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闇落ち (追加修正済み)

煙立つ村で出逢った少女ヒフネ。彼女は目の前で母親や村人を殺された瞬間、覚醒した。己の中に流れる血を自覚した。生まれてから一度も剣を握ったことがないというのに凶悪な盗賊どもを一掃する実力を見せたのだ。


 さらに気に入ったところは盗賊を殺してもそれら死体に慈悲をかける優しい性格だった。あのような心境にはどのような剣の達人も達せない。いや、唯一、剣聖カミイズミは達することができたかもしれない。つまりヒフネはやはりカミイズミの孫であった。


 しかし、まだ彼女は幼い。大人の庇護がなければ生きづらい年頃であった。師の死を看取った弟子たちとしては援助を渋る理由はなかった。ローニンとトウシロウは生活費を工面しようとするが、それはヒフネに断られる。代わりに彼女は剣を教えてくれと請う。


「剣だって? まさか剣士になるつもりか?」


「そう」


 短く言うヒフネ。


「私は剣聖の孫娘なんでしょう。ならば剣の達人になれるはず」


「さっき盗賊たちに対して無双していたが」


「村の仲間や母さんの死体を見たら血が沸騰した。気が付いたら剣を握っていた」

「覚醒ってやつか。血は争えないな」


 先ほどの盗賊と剣を交える動き、あれは素人のそれではなく、明らかに才あるものであった。もしも本当に剣を握ったのが初めてならば、その才は剣聖カミイズミに匹敵するものがあるかもしれない。


「自分で言うのもなんだけど、私には才能があると思う。剣士になれるはず」


「理屈は正しいが、女が剣の道を究めてなんになる」


「時代錯誤」


 ヒフネは表情を変えずにやれやれと言う。

 一方、トウシロウはローニンとは違う意見を持っていた。


「いや、なにかと物騒な世の中、女にも剣の腕は必要だろう。それにこの娘は剣聖カミイズミ様の孫娘。とんでもない才能を秘めているに違いない」


 その言葉を聞いたヒフネはひしりとトウシロウと腕を組む。


 まったく、女は甘言を弄す色男に弱い。ローニンのようなむさ苦しい男の正論よりもトウシロウのような優男の言葉を信じてしまうのだろう。


「まあ、いいか。どのみち放っておけないし、俺たちと一緒に剣の道を究めようか」


 こくりこくりと二度ほどうなずくヒフネ。こうして俺たちは共同生活を始めた。



 数年の時が過ぎる。


 男女三人の生活はそれまでの生活とは変わった。男同士ならば喰うものも肉で酒があればなんでもよかったし、寝る場所も雑魚寝でよかったが、年頃の娘が居ればそうはいかない。師匠の東屋を改装するとヒフネの部屋を作る。


 着るものもそれなりのものを揃える。飛んだ出費であるが、痛いと思ったことはない。それどころか彼女との共同生活はとても楽しかった。


 料理が不得手なローニンたちに代わり、ヒフネが料理を作る。


「私、こう見えても料理の天才」


 を自称するだけはあり、わずかな食材をご馳走に変えるヒフネ。


 うめーうめーと無作法に食すローニン、箸の先を濡らさずに綺麗に食べるトウシロウ。


 三人で行う修行も楽しいものであった。


 川上から大量の丸太を流し、川下のものが切り裂く。交互に木を伐採するもの、丸太を斬るものを交代する。


 あるいは三人で山の主と呼ばれる大猪を狩る。誰かが囮となり誘き出し、誰かが反撃し追い立て、誰かが仕留める。狩った猪は皆で解体し、猪鍋にする。


 またある日、傷付いたリュンクスを見つけたときはそれを飼う。ヒフネが物欲しそうな目をしたからだ。彼女は年頃の少女らしく、可愛らしい動物が大好きだった。


「……ん、そういえばおまえっていくつなんだ?」


 ある日、疑問に思ったローニンは尋ねる。


 ヒフネは師匠の孫であるが、師匠は長年生きた妖怪のような存在、ヒフネの歳も不明だった。彼女は悪戯気味に微笑むと人差し指を唇に付け、


「秘密」


 と言い放った。


 ちなみに剣聖カミイズミは七〇才くらいの老人に見えた。村に人々の情報によると三〇年前から容姿が変わらないという。仙人のようだが、この世界には戦闘に特化した種族がいる。彼らは死ぬまで戦闘をするため、若い頃の期間が異様に長い。もしかしたらヒフネもその類いの種族なのかもしれない。


