに多大な被害が出ていたらしい。
それを見かねた当時の大司祭が裕福な教徒や商人たちに呼びかけ、新しい街道を整備したのだ。旧街道はもはや修験者も使わない。
そのような道を使って神殿に行かなければいけないのは皮肉を感じるが、トラブルに巻き込まれないと考えれば幸せなことかも知れない。
そのように思っていると、さっそく、魔物の群れと出くわす。凶悪なゴブリンの群れ立ちが立ち塞がる。しかも彼らの親玉はゴブリンではない。トロールがゴブリンたちを従えているのだ。
「……旧街道に入った途端、これか」
やれやれと思ってしまう。
「仕方ありません。この辺はミッドニアの治安騎士団も通らないですし、教団の自警団も近寄りません」
「凶悪な魔物たちがうようよしているってことだね」
「そうなりますね」
「まあ、それでもゾディアック教団と戦うよりはましかな」
そのように漏らすと腰からダマスカスの剣を抜く。
「イージスはまだ眠っているようだけど、ダマスカスは元気みたいだ。人間じゃないのならば手加減しないよ」
ゴブリンはもちろん、トロールも凶悪な魔物。二本足だからといって容赦する必要はない。
彼ら亜人タイプの魔物は、周辺の村を襲って家畜を奪ったり、田畑を荒らしたり、ときには人も殺す悪い魔物なのだ。また、目の前の魔物は腹を空かせているようで、僕たちを夕飯にする気まんまんだった。手加減をするべき理由は一切ない。
そう思った僕は襲いかかってきたゴブリンを一刀のもとに斬り伏せる。
真っ二つになるゴブリン、彼の仲間は青ざめるが、それでも戦意は喪失しない。通常、ゴブリンは臆病な生き物だが、例外もある。彼らのリーダーであるトロールは、引くことを知らない勇敢さと残忍な性格を持っているようだ。逃げだそうと数歩下がったゴブリンを棍棒で叩き潰していた。
まったく、悪魔じみた性格である。僕よりもトロールを恐れるゴブリンたちは、一斉に襲い掛かってくる。幸いと彼らの憎悪は僕に集中しているようで、ルナマリアには数匹のゴブリンしか向かわなかった。ルナマリアは訓練された神官戦士、ゴブリンなどものともしない。細身の剣と神聖魔法でなんなくいなす。
僕もゴブリンごときには後れを取らない。石のナイフを持ったゴブリンは蹴飛ばし、錆びた小剣を持ったゴブリンは剣ごと切り裂く、なんなくゴブリンたちを駆逐していくが、彼らのボスは例外だった。手下を何匹もなくしたトロールは怒り狂いながら棍棒を振り回す。なんとかその一撃を避けるが、先ほどまで僕がいた場所に、大きな穴が空いていた。
「……以前、戦ったトロールと同じくらい強いかも」
以前、不浄の沼で戦った不死身のトロール、やつの膂力は化け物じみていたが、このトロールも同じかそれ以上の力を持っているように見える。
「まあ、不死身の特性はなさそうだけど……」
もしもこいつが不死身ならば倒すのに一苦労しそうだが、幸いと不死身に近い回復力を持つ特殊個体はそうそういないらしい。力だけならばなんとかなる。
そう思った僕は、襲いかかるゴブリンを蹴散らしながら、やつの隙をうかがう。ゴブリンの攻撃をかわしながら、ときにはゴブリンを盾にし、あるいは避雷針にする。そうすればトロールの攻撃が弱まるかと思ったのだが、それは虫が良すぎるらしい。トロールはゴブリンの犠牲など気にする様子もなく、攻撃を加えてくる。いや、それどころかゴブリン自身を武器にすることも。トロールは近くにいたゴブリンをむんずと掴むと、それを投げてくる。
僕はひょいと避けるが、後方を見ると、岩場に激突してミンチになったゴブリンの姿が。
