ケイオーンの死
一時の安らぎである宴が終わりを告げると、決勝戦当日となる。
早朝、僕は誰よりも早く起きると、剣の素振りをし、ランニングをする。
熱いシャワーと冷水を交互に浴びると身を引き締める。
ストッキングは身に着けるが、下着だけは男性もの。レヴィンのために女装はしているが、心まで女の子になったつもりはない。
ストッキングを太ももの根元までまくし上げると、
「よし!」
と身支度を調える。
カレンのメイドたちに化粧を施して貰うと、そのまま決勝の会場へ向かう。
決勝戦の会場はすでに観客で満ちあふれていた。
昨日、戦った女戦士などの姿も見られる。
視線が合うと手を振ってくれる。
しかし、それにしても人が多い。この人たちから全員、観戦料を取っているのだから、今回の花婿捜しは商売として成立するかもしれない。
そう漏らすとレヴィンが首肯してくれる。
「おじ上は商魂たくましいからなあ。すでに興業事業への進出も考え始めたらしい」
「……さすがだね」
そのようなやりとりをすると、舞台の上に登る。すでにそこには対戦相手がいた。
グランド商会のケイオーンだ。彼は拳にナックルを付けている。どうやら拳闘士タイプの戦士のようである。
舞台袖からレヴィンが情報を教えてくれる。
「ケイオーンは若かりし頃、拳闘の賭け試合で資金を貯めて船を買ったんだ。その後、海賊まがいのことをしながら商売を軌道に乗せたらしい」
「武闘派商人ということか」
「ああ、なかなかの使い手らしいが、それでも神の子には遠く及ぶまい。ウィル少年、格の違いを見せつけてやれ」
「了解――」
と言ったものの、実はそれほど楽観はしてない。先日からケイオーンにはただならぬ気配を感じていた。否、正確には彼が懐に隠し持つ神器に。
やつの懐からはただならぬ邪悪な気配が漂っていた。
ルナマリアもそれに気が付いているらしく、注意を喚起してくる。
「ウィル様、お気を付けください」
心の底から心配するルナマリア。彼女をこれ以上心配させないため、僕は全力を尽くす。
昨日彼女と交わした約束通り、「一刀のもと」に決着を着けることにしたのだ。
進行役が試合開始の合図を出すと同時に、僕は必殺技を放つ。
天息吹活人剣ではない。それよりも殺傷力のある瞬絶殺である。
この技はカミイズミ流の秘剣で、剣聖カミイズミとその孫ヒフネ、剣神ローニンしか使えない秘技中の秘技であったが、彼らの技術と志を学んできた僕も使うことが出来た。
先日のヒフネさんとの戦いで会得したのである 。
瞬絶殺とは、抜刀術をしながら前進することにより、通常の抜刀術よりも速度と威力を稼ぎ出す技だ。口にすれば簡単なのだけど、実際にやってみると難しい。
抜刀術は心を穏やかにし、細心の注意を払いながら剣を抜く技。突進はその真逆の性質を持つ。相反する性質の技を組み合わせるのは、誰しにも出来るものではない。
幼き頃から剣の鍛錬を欠かさず、多くの経験を積んだものしか、繰り出すことのできない大技と言えた。僕が使いこなせるのは、神々の英才教育のおかげとも言える。
神々に感謝せねば。『瞬絶殺』を繰り出す瞬間、そのようなことを考えながら、僕は相手の急所を見つめる。
瞬絶殺が最も効果を発揮する箇所は、相手の首である。そこに剣戟を加えることができれば文字通りクリティカルで、一撃で相手を絶命させられる。
しかし僕は殺人鬼ではない。かつて人だったものを斬ったことはあるが、人間を斬り殺したことはまだないのだ。
甘ちゃんだと言われることもあるが、今日の戦いでも、今後もなるべくならば人は殺したくなかった。だから僕は首ではなく、やつの右腕めがけ、瞬絶殺を加える。
腕を切り落として勝負を付けようとしたのだ。――しかし、そのような甘い計算はやつには通じなかった。正確にはやつは斜め上の方法で自分の右腕を守った。
