聖蘭草
第二の試練もこなした僕たち、意気揚々と第三の試練を求めるが、その試練を用意する治癒の女神はとんでもないことを口にした。
彼女は試練の存在を尋ねると、僕たちにこう言う。
「あんたたち、私の目の前でチューをなさい」
「…………」
「…………」
僕とルナマリアは思わず沈黙してしまうが、一瞬だけ早く気を取り直した僕が再質問をする。
「……今、チューをしなさい、と聞こえたような気がするけど」
「聞き間違いじゃないわよ。チューをするの」
「さっきは僕とルナマリアがそういう関係になるのを拒んでいたような」
「もちろん、今も拒んでいるわよ。あ、そこの小娘、うちのウィルちゃんとキスしたくらいで正妻を気取ったら許さないからね」
びしっと指を突きつけるミリア。
ルナマリアはなんとも言えない顔をしている。
「まあ、でもふたりが出逢ってしまって、旅に出るのは事実。しかもウィルの初めてのガールフレンドなんだし、キスまでは許しましょう。本当は厭だけど、どうせ陰でぶちゅっとするなら、ファーストキスは目の前で見たい。ううん、《複写》の魔法で絵にしてとっておきたい」
と言うとミリアは手で複写機の形を作り、キスシーンを取る気満々になる。
なんでもロマンチックな一枚が撮れればふたりの仲を認めてくれるらしいが、当然、僕は拒否する。
「いくら母さんでもそんなことを試練にする権利はないよ。断固拒否する」
「あら、外の世界に行きたくないの」
「行きたいけど、その試練は駄目」
ルナマリアも厭だよね? と尋ねると、彼女は、「いやではないかも……それで試練を果たせるならば楽ですし……」と頬を染めた。
その姿を見てミリアはニヤニヤとする。
いけない。このままだとなし崩し的にキスをさせられる、そう思った僕は逆に提案をする。
「ミリア母さんは僕とルナマリアの絆をみたいんだよね? これから一緒に旅を続けられるか調べたいんだよね?」
「まあ、有り体に言えば」
「ならばちゃんとした試練を用意してよ。ふたりが今後、協力していけるか計れるような」
「むう、超正論ね」
さすがのミリアも聞く耳を持ってくれるというか。
キスだけで旅立たせるのはどうかと思ったのだろう。てゆうか、僕は確実に反対すると思っていたようだが、ルナマリアが乗り気なのが計算外だったようだ。
そうなると天邪鬼として別の試練にしたくなるのがミリアだった。
ミリアは腕を組むと、しばし目を閉じ、考え始める。
しばらく考え込むと、ミリアは言った。
「分かったわ。じゃあ、ふたりで一緒に薬草を採ってきて」
「薬草?」
「そうなの。実は最近、お化粧ののりが悪くてね。徹夜のしすぎで肌が荒れているの。だからお肌に良い薬草をとってきてほしいの」
「それならお安い御用だけど、楽すぎない?」
「そんなことないわよ。ふたりに行ってもらうのは竜の穴だから」
「竜の穴!」
僕は声を上げるが、その単語でルナマリアも不吉なものだと悟ったようだ。
「竜の穴とは竜が住む穴なのですか?」
「そうだよ。テーブル・マウンテンの北にあるんだけど、危険だから森の動物も近寄らないんだ」
「そんなところにある薬草を採ってくるのですね」
「しかも母さんの美容のためにね」
ため息を漏らすが、断るつもりはない。
たしかにあの穴をふたりで冒険できるのならば、外の世界でも通用すると認めてもらえるだろう。
「分かった。今からその薬草を採りに行くけどなにか注意点はある?」
「聖蘭草はこの時期、あまり咲いてない貴重な花なの。竜の息で焼かれないようにしてね」
「分かった」
「竜の穴は10階層まであるけど、花が咲いているのは第3階層と10階層だけよ」
「なるほど、他に注意点は?」
「期限は明日の正午まで」
空を見上げる。もう夕刻だった
。
「分かった。じゃあ、今から出掛けるね」
とミリアに背を向けるが、ミリアはハンカチを持ったか、忘れ物はないか聞いてくる。
まるで子供扱いであるが、いつものことなので気にせずすべてを持ったことを伝えるとそのままルナマリアと北へ向かった。
かなりの速度で歩く。
あっという間に神々の住まいを出立すると、僕たちは竜の穴に向かった。
僕たちがいなくなると、剣神であるローニンが治癒の女神ミリアに話しかけてくる。
「てゆうか、ミリアよ、お前、ウィルを旅立たせる気あったのな」
「なにそれ? どういう意味?」
「いや、だってお前の用意した試練は楽勝だっただろう」
「キスはウィルが拒むと思っていたわ。あの泥棒猫は乗り気だったみたいだけど」
「いや、そうじゃなく、竜の穴のほうだ。あれはウィルならば楽勝だろ」
「そうね。ウィルならば簡単に手に入れるはず。安全に、迅速に」
「なら試練はこなしたも同然じゃないか」
「私の試練は聖蘭草を私のもとへ持ってくることよ」
「手に入れればすぐ帰ってくるだろう」
「そうかしら、うふふ」
ミリアは怪しく微笑む。なにやら悪巧みをしているようである。
この女神は昔から悪巧みが得意であったし、そもそも今回の旅に一番反対なのは彼女なのだ。
ミリアは幼き頃からウィルを猫かわいがりしているし、一番、ウィルを手元に置きたがっている。
女親ゆえに仕方ないところもあるが、ウィルが可愛くて仕方ないようだ。
その点、ローニンとヴァンダルは男の子はいつか旅に出るもの、という共通認識があった。
――あったが、実はローニンはミリアを応援していた。あまりそりが合わない女神であるが、今回ばかりは彼女の悪知恵に期待を寄せている。
男の子はいつか旅立つものだが、ウィルにはまだ早いと思っていたし、その時期は遅ければ遅いほどいいと思っていた。
あと数年は一緒に剣を振り、岩風呂に浸かりながら星を眺めたかった。
それが剣神と謳われたローニンの偽らざる心境であった。




