雑貨屋の老店主と娘
ローニン父さんとルナマリアを連れだって山を下りるが、とても違和感。
「……そういえばローニン父さんと山を下りるのは初めてだな」
いや神々は山を安易に下りてはいけないので、他の父さんとも降りたことはないのだけど。
(しかし、結構簡単に降りられるものなんだな)
神域を出るとき、父さんの身体になにか劇的な変化、たとえばなにか衝撃波のようなものが発生するかと思ったら、あっさりと通ってしまって拍子抜けだった。そのことについて父さんが語る。
「俺たちテーブル・マウンテンの神々は下界に干渉してはいけない不文律があるんだけど、下界に行ってはいけないわけじゃないんだ。現に俺らはよく買い出しに行ってたろ」
「たしかにお米や味噌の買い出しに行っていたね」
「そういうことだ。おまえを連れていかなかったのは喧嘩になるからだな」
ちなみに、と続ける。
「神域を離れると俺たち神々の能力は激減する。神威が使えない身体になる」
「ということは人間と同じくらいの強さになるの?」
「まあな。それでもなんの鍛練も積んでない雑魚など瞬殺できるが」
「武術大会で当たったら僕にも勝ち目があるってことか」
「こいつ、生意気な」
軽く僕を小突く父さん、微笑ましくそれを見守るルナマリアだが、疑問を口にする。
†
城塞市アーカムはミッドニアの西方にある。
その名の通りの城塞都市で、ミッドニア王国の西の守りの要であるが、歴史上、西方の敵国から攻められたことはないのだという。なのでアーカムを囲む城塞も無用の長物となっていたが、それでも城塞都市の面目躍如として、ミッドニア王国軍の屯所が置かれていた。
また武芸も盛んでいくつもの流派がしのぎを削っていることでも知られた。ローニンも若かりし頃によく道場破りをしていたという。
そんな武芸都市で毎年(←家族との別れ、再び では3年に一度との記載でした)開かれるのがアーカム武術大会だった。
今年も王国各地から腕自慢が集まっている。
アーカム市の中央通りは人でごった返していた。武芸者と思われる人々が闊歩している。
「おおすげえな。剣に斧、槍に弓、なんでもいるな」
「やや剣が多いですね」
「そりゃあな。男の武器といえば剣よ」
刀を自慢げにさするローニン。
「武闘家も多いですね。素手の方もおられます」
「武器ありの大会に拳で挑もうっていう変態だ。さぞ強そうだ」
オラ、ワクワクしてきたぞ、という顔になるローニン。放っておけばそこらの武芸者と手合わせしそうな勢いだったので宿を探す。
◇
「しかしこのように活況ですとなかなか宿が取れないかもしれません」
ルナマリアは常識論を述べるが、その感想はぴたりと当たる。どこの宿も満杯であった。
大通りの宿はどこも満室と表示されている。裏通りの宿も入るなり無理だと言われたり、十倍の値段を吹っ掛けられたりした。
「……となると残りは連れ込み宿だが」
軽く見たがそこも満杯だったのでもはやお手上げである。
「ちなみに城塞都市アーカムでは無宿人は牢屋に入れられるそうです」
「雨露はしのげそうだが」
「代わりに大会にも出られないんじゃないかな」
「たしかに。しかし、こいつはとんだ罠だな。出場資格は緩いくせに、まさか宿がないとは」
「だね。出場したときの心配はしていたけど、まさか出場前に躓くとは」
「まだ諦めるのは早いです」
と提案するのはルナマリア。
「こういうときは下町にいきましょう」
「下町の宿も同じようなものじゃないかな」
「宿はそうですが、なにも馬鹿正直に宿に泊まる必要はありません」
「なるほど、今流行の民泊をするのな」
「ですね。ホームステイとも言います」
「市民の家に泊めて貰うのか」
「はい」
「さすがはルナマリアだね」
「旅に慣れておりますから」
はにかむルナマリア。なんでも大地母神教団はお世辞にも裕福とはいえない教団。修行の旅をするときは無一文が基本で、托鉢をしながら世界を放浪するらしい。基本、市民に宿を請い、泊めてもらうことが多いのだとか。
「世の中、まだまだ捨てたものじゃないね」
「その通りです。しかもこのアーカムには前回泊めて頂いた地母神の教徒がおります。厚かましいかもしれませんが今回も頼んでみましょう」
