不穏な影
傭兵ゴルドーの得物は斧である。
人の身体よりも大きな斧を愛用していた。凡夫ならば三人集まっても持ち上げられないような巨斧を軽々と持ち上げる様は神話に出てくる戦士のようである。とは彼の雇い主であるバスクの言葉だった。
改めてゴルドーの凄まじさに酔いしれていると、バスクに負けず劣らずの悪党が声を掛けてくる。あくどいことで有名な商人ふたりがにやにやと話しかけてくる。
「やあやあ、バスク殿、相変わらず素晴らしい手駒をお持ちで」
「これはこれは」
「あのような傭兵、どうやったら雇えるのですかな」
「日頃の行いですな」
はっはっは、と笑い声が巻き起こる。
「そういえば聞きましたぞ。下町のワイツ商店を手に入れたらしいですな」
「もうじき、ですがね。少し手間取っておりますが、代わりに利子がついた」
「利子?」
「業物の刀に絶世の美女ですよ。――それに」
「それに?」
「美しき少年の血もです。まあ、こちらは特に欲しくないのですが。しかし祭りには血が付き物でしょう」
そう漏らすと、武舞台にオペラグラスを向けた。バスクに残虐な趣味はないが、それでも見目麗しい少年が肉塊になる瞬間を目に収めておきたかったのだ。
自分の主がそのように観戦しているとも知らずにゴルドーは斧を構える。
目の前の少年をこれで殺すかと思うと、少しだけ罪悪感に苛まれる。
ただ、手加減はできない。
華奢で木剣を使う非力な少年に見えるが、なかなかの実力を秘めているはずだ。もしも手加減をすれば負ける可能性さえ感じていたので、ゴルドーは本気で叩き潰すつもりでいた。
「前回の雪辱、果たさねばならぬ! 拳王ジャバ、首を洗って待っておれ!!」
前回の雪辱とは決勝でゴルドーを打ち破った拳王への復讐である。今度こそ彼を倒し、この国で一番の戦士であることを証明したかった。
そのためにはこんなところで躓いているわけにはいかない。少年には悪いが即座に肉塊に変わって貰うつもりだった。
ゴルドーは試合開始の合図を今か今かと待つ。審判が開始の合図をすれば0.1秒で決着を着けるつもりだった。ゴルドーには斧をその速さで振り下ろす筋力があるのだ。鍛錬の結果を十全に出せばどのような戦士にも負ける道理はなかった。
それはゴルドーはもちろん、彼の雇い主のバスク、会場の人々の共通認識でもあったが、その認識の外にある人物がふたりいた。ひとりは対戦相手のウィル少年だが、もうひとりはその親であった。
ゴルドーのあまりにもなオーラの前に恐れを抱いてしまった道具屋の娘アイナは、横にいたローニンに言う。
「ロ、ローニンさん、や、やっぱり、ウィルさんを棄権させるべきじゃ」
「棄権? どうしてだ」
「あのゴルドーさんって人はとても強いです。筋骨隆々です」
「そうじゃ、ひょいと捕まれて背骨が折られそうじゃ。店の権利が掛かっているとはいえ、あたら若い命を散らせたくない」
ワイツ老人も孫娘に続く。
さすウィルの名手、ルナマリアですら少し心配そうだ。
ローニンはそんなルナマリアをいたわるかのように言う。
「ウィルの命を狙うものならば何人も出会ってきているだろう」
「しかしあの傭兵は別格じゃ。身体のつくりが違いすぎる」
「たしかにあの筋肉は凄いな。ウィルの筋力を一〇としたら、やつは五〇はある」
「ご、五倍。やはりここは名誉ある撤退を」
ワイツ老人は顔を真っ青にさせる。
「撤退に名誉なんてねーよ。ましてや勝てる試合に逃げるのはへっぽこのすることだ」
「勝てるの!?」
アイナは叫ぶ。
「勝てますよ」
ルナマリアは断言する。
「ウィル様は最強の神々に育てれしもの。下界にやってきてからも数々の困難に打ち勝ってきました。このようなところで負けるようなお方ではありません」
「で、でも、あいつ強いよ」
「ですね。ですが、負けるはずがありません」
ルナマリアは改めて言うが、己の掌が濡れていることに気が付く。
(……心配性なのは分かってはいるけど)
