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ローニンの過去

 ローニンの過去――。 

 ローニンが眺める青年、それは同門の兄弟子トウシロウだった。


 端整な顔立ちに知的さの漂うたたずまい。さぞ女性にもてることだろうが、この山には女はひとりもいなかった。


 宝の持ち腐れだな、と思うが、本人はまったく意に介さない。


「女などどうでもいい」


 と言い切る。


 トウシロウはあまり酒もたしなまないし、なにが楽しくて生きているのだろうか。女と酒を愛するローニンは理解不能だった。


 理解不能と言えばトウシロウの剣術もだ。

 やつの剣技はローニンを上回っていた。


 幼き頃から剣の修行に明け暮れていたローニンをしのぐ技量を持っているのだ。しかもトウシロウは誰にも剣術を習わず、ほぼ独学で強くなったという。


「カミイズミ様と出会う前までは俺に剣を教えられるものはひとりもいなかった」


 なんでもトウシロウは蓬莱の農民の出らしい。五男坊とはいえ道場主の息子のローニンよりも遙かに劣る環境で育ちながら、ローニンを超える実力を持つに至ったのだ。まったく、気に入らない。だからことあるごとに突っかかるが、それを意に介すどころが、逆にローニンと稽古に付き合ってくれるお人好しだった。


「…………」


 剣の腕どころか、人格まで負けた気がするが、不思議とこの男には嫌味がなく、いつのまにか友誼が芽生えていた。


 同じ釜の飯を食っているうちに友情が芽生えたのだ。


 ローニンとトウシロウは常に行動を共にするようになり、その実力も相まって麓の村人からはカミイズミの竜虎と呼ばれるようになった。


 悪い気分はしないが、ある日、ローニンは気が付く。

 トウシロウがただの気の良い青年ではないということに。


 カミイズミの竜虎はある日、とある王国から依頼を受ける。正確には師匠が頼まれたのだが、面倒くさがった師匠は弟子のその仕事を振ったのだ。


 その仕事とは王国に仇なすドラゴンを狩ってくれというものだった。


 面倒な仕事だが、修行がてらその依頼を引き受けると、俺とトウシロウはドラゴンの被害に遭っている村に向かった。無残に焼け落ちる村。焼け焦げた死体の匂いも鼻につく。


 俺とトウシロウはドラゴンの再来に備え、村々に滞在する。しかし、ドラゴンは狡猾で俺たちがやってくると即座に逃げた。なかなかとどめを刺せなかったのだ。


 延々といたちごっこが続くと、このままではいけないと思ったトウシロウは二手に分かれることを提案してくる。ドラゴンは狡猾だが、それほど強くない。その提案を受け入れると、ローニンとトウシロウはそれぞれに村に向かった。


 結果、トウシロウがドラゴンを撃ち取るのだが、ローニンはその手法を聞いて戦慄する。


 トウシロウの本性を知る。酷薄さ、冷酷さを知る。


 トウシロウは逃げるドラゴンを捕捉しやすいようにとんでもない策を実行したのだ。


 それはドラゴンに村を襲わせ、〝腹いっぱい〟にさせてからドラゴンを討ち取るというものだった。


 無論、ローニンはそのことを批難したが、トウシロウはこともなげに言った。


「長引けばもっと被害が出たかもしれない。それに俺は一刻も早く修行に戻りたいのだ」


 顔色ひとつ変えずに言い切るトウシロウ。その瞳は清流のように綺麗だった。わずかばかりも罪悪感を抱いていないどころか、自分のやったことの意味が分かっていないのだ。


 聞けばトウシロウの生家はとても貧しく、困窮した少年時代を送ったらしい。腐った大根を巡って兄弟と殺し合い寸前の乱闘を演じたこともあるという。そんな幸せとは無縁の少年時代に終止符を打ったのは飢饉だったという。腐った大根さえ食べられなくなったトウシロウの一家は全員餓死した。


 以来、天涯孤独のまま世界を放浪したという。

 トウシロウにとって剣術は生きる糧なのだ。


 道場主の息子だったローニンには理解できない人生だったし、今はなにをいっても彼に響くことはないと思ったローニンはそれ以上、なにも責めなかったが、トウシロウの背中を見て思う。


