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竜虎の書

「さて、こうして剣聖カミイズミの弟子になったわけだが、当時の師匠にはすでに弟子がいたんだ」


 剣神ローニンは当時の状況を説明する。


「……それがもしかしてヒフネさん、……のわけはないか。年齢が違いすぎる」


「そうだな。あの娘が兄弟弟子なら相当なババ様だ。だから違う。まあ、大外れでもないが」


「じゃあ、もしかしてローニン父さんの兄弟弟子の弟子がヒフネさん?」


「正解だ」


「俺の師匠の剣聖カミイズミは滅多なことでは弟子を取らないことで有名だった。しかし、そんな師匠も寄る年波には勝てなかったのか、晩年、ふたりの弟子を取った」


「そのひとりがローニン父さん」


「そしてヒフネの育ての親のトウシロウだ」


「トウシロウ……」


「俺が殺した男だな」


「父さん!」


「なぜ、おまえが声を荒げる?」


「だって父さんが人を殺すわけがない」


「んなことあるか。腰にぶら下げているものが見えないのか。昔、これの別名を教えただろう」


 腰の刀をカチャリと持ち上げる。


「……人斬り包丁」


「そうだ。刀なんていうものはすべからく殺人の道具、剣士なんてのはみんな殺人狂だ」


「違う。父さんの剣には殺意なんてない」


「だから始末が悪いのかもしれない。殺意がないから豆腐でも切るかのように人が斬れちまうのかもな」


 父さんは一瞬だけ愁いに満ちた表情を浮かべると、剣聖カミイズミと兄弟子であるトウシロウに付いて語り出した。


「師匠との出会いはさっき話したとおりだ。どんなすごいやつか試しに勝負を挑んだら、そのでっかさに返り討ちにあった」


 ローニン父さんは心底恐れ入った、というふうに言う。


「俺は剣神などと呼ばれているが、世界最強の剣士はどう考えても師匠だな」


「そんなに強いの?」


「ああ、強さに底がない。あらゆる流派の剣術にも精通しているのに、どの流派にも属さない動きをするんだ」


「すごい……」


「それはあらゆる流派を極めた上に、それを捨て去って初めてできる絶技だな。まさに剣に愛された男よ」


「父さんにも無理なの?」


「無理だな。俺はローニン流剣術を創始したつもりだが、やはり実家の道場剣の影響が色濃く残っている。どんなに野蛮に見えてもやはり上品さが残っちまう」

 しかし、師匠は違うという。


「粗野で野卑なくらいに型がない。無名の型だ。それなのに道場の剣よりも遙かに洗練されているんだ」


「……そんな剣士が」


「ああ、いたんだ。それが剣聖カミイズミだ。あのジジイは人間の分際で、たかだが一〇〇年くらいしか生きていない癖に、誰も到達したことのない領域に到達しちまったのさ」


「すごい。そこまで行くと嫉妬もできないね」


「その通りだ。当時の俺も嫉妬なんて感覚は一切湧かなかった。ただただ恐れ入り、憧れるだけだった」


 ローニン父さんは誇らしげに言う。


(ローニン父さんでもこんな顔をするのか……)


 少年のような表情で述懐する父さん。僕は父さんが父さんの時代しか知らないけれど、父さんにも少年や青年時代があったことを知る。


「そんな師匠に近づくため、俺は修行に励んだ。剣聖となることはできない。しかし、剣聖カミイズミの弟子になることはできる。彼の教えを受けたものとしてその後の人生、誇りを持って生きていける。そう思い兄弟子と一緒に修行に励んだ」


「トウシロウさんもカミイズミさんのことを尊敬していたんだね」


「ああ、やつも師匠の剣技に魅入られちまった男のひとりさ。俺よりも一ヶ月だけ早く入門したらしいが、先輩風を吹かすことなく、俺を実の弟のように扱ってくれた」


 ローニン父さんは目をつむりながら当時のことを語る。



「もしも人の人生に黄金期というものがあるのだとしたら、それはきっと当時のことだろう」



 剣の神ローニンは断言する。


 剣聖カミイズミがローニンに稽古を付けてくれた時代。いわゆる修業時代はローニンの人格形成に大きな影響を与えた。


 朝起きると、兄弟子トウシロウとともに滝行を行う。血液まで凍り付いてしまうかのような荒行であったが、ローニンはちっとも苦ではなかった。なぜならば修行のあとにはご褒美が待っていたからだ。


 剣聖カミイズミは気難しい剣術家にありがちな嗜虐性を持っていなかった。無論、修行には厳しかったが、同時に温かさも持ち合わせていた人物だったのだ。


 兄弟子と一緒に滝行から帰ると、必ず温かい鍋料理が振る舞われた。


 鉄鍋に野菜と獣肉を入れて煮込んだだけの鍋を振る舞う剣聖。史上最高の剣士にもかかわらず、彼は毎朝、自分で薪を割り、自分で料理をし、弟子たちに食事を振る舞った。


「恩に着ろ」


 などとは決して口にしない。


 ただ、

「美味いか?」

 しわくちゃな顔をにこりと歪ませて短く言うだけだった。


 ローニンの実家は蓬莱国の小藩の道場主。小藩といえども藩主の剣術指南役の家柄だ。自分の父ならば絶対このようなことはしない、と思った。


 食事を振る舞うどころか、次男坊以下と同じ部屋で食事を取ることすらなかったのが、ローニンの父親だった。


 今まで破ってきた道場主たちも似たようなものだろう。少なくとも弟子のために料理を作るものなどひとりもいなかった。


 剣聖カミイズミ流の門を叩いて数週間、いまだカミイズミ流の極意も教わっていないが、ローニンはこここそが自分の居場所だと思った。



 そんな環境で剣の修行に励むローニン。師匠の力量、人格を限りなく尊敬していたが、兄弟子のことも尊敬していた。


 実は――でもないか。案の定であるが、ローニンは当時から生意気というか、人付き合いが苦手な性格だった。蓬莱にいたときも門下生や他の兄弟としょっちゅう喧嘩をしていた。それがこじれにこじれて蓬莱を飛び出した経緯があるのだ。