とんでもない力であると同時に、とんでもない残忍さを発揮するトロール。まったく、トロールというやつはどうしてもこうも冷酷なのだろうか。ゴブリンに同情したわけではないが、そうそうに蹴りを付ける。ダマスカスの剣に《風》という魔法文字を書き、魔力を込める。斬撃に特化した魔法を掛けるのだ。いわゆる魔法剣であるが、さらに攻撃の質を高める。魔法を帯びさせた剣を鞘にしまう。魔法剣プラス抜刀術で威力を何倍にも倍加させることにしたのだ。
不死身のトロールを倒したときは宇宙空間に送り込むという搦め手を使ったが、今回は正面からぶった切る。以前は使えなかったカミイズミ流の奥義を使うのだ。史上最速にして最高の抜刀術、天息吹活人剣で蹴りを付ける。剣術の神様ローニン父さんの師が編み出した最強の抜刀術に魔法を施した一撃で蹴りを付けるのだ。僕は容赦することなく、筋骨隆々のトロールにその一撃を放った。
やつは、真っ二つになる――ことはなく、僕の斬撃は肩口に十数センチめり込んだだけで止まった。
無論、トロールとて痛みは覚えているが、回復力が尋常ではないやつらにとってそれは致命傷とはなり得なかった。にやりと笑うトロールの反撃を避けるべく、後方に跳躍するが、凄まじい勢いの一撃が先ほどまで僕がいた場所に落ちる。
ずどん、と大穴がうがたれる。それをやれやれと観察する。どうやら僕は特殊な個体のトロールに出くわす確率が高い星の下に生まれたようで。
「いや、むしろ、普通の個体のトロールはみたことないかも」
そのように吐息を漏らすと、さらに落胆する事態に。見れば奥のほうから、同じような背丈のトロールが二匹、増援に現れた。顔もそっくりだからもしかしてこいつらは三兄弟なのかもしれない。まったくはた迷惑な三兄弟であるが、このような事態になったからには〝撤退〟も考慮しなければいけない。
後方を確認する。前方にはトロール三兄弟が立ちはだかっているが、後方には誰もいない。ルナマリアとタイミングを合わせれば逃げることは可能であった。ゾディアックを避けるために選んだルートであるが、このような化け物と正面から戦う理由もなかった。ここはいったん、撤退して策を練り直したほうがいい。
そう判断した。
――その判断は間違ってはいなかったが、実行に移されることはなかった。
「撤退なんて負け犬がすることよ!」
後方から凜とした声が響く。どこかで聞き覚えがある声だった。懐かしさを覚える声であったし、慈愛に満ちた声だったので、僕は警戒することなく、その声に従う。
「ウィル、今から私が会心の一撃を加えるから、もう一回、今の一撃をトロールに加えて!」
指示通りダマスカスの剣を鞘に収めると、再び天息吹活人剣を放つ。
刹那の速度で放たれた抜刀術は先ほどのようにトロールの肩にめり込むが、やはり切り裂くことはできなかった。
まったく、なんて筋肉を持っているんだ、と嘆くが、声の主は気にした様子もなく、
「どっせーい!!」
と叫びながらフレイルを振り回す。
なんと彼女はめり込んだダマスカスの刀身の上に、フレイルを振り下ろしたのだ。彼女のフレイルの一撃は、天息吹活人剣の威力を何倍にも跳ね上げる。一〇センチほどめり込んでいた剣をさらに五〇センチほどめり込ませる。五〇センチもめり込めばトロールとて死は免れない。重要な臓器を切り裂かれたトロールは崩れ落ちる。
それを見ていたトロールの兄弟たちは怒りに震えるが、僕はそれよりもフレイルの人物を確認したかった。最高の助力をしてくれた人物、どこか聞き慣れた声を持つ女性、それはやはり見慣れた人物だった。僕は彼女の名前を叫ぶ。
「リアさん!」
名前を呼ばれたリアは嬉しそうに微笑み返す。
「久しぶりね。草原のダンジョン以来かしら」
「そうですね。ジュガチ村で別れて以来です」
「なつかしーわね、ジュガチ村。馬乳酒が美味しかった」
「ですね」