やつは右腕よりも自分の首を格下と見なしたのだ。
瞬絶殺の剣の機動を読むと、やつは体勢を低くし、腕ではなく、首で抜刀術を受け止めた。通常、有り得ない動きであるが、吹き飛ばされた首は空中でこう語った。
「俺は拳闘士でな。腕のほうが首よりも大切なのだ。それにこのアーティファクトがあれば、首など胴体から離れてもどうとでもなる」
そう宣言したとおり、やつの懐にあったアーティファクトが怪しく光ると、やつの身体は黒い霧に包まれる。やつの身体は数秒で膨れ上がり、醜く変質する。悪魔のような身体を得る。
その姿に会場のものたちは恐れおののく。
主宰者であるケニー・ブライエンは主賓席から立ち上がり、
「貴様! 邪教に手を染めていたのか!?」
と叫んだ。
邪教――ゾディアック教団はこの都市でも当然のごとく禁教だ。入信が発覚すれば評議会は除名、都市からも永久追放される。
ゆえにケイオーンはしらばっくれると思ったが、彼は意外にも往生際がよかった。
ケニーのもとへ振り向くと、こう言い放つ。
「これはこれは評議会の重鎮にして、我が義父となるお方」
「貴様に父呼ばわりされる義理はないわ!」
「なるほど、まあ、それは当然ですな。しかし、ならば俺が邪教徒である心配などしなくていい」
「なんだと!?」
「たしかにこのことが露見すれば俺は評議会から追われることになるだろう。しかし、それは『露見』すればの話。要はばれなければいいのだ」
そう言うと会場の四方から柱が伸びる。そこから魔力の波動が伸び出て、柱同士を結ぶ。
「む、これは!?」
「おまえたちを閉じ込める籠のようなものだ。それに触れれば灰となるぞ」
ケイオーンは忠告するが、それでもケイオーンの姿を見て動揺した観客のひとりが逃げ出そうとする。当然、魔力の壁に触れることになるが、そのものは一瞬で黒い炎に包まれ、身体を燃やし、灰となる。
「きゃ、きゃあああー!」
その光景を見て貴婦人は叫び、気を失う。
「ご覧の通りだ。これで誰も逃げることは出来ない。俺はこの小僧を殺し、俺の姿を見たものを全員殺す。いや、レヴィンだけは生かさねばならんか。ブライエン家を簒奪するのに必要な大切なコマなのだから」
歪んだ笑顔を浮かべるケイオーン。
レヴィンはケイオーンを睨み付ける。
「ということで、悪いがここにいるものには皆、死んでもらう。なるべく苦痛なく殺してやるから安心しろ」
ケイオーンは愉悦に満ちた台詞を漏らすが、これ以上、やつの好き勝手を許すことは出来なかった。
僕は剣を握り直すと、再びやつに瞬絶殺を喰らわせる。今度はやつはそれを悪魔じみた動体視力と素早さで受け止める。
軽く驚く僕。
「小僧、まだ俺が演説しているのだ。邪魔をするな」
「それ以上舌を動かしたら、その舌を切り落とす」
「おお、怖いな、それは」
戯けた口調で言うケイオーン。
「ぬかせ!」
剣を引くと、くるりと回転しながら後方に飛ぶ。するとやつの左腕が先ほどまで僕のいた場所を刈り取っていた。その拳の圧力で舞台に大穴が空く。
「くはは、みよ。この力、この会場にいる人間すべてが束になっても勝つ自信があるぞ」
「なんだと!?」
剣の勇者レヴィン、それと女戦士は腰の剣を抜き放つが、僕はそれを制止する。
「こいつは僕ひとりで倒します。レヴィンさんたちは会場の人たちが恐慌状態にならないように見張っていてください」
「ウィル少年、そいつは化け物のように強いぞ」
「たしかにそうですが、対処法がないわけではないです」
「しかし――」
それでも食い下がるレヴィンに、ルナマリアが諭してくる。
彼女はそうっとレヴィンの肩に手を添えると言った。
「ウィル様はこの旅で何人もの悪魔を斬り伏せています。心配は無用です」
「そういうこと」
努めて明るい口調で同意すると、僕は再びダマスカスの剣を鞘に収めた。
