リディア
僕たちは砂浜で倒れ込んでいる。
呑気に水泳大会をしているわけではなく、船が難破したのだ。
――今からさかのぼること数時間前。
エベック提督が操縦する船で魔の島に近づいたとき、僕たちは怪物に襲われた。
一角オルカの群れに襲われたのだ。
海の神さえ討伐する僕らであったが、一角オルカの群れは狡猾で 、それでいて強力だった。あっという間に船底に穴を開け、僕たちの乗っていた船を沈める。
おそらく、魔の島を守るため訓練されていたオルカは船を沈めると僕たちを捕食しようとしたが、それは僕とヴァンダル父さんの活躍で避ける。雷に氷、あらゆる魔法を駆使し、数匹ほど仕留めると、オルカの群れは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ただ、それでも船を沈められたことに変わりはなく、僕たちはそのまま流れの速い潮に巻き込まれ、気を失う 。
そして起きると、海水であられもない姿になったルナマリアの姿を見ることになる。彼女の巫女服は海水で透けているし、海流ではだけてしまっている。またとても艶めかしいポーズで倒れているので目のやり場に困る。
ただ彼女は無事のようで胸は上下に動いていた。息をしている証拠だ。
M字になっているルナマリアの足を閉じると、他にこの浜に流されている仲間がいないか確認する。
浜には人影がもうひとつあった。レヴィンだ。彼女はルナマリアのように艶めかしい格好はしていないが、その代わり腹を膨らませ、ぴゅーっと塩水を吐いていた。どうやら大量の塩水を飲んでいるようだ。人工マッサージをしておいたほうがいいだろう。レヴィンのお腹をぎゅーっと押すと、大量の塩水を吐き出した。これで一命はとめたはずである。左手の盾は「ねえ、チューは? チューはしないの?」
と囃し立てるが、無視をする。人工呼吸は不要に思われた。
それよりもヴァンダル父さんや他の水夫たちの姿が見えないのが気になる。水夫たちは船を最後まで操縦していたから、別々の場所へ流れ着いたのは分かるが、父さんは僕たちと最後まで一角オルカの群れと戦っていた。同じ場所に流れ着いても不思議ではないが……。
そのように考察していると、何者かの気配に気がつく。そのものは気配を隠すつもりがないのだろう、砂浜 にじゃりっと足を踏み込ませながらやってくる。
人が住まぬはずの魔の島、そんな場所で遭遇したのだから警戒をせざるを得ないが、こちらに向かってくる女性は警戒心を解きほぐすような格好をしていた。
「……メイド服……だよね……?」
疑問調の僕の独り言に、左手の盾は『だねだね』と答えてくれる。
僕の緊張感は一気に下がったが、それを助長するかのようにメイドさんはにっこりと微笑む。
「お久しぶりです、ウィル様。わたくしはこの魔の島でアレンシュタイン様にお仕えするメイドでございます」
「君は先日会ったメイドさんだね」
「はい。先日のパーティー以来ですね」
彼女は自分の正体を隠す気はないようだ。それもまた彼女への信頼感に繋がる。武器も携帯していないようだし、襲うならばもっと適切なタイミングがたくさんあった。この女性は敵ではあるが、危険ではない。そう判断した僕は彼女にルナマリアとレヴィンの介抱を手伝ってもらうことにした。
彼女はにこりと同意してくれる。
「どちらも身体が冷えているご様子。屋敷で暖を取らせたほうがいいでしょう」
そう提案してきたので、僕は迷うことなくそれに従った。僕がルナマリア、彼女がレヴィンを担ぐと、彼女の先導に従って、アレンシュタインの研究施設へ向かった。
アレンシュタインの研究施設兼屋敷は魔の島の中央部分にある。
魔の島は岩礁に囲まれ、接岸が難しい地形だが、島の中央部分は自然豊かで風光明媚な地形となっていた。“魔の島”などというおどろおどろしい呼称からは想像できない。
それにメイドさんに案内された研究施設もあまり「魔」っぽい感じはしない。都市部にあるような洗練された施設で、学生が研究に勤しんでいそうな雰囲気を持っている。
『メイドさんもいるから、なんか魔って感じはしないね』
左手の盾も僕と同じ感想を持っていたようで遠慮せずに感想をつぶやく。
