ゼラチン・スライム
三人で仲良く一本のバウムクーヘンを食べ終える。剣の勇者様が半分以上食べたような気がするが、気にしない。食欲があるのは健康的な証拠だった。
今、気にしなければいけないのは、アレンシュタインの動向だろうか。このメイドさんはアレンシュタインのメイド、貴重な情報を知っているはずであった。
タイミングを見計らうと、リディアにアレンシュタインの真の目的を尋ねる。
彼女は忌憚なく、答えてくれる。
「アレンシュタイン様はわたしに自分を殺させるつもりです」
凜と言い放つ美しいメイド。その目にはなんの躊躇も迷いもなかった。
「アレンシュタイン自ら、自分を殺せと言ったのか……」
「意外だな」
とはレヴィンの言葉であるが、それは彼女だけであって、僕は意外でもなんでもなかった。アレンシュタインとはブライエン家の宴で一度話しただけだが、彼は根っからの悪人には見えなかった。ヴァンダル父さんと同じ匂いがしたのだ。
ただただ研究に没頭する知的探求者、それが彼に抱いた印象だった。
研究に情熱は捧げても、悪魔に魂は捧げないタイプにも見えた。
ルナマリアも同様の感想を抱いていたようで、リディアの言葉をすぐに信じる。
「アレンシュタインは死に場所を求めているのでしょうか?」
それがルナマリアの回答だが、言い得て妙だった。宴で出会った彼は、この世の中の事象すべてを憂いているように見えた。
もしかしたら、何百年も生きることに飽きたのかと思ったが、違ったようだ。リディアはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、アレンシュタイン様はこの世界に飽きてなどいません。むしろ、命を一日でも長引かせ、魔術の真理のひとつを会得したいと思っていました。だからこそ海神とひとつになったのです」
「永遠に研究をしたかった?」
「一日でも早く永遠の命の真理に近づきたがっていました。――だから毎日のように奥方様の遺体に寄り添い、話し掛けていましたわ」
「……そうか、そういうことか」
アレンシュタインの計画の全貌が見えた僕はひとり納得する。ルナマリアとレヴィンは不思議そうに尋ねてくるので、彼女たちに説明をする。
「アレンシュタインは海神と融合することにより、生命の神秘を解き明かそうとしたんだよ。亡くなった奥さんに永遠の命を与えようとした。つまり、反魂の術を行おうとしたんだ」
「反魂の術!?」
驚くルナマリア。
レヴィンはピンときていないようだ。
「反魂の術とは、復活のことです」
「《復活》の魔法のことか? たしか司祭長クラスの熟練者が三〇〇人、その身命を賭してやっと実現可能な 究極魔法と聞いたが」
「はい。私も習ってはいますが、使うことは出来ません」
「アレンシュタインはその術を使おうとしているんだな」
「理由は想像つきますが、無茶苦茶すぎます。何百年も前になくなった人の魂をこの世に呼び戻すなど、大地母神そのものでも不可能かと」
「ええ、たしかにそうです。だからアレンシュタイン様は神を超えることにしたのです」
「神を超える……オーパーツ・ゴッド……」
ルナマリアがそうつぶやくと、リディアはゆっくりと首を縦に振る。
「荒神と融合し、神そのものを超えることをアレンシュタイン様は計画しました」
「それは成功したの?」
「はい。御主人様はこの計画を実行する前にこうおっしゃっていました。この計画が成功するかしないかは一週間後にはっきりする、と。一ヶ月経っても私の妻が蘇らなかった場合、私を殺してくれ」
「一ヶ月……、殺す……」物騒な言葉である。
「おそらくですが、一ヶ月、それがアレンシュタイン様が自我を保っていられるぎりぎりの時間なのだと思われます。アレンシュタイン様が大洞窟に籠もられてから、彼の研究記録を調べましたが、海神との融合は大変な危険を伴います」
「そりゃあ、あんな化け物とひとつになったら主導権を握られるだろう」
レヴィンは率直な感想を口にする。リディアはこくりとうなずく。
