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魔術の神ヴァンダルの一番の弟子

 久しぶりにスカートを脱ぎ、ズボンをはく。思えば長い間〝ウィルへミナ〟になっていた。ずっと女性用の衣服をまとい、女性用のトイレに入っていたが、やっとその窮屈な生活から解放される。


 ルナマリアは茶目っ気たっぷりに、

「このままでもよろしいのに……」

 と冗談を言ったが、それは丁重にお断りする。山でもよくミリア母さんに女装させられたが、僕は決して女装が好きなわけではなかった。


 というわけでさっさといつもの格好に戻ると、僕は評議会が行われている議会へ向かった。



 僕たちを利用して海の神を取り込んだ魔術師アレンシュタイン。


 最強の力を得たはずの彼であるが、予想に反して航路を襲うことはない。


 一週間経っても、二週間経っても船が襲われたという報告がもたらされることはなかった。そうなってくると商魂たくましい交易都市シルレの人々は評議会に制止を振り切って、大海原に乗り出す。なにごともなかったかのように通商を始めた。


 僕たちの最終目標は航路の正常化と通商の再開なのだから、願ったり叶ったりであったが、評議会の幹部は困惑せざるを得ない。


 評議会の長老であるケニー・ブライエンは渋面を作りながら言う。


「……おかしい。邪教徒共は最強の力を手に入れたというのに、なぜ、我が街を襲わないのだ。アレンシュタインとかいう魔術師を使えば容易に我が街を隷属化に収められるというのに」


 もうひとりの重鎮、ヴィクトール・アナハイムは言う。


「ケニー氏、もしかして邪教徒と魔術師の目的は違うのではないでしょうか」


「ふむ、つまり魔術師アレンシュタインにとって我々も邪教徒もあの化け物を得るための道具であって、目的さえ達すればどうでもいいと」


「そういうことです」


「そうかもしれん。しかし、海神を手に入れるという目的を達したやつは、その力をなんのために使うのだろうか?」


 評議会の商人たちは考え始めるが、結論は出ない。もともと、彼らは利に聡い商人であって、魔術師ではない。もしも自分たちならばその力を使って巨利を得ようとするだろうが、魔術師という生き物はとにかく変わりものだった。もしかしたら「ただ、海神と融合してみたかった」という知的好奇心で今回の騒動を起こした可能性さえあるのだ。


 しかし、そのような想像をもとに街の進路を定めるわけにはいかなかった。


「海の神と同一化したやつを倒すことは難しいかもしれない。しかし、やつの動向は探るべきだ。やつの本拠地、魔の島に調査隊を派遣しよう」


 ――結局、一番無難な方向で意見が統一されると、交易都市を代表して調査隊が結成されることとなった。無論、僕はそのメンバーに立候補する。


「評議会の皆さん、どうかその調査隊に僕もお加えください」


 調査隊に立候補をしたのは、純粋な知的好奇心もあるが、それ以上に先の戦いで煮え湯を飲まされたということもある。結局、僕はアレンシュタインの姦計を看破できず、やつに利する行為を行ってしまったのだ。


 ケニーさんもヴィクトールさんも僕は最善を尽くしたと慰めてくれるが、政治の世界で必要なのは「結果」であった。アレンシュタインは今のところ悪事はしていないが、これからどうなるかは未知数である。もしもその邪悪で強大な力をこの街に使われたら後悔しか残らない。


 それに――と僕は部屋の隅で沈黙を貫いている父を見る。


 魔術の神ヴァンダルは先日から寡黙に考え事をしていた。


 おそらくであるが、かつての弟子アレンシュタインに関係しているのだろう。もしかしたらヴァンダル父さんは、なぜ、アレンシュタインが襲ってこないのか知っているかもしれない。話す気はないようだが、放置する気もないようだ。おそらく、このままにしておいたら、ひとり、アレンシュタインの本拠地である「魔の島」に乗り込んでしまうような気がした。それだけは避けたかった。


 僕が調査隊に立候補すると、ルナマリアも挙手をする。遅れてレヴィンも挙手をする。


 彼女たちは僕が地獄に行くと言っても付いてくるだろうから、いまさら驚きはしなかったが、防衛艦隊の提督エベックさんまで着いてくるといったのは驚いた。


「ウィルヘミナ嬢! ――いや、ウィル少年か」

エベックさんは訂正するが、その言葉に驚きの成分は少ない。もしかしたら彼は僕が男であると見抜いていたのかも知れない。いや、気が付いていたのだろう。エベックさんはあえて僕の嘘に騙されていてくれたのだ。それを証拠に彼は再び僕に命を懸けてくれる。