「たしかにメイドさんがいるなんて場違いだ……」
小さな声で盾に応えるが、彼女はどうやらとても耳がいいようでその件について尋ね返してくる。
「ふふふ、そんなにわたくしの格好は珍しいでしょうか」
メイド服のスカートをふわりと揺らしながら問うてくる。
素直に思ったことを口にする。
「魔の島と言われているくらいですから、悪魔が出迎えにくると思っていました」
「あいにくとこの島には悪魔のたぐいはおりません」
彼女はそう言うと客間に案内してくれた。ルナマリアとレヴィンの身体を温めるために暖炉に火もくべてくれる。ぱちぱちと立派な暖炉に火がともると、部屋の温度は上がる。先程まで青ざめていたふたりであるが、顔色を徐々に取り戻す。このまま時間が経てば自然と目覚めるだろう。
改めて彼女に礼を言うと、とあることに気がつく。
「そういえば命の恩人に名を名乗ることも忘れていた」
とんだ不調法である。神々の息子が礼儀知らずと思われたくないので、慌てて挨拶をする。
「僕の名前はウィル。神々の山からやってきたんだ。君の名前は?」
「わたくしの名はリディア。この魔の島で生まれ育ちました」
「リディアか。綺麗な名前だね」
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう。君のおかげでルナマリアもレヴィンも大事なさそうだ」
「あの調子ならばすぐに目覚めるでしょう。目覚めればきっと喉が乾いているはず」
「レヴィンは特にかも。塩水を大量に飲んでいたし」
「ならば今からお茶を入れます」
僕も手伝うよ、とは言わない。ここは人様の屋敷であるし、彼女はメイド、仕事を奪うような真似はよくない。ルナマリアもよく紅茶を入れてくれるが、紅茶を入れるのを手伝うよりも、入れた紅茶を美味しく飲むほうが彼女は喜ぶ。メイドと従者は違う職業だが、その辺の機微は通底しているに違いない。
そう思った僕は素直に紅茶の用意が整うのを待つ。リディアが湯を沸かし、菓子の用意をしている間にルナマリアが目覚める。彼女が目覚めた喜びを口にしているとレヴィンも目覚める。ふたりは一命をとりとめたことを素直に喜び合うと、現状を尋ねてきた。正直に話すと、
青天の霹靂を見たかのように驚く。
「ここはアレンシュタインの屋敷なのですか?」
目を丸くするルナマリア。
「敵地ではないか!?」
枕元の剣に手を伸ばすレヴィン。
僕はここが敵地ではあるが、危険な場所ではないと伝える。
「僕たちを助けてくれたメイドさんに悪意はないよ。それにここにはアレンシュタインもいない。もっかのところ安全だ」
「なにを悠長な。そのメイドに毒をもられるかもしれない。それにアレンシュタインがいつ戻ってくるかもわからない」
「それはない」
断言する。特に前者。リディアという少女は僕たちを害する気はないように見える。少なくとも寝首をかくような真似は絶対にしないタイプに見えた。
レヴィンはいくら説明しても信じてくれないが、ルナマリアでさえ、半信半疑のようだ。しかし、その後、リディアの用意してくれたお茶を飲んでふたりの意見は変わる。
同じ茶道楽のルナマリアから見てもリディアの入れる紅茶は完璧だった。茶葉の選定から、茶葉の蒸らし方、茶の注ぎ方までケチのつける要素がないらしい。
このように丁重に客をもてなせるメイドが悪人の訳がない、という論法でリディアを信用するようになる。
ルナマリアらしかったが、レヴィンはさらに彼女らしい。
「こんな美味いケーキを焼き上げる娘が悪党のわけがない」
と断言をしたむしゃむしゃとバウムクーヘンを口の中に放り込む剣の勇者レヴィン。口元にはたっぷりと生クリームが付いている。
その姿に緊張感はまったくなく、場が和む。もしかして計算ずくでバウムクーヘンを頬張っているのかと思ってしまったが、彼女はそんな小賢しい計算はできない。純粋にバウムクーヘンが美味いのだろう。それにリディアは本当に悪者ではないのだ。彼女のように清らかな笑顔を浮かべられるものが悪党だというのならば、この世に物理法則をすべて計算しなおさなければならない。リディアという少女はそれくらいに素敵な笑顔ができるメイドであった。