ウィルは史上最強の少年。あの程度の輩に負けるとは思えないが、それでも勝負の世界ではなにがあるか分からない。連戦連勝の戦士が、最後、名もなき村人に討ち取られることなど、枚挙にいとまがないのだ。
「…………」
「出会ったばかりの嬢ちゃんにはウィルのすごさがまだ分からないかな。それにルナマリアの嬢ちゃんもまだまだウィルに対しての信頼度が足りないな。うちの息子はあんなやつに後れを取ることはねーよ」
やれやれ、というポーズをすると、ローニンは断言した。
「たしかにあいつのパワーはウィルの五倍だが、勝負はパワーだけでやるもんじゃないぜ」
「どういうこと?」
「やつは0.1秒でウィルの首をすっ飛ばせるが、ウィルは0.01秒でやつを気絶させるってことさ」
「……え?」
アイナがそう言うと、会場が歓声に包まれる。
試合開始の合図が鳴ったのだ。
その瞬間、ゴルドーの斧は刹那の速度で振り下ろされ、ウィルの首を刎ねる。
「ウィル様!」
ルナマリアは絶叫するが、ローニンは冷静だった。愛する息子が殺されたというのにまったく動揺していない。ルナマリアは抗議したかったが、それよりも気が遠くなる感覚を味わう。この世界に調和をもたらすものが、神々に育てられしものが死んだのだ。それは世界の消失を意味するような気がした。ルナマリアの胸中を絶望が支配するが、絶望から介抱してくれたのはウィル自身だった。
ゴルドーの斧によって首を刎ねられたかと思ったウィル。しかし首を刎ねられたのは別のものだった。
「ざ、残像!?」
ルナマリアの驚愕に、「正解だ」とつぶやくローニン。こうも付け加える。
「目を離すなよ。ウィルは一瞬で決めるぞ」
ローニンがそう言うとウィルはそれを実行する。
残像によってゴルドーの一撃をかわしたウィルは、ゴルドーの上空に現れる。普通、空中では無防備になるものだが、ウィルは普通ではなかった。
「う、ウィルさんが複数いる!?」
「う、うん」
事実、ウィルは複数人いた。五人のウィルが上空に出現していたのだ。観客たちはどよめきに包まれるが、それらは幻ではない。最高の速度で移動したウィルの残像でしかないのだ。
ゴルドーもどれを攻撃していいか、分からなかったようだ。しかし、彼は一流の戦士、一挙に五人を攻撃する術を思いつく。
巨斧をなぎ払い、一気に五人分のウィルを消しに掛かるゴルドー。
それは最高の判断であったが、「最強」の判断とはなり得なかった。
ウィルはゴルドーが薙ぎ払いを使う瞬間を待っていたのである。ウィルはその刹那の瞬間を狙いゴルドーの懐に入り込んだ。
ウィルはそこでぼそりとつぶやく。
「……それは残像だよ」
そうつぶやいた瞬間、ウィルのトネリコの木剣が一閃する。
強烈な一撃、『絶』の魔力を込めた一撃が頭部を襲う。その圧倒的な速度、威力の一撃を頭部にもらい意識を保てる人間はいない。数メートルほど吹き飛んだゴルドーの意識は完全に絶たれていた。
それを確認した審判はきょとんとしながら僕のほうを見る。僕のように小柄な人間がゴルドーのような偉丈夫を圧倒するのがいまだに信じられないようだ。ただ、やがて事実を認識すると僕の手を掴み、高らかに上げた。
すると場内は怒号に包まれる。
「す、すげえ、なんてガキなんだ」
「前回準優勝者を一撃で。化け物か」
「新たなチャンピオンの誕生だ」
怒号はいつまでも続く。こうして僕はただの泡沫参加者から、一気に優勝候補に昇格した。
ウィル少年の試合を遠くから見つめるのは女剣士ヒフネ
彼女はウィルの一挙手一投足を見逃していなかった。
「さすが剣神の息子。予選は余裕」
そうつぶやくと質素な服に身を包んだ武闘家が現れる。軽く警戒するが、殺気がなかったので気にせずにいると、彼は声を掛けてきた。
「あの少年、面白い」
武闘家は言う。
「それは知っている。でもあの子は私の獲物」
ヒフネは腰の刀を抜くとそれを武闘家に突き立てる。
「もしも横取りしたらなます斬りにする」
「おお、それは怖いものだな。しかし、武術大会は時の運。組み合わせ次第だ」
「たしかにそう。でも、私とあの子は絶対に当たる。お互いに勝ち続けるから」