その光景を見てケイオーンは哄笑を漏らす。
「ふははは、また抜刀術か。準決勝からそればかりではないか」
「光栄に思ってほしいのだけどね。抜刀術はローニン流剣術でも上位に分類される」
「効かないことは先ほどの戦いで証明済みだ。いくら素早く抜刀できても、俺には止まって見える。この悪の右手で払い除けてくれるわ」
太く、たくましく、醜い右手を隆起させるケイオーン。
そういえば僕はまだ彼の二四将としての名前を聞いていなかった。
尋ねる。
「そういえばあなたの二四将としての名を聞きたい」
「なんだ、急に」
「いえ、このまま知らずに倒すのは忍びなくて」
「クソガキが、いいよるわ。いいだろう。冥土の土産代わりに教えてやろう。俺の名はシルドアス、ゾディアック二四将のひとり、シルドアスだ!」
やつがそう叫んだ瞬間、僕は己の力を解き放つ。これでやつにもう用はなくなった。
今まで何人も二四将と呼ばれる悪魔を倒してきたが、おそらく、シルドアスは弱いほうに分類されるだろう。依り代のケイオーンが小物ということもあるが、もともと二四将としての格が低いのかもしれない。
僕が彼に名を尋ねたのは、今後も倒すことになるだろう他の二四将と対峙したとき、シルドアスが物差しになるからだ。
そんなことを口にすればやつは怒り狂うだろうから、口にはしなかった。
ただ、その代わりやつの生命に終止符を打つ。
僕は高速で移動する。己の身体がふたつになるほどの速度でだ。
その姿を見たシルドアスは驚愕の声を上げる。
「な、小僧がふたりになっただと!?」
驚愕の声を上げるが、すぐに冷静さを取り戻す。
「く、こけおどしだ。ただの残像だろう」
やつはそう結論づけると、右手を振り上げる。
「俺の拳は岩を砕く。死ねい、小僧!」
そう叫ぶシルドアスに僕は瞬絶殺を放つ。そしてやつの推測が間違っていることも伝える。
「たしかにこれは残像だけど、僕の残像はひと味違うよ」
そう宣言すると、ふたつの影は同時に抜刀術を放つ。
「な、残像が抜刀術だと!?」
信じられないような顔をしている。当然だ。残像を出しながら高度な抜刀術を放つなど、通常不可能だ。しかし、僕は神々に育てられた特別製だった。
シルドアスは攻撃を諦め、右手で僕の右の残像の抜刀術、左手で左の抜刀術をを受け止める。先ほどよりも早い速度に戸惑いながらも、シルドアスはふたつの攻撃を同時に受け止めた。
冷や汗を流しながらもシルドアスは勝利の咆哮を上げる。
「ふははー! みたか。いくらふたつ同時に放とうとも最強の悪魔である俺を殺すことはできないのだ。俺を殺したければ神をも殺す一撃を加えて見せよ!」
「分かった」
僕は一言だけそう言うと、〝三つ目〟の抜刀術をやつに加えた。
そう僕の残像はふたつではなく、みっつだったのだ。
空中で作っていた残像、――僕の本体はそのまま薪割りの要領でやつを切り裂く。
首を吹き飛ばしても殺せない悪魔、ならば頭から心臓まで一撃で切り裂ける斬撃を加えるのは当然の処置だった。
最大限まで魔力を込めた必殺の一撃が放たれる。
当然、右と左手で防御をしていたシルドアスは防ぐことは出来ない。僕の攻撃をまともに食らう。それは彼の死を意味する。
真っ二つに切り裂かれた彼は、「……ま、まさか、こ、この俺様がどうして……」と言い残した。
すでに絶命している悪魔に僕は答える。
「おまえは人の命を弄ぶ悪魔だ。僕はそういった外道相手に何倍もの力を発揮するんだ」
その言葉は届くことがないし、やつに来世というものがあっても、きっとゴキブリかなにかなので響くことはないだろうと思うが……。
こうして僕は交易都市で蠢動していたゾディアックの手先を倒した。
それで街に平和が訪れるわけではないが、それでも僅かだけ空気が浄化されそうな気がした。
 




