43匹目の狼
強行軍で竜の穴を目指したが、竜の穴が見える手前で火を起こす。
そこでキャンプを張り、一夜を明かすのだ。
朝になったら竜の穴に飛び込むが、それまでに英気を養う。
「竜は夜行性だからね。今、飛び込めばこちらが不利だ。じっくり身体を休めて万全の体調で挑みたい」
僕はそう言うと抱えていた鍋に水を張る。
塩漬けのベーコンをカットして入れ、だしを取る。
鍋に家から持ってきた野菜を入れる。
それをことことと煮込むと良い匂いがしてくる。
ルナマリアは、
「ウィル様は料理がお上手ですね」
と褒めてくれる。
「そうかな」
「お上手ですよ。ベーコンと野菜を切る手際がいいです。トントンとリズミカルです。これは手慣れている証拠」
「山では当番で料理をするからね。昔は母さんと父さんが順番に作っていたけど、最近は僕もローテーションの一角なんだ。ミリア母さんよりも上手いよ。包丁さばきだけは」
「ミリア女神様ですね。最初、キスをしなさいといわれたときは驚きました」
「たぶん、母さんの冗談だとは思うけど」
もしも即答でOKし、キスをしてたらどうなったのだろう、とルナマリアの唇を見てしまう。
桜色に塗れた彼女の唇はとても柔らかそうだった。
思わず頬を染めてしまう。彼女に光がないのは幸いだった。僕は素数を数えると努めて冷静になる。
「……そ、そういえばルナマリアは料理はするの?」
「はい。巫女は自分ですべてをこなさなければなりませんから」
「包丁で指を切ったりしない?」
「目が見えない分、慎重になるのでそれはないです」
「良かった。じゃあ、旅をしていればそのうちルナマリアにも作って貰えるね」
「お口に合うかは分かりませんが。――てゆうか、ウィル様がさり気なく作ってしまったから忘れていましたが、食事の用意は基本、私がします」
「え? それは悪いよ。当番制にしよう」
「私はウィル様の従者です。身の回りのことをするのがお仕事です。以後、メイドのようにお使いください」
と言うと彼女は木の皿にベーコンと野菜のスープをよそい、それを僕に渡す。
とても器用で目が見えないようには見えない。
僕はスープを受け取ると彼女に尋ねる。
「――君は本当に目が見えないんだよね?」
「はい」
と言うと彼女は仮面を取る。
仮面の下はとても整った目鼻立ちをしていた。
目にも異常はないように見えるが、まぶたを開くと彼女の目が濁っていることに気が付く。
焦点も合っていない。
「幼き頃、地母神に仕えるために、私は光を失いました。目が見えなくなる霊薬を飲んだのです」
「なぜ、そんなことを?」
「地母神に仕えるためです」
「生まれたときから巫女だったの?」
彼女は首を横に振る。
「いえ、私は貧農の生まれです。5人兄弟の末娘だったのですが、両親が流行病で死んでしまったため、神殿に引き取られました。そこで巫女の適性があるとわかり、巫女になったのです」
「じゃあ、半分強制じゃないか」
「そんなことはありません。宿命ですね。巫女になる前日、神の声を聞きました」
「神の声?」
「はい。私が巫女になること。そしてその十年後、身命を捧げるべき勇者様と出会うことを告げられました。その神託はすべて実現しています」
にこりと微笑むルナマリア。
悲壮感はない。彼女にとって巫女としての使命を果たすのは息をするのと同義なのかもしれない。
そう思った僕はそれ以上、なにも言わなかった。
彼女がよそってくれたスープを平らげると、その後、木の歯ブラシで一緒に歯磨きをし、毛布にくるまった。
眠る瞬間、彼女は言う。
「神の予言を聞いた瞬間、神の吐息を感じた瞬間、とても幸せな気持ちに包まれました。――今もです。勇者様と焚き火の前で寝るのはとても心地良い。大きな存在に護られているかのような安心感を覚えます」
彼女はそう言うと早々に寝息を立てた。
初めて会った人間の前でも寝られるのは冒険慣れしているためだろうか、それとも――
一方、僕はというと隣に女性がいるという状況に戸惑っていた。ミリアなどが裸で僕のベッドに入ってきてもなにも感じなかったが、ルナマリアが横にいると思うとなかなか眠りにつけない。
僕は眠るためにルナマリアから視線を遠ざけると、狼の数を数える。
43匹目の狼で睡魔がやってきてくれたが、その後、眠るのにさらに100匹近く数える。
なぜならば44匹目の狼がシュルツとヴァイスという雄と雌の狼だったからだ。
夫婦の姿をした彼らはとても仲良しだった。
再びルナマリアを意識してしまった僕は、なんとか彼女を振り払うと、根性で眠ることに成功した。