「ウィル少年は俺の艦隊の水夫たちの命の恩人だ。彼がいなかったら全滅をしていた。俺は一宿一飯の恩義は必ず返すタイプでな」


 そう言うと防衛艦隊の提督の称号を引きちぎり、ケニーさんの前に置く。


 それが彼の決意表明だった。 


 ケニーさんは呆れながらも彼の決意を無駄にする気はないようだ。


「……やれやれ、防衛艦隊の再建という仕事があると言うのに」


「それは副官のシュレックがこなすだろう。それにわしの血はうずいておる。若き頃、七つの海を駆け回ったときよりも滾っているくらいだ」


「ならば戦士としてウィルのサポートをしてくるがよい」


 ケニーさんは年長者としての度量を見せると、そのまま調査隊を組織する旨を宣言した。


 反対者はいなかったので会議はそこで終了する。






 会議が終わると僕はヴァンダル父さんを探した。会議でも終始発言をすることはなかったが、調査隊のメンバーが発表されたとき、父さんの名前も上がった。


「神々は人間の争いに介入しない、という不文律があるのは知っていますが、今回は相手も〝荒神〟なにとぞ、ご協力願いたい」


 とケニーさんが頭を下げたのだ。


 ヴァンダル父さんは「うむ……」と軽く頭を垂れたから、同意したということだろうが、魔の島に乗り込む前に、なぜ、父さんがここにきたのか、アレンシュタインの目的だけでも聞いておきたいところだった。


 ケニーさんの屋敷にある図書室、そこで寡黙に本をめくる父さんに話し掛ける。


 神々の山では本を読んでいるとき、三日でも四日でも黙々と他人を寄せ付けない父さんであったが、さすがに反応はしてくれた。――反応はしてくれたが、本から視線は一切動かさず、僕の目を見ずに語り始めた。


「――アレンシュタインとの出会いはかれこれ三〇〇年ほどになるか」


 父さんが僕の返事を求めていないことは明白だったので、沈黙によって返答する。


「…………」


「わしは当時、この世界を遍歴し、様々な知識を吸収していた。まだ神になる前でな。しかし、永遠の命は得ていたから、いくらでも知識を吸収する時間はあった」


 ヴァンダル父さんはローニン父さんと同じ新しき神々だ。なにかきっかけがあって神になったのだろうが、今は触れない。


「その当時、わしはとある魔術師教会の長と知己を得た。そして象牙の塔と呼ばれる研究機関で教鞭を執るように頼まれてな。人に教えるのも一興、分離分解して言語化するのは自分のためにもなる、と引き受けた」


「そこでアレンシュタインさんと出会ったんだね」


「うむ、そうじゃ。――やつは天才じゃった。象牙の塔は世界各国から英才教育をほどこされた魔術師が集まる研究所なのだが、その中でもやつは出色の才能を示した。わしが長年書けて編み出した術式を一日で理解するどころか、余分な式を省いて洗練されたものにするくらいの知識と知恵を持っていたのじゃ」


「それはすごい」


「ああ、すごい。まさに魔術の麒麟児。こやつならばわしと同じ永遠の命を得られる。同じ景色を見られると随分贔屓し、鍛えまくった」


「ふふふ、それは大変だね」


 神々の英才教育のすごさは誰よりも僕が知っていた。


 ヴァンダルも自分の容赦なさを知っていたので、同じように笑うが、それも一瞬だけ。すぐに真剣な表情を取り戻す。


「そのようにしてわしはやつを弟子にした。百年ほど一緒に研究を重ねただろうか。いつしかわしはやつを弟のように思うようになり、やつはわしを兄のように敬うようになっていた」


「……そんなふたりがどうして袂を別ったの?」


「喧嘩をしたわけではない。考え方に違いが出ただけだ」


「考え方に違い……」


「吟遊詩人どもがよく口にする音楽性の違いというやつかの。わしにとって研究はなによりも大切なことであったが、やつはそれに飽き始めた。正確には魔術の真理よりも大切なものを見つけた、と言い換えてもいいかもしれない」


「それはもしかして愛する人のこと?」


「ほう、ようわかったな」


「物語の定番だし、それに最近、その気持ちが分かるようになってきた」


 以前出会ったエルフとドワーフのお姫様を思い出す。――それにルナマリアの顔も浮かぶ。なによりも大切なもの、掛け替えのないものというのは存在するのだ。


 それがこの旅で知ることができた「世界の真理」だった。


 そのことを話すとヴァンダル父さんは目を細める。


「さすがはわしの可愛いウィル。わしが数百年掛けて到達した真理にもう近づきおって」


 いたく感動しているようだ。ミリア母さんならば抱きしめて窒息させてくるだろうがヴァンダル父さんは神々の中でも分別が付く大人であった。


「アレンシュタインは、象牙の塔にやってきた新任の女研究者と恋仲になった。そしてわしとの共同研究をやめ、象牙の塔もやめ、ふたりで田舎に戻ることにした」


「結婚したんだね」


「うむ、そうじゃ。当時のわしはアレンシュタインの行動が理解できなかった。だからふたりを祝福することはなく、旅立ちの日にも餞別ひとつ渡さなかった」


「…………」


「当時のわしは狭量な上に偏屈だった。――それは今もだが」


「だけど今は家族を愛する気持ちを知っている」


「うむ」と僕の顔を真剣に見つめる。


「当時のわしは愚かだった。弟のような弟子の幸せを祈ることが出来なかった。酷い言葉を浴びせかけてしまったこともある。しかし、そんなわしにもアレンシュタインは呆れることなく手紙を送ってくれた。美しい新妻との生活の近況を送ってくれた」