「……まったく、どっちも妖怪だな」


 師匠のことを思い出しながら吐息を漏らすローニン。


 このようにしてなにげない日常が続くが、それも永遠ではなかった。ある日、別れの日は訪れる。トウシロウに仕官の話がやってきたからだ。とある小国の剣術師範として迎え入れたいという使者がやってきた。


 その話を聞いたトウシロウはふたつ返事でそれを引き受ける――ことはなかった。


 むしろ悩んでいる。その理由を尋ねる。


「なんで仕官を受けない。剣術師範とは立派じゃないか」


「抜かせ。わずかもそうは思っていないくせに」


「俺は宮仕えなどしたくない。ただ、ヒフネがいるのならばどこかに落ち着いたほうがいい」


「ヒフネが俺に付いてくること前提か」


「実際、付いていくだろう?」


 見ればヒフネは旅支度をはじめていた。


「たしかに付いてきそうだ。しかし、意外だな、おまえに懐いているように見えたが」


「やれやれ、女心の分からないやつだ」


 自分のことを棚に上げながらローニンは問う。


「しかし、おまえがヒフネを受け入れるとは思わなかった。修行の邪魔になると邪険にすると思っていた」


 その言葉を聞いたトウシロウしばし考え込むと、なにげない口調で言う。


「あの娘は師匠の娘だからな。もしかしたら奥義を究めるのに役に立つかもしれない。そう思った。それにあの娘に子を産ませれば強き子が生まれるとも」


「…………」


 その口調があまりにも冷淡だったローニンは絶句してしまうが、それに気が付いたトウシロウは口元を緩める。


「冗談だ。俺は子供は嫌いだ」


 そう言うと握手を求めてくる。どうやら仕官を決めたようだ。


「俺は仕官をする。おまえはどうするんだ?」


「東のほうに須弥山って山があるらしい。そこで神様が修行をしてくれるらしいから、ちと顔を出してくる」


「酒場に行くような気軽さだな」


「俺を鍛えられるのは神々しかいない」


「剣術馬鹿らしい答えだ。ところで竜の書だが、隠されていた暗号は解けたか?」

「いや、ちっともだ。そっちは?」


「こちらもだ。虎の書にはカミイズミ流の心意気が書かれているというが、どれも奥義に繋がるものは見つからない」


「こりゃ、諦めるしかないかな。最強の技は自分で編み出せという師匠の有り難い訓示かもしれん」


「……かもしれないな」


 トウシロウはそう漏らすと残念そうな顔をした。

 ローニンは彼の心を慰撫するかのように手を握りしめる。

 今生の別れではない。生きていればまた会えるだろう、そういう握手だった。

 こうして長年、共に修行を重ねた竜虎は別れのときを迎える。


 たしかにふたりの別れは今生の別れではなかったが、それどころか「兄弟弟子」としてすぐに再会することになる。ただ、その再会は麗しくも楽しくもない。それどころか互いに剣を交える殺伐としたものになる。しかし、ふたりはまだそのことを知らない。この時点ではふたりはまだ「友」だった。少なくともローニンはそう思っていた。





