ウィルヘミナ
その後、僕たちはシーサーペントの情報、この街や評議会の情報を一通り聞く。
なにごとも判断をするのには情報がいるのだ。
情報なしに戦いを挑むのは愚かもののすること、ヴァンダル父さんの格言である。
数時間ほどで概要を聞き終えると、その日は結論を出さずに皆で夕食を取り、あてがわれた客室で睡眠を取る。
「寝る子は育つ! 考えをまとめるのはベッドの中!」
これは脳天気な女神ミリア母さんの言葉だが、案外、真理を突いているというか、ヴァンダル父さんの言葉以上に役立つことがある。
疲れた身体と頭ではよい作戦も浮かばないのだ。
なのでアナハイム商会のもてなしを受ける。
今日、客人が来るとは知らなかったコックは慌てたが、それでも最良の料理を振る舞ってくれる。アナハイム家は普段から美味しいものを食べているようだ。旅先ではとても食べられないような山海の珍味が出てくる。
それらに舌鼓を打つと、カレンの話し相手になる。頃合いが来たら客室に戻って入浴、歯を磨いて就寝。泥のように眠ると、鶏が昼寝を始める時間帯に起きる。
ここまで眠ってしまったのは長旅で疲れているからだが、あのルナマリアも似たような時間まで眠っていたといいわけさせてもらう。
ただたっぷりと寝たおかげで体力は全回復、頭は冴えまくっていた。
壁に立てかけていた聖なる盾が、
『おー、緑のゲージがマックスになってるよ! 良いアイデアは浮かんだ?』
と声を掛けてくる。
「おはよう! イージス。うん、浮かんだ。ばっちりだよ」
相棒にそう答えると扉を叩く音が。ルナマリアも起きたようで、一緒にヴィクトールさんの執務室へ向かおうという提案を持ってきた。
どうやら彼女は僕が妙案を考えついていると確信しているようだ。
さあ、披露しに行きましょう、というていでいた。
過信しすぎなような気もするが、今に始まったことではないので、そのままヴィクトールさんの執務室へ向かうと、僕はそこで宣言する。
「ヴィクトールさん、決めました。生け贄を捧げることにします!」
その提案を聞いたヴィクトールは腰を抜かすが、ルナマリアは悠然としていた。
やはり彼女は僕を信じてくれているらしい。僕がカレンを見放すことはないと信じているのだ。僕はその信頼に応えるため、ヴィクトールさんに詳細を話した。
「…………」
僕の言葉を真剣に聞くヴィクトールさん。最初の言葉に度肝を抜かれた彼だが、僕へ対する信頼感が失われたわけではないようだ。真摯に聞いてくれる。
そんなヴィクトールさんの信頼にも応えるため、懇切丁寧に説明をした。
「……なるほど、つまり生け贄に捧げるが、それは擬態だと?」
「そうです。シーサーペントを誘き出す罠です」
「たしかにシーサーペントは乙女の肉をなによりもの好物とする。誘いに応じてくれるかもしれない」
「やつをこちらが有利な海域に誘き出し、交易都市の艦隊で一気に叩きます」
「交易都市の艦隊を総動員し、神々に育てられしものが協力してくれるのならば、あるいは可能かもしれないな……」
ふうむ、と自身の立派なひげをなで回すヴィクトール。
「しかし、それを実行するには交易都市の評議会を説得せねば。艦隊は私の一存では動かせない」
「それは承知しています。だから評議会に直談判をして頂きたいです」
「それは無理だ。生け贄の儀は評議会の伝統。容易に覆せない」
「カレンの代わりに身代わりになるものがいるとしたら?」
「そんなものいるわけが……まさか……!?」
ヴィクトールはルナマリアを見るが、ルナマリアはゆっくりと首を横に振る。
「最初、私がその方法を取ると説得したのですが、断られてしまいました。私を危険な目に遭わせたくないとおっしゃられて」
「そうだ。擬態とはいえ危険が伴う。関係ない巫女を身代わりにはできない」
それに、とヴィクトールは続ける。
「伝統により、巫女は生け贄にささげられないのだ。何百年か前に心優しい巫女が身代わりを買って出たことがあるのだが、そのときのシーサーペントはなかなか眠りに付かなかった。以来、巫女は駄目だという話になった。まあ、本来、身代わりも駄目なのだが」
「身代わりは駄目でも、ヴィクトールさんの娘ならばいいんですよね?」
「もちろんだ」
「ならばその子を養子にしてください。養女ならば身代わりにしても問題ないはず」
「ううむ、たしかにそうだが、先ほどもいったが、誰がそのような真似を引き受ける?」
ヴィクトールは「そんな娘に心当たりはない」「金を積んで頼み込むか」と頭を悩ませるが、そのようなことをする必要はなかった。
「誰かを犠牲にする必要はありません。なぜならば身代わりは僕が引き受けるからです」
「…………」
その言葉に沈黙するヴィクトールさん。
「なんだって……もう一度言ってくれないか?」
ヴィクトールは問い返してくるが、驚くのも無理はない。
なぜならば僕の性別は男、生け贄にしなければいけないのは女の子なのだ。
ここは百の言葉よりもひとつの真実を見せたほうが早いだろう。
そう思った僕はカレンから借りた女性用の付け毛、ウィッグをルナマリアにかぶせて貰う。
僕にカツラをかぶせる。すぽっとはまるウィッグ。
肩まで伸びた漆黒の髪は、あっという間に僕を女の子っぽくしてくれた。
その姿を見て再び言葉を失うヴィクトールさん。良い意味で驚いているようだ。
「いや、女顔だとは思っていたが、まさかここまでとは」
「子供の頃から、ミリア母さんに女の子の格好をさせられていました。母いわく、生まれてくる性別を間違えたそうです」
「そう言いたくなる気持ちも分かる。が、無関係な君を囮にするのは心苦しい」
「では苦しいままに。その苦しさがある限り、ヴィクトールさんを助けるものが絶えることはないでしょう」
「――有り難いことだ。今すぐ君を養女として迎え入れる手続きをする。名前はどうしようか?」
「それではウィルヘミナで」
「いい名前だ」
ヴィクトールはそう言い切ると、「化粧道具や衣服、必要なものはなんでもいってくれ」という言葉をくれる。
「有り難いです。では用意が調いましたら、評議会に行って僕が生け贄になる旨、お伝えください。それとそれを交換条件に艦隊を派遣する約束も取り付けてください」
「やってはみるが、生け贄が君に代わっただけで、そのような条件、飲んでくれるだろうか?」
「そこは商人としてのヴィクトールさんの交渉力です。もしも失敗したら僕を本当に生け贄に捧げると啖呵を切ってくださって構いません」
「君は生け贄に捧げられん」
「カレンを捧げるよりはまし。艦隊の援護は得られないかもしれませんが、相打ちに持っていく気概で戦います」
「ウィル君……分かった。やってみよう」
というヴィクトールだが、用件を伝え終わっても、僕をまじまじと見つめる。どうやら本当に女の子ではないか、と疑っているようだ。
ルナマリアが冗談めかして、
「アナハイム夫人というのも悪くないかもしれません。ヴィクトールさんは奥さんがいないようですし」
と言った。僕も冗談で返す。
「アナハイム夫人は悪くないけど、カレンのお母さんは僕に務まりそうもない」
「たしかに我が儘お嬢様のお母様役は大変そうです」
軽く笑みを漏らすと、そう締めくくった。