「しかし、アレンシュタイン様は超人的な魔術と、鋼の意思を持って、一ヶ月、海神を御するとおっしゃっていました。そしてその言葉通り、大洞窟から一歩も出ることなく、研究を続けられております」
「だから航路が荒らされることがなかったのですね」
「はい。しかし、御主人様がおっしゃった期限まであと二日。研究が完成する見込みは今のところ立っていません」
「二日後、自我を奪われたアレンシュタインは再び航路を襲い始めるかもしれない、ということだね」
「そうです。完全に自我を失ってしまう前に、どうかアレンシュタイン様を殺してください」
リディアは悲痛な表情でこちらを見つめる。
その瞳には力強さとたしかな意思があった。彼女はひとりでもアレンシュタインを殺すだろう。なぜならばそれが敬愛すべき主の命令だからだ。彼女は主の命令ならば、この世界を破壊させることさえ厭わないメイドだった。
僕たちは彼女の気持ちを察すると、アレンシュタイン討伐の依頼を引き受けることにした。
僕たちはそのままアレンシュタインの屋敷を出ると、屋敷裏にある洞窟に向かった。その洞窟は入り江に続く巨大な洞窟であったが、入り口はとても小さかった。
洞窟を進む。
小さな入り口だったが、地下に進むにつれ、道幅が広がる。空洞が大きくなる。
「最初はこんな小さな入り口にどうやってあの化け物が入ったか不思議だったが、これくらい大きければ横になることくらいはできるな」
「この洞窟は入り江に繋がっています。アレンシュタイン様はそちらのほうから入り込まれたのです」
「なるほど、洞窟の入り口はひとつではないというしな。リディアがいれば迷うことは無さそうだ」
「だね。ただ気になるのは途中、トラップや敵と遭遇しないかだけど」
「このダンジョンにはアレンシュタイン様の貴重な研究資料や財宝が隠されています。普段は何重にもトラップを作動させ、守護者も周回させています」
「それは一大事だ」
「しかし、トラップはすでに解除してあります。ガーディアンも停止させているはず」
「手際がいい」
「どういたしまして」
ぺこりとメイドさんのように頭を下げるリディアだが、有能な彼女も想定していなかった事態が起こる。
このダンジョンは侵入者から秘宝を守るため、動く鎧、リビング・アーマーを配置していた。無論、停止装置の発動によってリビング・アーマーはただの鎧と化していたのだが、その鎧を〝利用〟した生き物がいるのだ。
それは海の神の眷属であるゼラチン・スライムと呼ばれる怪物であった。
不特定で不確定な生き物は、海神の復活によって大発生していた。さらに彼らは侵入者から海神を守るようインプットされているようで、僕たちに殺意を送ってくる。
レヴィンは一歩前に出ると剣を抜き放つ。
「ウィル少年と出会ってから、あたしの活躍する場所もなかった。ゼラチン・スライムくらいならばあたしでも倒せる」
「無理はしないで。やつらただのゼラチン・スライムじゃない」
「分かっている。鎧を着るゼラチン・スライムなど初めてだ」
しかし生来の短気であるレヴィンは真っ先に斬り掛かっていた。ただ、心配はいらない。彼女は女性ではあるが、剣の勇者の称号を持つ武人でもあるのだ。リビング・アーマーの鎧を纏っている程度ならばゼラチン・スライムごときに後れを取るなど有り得なかった。
レヴィンは次々に鎧を着たスライムを破壊していく。
ルナマリアも感嘆の声を上げるほどであった。
このまま彼女ひとりで余裕かと思われたが、そうはいかない。奥から次々とゼラチン・スライムが現れる。赤、青、黄、カラフルな連中がやってきた。
僕も剣を抜くが、ルナマリアも剣を抜き、戦闘に参加する。神々に育てられしもの、大地母神の巫女、剣の勇者、総参加の華やかな戦場となる。このまま圧勝するほどの勢いがこちらにあったが、物事はそう単純ではないようで。
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