入り江に続く地底湖
ゼラチン・アーマーを次々と駆逐する僕ら。強力なアーマーを装着したスライムたちは強かったが、僕たちは数々の戦闘に参加した歴戦の勇士だった。チートをほどこしているとはいえ、スライムごときに負けるわけがない。
――相手はただのスライムではなかったのだけど。
アーマーごと斬り殺したはずのスライムたちの断片がブヨブヨと蠢き始める。鮮やかな死体たちは磁力を持っているかのようにひとつところに集まり始める。
なんとスライムたちがどんどん合体していく。
どうやらゼラチン・スライムたちは通常種のスライムではなく、合体できるタイプの特別種だったようだ。
「これが噂に聞くキング・ゼラチンか」
ヴァンダル父さんの所有する魔物辞典でA級に指定されていた危険種だ。
もしかしてこれはやばいかもしれない。なぜならば目の前に危険度Aランクの魔物が現れた上に後方からはさらに鎧のこすれる音が聞こえてきたからだ。
「両面作戦はきついかな……」
キング・ゼラチンは僕が相手をするにしてもその間、後方からは攻撃をされたら僕でもひとたまりもない。誰かがゼラチン・アーマーどもを引き付けてくれれば……!
ルナマリアとレヴィンに視線を送るが、彼女たちは前面に現れたキング・ゼラチンでせいいっぱいのようだ。もしかしてこれは詰みか――ならば彼女たちだけでも逃さないと……そう思いながら剣を握り絞めると、意外な人物が助けに入った。
先ほどから僕たちの後方で戦況を見守っていた可憐なメイドさんの気配が消えていることに気が付く。――すうっと音も立てずに彼女は反転すると、ゼラチン・アーマーの懐に入っていた。
ゼラチン・アーマーに非戦闘員もメイドの区別もない。視界に入ったものをすべて殺す、それが彼らの使命のようだった。だからこのような可憐なメイドさんにも剣を振り上げることができるのだろう。
「危ない!!」
僕は叫ぶ。
「リディアさん! いけません! 後退してください!」
「メイド嬢、君に戦闘は無理だ!」
全員が同じ意見となるが、僕を含め、その意見は間違っていたようだ。
なぜならばメイド服を着た麗しいお嬢さんは、紅茶をいれる名手であると同時に、武芸の達人だったのだから。
自分よりも遙かに大きいゼラチン・アーマーの巨刀、どれが振り下ろされると、彼女はそれをあっさりと見切った。しかも紙一重でかわすなどというちゃちな真似はしない。彼女は右手一本で高速で振り落とされた巨刀を受け止める。
「な、なんだってー!?」
一際大きいリアクションを挙げるのは剣の勇者レヴィン。
剣に命を捧げてきた彼女にとって、リディアの行動は常識の範疇外だった。それはルナマリアも同じだったらしく、目を丸くしている。いや、それは僕もそうか、神々にしごかれた僕でさえ、あのような真似は容易にはできなかった。
しかも彼女は剣を受け止めただけでなく、返す刀で反撃に転じる。
右手で受け止めた剣を握りつぶすと、腰をかがめ、力を込める。そしてタイミングよく正拳突きをゼラチン・アーマーにめり込ませる。
ぼごぉ!
轟音が響き渡ると、太古の鍛冶師が作り上げたアーマーをへこませる。いや、ひしゃげる。まるで飴細工を破壊するかのように容易にアーマーを破壊する。
先ほど僕も切り裂いてはみたが、あのアーマーの硬度はとんでもない。少なくともなんの魔力も込めずに切り裂くのは僕には不可能だった。それができるのはローニン父さんやヒフネさんくらいである。僕は世界が広いことを知った。武芸の達人はいくらでもいるものである。
その後、彼女は見事な体さばきでゼラチン・アーマーをいなすと、的確に攻撃を加えていく。その華麗な動きにしばし目が行ってしまうが、彼女に見とれるのはもう少し後にすべきだろう。今、注視しなければいけないのは目の前の敵だった。
――ゼラチン・キング。
リディアに武芸の教えを請うのはこいつを倒してからでも遅くないだろう。
そう思った僕は中央から斬り掛かる。
真っ正面から斬り掛かったのは、こいつを過小評価しているからではない。また、自分を過大評価しているからでもなかった。むしろ、僕はこの不特定で不確定な生き物を恐れていた。正面から挑んでは勝てないとすら思っていた。
ならばなぜ中央突破を試みたかといえば、それは〝仲間〟のことを信頼していたからだ。僕が中央から斬り掛かると、計ったかのようにルナマリアが右側から、レヴィンが左側から斬り掛かってくれた。
どんぴしゃりのタイミングであるが、事前に相談していたわけではない。計らずとも彼女たちは最良のタイミングで攻撃を仕掛けてくれた。
左手の盾が茶化す。
『さすウィル! 3p――ならぬ、三位一体の攻撃だね』
3Pの意味は分からないが、きっとくだらない言葉なので尋ね返さない。ただ、彼女たちと息がぴったりというのは事実だった。
「ルナマリアとは付き合いが長いからね。それにレヴィンは同じ剣の道を歩んできたという共通点がある」
『どっちとも元々の相性がいいんだよ。3Pに明け暮れるのはいいけど、どっちをお嫁さんにするか、決めてある?』
「それは生き残ってから――少なくともこの一撃を加えてから決めるよ」
ルナマリアが切り上げ、レヴィンが袈裟斬りを決め、よろめくキング・ゼラチンだが、一瞬で失われた部分を回復してしまう。ゼラチンは元々物理攻撃にとても強い。しかもあのように巨大な質量を持っていれば、剣術だけで倒すのは不可能だろう。