 それからさらに月日が流れる。ローニンが須弥山で修行をし、神となる。

 トウシロウは某国に仕官し、剣術師範となる。


 ヒフネは彼のもと修行を重ね、立派な剣士となる。

 なにもかもが順調に思えたが、ただひとり満足していないものがいた。

 そのものは社会的に立派な地位を得た。

 剣術を究め、誰からも尊敬された。

 娘のような弟子からも慕われていた。

 しかし満たされぬものを持っていた。乾くことのない渇望を持っていた。



「もっと強くなりたい。師が遺した奥義を取得したい」



 そう思うようになっていた。

 その思いは日に日に高まり、ある日爆発する。

 彼は自分の高弟を呼び出すと剣を抜き放ち、斬り付けた。

 師の遺した奥義を再現する実験だった。真剣によって高弟たちを切り裂いた。もとより実力差が離れていた高弟たちは次々と斬り殺されていく。


「おまえたちは〝生きる〟のが下手だ。だから俺に斬り殺される」


「し、師匠……、なんでいきなり……」


 高弟のひとりは息も絶え絶えに言う。


「いきなりではない。最初からおまえたちは奥義の実験台だ。それ以外で〝ヒフネ〟以外の弟子を取る理由があろうか」


 トウシロウの瞳に狂気が浮かぶ。幼き頃、殴り殺して野菜を奪い取った農夫も同じ瞳を見たのかもしれない。


 トウシロウという男はこの瞬間に狂ったのではなく、最初から狂っていたのだろうか、弟子は答えを探したが、たどり付く前に刀を突き立てられる。


 道場が血の海で染まるが、四人目の高弟を斬り伏せたとき、トウシロウは気が付く。


「やはり竜虎の書をひとつにしてこそ奥義を会得できるのだ」

 と。

 そのことに気が付いた



 雨が降っていた。

 どこまでも氷雨が続く。


 この世界を凍り付かせてしまうような錯覚を覚えたが、ヒフネは気にすることなく歩んだ。師であるトウシロウに使いを頼まれていたからだ。


 剣の神となったローニンを探し出す密命を帯びたヒフネは須弥山に向かっていた。そこでローニンを見つけ出すのが使命であったが、なんと須弥山に到着すると入れ違いになっていることに気が付く。


 須弥山の麓の村人はローニンはトウシロウに会うために旅立ったことを告げる。虫の知らせがうんぬん、と言っていたらしいが……。


「まったく、間が悪い。ローニンはいつもそうだ」


 あの日、別れを告げた日のことを思い出しながらヒフネは着た道を引き返したが、途中、その足が速まる。なぜか厭な予感を覚えたのだ。


「……血の臭いがする」


 勿論、周囲に死体などなかった。ただ第六感がヒフネの嗅覚を刺激し、遙か遠方の異変を嗅ぎ分けたとしか思えない。超常的であるが、そう解釈するしかないほどヒフネの胸が逸る。


「……なぜだ。なんだこの感覚……」


 ぞわぞわする胸を押さえながらヒフネは道場に戻るが、そこに居たのは血塗れの刀を握り絞めているかつての「家族」だった。


 剣の神となったローニンは道場に立ち尽くしていた。彼の前にはヒフネの兄弟弟子たちの死体が転がっている。


 髪が逆立つ。かつて盗賊に殺された母や村人の顔が浮かぶ。

 一体誰がこんなことを!


 ローニンに犯人を問いただすが、彼は無言だった。ふと彼の右手を見ると見慣れた書物がある。虎の書である。それも血塗れだった。


「……まさか」


 ローニンに問いただすよりも先に道場の襖を開ける。そこには血塗れの師父の死体があった。


「き、貴様、師父を手に掛けたな! 竜虎の書を独占せんがために師父を殺したな!!」


 その苛烈な言葉にローニンは反応しない。

 ただ悲しげな瞳で言った。


「俺がトウシロウを殺したのは事実だ。言い訳はしねえ」


 そう言うとトウシロウが握り絞めていた竜の書を取る。


「――と言ってもおまえは納得せんだろう。ここで一勝負するか」


 ヒフネは即座に剣を抜き、斬り掛かる。ローニンとはともに修行した仲、その実力はそこまで離れていない。今の自分ならば勝てるはず、そう思って一撃を放つが、剣の神とヒフネの実力は想像以上に離れていた。


 一撃でヒフネを気絶させるとローニンは言った。


「許せとは言わない。それどころかおまえは俺を憎むべきだ。いいか、この竜虎の書はおまえにやる。これを読み込み、師匠の奥義を会得しろ。そのとき改めて俺に勝負を挑め。その奥義で俺を殺せ。それがおまえの宿命だ」


 ローニンはそう言い放つと、その場を立ち去る。

 ヒフネは薄れ行く意識の中で口にする。


「ま、待て……ローニン……」


 やがて完全に意識を失うが、数刻後、目覚めたとき、血と臓物の中、復讐心を胸にたぎらせた。

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