海神アレンシュタイン
――決戦当日。
予想通りの豪華な食事を眺めていると、その量が尋常ではないことに気が付く。
あのレヴィンでさえ、
「リディアよ、あたしは大食いだが、さすがにこんなには食べられない」
と主張する。
僕もその通りだと思ったが、リディアは女予言者でもあるようで――、食事はあとからやってくる水夫たちのものだった。
後方からエベック提督たち がやってくる。ヴァンダルはいないようだが、水兵たちは誰ひとり欠けるていないようだ。さすがは歴戦の指揮官エベックさんである。
彼らは合流すると、久しぶりのご馳走に舌鼓を打った。
ルナマリアばりの予言であると舌を巻いているレヴィン、ルナマリアも驚いているようだが、どうやらリディアはルナマリアばりに耳が良いようで、彼らの足音で接近を察知したのだそうな。
ルナマリアは、
「紅茶や家事能力といい、私のアイデンティティーが……」
なかば本気で落ち込んでいるので、慰めの言葉を懸ける。
「ルナマリアには神聖魔法があるから」
「……ありがとうございます」
しゅんとするルナマリアを鼓舞すると、一時間後、出立する。
エベック提督たちの合流はとても有り難かった。アレンシュタインは巨大な荒神。僕たちだけで勝てる見込みはなかった。そう説明するとエベック提督は尋ねてくる。
「それなのだが、このまま戦闘は避けられないのかね?」
「それはアレンシュタインさんの自我次第ですが、もしも自我がなくなっていたら即戦闘です。最悪の事態を考えて突入すべきでしょう」
出来れば彼の自我が残っていてほしい。そう思っているのは真実だったが、希望的観測に身を委ねて作戦を練ることはできなかった。僕の双肩には多くの命がのし掛かっているからだ。
エベックさんは改めて僕のことを信頼してくれたので、作戦の概要を話す。
「リディアの話に寄れば、海の神であるアレンシュタインさんは多くの眷属を従えているとのことです。海神の親衛隊ともいえる苔の巨人が何体もいるそうです」
「苔の巨人、モス・タイタンか」
「はい。攻撃力はなさそうですが、生命力はありそうなタイプです。厄介なのでエベック提督と水兵にお任せできますか」
「承知」
と言うと彼らは気勢を上げる。
ルナマリアとレヴィンはアレンシュタインさんとの決戦を手伝って貰う。
「承知しました。重大な役目です」
気負うルナマリアだが、その気持は分かる。先日の海神と戦ったときのことを思えば、恐怖で足がすくんでもおかしくないのだが、彼女は気丈にも震えることなく小剣を取り出す。
さすがは大地母神の巫女様である。その凜とした姿を見習いたいと思った僕は、せめて剣を抜くところだけでも格好付けようと真似するが、彼女の繊細な抜刀は真似できなかった。
僕とルナマリア、それにレヴィンが剣を抜くと、足下が揺れ始める。
見れば数十メートル先にある地底湖の水面が揺れ始め、そこからいくつもの苔の魔人が出てくる。やつらがモス・タイタンに違いない。エベック提督たちは斬り掛かろうとするが、それを見計らったかのように地底湖の底からさらに大型の物体が現れる。
その物体が目の前に現れる前に僕は大声を張り上げる。その巨体がなんであるか、察しが付いていたからだ。
「アレンシュタインさん! あなたなんですよね!?」
「…………」
僕の言葉に反応はない。彼は言葉を発する代わりに地響きを立て、地底湖から巨体を出現させる。それは先日、僕らを蹂躙した海の神、荒神のシーサーペントだった。
否、先日と違うところがひとつだけある。それはシーサーペントの頭部に人間の上半身が着いているところだった。その人物は見知った人物であった。アレンシュタインさんである。
僕は祈るように彼の目を見つめた。正気があるか確認したかったのだ。
海神と融合を果たした稀代の天才魔術師。彼の精神力は化け物を凌駕したのだろうか。
いや、凌駕しているはず。
そんな希望を抱いて確認したアレンシュタインの上半身であったが、彼の目は狂気で光っていた。獣のように赤く光り、さらに上半身全体に黒いもやを発散させていた。
「――どうやら駄目だったようですね」
リディアがぽつりと寂しげにつぶやく。それが戦闘開始の合図となった。
僕たちの想像通り、アレンシュタインさんは正気を失っていた。なぜならば一番最初にもっとも親しい存在であるリディアを攻撃してきたからである。
海蛇のうねり、尻尾の一撃は容赦なくリディアを襲う。その一撃を食らえば彼女はそのまま押し殺されるだろうが、そうはさせない。《跳躍》の魔法で彼女を颯爽と救うと、そのまま彼女を背に乗せ、海蛇の背を切り裂く。
尻尾に剣を突き立てるとそのまま頭上へ向かったのだ。鰻をさばくような感触が伝わってくるが、やつは鰻ではなく、海蛇だった。痛みに耐えかねた頭部が僕を補足する。
そのまま大口を開けて飲み込もうとするが、それはルナマリアの神聖魔法によって阻まれる。彼女は聖なる力を具現化し、魔力の弓を作ると、矢を放っていた。
その一撃は巨大であった。二撃目を考えていない一撃であるが、それは正しい。無限とも思える巨大な海蛇と戦うのに持久戦を選択するのは愚かもののすることであった。それはレヴィンも理解しているらしく、出し惜しみはしない。ルナマリアの一撃を確認すると、接近し、剣を突き立てていた。しかし、純粋な剣士であるレヴィンの一撃も通用しなかった。せめて聖剣があれば違ったのだろうが、彼女のなんの変哲もない長剣では致命傷を与えることはできない。それは魔力の過半を初撃に賭けたルナマリアにもいえることなのだが。つまり、この場で勝負を決められるのは僕しかいないようだ。
改めて責任感を感じた僕は、リディアを安全な場所に降ろすと、彼女に尋ねた。
「君はアレンシュタインさんの研究室で彼の文献を調べたんだよね? そのとき、なにかシーサーペントの弱点のようなものが書かれていなかった?」
「さすがはウィル様です。察しがいいです」
リディアは微笑むとそれを教えてくれる。
「あの化け物には心臓がふたつあります。ふたつ同時に破壊できれば殺すことも可能でしょう」
「……ふたつ同時か。ちなみに場所は?」
「胴体中央部と尻尾の中央部です」
と言うと彼女は懐からペイントボールを取り出し、それを投げつけ、目印を作ってくれる。
「至れり尽くせりだけど、ひとつ問題が」
「はい」
「あの化け物に二回も、それにふたつ同時に致命傷を放てる自信がない」
「それは弱りましたわ」
素直な気持を口にするリディアだが、その問題を一言で解決してくれる人物が現れた。
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