僕は炎の魔法剣をキング・ゼラチンに突き刺すが、これも効果は限定的だった。魔法剣も致命打となりえないだろう。
『となれば禁呪魔法だね!」
「それしかないようだ」
『あれ、それにしては浮かない顔だね』
「アレンシュタインと対峙するまでは魔力を温存しておきたかった。父さんとも離ればなれだし」
『大丈夫、話に聞くところヴァンダルってローニンのように飲んだくれじゃないんでしょ。きっちりしてる人らしいし、決戦には間に合うよ』
会ったことがないというのに僕よりもヴァンダル父さんの人となりを把握している。そうだ。ここで息子の僕が懐疑的になるのはよくない。ヴァンダル父さんはきっと間に合う。そう思った僕は遠慮なく禁呪魔法を放つことにした。
「ここで魔力が尽きようが、史上最強の魔術師が援軍にやってきてくれるんだ。出し惜しみはしない!」
そう叫ぶと僕は呪文を詠唱する。
「岩を砕き、骸を崩す、邪悪な眷属よ。
地の底に眠りし、赤い巨人の末裔よ。
灼熱の手により、すべてを焼き尽くさん!!」
呪文を詠唱し終えると、地響きが鳴り響き、地面が割れる。
そこから巨大な赤い魔人の手が飛び出し、地を切りひらく。
そして身体をこの世に具現化させると、そのままキング・ゼラチンを掴む。
いにしえの赤き巨人イフリートはそのままゼラチンを握り潰す。
ゼラチンはじゅうっと体を蒸発させるが、その都度、再生していく。
さすがは不特定で不確定のものたちの王といったところだ。僕はさらに魔力を注ぎ、イフリートに力を与える。燃え上がる赤き巨体。灼熱の地獄がこの世に現れる。
こうなればイフリートの火力とゼラチンの再生力の勝負となるが、この勝負はイフリートが勝った。ゼラチンは数分ほど再生を続けたが、やがてイフリートの炎に再生が追いつかなくなる。
「す、すごい。炎の王を従えた上に、現世でも最強の力を保たせている」
精霊に多少の造形があるルナマリアは驚愕する。
精霊の知識ゼロのレヴィンは問う。
「そんなにすごいことなのか?」
「はい。イフリートは精霊の中でも別格。炎の王と呼ばれています。それをたやすく呼び出し、十全にコントロールするウィル様はただものではありません」
「魔術だけでなく、精霊召喚もすごいのだな、ウィル少年は」
彼女たちは褒めすぎだろう。たしかにイフリート召喚は高難度だが、たやすく召喚したわけではない。かなりの魔力を消費してしまったし、召喚したときに腕に火傷を負ってしまった。つまり代償を負ってしまったのだ。これがヴァンダル父さんならばもっと簡単に、さらになんの代償もなく召喚することだろう。これが僕の限界であったが、わざわざ説明することはない。ゼラチンの王は倒した。だが、まだ戦闘は続くのだ。士気を落とすような発言はしたくない。
しかし、ルナマリアは賢い上に気遣いの出来る娘。すぐに僕の意図を察する。僕が火傷をしているのも見抜いたようで、さり気なく治癒の魔法を掛けてくれる。
やはりルナマリアはすごい、改めて彼女の評価を高めると、先の戦いの殊勲者に声を掛けた。
「リディア、君は武芸の達人だったんだね」
ルナマリアに右腕をいたわれながら話し掛ける。
彼女はにこりと微笑むと言った。
「はい。こう見えても戦闘系のメイドさんなのです」
「すごいね。まるで舞うような動きだったよ」
「お褒めに預かり恐縮です」
気恥ずかしげに微笑むメイドさん、麗しすぎてほっこりしてしまうが、僕は彼女のメイド服が破れていることに気が付いた。
「大変だ。怪我をしているんじゃ?」
僕はルナマリアにリディアを治療するように御願いする。
一瞬、ルナマリアが躊躇したのは、僕の治療が完了していなかったからだ。しかし、火傷は軽傷であったし、ここまで治療すればあとはポーションでもどうにでもなる。そういう論法でルナマリアに離れて貰うと、彼女は渋々、リディアの治療に当たった。最初は渋々であるが、一度治すと決めればすぐに真剣に治療に当たるのはルナマリアのいいところだろう。
メイド服の袖をまくると、神聖魔法を彼女に唱える。ルナマリアの右手が緑色に輝く。しばしルナマリアは治癒の魔力を送り込むが、数十秒後、眉目を下げる。なにか異常を見つけたようだ。大怪我でもしたのだろうか。軽傷に見えるが、骨にまで達しているのかも、そう思いリュックから虎の子のエリクサーを取り出そうとするが、それはリディアが制する。
彼女は困惑するルナマリアの手を軽く握ると、己の唇に人差し指を置き、「しぃ……です」と言った。ルナマリアはしばし瞬きし、逡巡したが、やがてコクリとうなずくと治療を打ち切った。僕たちのほうへ振り向くと、「大事ありません。とても美しい腕をされていたので、女性として少し興味を持っただけです」と言い放った。
レヴィンは「ルナマリアはそっち方面の趣味も合ったのか」、と身震いするが、僕は彼女たちの微妙な変化を見逃さなかった。ただ、それを追及することはない。ルナマリアが説明しないということはなにかしらの理由があるからだろうし、僕はリディアのことを完全に信頼していたからだ。
今、必要なのは彼女の武力であり、時間であった。
傷付いたものたちの治療が終わったことを確認すると、そのまま大洞窟を進んだ。リディアの言葉によればこの先に入り江に続く地底湖があるらしい。そこにアレンシュタインはいるのだという。
今月17日に4巻でます!