善は急げと下町に向かう僕らだが、そこでまたトラブルが。
前回、ルナマリアが泊めて貰ったという道具屋の扉などには無数の「差し押さえ済み」という文字が。どうやら借金の形になっているらしい、と察した僕たちは中に入り、店番の少女に尋ねる。
カウンターの奥から、
「いらっしゃいませ」
と声が聞こえるが、声は聞こえど姿は見えない。きょとんとしているとルナマリアが説明してくれる。
「そこにいるのはこの店の店主のお孫さんでしょう。まだ小さいのにお手伝いとは偉い」
ルナマリアは微笑みながらカウンターの裏に回り込む。そこには七歳くらいの少女がいた。三つ編みの少女はぺこりと頭を下げると、「うんしょ」と奥から台座を持ってきて、カウンターから顔出す。
ひょこりと顔を出した少女は、にこやかに先ほどの言葉を繰り返した。
「いらっしゃいませ、盲目の巫女様にそのお連れ様」
屈託のない笑顔は看板娘そのものだったが、今の状況がどうなっているか、訪ねて見た。
「お久しぶりです、アイナ」
「はいな。ルナマリア様」
「数ヶ月ぶりですが、この変わり様はなんなのですか?」
店の外は勿論、店の中も「差し押さえ」や「売却済み」の文字で溢れていた。
「……これはあのその」
なかなか事情を話そうとしないアイナ。部外者に事情を話すのが恥ずかしのだろう。さすがは商売人の家の娘だが、ここまで知ってしまったからにははいそうですかと立ち去る気にはならなかった。なので事情を話すように願いであるが、その言葉を聞いていた店主が奥からやってきた。
彼は不機嫌さを隠さず言う。
「ルナマリア様、お久しぶりでございます」
「ワイツさん、お久しぶりです。この惨状、どういうことなのですか」
「……それは言えません」
「どうしてですか?」
「私も商売人、意地があります」
「そうですよ! 悪徳商人に騙されて店の権利書を奪われたなんてとてもいえません!」
孫娘のアイナが声を張り上げるが、わざとでなく、天然で言っているようだ。ワイツはあちゃあという顔をする。
「なんとそんな事情があったのですか」
「善良な市民を騙すなんて信じられない。なんとしても権利書を取り戻さないと」
もはや隠しようがないと思ったのだろう。ワイツはそれを認める。
「……実はお恥ずかしいことですが、架空の儲け話に乗ってしまって財産を差し押さえられました」
孫娘のアイナを見ると「この子の学費にと思ったのですが」と頭に手を置く。「……おじいちゃん」と潤んだ瞳を向ける。
「たしかアイナはご両親がいないのでしたね」
「そうです。幼い頃に両親を亡くした不憫な子供でして。こいつの両親が亡くなる前、この子を王立学院に入れてやると約束したのです」
「ならばその約束を果たさないと」
「そうしたいところですが、店の権利を差し押さえられてしまっては王立学院どころか明日の生活もままならず」
「じゃあ、店の権利書を取り戻せばいいんですね」
「そうですが、そのようなこと可能でしょうか」
「可能です」
と言った瞬間、店の扉が開け放たれる。そこにいたのはいかにも悪党面をした商人と、強面の傭兵たちだった。どこからどう見ても借金取りだったが、その想像は寸分も違わない。
悪党どもは三文小説に出てくるような台詞を放つ。
「おい、ジジイ。借金の返済はどうなってるんだ!?」
悪党面の商人はにやついた表情でその光景を見つめている。手下共は大声を張り上げながらワイツさんを脅迫した。
「今日までに耳を揃えて払わないと、孫娘を貰っていくといったよな」
「そ、それだけは勘弁してくれ。こいつはわしの生きがいなんだ」
「ならば耳を揃えて借金を返せよ」
「く、しかし、あの借金はおまえたちが……」
「俺たちが架空の儲け話を持ちかけたって? なにを証拠に言うんだよ。商売を失敗したのはおまえのせいだろう?」
「しかし、仕入れたポーションはすべて腐っていた」
「おまえの管理が悪いんだろう」
ヘラヘラと言う悪漢ども。すぐにしびれを切らせると、アイナちゃんの腕を掴もうとする。
「どうせ借金を払えないのだから、観念しろ。つうか、早めに娼館で修行すればいい売春婦になるぜ。マダムバラフライの店で高級娼婦にだってなれる」
