ゾディアックの影
ブライエン家に入ると、驚かされることばかり、至るところに豪華な調度品が並べられている。
それだけでなく、数メートルごとに使用人がおり、メイドさんや使用人とすれ違う。しかも皆、教育が行き届いており、すれ違うたびに深々と頭を下げる。
同行してもらったアナハイム家の執事ハンスさんはブライエン家の使用人たちの練度に感心している。
もっとも僕に言わせればアナハイム家の使用人たちもとても親切で礼儀正しい人たちで、当主の人柄と、ハンスさんの指導力の凄さが伝わってくる。
――ただ、わがままご令嬢のカレンの人格的影響も伝わってくるので、そのへんがブライエン家との違いなのかもしれない。
そんな感想を抱いていると、ブライエン家の執事に案内されて、当主ケニー・オブライエンの執務室に案内される。
ケニーの執務室に入ると、彼は陶磁器を手に持ち、それを眺めていた。
先日の再会ではヴィクトールが執務室で書類に追われていたのとは対象的であるが、なにかに集中しているという意味では共通していた。
もしかして一流の商人というのはこのような感じで物事に集中できるという特性があるのかもしれない。
そう考えれば魔術師と似ているところがある。
魔術の神様ヴァンダルも似たようなところがある。研究に没頭したりすると何週間も実験室にこもる。
その間、まともに食事もせず、お風呂にも入らないものだから、よくミリア母さんに怒られる。
「加齢臭がここまで臭ってくるのよ!」
とのことだった。まあ、本当は心配しているのは見え透いているのだが。ヴァンダル父さんの研究馬鹿ぶりに心配したミリア母さんはこっそり栄養ドリンクを差し入れたりしていた。
――話がずれたが、ともかく、達人の思考法というのは似るものらしい。
大商人ケニーさんは陶磁器を磨き終えると、「すまない、すまない」と僕たちの方を見る。
ケニーさんは六〇歳くらいの紳士で、白ひげが特徴的な好々爺だった。足を引きずっているのが気になるが、たぶん、そのせいで武家であるアレンハイマー家を継ぐことができなかったのだろう。もう見た目からは武家出身らしさは微塵もないが、それでも眼光だけはするどく、レヴィンのおじであることを感じさせる。
ケニーはしばし僕たちを値踏みする。特に僕がじろじろと見つめられる。
僕は女装をしている。最初、そのことがばれたのかと思ったが、すぐに表情を崩すと、「この娘っこがアナハイム家の養女か。なかなかにめんこいな。ヴィクトールのやつはどこで見つけてきたのかな」と言った。
『神々が住まう山さ!』というのはハンスさんに預けてある聖なる盾の言葉。彼は評議会の一員なので事情は話せない。
僕は「こほん」と咳払いをした上で声を作る。
「本日は面会してくださりありがとうございます。申し遅れましたが、わたしはアナハイム家の養女ウィルヘミナです。ウィルヘミナ・アナハイム。――ミッドニアの山間部出身です」
「なるほど、山の民か。少し声が枯れているが風邪かね」
「……はい」
ごまかすが、剣の勇者レヴィンはアドバイスをくれる。
「ウィル少年、裏声など出す必要はない。不名誉かもしれないが、君の声はもとから女のようだ。ちょっとハスキーだがそのままでも通るぞ」
本当かな? 周囲に確認を取ると、執事のハンスは寡黙にうなずき、ルナマリアは小声で「そのとおりだと思います」と言った。
「……そんなに僕の声って女の子っぽいのかな」
自覚がまったくない僕は、おそるおそる声を出す。
「あーあー――、あの私はテーブル・マウンテンの麓で生まれました。ヴィクトールさんが所有する山林の視察に訪れた際に目をかけて頂いたのです。――ちょうど、父母を亡くしたところでしたので、養女にとなったのです。そのご恩を返すために今回、カレンさんの代わりに生贄となりました」