 ヴァンダルは懐かしい目をすると、懐から印画紙を取り出す。その印画紙は古ぼけてはいたが、若かりし頃のアレンシュタインと若い女性が写っていた。しばし、その印画紙に注視していると、とあることに気が付く。


「……あれ、この女性どこかで見たことがあるような」


 それも遠い昔ではなく、ごく最近だ。

 ヴァンダルは「それはないだろう」と言う。


「この娘はただの人間、不老不死の法には成功していない。定命のものだ。もう、何百年も前に死んでいる」


「不老不死の法は誰でも会得できるんじゃないんだね」


「その通り。この法に近づけたのものは長い魔法の歴史でも数えられるくらい。アレンシュタインは貴重なひとりだが、やつの術は不完全なもの。永遠ではなく、ひとよりも長生き程度に過ぎない」


「じゃあ、もしかしたら〝永遠の命〟を手に入れるために、海神と融合した可能性もあるね」


「その可能性は高い。永遠の命は魔術師の悲願でもあるからな」


 ヴァンダル父さんもまた〝完璧〟な不老不死ではなく、永遠の命は研究テーマのひとつなのだそうな。魔術の世界の裾はどこまでも広かったが、今、気にしなければいけないのはアレンシュタインの奥さんと思わしき人とどこで会ったかである。記憶を総動員すると、ルナマリアと踊ったあの日の夜を思い出す。


「ああ、そうだ。あの日だ。たしかこの人、ブライエンさんの宴のときに見かけたんだ」


「なんじゃと? それは誠か?」


「うん、まったく同じ顔立ちをしている。ただ、ドレスではなく、メイド服を着ていたけど」


「ううむ、まさか、有り得ない」


「不老不死の法を完成させたんじゃ?」


「それはない。この娘はたしかに死んでいる。わしはこの娘が流行病で死ぬところを、葬式で泣き崩れるアレンシュタインをたしかに見ている」


「……彼女の子孫……とか?」


「そうか。忘れておったが、その可能性は高いな。わしが知らぬ間に娘をこしらえていた可能性はある」


「年齢的にひ孫かもしれないね」


「うむ、そうじゃな。まあ、その辺はあって聞くしかないか」


「そうだね。ここで話していても推論しかできない。もう、直接会って聞くほうが早いね」


「そうじゃな」


「じゃあ、父さんと船旅だ。船酔いはしない?」


「何年生きていると思っている。――船酔いするに決まっているだろう。わしは学者肌の魔術師なのだから」


 偉そうに誇るが、対策はバッチリのようで船酔いの薬をあらかじめ煎じてあるらしい。


 僕は先日の航海ですっかり慣れてしまったが、レヴィン辺りは分けてあげると喜びそうだ。そのことを父さんに伝えると、僕たちは旅支度を始めた。


 今度は洋上ではない。交易都市シルレの沖に浮かぶ「魔の島」が戦いの舞台となる。


 そこで待ち構えているはずのアレンシュタインという魔術師が、僕たちの敵であった。いや、敵となるか確かめるために確認するのが僕たちの役割だった。


 僕としてはヴァンダル父さんの弟子と対立することは望んでいない。ただ、アレンシュタインは荒神との融合を遂げている。その力を使ってなにかをしようとしている。


 邪教徒の手下となり、航路を荒らしていたという過去もある男だ。理由があってのことかもしれないが、悪事は悪事、今後、なにをしでかすか未知数なのである。もしかしたら会うなり戦闘になる可能性もあったが、それはそれで仕方ないことであった。


 今回のこともあるが、邪教徒の集団であるゾディアック教団と僕は不倶戴天の敵同士だった。もはやどちらかが倒れるまで収まりが付かない。そんな状況まで来ていた。もしもアレンシュタインがまだ邪教徒と通じており、悪事を繰り返すというのならば、魔術の神の弟子として、引導を渡すだけであった。


 そのような決意のもと、僕は再び船に乗り込む。


 今度は男の子として、神々に育てられしものとして、魔術の神ヴァンダルの一番の弟子として――。

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― 新着の感想 ―
[一言] 象牙の塔って元ネタオーフェンの牙の塔ですよね? オーフェン好きなんですか?
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