「強くなるためにはおまえのような生き方をしなければいけないのだろうか。――だとしたら俺は」


 ローニンは何気なくつぶやき、珍しく哲学するが、結局、答えが浮かぶことはなかった。


 以後、ふたりはカミイズミの東屋に戻ると、なにごともなかったかのように剣を振るった。


 互いに切磋琢磨し、剣の道に没頭した。

 しかし、そのような日々も終わりを迎える。





 それから数年後――。


「ばっきゃろー! 死ぬんじゃねー! ジジイ!」


 若かりしローニンの絶叫が東屋に響き渡る。

 それを聞いた剣聖カミイズミはぶっきらぼうに答える。


「相変わらず馬鹿でかい声だな。ご近所から苦情が来るぞ」


 剣聖カミイズミの東屋は山深いところにある。隣家まで数十里はあろうか。いくら叫んでも隣家に届くわけもなかったが、カミイズミは冗談めかして言う。


 死を間際にしてここまで大胆不敵に冗談を放てる人物をローニンは他に知らない。死に対して限りなく自由なのだ。剣を極めるとこのような精神を得られるのだろうか。ならばとても羨ましいと思った。


 しかしローニンは褒めてやらない。


「糞ジジイ。いつも偉そうにしてるくせに、こんなにあっさり流行病に罹りやがって」


「そんな上品な病気じゃない。ただの寿命だよ。天命だ」


「不老不死じゃなかったのかよ」


「人よりも限りなく長生きだが、不老でもなければ不死でもない。定められた命のものだよ。わしは」


「定めなんてぶった斬っちまえ」


「そうはいかない。どのように剣を極めても運命は変えられない」


「俺は変えて見せる」


「そうか。頑張れ」


 と言うとカミイズミは目を閉じる。一瞬、死んだかと思って慌てるローニンだが、カミイズミは「五月蠅い」と目を開ける。


「まだくたばらないさ。――ところで運命といえばわしには子供がいる」


「子供? あんたに? 意外だな」


「わしとて人間だ。誰かを愛することもある」


「ナニも奮い立つことがあるってことか」


「そうだ。昔、ひとりの女を愛した。蓬莱の女だ。そのものは歩き巫女をしていた。修行の途中で出逢ったのだが、すぐに恋に落ちてな。ひとりの子供を授かった」


「名前は?」

 

「カゼハナ」


「いい名前だ」


「だろう」


 にんまりと笑うカミイズミ。


「しかし、その巫女とも娘とも別れた」


「……死別か?」


「いや、わしが捨てた」



「…………」

「当時のわしは剣に夢中だった。魅了されていた。己の剣を史上最強のものにするため、妻子など構っていられなかった」


「妻子を置いて剣の道に逃げたってわけだ」


「その通りだ。畜生にも劣るだろう」


「違いない。ま、俺にあんたを笑う資格はないが」


 俺も似たようなものだ、と同調すると、カミイズミはぐわしとローニンの手を取った。


「おまえは違う」


「なっ……」


 あまりの勢いにローニンはたじろいでしまう。


「なんだ、じじい、もうろくしたか」


「ああ、したとも。今さらわしは後悔している。愛するものを捨ててしまったことを」


「だから剣の道を究めることができたんだろう」


「違う。だから剣の道を究められなかったのだ」


「…………」


「たしかにわしは史上最強の剣の腕を得ることが出来たが、まだまだだ。最強のその上、てっぺんを極めることはできなかった。それはなぜだか分かるか」


「分からん」


「それは愛するものを持てなかったからだ。誰かのために剣を握ってこなかったからだ」


「愛するもの……、誰かのために……」


「いいか、人は愛するものを持ったとき、その力を何倍にもする。誰かのために剣を握るとき、実力以上の力を発揮できる。だからわしは最強とは正反対の道を歩んでいたのだ」


「…………」


「いいか、おまえはわしのような男になるな。誰かのために剣を握れ。愛するものを見つけろ」


「……そんなこと今さら言われたって」


「いいや、おまえは大丈夫だ。まだ修羅道にも畜生道にも落ちていない。まだ引き返せる。いや、引き返す。おまえはいつか自分以上に大切なものと巡り合う、〝愛するもの〟と巡り合う。その出会いを大切にするのだ」


 カミイズミは最後に固くローニンの手を握りしめると言った。


「いいか。おまえは人を愛することができる人間。その力を十全に使え。――トウシロウは……」


 最後にローニンの兄弟弟子の名を言い掛けたが、最後まで言葉を発することはできなかった。カミイズミの寿命が尽きたのである。


 こうして剣聖と謳われた男の天命は尽きた。


 史上最強の男と謳われた男はあっさりと死んだ。彼が遺したものは今にも朽ちそうな東屋と粗末な剣と一対の秘伝書だけだった。


 いや、本当はもっと大切なものを残したのだが、カミイズミが遺したふたりの弟子はすぐにそれに気が付くことはできなかった。


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