下卑た笑いを浮かべる悪党ども。ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。
僕はトネリコの木剣をやつらに突きつけると、こう言い放った。
「悪党ども、その汚い手を離せ!!」
「なんだと!?」
すごい形相でこちらに振り向く悪漢ども。その場で斬り伏せたいが、暴力のよって物事を解決するのはこいつらと変わらない。
紳士的に権利書を返せと言うが、そのような正論に従うものたちではなかった。ならばやつら流に決闘を挑む。この店の権利を賭けて勝負しろ、と言い放つ。しかし、やつらは嘲笑によって答える。店の権利はすでに我々のものだ、と答える。ならばと僕は懐から革袋を取り出す。それをどんとテーブルの上に置く。
「……なんだそれは?」
いぶかしげに見つめる悪漢たち。
「僕の全財産だ。これも賭けに出してやる」
その言葉を聞いた悪漢たちは顔を見合わせ、次いで笑いを爆発させる。
「おい、聞いたかよ。このガキが勝負するってよ」
「しかもこんな小銭を賭けて」
「これじゃ店の玄関も買えないぜ」
嘲笑の言葉で埋め尽くされるが、僕は本気だった。
「おまえたち、さては僕に負けるのが怖いんだな」
「……なんだと、ガキ」
ギロリとすごむ悪漢。
「だってそうじゃないか。おまえたちにとっては小銭かもしれないが、それでもそこそこのお金だ。僕に勝てば無条件で総取りできるんだよ」
「…………」
「なのに勝負に乗らないってことはびびってるんじゃないかな」
僕の挑発に顔を赤らめる悪漢たち、茹でた海老みたいに顔が真っ赤だ。これはいける、そう思ったが、もう一押し必要なようだ。まだ逡巡している。しかし、ローニン父さんとルナマリアが助力してくれる。
ローニン父さんは声高に叫ぶ。
「おいおい、こんなガキにびびっているのか。俺ならば絶対勝負を受けるぜ。ていうか、てめーら根性なしだな。いいぜ、俺も値打ちもんを賭ける」
そう言うとローニン父さんは腰の刀をテーブルに置く。
「これは蓬莱の業物だ。肥後同田貫、家一軒とは言わないが、馬車ならば買えるぜ」
同田貫を見た途端、目を光らせる商人。悪党でも目利きらしい。さらに最後の押しとしてルナマリアが一歩前に出る。アイナを貰い受ける証文にペンで自分の名を書き込む。
「もしもウィル様が負ければ私も同時に売り払ってください」
悪党たちは商人を見る。商人の脂ぎった目はルナマリアの肢体に注がれる。彼女の価値を認めない商人などこの世にいない。悪漢の雇い主である商人は言う。
「いいでしょう。ただし、勝負は公正に行いたい」
悪漢の口から公正などという言葉が漏れ出るとは思っていなかった僕たちはきょとんとしてしまうが、話を聞く。
「莫大な借金が掛かった試合だ。不正を働かれたら溜まったもんじゃない」
「そんなことはしないけど、こっちも正々堂々とやってくれるならなにも言わない」
「ならば丁度いいものがある。それはこの街で開催される武術大会だ。今から同時にエントリーすれば予選大会が同じ組になる」
「順番で決まるんだね」
「そうだ。その予選に俺の部下もでる」
「つまりその予選に勝ち抜けば僕の勝ちでいいんだね」
「そういうことだ」
「ならばやる」
「ほう、ふたつ返事か」
口元を歪ませる商人。
「ああ、それならば悪巧みできないしね」
「よかろう。では今からおまえの名を使ってエントリーするぞ」
「エントリーまでやってくれてありがたい」
そう言うと悪投どもは意味深な笑みを漏らし立ち去っていく。
悪投どもが去るとアイナが泣きだし、駆け寄ってくる。とても怖かったようだ。泣きじゃくる彼女を慰めているとワイツさんがやってくる。
「やれやれ、なんという少年たちじゃ。とんでもない胆力」
「男は度胸、女は愛嬌、神の子は両方、って母さんに言われて育てられたんだ」
「しかし、あのような勝負受けてしまって大丈夫なのか?」
「願ったり叶ったりですよ。この場で戦うよりも武術大会のほうがずるはできない」
「たしかにそうじゃが……」
ワイツ老人はあごひげを持て余しながら言うが、一抹の不安があるようだ。しかし、僕は気にせず本題に入った。
