天息吹活人剣
「天息吹活人剣」
僕たちふたりは奥義の名を叫ぶ。
ふたりの源流の流派、遺恨の始まりの奥義の名を口にする。
この奥義を巡って多くの人間が傷付いたが、この奥義はすべての人を癒やし、救う効果もあるのだ。すべての過去を払拭する技であるのだ。
そう信じている僕。
一方、ヒフネはこの奥義を殺人術、究極の人殺しのすべだと思い込んでいるようだ。実際、有り得ない速度で繰り出される抜刀術にそのような可能性を見いだすのは仕方ないことだった。しかし、だから彼女は僕に勝てない。奥義の本質に気が付いている僕に勝てない。
僕は流れるような動作で剣を抜き放つが、途中、剣を逆さにする。
刀身ではなく、峰のほうを相手に向けるのだ。
無論、峰では相手を斬ることはできないが、抜刀術の最中に回転を加えることによって速度は加速される。相手よりも先に剣が届く。つまりヒフネよりも早く抜刀術を繰り出せるということだ。
グオン!
剣から放たれる轟音、それが観客の耳に届くと同時に僕の肥後同田貫の峰がヒフネの脇腹に届く。めきりとヒフネの肋骨が砕ける音がした。
その音を聞いたヒフネはそのまま崩れ落ちる。彼女はなぜ? という表情をしながら気を失った。
観客の怒号が響き渡る。勝利が定まった瞬間、ウィル・コールが響き渡るが、勝利の余韻にひたる気分にはなれなかった。重傷を負ったはずのヒフネのもとに駆け寄ると、回復魔法を掛ける。
幸いと骨が折れただけで済んだようだが、それでも僕は回復魔法をかけ続けた。しばらくするとヒフネが目を覚ますが、彼女は暴れることも悪態をつくこともなかった。ただ、「なぜ……?」と問うた。
なぜとはなぜ自分が負けたということだろう。僕は彼女の敗因を語る。
「君は天息吹活人剣の本質を理解していなかった。この技は殺意を捨てることによって初めて完成するんだ」
「それがあの峰打ちか」
「そう。刀に回転を加えることによって速度を何倍にも増す」
「しかしあれはカミイズミ流究極奥義のはず。なぜ、殺傷力を犠牲にする」
「カミイズミ流最強奥義だからだよ。ローニン流は殺人術にあらず。カミイズミ流も同じはず。剣は人を殺すためだけにあるんじゃないんだ」
「……たしかに活人はカミイズミ流の極意だと虎の書に書かれていた」
「そうだね。実はだけど竜虎の書、心の大切さを説いた虎の書のほうがカミイズミ流の本質を表しているんだ」
「……本質」
「活人剣。剣は人を活かすためにある。カミイズミさんはそのことを伝えたかったはず。そしてカミイズミ流で一番大切なその教えを一番弟子のトウシロウさんに託したんだ」
「…………」
「トウシロウさんは剣の才能は父さんを上回っていた。だけど心の強さがないことを見抜いていた。だから心の書を与え、剣は心であると伝えたかったんだろうね」
「……だろうな。我が師父は強さを求めるあまり修羅道に落ちた。高弟を殺し、友を殺して秘伝書を独占しようとした」
「本当は心が弱い人だったんだ」
「……知っている。だから私は彼に付いていった」
彼女は初めて涙を流すと本音を吐露した。
「……本当はみんなと一緒いたかった。酒飲みのローニンと馬鹿を言い合い、口げんかばかりするふたりの横に寄り添っていたかった。でも、師父の心が弱いことも知っていた。彼には私がいなければと思ってしまった。だから私はあのとき……」
ローニンが須弥山で修行すると告げた日、トウシロウが剣術師範になると決めた日、ヒフネは悩んだ。どちらに付いていくか。人生でこれほど悩んだことはないというほど悩んだあげく、トウシロウを選んだのだ。
その道に後悔はない、と言い切ることはできるだろうか。
もしもローニンを師父に選んでいればこの少年とも家族になることができたのではないだろうか。この少年と一緒に暮らし、学び、成長することができたのではないだろうか。
さすればヒフネの人生は大きく変わっていたはず。もっと強い剣士になることができたはず。もっと素直な笑顔を浮かべることができたはず。
そう思うとヒフネの目から涙が止めどなく流れた。
「……母さん、私は」
ヒフネは泣いた。人目を憚らず、身も世もなく泣いた。
その姿はまるで女童のようであったが、誰もそのことを指摘し、笑うものはいなかった。
――ただ、ひとりの悪意に満ちた男を除いては。