僕は彼女と過ごした日々を思い出す。そういえば彼女との出逢いも戦闘だった。あのときもまたゴブリンに襲われていたところを救われたのだ。その後、意気投合し、一緒に草原のダンジョンを潜ったのだっけ。
「ゴブリンは私とウィルの仲人なのかもね」
「かもしれません」
そのようにやりとりしていると、ルナマリアが注意を喚起してくれる。
「ゴブリンは一掃しましたが、トロールはまだ二体、残っています。それに彼らは兄弟を殺されていきり立っている」
たしかに残り二体のトロールの目は血走っていた。格闘タイプのトロールは上半身の布きれを破り、雄叫びを上げていた。大剣を持ったトロールはぶんぶんと剣を振り回し鼻息を荒くしている。もはや簡便ならん、トロール語でそのように叫んでいることは明白であった。
「元々、勘弁なんてする気はないでしょ」
やれやれ、とポーズを取るリア。
「だね。元々、僕たちを食べる気満々だったくせに」
「得物が反撃してきたからって、怒るようでは三流ね。ま、自然界の法則を教えてあげましょうか」
「弱肉強食の掟?」
そのように尋ねると、リアはにやりと首を振り、このように宣言する。
「いんや、適者生存リア様最強の法則よ」
リアはそのようにうそぶくと、僕の三倍の速度でトロールの懐に入った。彼女はトロールの一撃をかわすと、遠心力を利用してフレイルの一撃を見舞う。それを大剣で受け止めたトロールであるが、リアの一撃によって大剣はぐにゃりと曲がる。まるで飴細工のように簡単に曲げているが剣がもろいのではなく、リアの力が半端ないのだ。
とある神の巫女、神官戦士リアは怪力無双なのである。腕が僅かばかりも衰えていないことを証明するように、リアはフレイルをトロールにぶつけていく。顎、腕、足、トロールたちのあらゆる骨を砕いていく。一撃で蹴りを付けないのは慈悲の心の性だろう。
彼らが退散するのならば見逃すつもりでいたようだが、トロールはこの期に及んでも増援にやってきたゴブリンの群れに攻撃を命じた。リアは大きく溜め息をつく。
「大昔、聖と魔が争った戦争でもあんたらみたいな指揮官がいた。己の力量も弁えない低能が。それだけじゃなく、部下の身まで危険にさらす――」
リアはそこで言葉を句切ると、声に冷気を込めながらつぶやく。
「そういう輩は遠慮なく、脳漿を吹き飛ばすわよ。それがこの世界のためってもんよ」
そう言い放つとリアは躊躇することなく、フレイルを後頭部に当て、トロールの脳を砕く。
脳漿が飛び散る。フレイルによって割られたトロールの脳は石榴のようにぱっくりと割れ、鮮血を放つ。兄弟の脳漿を見ても怯まない最後の一匹、彼も数秒後には肉塊へと姿を変える。
リアは少し悲しげにトロール兄弟の死体を見下ろすが、すぐに残りのゴブリンたちをきっと睨み付ける。最強のトロール三兄弟を殺した神官戦士に恐怖しないものなどひとりもいなかった。皆、腰を抜かすと武器を落とし、逃げ出した。トロール三兄弟を倒し、ゴブリンの群れを追い払った僕たち。改めて今回の戦闘の立役者に賛辞の言葉を贈る。
「リア、ありがとう。君がいなければ負けていたかも知れない」
その言葉を聞くとアリアは張り詰めていた表情を緩める。
いつものような笑顔を取り戻すと、気軽に「まあ、当然っしょ~」と言う。
ルナマリアも深々と頭を下げ、再会を喜ぶと、三人は当然のように一緒に旧街道を歩き始めた。三人には「一緒に旅をしよう」という言葉など不要なのである。
ところどころ石畳が朽ちた旧街道を歩く。三人は仲良く横に広がって歩くが、注意するものはいない。この道は僕たち以外、誰も通っていないからだ。
「――――」
心地よい沈黙が続くが、しばらくするとルナマリアが口を開いた。
「――それにしてもリア様、懐かしゅうございますね」
「そうかしら。私は定期的にあんたたちのことを見ていたからそうでもないわよ」