「ところでワイツさん、武術大会に出るためにも無宿人になることができなくて。よければですが、泊めて頂けませんか?」
「なんだ、そんなことか。もちろん、泊まっていきなさい。というか恩人を野宿させるような恥知らずな真似はせんよ」
ワイツはにこりと微笑み、孫娘のアイナに倉庫からシーツを持ってくるように命じた。
こうして宿を得たウィルたち、しかし裏でほくそ笑むものたちがいる。
それは先ほどの商人と悪漢たちだった。悪漢たちは商人の名を呼ぶ。
「しかしバスク様、あいつら馬鹿ですね」
「くくく、だな」
「ですよね。俺たちの仲間に、前回アーカム武術大会で準優勝に輝いた傭兵がいるって知らないなんて」
「ああ、よそ者らしいから。肝心な情報を持っていない」
「しかし、あいつらが賭けた刀、逸品でしたね」
「女もな」
「そうだ。女は特にいい。奴隷市場で高く売れるぞ」
「奴隷にする前に味見していいですか?」
「馬鹿を言うな、価値が下がる」
「ちぇ……」
主の吝嗇さを嘆く悪漢であるが、肝心のバスクは味見する気満々だった。ルナマリアの美しさに魅了されていたからだ。
「……奴隷として売るよりも愛人としようか」
小さく漏らすが、それを実現するためにはまずあの小僧を完膚なきまでに叩き潰さなければいけない。切り札の傭兵のところに行く。
傭兵はバスクの館の一角、来賓室にいた。そこは本来、貴族などが滞在するために作られた場所だが、今は面影もない。前回の大会準優勝者傭兵ゴルドーのトレーニングルームになっていたのだ。
ただ、強さのみを探求する男ゴルドー。彼は身体から蒸気を発生させながらトレーニングに励んでいた。今回、武術大会で優勝するため、前回の雪辱を晴らすためであるが、それ以上にこの男は鍛錬魔だった。武術大会で優勝しても己を鍛えることをやめないだろう。
ゴルドーを見たバスクはつぶやく。
「まったく武神のような男だな。こいつが俺の手駒にいるのはとても有り難いことだ」
強さ以外に興味がないゆえ、トレーニングルームさえ与えておけばいくらでも力を貸してくれるのである。安上がりであるし、それに御しやすい。先ほど話していたやつらよりもよっぽど使いやすかった。
「可哀想なのはあの小僧だて。正義感を燃やしたがいいが、こんな結末になるとは。くくく……」
商人は手に入れた店の処分方法、アイナと同田貫の売り込み先、それにルナマリアと官能的で退廃的な日々を妄想すると、下卑た笑いを漏らし続けた。
先ほどの悪漢たちがそのような悪巧みをしているとは露知らず。
ウィルたちは明日の武術大会予選に向け、英気を養っていた。
ワイツが奮発して肉屋から七面鳥を買ってくるとそれに詰め物をする。アイナとルナマリアは楽しそうにハーブの歌を唄う。
「ココココショー! ピピピリとトウガラシ! ロロロロイヤルなローズマリー!」
なんでもアーカムの娘たちはこうしてターキーに詰めるハーブや香辛料を覚えるらしい。たしか山では母さんもこのような歌を歌いながら料理を作っていた。ただし、とても音痴で毎回、歌詞が変わる。それが母さんの料理の不味さの秘訣なのかもしれない。
しかし、幸いなことにルナマリアは料理の名手であったし、アイナも将来性がとても有望な女の子だった。焼き上がった七面鳥はとても美味しい。
しかも一番脂が乗っていて柔らかい部位を僕に切り分けてくれた。
「明日の大会でウィルさんに頑張って貰いたいし」
とアイナは言うが、ワイツさんはとんでもないことを言う。
「ほんとかの。ただ、ウィル君に惚れているだけじゃ」
顔を真っ赤にするアイナ。ルナマリアはワイツをたしなめる。
「ワイツさん、お孫さんにそういう冗談を言うと嫌われますよ」
「そうじゃった。ウィル君の婚約者はルナマリア様だからの。うちの孫では太刀打ちできないか」
今度はルナマリアの顔が赤くなる。
「わ、私はただの従者ですから」
その光景を見たワイツさんは嬉しそうにテーブルの上のワインに口を付けた。久しぶりの団欒でお酒がとても美味しいらしい。
このようにして僕たちの夜は更けていく。ちなみに翌朝は余った七面鳥の骨を使ったスープだ。こちらもとても栄養たっぷりでとても力が付いたような気がした。




