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ヒフネの過去

 剣聖カミイズミが死ぬとひとつ問題が発生した。それは彼の遺した秘伝書をどうするかであった。竜虎の巻きと呼ばれる秘伝書。それは剣聖と呼ばれた男が生涯を懸け書き記した秘伝中の秘伝だった。


 師の遺言によればこのふたつの書物はふたりの弟子に分けられることになっていたが、問題はどちらがどの書を得るかであった。


 竜虎の書は明らかに内容が違うのだ。


 別名技の書と呼ばれる竜の書。それはカミイズミの技術がすべて書かれた垂涎の書物であった、まだローニンもトウシロウも習っていない必殺技が記載されていた。


 一方、心の書と呼ばれる虎の書は主に精神面が書かれており、内容も薄かった。物理的な厚さも四倍は違う。


 そうなれば当然、竜の書の価値は高くなる。トウシロウも当然、竜の書を所望すると思っていた。なので機先を制す。


「おい、トウシロウ、俺が竜の書をもらうぞ。なぜならば竜の書のほうが格好いいからだ。それにおまえは東屋に住んでいる猫を可愛がっていた。犬よりも猫派だって言ってたし、竜の書は俺に譲れ」


 難癖であり、言いがかりにも近かったが、意外にもトウシロウは了承する。


「そもそも師の遺言ではおまえに竜の書とのことだった異論はない」


「やっぱ俺様のほうが強いからかな」


 からからと笑うローニンに竜の書を渡すトウシロウ。


「おいおい、まさか本当に渡す気か?」


「本当に渡す気だが」


「いいのかよ。竜の書にはおまえの知らない必殺技もわんさか書かれているんだぜ」


「知っている。しかし、カミイズミ様は死の間際におっしゃられていた。俺に本当に必要なのは虎の書なのだと」


「なんだと? おまえ、師匠と竜虎の書について話したのか?」


「当然だ、おまえは話さなかったのか」


「い、いや、話したさ」


 とは言ったが、それは嘘である。カミイズミとは竜虎の書の詳細については話さなかった。


(……やっぱり兄弟子であるトウシロウのほうが可愛いのかな)


 そんな子供じみた思いが生まれてしまうが、ローニンは首を横に振る。さすがに子供じみていると思ったのだ。気持ちを切り替える。


「分かった。じゃあ、俺は竜の書を貰う。おまえが虎の書な」


「問題ない」


「あとこれは提案だが、これから一緒に修行しないか?」


「と言うと?」


「俺が竜の書を読みながら新しい必殺技を体得する。おまえは虎の書を読みながら師匠の心を俺に伝えてくれ」


「なるほど、それはいいな」


 トウシロウはそう言うと右手を差し出してくる。それが握手であると悟るにはしばしの時間が必要だった。ローニンはそのような健全な精神とは無縁の人生を送っていたからだ。しかし、今さら兄弟弟子に喧嘩を売るほど幼くもなかったローニンはトウシロウの右手を握り返すと言った。


「ジジイがいなくなっただけでやっていることはほぼ同じだが、よろしく」


「そうだな、引き続きよろしく」


 互いに不敵な笑みを漏らすと、ローニンとトウシロウは修行を再開した。





 それから十数年、ふたりは修行に励む。山に籠もり剣を振るい続ける。夜は互いに秘伝書を読んで会得したことを語り、それが終わると夕食をつつきながら剣の道を語った。


 時折、先に死んでしまった師の悪口を言い合い、酒を酌み交わす。金がないゆえに麓の酒屋の一番安い酒か、自家用のどぶろくなどを愛飲したが、酒の味などどうでもよかった。


 ただ同じ道を究めようとせんとするものと酒を飲むのがたまらなく幸せだったのだ。


 そうやって悠久の時間を過ごすが、ある日、師の荷物を整理していると、一通の手紙を見つける。差出人の名前を見るとそこにはカゼハナと書かれていた。


 その名前を思い出すのにしばしの時間が掛かる。


「……師匠の娘の名前だな」


「師匠の娘の名前? カミイズミ様には娘がいたのか」


「ああ、昔、撒いた種が実ったらしいが」


 と言うとカゼハナという娘が住んでいるのがそう遠くないことに気が付く。


「なるほど、ならば一度、その娘の様子を見に行くか」


「師匠の娘なら美人の可能性はないぞ。それにもうばばあだろう」


「そんなものは望んでいない。ただ、師の娘が困窮していたら夢見が悪い」


「なるほど、たしかにその通りだ」


 師匠も死の間際に娘の存在を知らせるということは心残りであったのだろう。その憂いを取るというのは弟子の努めのような気がした。

 


 山の麓に向かう。カゼハナが住んでいる村が見えてくるが、ローニンとトウシロウはすぐに異変を察知する。遠くからもくっきり見える煙、焼け焦げた匂い。その中には血の臭いも混じっている。すぐに戦闘が行われたことを察する。


「……いや、戦闘ではなく、虐殺か」


 むごたらしく死んでいる村人を見つける。どうやら大規模な盗賊団に襲われたようだ。


「くそ、もう少し早く到着していれば」


「今さら悔やんだところで始まるまい」


 今は師匠の娘であるカゼハナの行方を捜すんだ、と続けるトウシロウ。ローニンもそれにならうと村の広場で剣の音を聞く。


 そこにはひとりの女性の死体が転がっていた。すぐにそれがカゼハナだと分かる。剣聖カミイズミの面影を色濃く遺していたからだ。


 師匠の娘の死体を見たローニンは怒りに心を染めるが、トウシロウが制す。


「トウシロウ、なぜ、止める。師匠の娘の敵を取ってやらねえと」


「その気持ちは分かるが」


 トウシロウも怒りを覚えているようだが、それ以上に気になっていることがあるようだ。母親の死体の前に立ち塞がり、剣を振るっている少女に注目する。


「なんだ、あの細い娘っこは」


「日本刀を持っているな。しかもあの太刀筋」


「カミイズミ流だ!」


 そう叫ぶと少女はゆらりと身体をゆらし、盗賊に斬り掛かる。


 流水のような動き、電光石火の剣さばき。とても年頃の娘とは思えなかったが、その動きはたしかにカミイズミ流そのものだった。すぐに彼女がカゼハナの娘だと分かる。


「血は争えないな」


「親の敵を自ら取るか」


 見れば村を襲った盗賊はすべて彼女によって斬られていた。ローニンやトウシロウが手を貸すまでもなく、復讐を遂げていた。


 少女はやがて最後の盗賊を殺す、仲間を斬られて戦意を喪失していた盗賊の正面に回り込むと言った。


「……悪党には死を」


 そう言い放つと盗賊を刺し殺す。一切の躊躇はないが、当然であった。母親や村の仲間を殺されて黙っているものはいない。しかし、カゼハナの娘は復讐に囚われた殺人鬼にはならなかった。最後の盗賊を刺し殺すと、落ちていた鍬を拾い上げ、穴を掘る。最初は気でも狂ったのかと思った。なぜならば母親や村人だけではなく、盗賊の死体まで埋め始めたからだ。


 なぜ、そのようなことを。盗賊は憎くないのか、と尋ねると、彼女は平然と言った。


「……悪党でも放置はできない。そのままにすれば伝染病が発生するかもしれないから」


 それに、

「死んでしまえばすべて仏、母さんはそう言っていた」

 淡々と言い放つ少女。それがカゼハナの娘、カミイズミの孫、「ヒフネ」との出逢いだった。


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