「僕たちのことを?」
「そう、水晶玉で見てた。みんなで」
「水晶玉って、そんなアーティファクトどこで? まるで父さんたちみたい」
その言葉でぎょっとするのはリア、「余計なこと言った」と慌てる。なんとか誤魔化そうとするが、的確なフォローをしたのはルナマリアだった。
「ウィル様、神に仕えるものは水晶玉を持っているものなのです」
「そうなんだ」
「一家に一台ですよ。水晶玉を見て家族の安否を確認します」
「へえ」
「今もフローラ様は私たちを見ているのではないでしょうか?」
「そうなの?」
天を仰ぎ、周囲を観察するが、魔力の気配はなかった。使い魔の気配も。
「フローラ様クラスになると気配も痕跡も残しません。ただ、確実に見ています。吐息が掛かりそうな距離で私たちを心配してくれいるのを感じます」
ルナマリアは神に祈りを捧げると同時に、愛情深い育ての親に感謝を捧げる。
「となると僕は父さん母さん、フローラさん、リアたちにも監視されているんだね」
「ゾディアック教団にもされているかもよ」
「そうだった。大人気コンテンツだね」
「そういうことです。しかし、ゾディアックの期待に添うことはないでしょう」
「そういうこと。やつらを歯ぎしりさせてやりましょう!」
おー! と腕を振り上げるリア。
んー、なんか誰かに似ているなあ、と思ったが、それ以上、深くは考えないようにする。
思考を放棄すると、ルナマリアは、
「さすがはウィル様です。細かなところを気にされない大物です」
と褒めそやしてくれた。
よく分からないが、素直に礼を言うと、僕はリアに尋ねた。
「ところで助けに来てくれたのは嬉しいけど、リアってどこかの神殿の巫女様なんでしょう? 大地母神の神殿に向かうたびに参加していいの?」
「ノープログレム、モーマンタイ、問題ないわよ。私の信仰する神様は心が広いの。あの最強にしてこの世でもっとも美しい女神と同じくらいおおらかなのよ」
ちなみにその女神の名前は、ミで始まって、途中にリが入って、最後はアなのだそうな。神々辞典を調べれば該当する神が分かるかも知れないが、どうでもいいのでそのようなことはしない。
「ただ、さすがに旅は神殿までね。私の目的はあなたたちを無事、神殿に送り届けること」
「それだけでも有り難いよ。君がいてくれれば百人力だ」
「千人力の間違いでしょう」
ふふふ、と笑い合うと、旧街道の奥に街が見えてくる。旧街道にはかつては宿場町があったというが、今は新街道のほうに移転している。つまりあの街には誰も住んでいなかった。
「いわゆるゴーストタウンね」
「そういうことだね。あそこを突っ切れば神殿は目前らしい」
「となるとあそこを突っ切らない手はないけど……、なんか、本当におばけがでそうな感じね」
「たしかに」
崩れかけた建物、猫の子一匹いない通り、すさんだ風が流れる。幽霊都市という言葉がぴったりであったが、それでも迂回するという選択肢はない。周辺の森や断崖を通ることも可能だが、その場合はより凶悪な魔物に襲われる可能性があるのだ。それに今の僕には強力な仲間がいた。
一緒に多くの苦難を乗り越えた大地母神の巫女様を見つめる。次いで見つめるは時折、僕を助けてくれる謎の神官戦士様。そのどちらも神々に仕えるものという共通点がある。両者、神聖魔法の使い手なのだ。ならば幽霊や不死族の類いを倒すなど、朝飯前のような気がした。彼女たちは神聖な力で邪悪をはね除けることが出来るのだ。いかにも幽霊が出そうな街とは相性が良さそうだった。
そう思って廃墟に足を踏み入れるのだが、僕の勘は半分当たって、半分外れた。たしかにこの街は幽霊や不死族に満ちていたが、それ以上の存在も待ち構えていたのである。