おそるおそる言うが、ケニーさんはまったく疑うことなく、
「そのような事情があったのか……可哀想に……」
と同情してくれた。
「いえ、同情には及びません。わたしの父は剣術の達人でした。わたしもその血を色濃く受け継いでいます」
「おぬしがシーサーペントと戦うというのは本当なのか?」
「はい。生贄になる振りをしてやつの虎口に飛び込むつもりです」
「なんとまあ勇ましいお嬢さんだ」
「ただ、それだけではやつに勝てません」
「だろうな。やつは巨大すぎる」
「やつを倒すには評議会で一番の艦隊を持っているブライエン家の協力が不可欠です」
「ふうむ……」
ケニーは長い白ひげを持て余しながら考え込む。
「たしかにシーサーペントを倒すにはこの街が一丸にならないと無理じゃな」
「はい、ですから、どうか、ケニーさんに、ブライエン家に協力をしていただきたいのです」
どうか、お願いします、と頭を下げると、ルナマリアとハンスもそれに続いた。
――しかし、ケニーさんは“優秀”な商人、小娘の空手型は容易には信じない。
「お嬢さんの心意気は買うが、わしはブライエン家の当主、簡単に首を縦には触れない」
「…………」
やはりそうか、という感情しか湧かないが、それでも諦めることはできない。
僕は自分の実力、それとこの戦いの勝算を熱弁するが、それでもケニーはなかなか首を縦に振らなかった。
話は長時間に及ぶが、最初に感情を爆発させたのは、僕でもケニーさんでもなく、レヴィンだった。彼女は僕たちのやりとりに割って入ってくる。
「おじ上、先程から聞いていれば、なにを臆病風に吹かれているのです」
感情をあらわにするレヴィン、彼女は武家の娘らしい論法でおじ上に喰いかかる。
「おじ上は英雄である父上の兄上です。父上はよく言っていました。兄は生まれながらにして足が悪かっただけで、その勇気、智謀は俺とは比較にならない、もしも兄上が当主になっていたら、俺はただの騎士として一生忠誠を捧げたと」
「ありがたい評価だ」
ケニーは感慨深く言葉にする。
「アレンハイマー家の血筋に臆病者はなし、領民は常々そう口にしていました。是非、そのことを証明していただきたい」
「たしかにアレンハイマー家のものに臆病者はいない。それは我が弟が証明している。我が弟、お前の父は、国王の命令に背いてまで領民を守った。正義に準じた。そのせいでアレンハイマー家はお取り潰しになったが、先祖は我が弟の行動を褒め称えるだろう」
「ならばおじ上も義を見せてください」
「しかし、わしはお前の父のような勇気も義侠心もない。生まれたときにはあったかもしれないが、今はない。それにわしは今はアレンハイマーではなく、ブライエンなのだ。ブライエンの標語は『生き残れ、話はそれからだ』なのだ」
「おじ上は臆病者だ」
「そうだ、わしは怖い。お前を残して死ぬのが 。おまえの肉親はもうわしだけだ」
「…………」
「わしには子はいない。アレンハイマーの血を残すにはおまえに懸けるしかないのだ」
「必要なのは血ではなく、意志ではないのですか? 私はとある少年と神に教わりました。大切なのは事実ではなく、心なのだと。国では父上は逆臣の汚名を被っていますが、あたしとおじ上は知っているはず。父上が高潔で誇り高い人物だったことを」
「それを後世に伝えたい。その気持ちが俗人だというのならば、わしは喜んで俗人と認めよう」
「俗物過ぎます」
「かもしれん。しかし、わしは商人だ」
「……分かりました。ならばあたしはあたしの方法でやらせてもらう」
「どうするつもりだ。また家出をするのかね」
「まさか、あたしはもう逃げないと誓ったんだ」
「ほう、それは見上げた心持ちだ」
「おじ上の勧めどおりに結婚に真剣に向き合いましょう。それに子も残しましょう」