「大きく出たものだ。途中、私と対戦しても同じ台詞が言えるかな?」
「偉そう、あなた。名前は?」
「私の名は拳王。拳王ジャバ」
「へー、聞いたことがない」
「前回優勝者の名も知らないとはな。くっくっく」
拳王はそう言うと懐から林檎を取り出す。
それを空中に放り投げると、刹那の速度で拳を出す。
重力に引き寄せられ、地面に落ちた林檎。それは投げられたときとは別の形になっていた。粉々に粉砕されていたのだ。相当な速度で複数の拳をめり込ませなければこうはならない。
「それではお嬢さん、サヨナラだ。もしも本戦で会うことがあったらよろしく」
拳王は不敵に笑うとその場を立ち去る。
それと入れ替わるように黒衣の男が現れる。
「なかなか面白い男だな」
「道化」
ヒフネがそう返す。それは黒衣の男に言ったのか、拳王に言ったのかは定かではないが、黒衣の男は気にした様子もなく言う。
「林檎に加えた拳の数は二三くらいかな」
本当は三六なのだが、男の推察に協力してやる気はないのでなにも答えない。彼も本題ではないのでそれ以上、触れることはなかった。
「ところでなんの用? 約束通り近いうちにウィルは殺すけど」
「それは心配していない。ウィルと対戦すればおまえが勝つだろう」
「ならばこんなところまでこないでほしいのだけど」
ヒフネは嫌悪感を隠さない。黒衣の男は気にもとめずに言う。
「まあ、そういうな。我々は是が非でもあの少年を殺しておきたいのだ」
「そこまでこだわる理由はあるの?」
「あのものは我らゾディアック教団の宿敵。この世界を救う光になるかもしれない存在。あいつに煮え湯を飲まされること、二度。やつには我らが二四将もひとり殺されている。一刻も早く始末しておきたい」
「ならば安心なさい。志は死んでも相容れないけど、目的は一緒」
「おまえの実力は疑っていない――しかし」
「しかし?」
「しかし今回の武術大会、思わぬ伏兵が参加する」
「剣神のことね」
ウィルと先ほどの勝利を祝っているむさ苦しい男に視線をやる。
「そうだ。まさか神々が参戦してくるとは思わなかった。我々の計画が水泡に帰すかもしれない」
「ウィルを殺す算段が狂うの?」
「そうだ。おまえも神々を圧倒することはできまい」
「そうね。たしかに分が悪い」
「ならば――」
「でも撤退はしない。あの男とあの男の息子を見て、私の血は高ぶっている。ここで逃げだすことはできない。復讐の感情が薄まってしまうし、それに臆して逃げ出してしまえば、師父に申し訳がない」
「ならば計画は続行するのだな」
「そう。悪い話ではないでしょう。おまえらはウィルという少年を抹殺したい。私は剣神ローニンに復讐をしたい。利害の一致」
「その通りだ。我々はただおまえに情報を与えた。それだけで少年を取り除けるのなら重畳だ」
「ならば安心してみていなさい。必ずあの子を殺すから」
「勇ましい言葉だ。頼りがいがある」
黒衣の男は不敵に笑うと、その場を去った。
ヒフネはその後ろ姿を胡散臭げに見つめるが、それを指摘することはなかった。もとよりあの黒衣の男とは情報を交換するだけの仲、ウィルという少年の動向を探って貰っていただけに過ぎない。彼がなにを企んでいようと興味はなかった。
黒衣の男はヒフネに背を向けると、陰気な笑いを上げる。
「しかしまあ簡単な娘だ、すぐ掌の上で踊ってくれる」
意味深につぶやくが、すぐに会場を見る。
「しかしやはり剣神の参戦は不確定要素だな。力が制限されるとはいえ、神は神。なにか対策を練っておかねば」
黒衣の男はそう言うと先ほど見かけた武闘家に目を付ける。
「実力はヒフネに数段劣るが、依り代としては問題ないだろう」
そう言うと言葉巧みに彼に近づき、布石を置くことにした。
さらに部下には大会関係者との〝打ち合わせ〟を念入りにするように免じる。
黒衣の男には固有の武力はなかったが、その代わり誰にも負けない知恵があった。悪党と呼ばれても気に懸けることもない強い心も。そのふたつは教団で出世を重ねるには不可欠な力だった。