「まことか?」
「父上の誇りにかけて」
「ならば信じよう」
「その代わりおじ上はアナハイム家に艦隊をお貸しください」
「艦隊を派遣することとおまえの結婚になんの関係がある?」
「おじ上は商人なのでしょう。これは取り引きです。あたしの自由でおじ上の艦隊を買うのです」
「なぜそこまでできる?」
「彼女には借りがある。その彼女が艦隊を欲している。あたしはそれに協力できる。それ以外に理由はいりましょうか」
「いいだろう。その鉄の意志は信用できる。それに当主ヴィクトールは信頼できる」
即答するケニーさん。――穿ち過ぎな考えかもしれないが、もしかしたらケニーさんはこうなるようにわざと艦隊を提出しなかったのかもしれない。レヴィンさんは正義感厚い娘、交易都市の苦境、カレンの悲惨な状況にいつか心動かされ、こんな提案をしてくると踏んでいたのかもしれない。――それほどケニーさんからは優秀さを感じさせるのだ。
「お前に二言はないのは知っているから、これ以上なにも言わないが、縁談、進めてもいいのだな」
「はい。ただし、もうひとつ条件をつけてもらいたい」
「ほう、なんだ?」
「結婚し、子を産む決意はしましたが、できることならば強い男の子を産みたい。少なくともあたしよりも強い男の子を」
「道理だな。アレンハイマーの再興を託す子なのだから」
「あたしは最強の子を産みたい。だから夫も最強のものを」
「いいだろう。しかし、どうやって決める?」
「ええと……それは……」
僕は悩むレヴィンに助け舟を出す。
「――でしたらこういうのはいかがでしょうか?」
「ウィルヘミナよ、なにか策があるのか?」
「はい」
「拝聴しようか」
「簡単です。交易都市の広場、および酒場にこの張り紙を貼るだけです」
ささっと走り書きしたメモをケニーさんに渡す。
懐から老眼鏡を取り出すと、メモを見つめるケニー。
「……ふむ、なるほど、レヴィンの花婿の座を掛けた武術大会を開くのか」
「おお、ウィル――ヘミナいいじゃないか。こいつで片をつける、分かりやすくていい」
レヴィンは腰の剣を抜き放ちながら喜ぶ。ケニーもレヴィンも僕が用意したちょっとした仕掛けに気がついていないようだ。とても助かるので、このまま話を進める。
「それではブライエンとアナハイムの名で布告を。時間がないわけではないですが、シーサーペントの件もあるので一週間後に開催というのはいかがでしょうか?」
「よかろう。太古の昔、この大陸の過半を制した覇王が死の間際、部下に問われた。この帝国は誰に継がせるのですか? と。覇王は言った。『もっとも強きもの』に、と」
ケニーさんはそのような表現で大会を開く旨を歓迎してくれた。
これならば遺恨はないと思ったのだろう。
こうして僕は評議会の有力者の協力を取り付けると同時に、旧友のレヴィンを救い出す策を実行することになる。あとはその策を上手く成功させるだけだ。
要は一週間後に開かれる武術大会で優勝するだけだった。
アーカムに続きまた武術大会であるが、今回は急場の武術大会。アーカムのように権威ある大会ではない。剣聖の娘であるヒフネさんのようなライバルが参加するようなことはないだろう。僕は安心してヴィクトールさんに事後報告すると、大会の開催を待ったが、ルナマリアだけは浮かぬ顔をしていた。
彼女はアナハイム家の別邸から空を見上げると、不穏な雲の動きを追う。
耳と全身で大気の律動を感じると、胸中の不安を口にする。
「……たしかにヒフネさんのような達人はそうそういない。しかし、悪魔の手先はどこにでもいるもの」
つまり彼女はこの大会にも「ゾディアック教団」が介入してこないか、心配をしているわけであるが、その不安は的外れというわけではなかった。