 なんというかローニンは当時から喧嘩早いというか、頭に血が上りやすい体質だった、また、馴れ合いが大嫌いだった。自分が一番という自負もあったから、兄弟弟子などとは仲良くできない、そんな態度でトウシロウに接していたのは想像に難くない。


 というわけでローニンは入門した初日からトウシロウに突っかかっていた。


「おいこら、一ヶ月だけ早く入門したからって兄弟子づらすんなよ」


 先ほども説明したが、彼は兄弟子面どころか、年長者を扱うかのようにローニンに敬意を持ってくれていた。


「あとちょっとくらい腕が立つからって調子に乗るなよ」


 ちょっとではなく、兄弟子は数少ないローニンよりも強い男だった。


 しかし鼻息荒いローニンは悪漢のように顔を近づけると、いつもメンチを切っていた。


 それらの光景を想像すると笑いが漏れ出てしまう。きっとミリア母さんにメンチを切るように兄弟子にも喧嘩を売っていたに違いない。


 しかしトウシロウさんは本当にいい人で、そんなローニン父さんの挑発に乗るようなことはなく、兄弟子としての節度を守った。



「ローニン、おまえの剣筋は野性味に満ちているようで、実は繊細だ。もう少し力任せに振るっていい場面もあると思うぞ」


 うっへー、とはね除けるローニン。しかし、結局はトウシロウの意見を採用し、剣の腕を向上させる。


「おまえの袈裟斬りは素晴らしいな、今度俺にも教えてくれ」


 これまたうっへーとはね除けるが、最後には毎朝、一緒に袈裟斬りを千本振るうことになる。


「俺はもう腹が一杯だ。おまえは風邪っぽいのだから今のうちに食べ溜めておけ」


 これはうっへーとはね除けずに素直に食べる。人間、食べられるときに食べないといけないからだ。しかし、後日、トウシロウが風邪を引きかけるとローニンは同じように飯を分け与える。 

 


 ミリア母さんに言わせれば「聖人かよ!」ということになるのだろうが、たしかにトウシロウさんは聖人だったようだ。


 なんと一ヶ月もしないうちにローニン父さんを手懐け、『不本意』ながらも「兄弟子」と呼ばせることになるのだから。


「一緒に寝起きをし、一緒に滝行をし、一緒に鍋をつつき、一緒に剣を振るい。師匠と三人、岩風呂に入る。まあ、そんな日々を続ければ仲良くもなるわな」


 とはローニン父さんの照れ隠しだが、きっとこのふたりは馬がとても合ったのだろう。性格は正反対だが、いや、正反対だからこそなにか惹かれ合うものがあったのだと思われる。――しかし、先ほどから聞く話に不穏な要素は一切ない。ローニン父さんの言葉が嘘でないのならば、ローニン父さんはその兄弟子を殺したということになるのだが。


「……父さんがカミイズミさんやトウシロウさんの話をするとき、とても穏やかな表情をする。ミリア母さんやヴァンダル父さんとくつろいでいるときみたいな顔になる。そんな父さんがとてもトウシロウさんを殺したとは思えない。やっぱりさっきの言葉は嘘なんだよね? 父さんはトウシロウさんを殺していないんだよね?」


 僕の真剣な問いに父さんは真剣に答える。

 ゆっくりと横に首を振ると言った。


「いいや、なにひとつ違わない。俺はトウシロウを斬った。唯一の友を斬ったんだ」


「…………」


 にわかには信じがたいが、それ以上、尋ねても無駄だろう。次の言葉を待つ。


「その後、俺とトウシロウは師匠の元で切磋琢磨してな。カミイズミ流の竜虎と呼ばれるようになった」


「竜虎か、強そうだね」


「まあな。しかし、剣術家史上最強だった師匠も人の子だ。定命の人間だった。そこで師匠は自分の剣技の奥義を書いた秘伝書を俺とトウシロウに託した」


「秘伝書……ごくり……」


 世界最強の剣豪が残した秘伝書。読んでみたい。もしかして神々の館にあるのだろうか。そんなことを考えているとローニン父さんは話を続ける。


 死の間際、史上最強の剣聖はローニンとトウシロウを別々に呼び出し、ふたつの巻物を置く。


 それこそが後世、『竜虎の書』と呼ばれることになる秘伝の書である。

 竜虎の書とは剣聖と謳われたカミイズミ流の奥義が書かれたという書物である。剣の道を志すものでであれば垂涎の書物である。かくいう僕とて興味が惹かれる。


「父さんはその竜虎の書を読んだから最強になったの?」


「まさか。目を通しはしたが」


 ローニン父さんの返答は簡潔だった。


「興味がなかったの?」


「あったさ。俺とて最強を志すもの。全身の水分を涎にしたいくらい魅力的だ」

 だが――、と父さんは続ける。


「竜虎の書は片方だけでは意味がなかった。両方の書を理解して初めて効果を発揮するんだ」


「両方……」


「そう。竜虎の書は対の書。別名、心と技の書とも呼ばれている。ふたつを読み込み、理解して初めて価値が生じる書物だったんだ」


「ならばもう片方を受け継いだトウシロウさんと協力して、読み解けば良かったんじゃ」


「賢いな。ま、ふつーそうするか」


「その口ぶりじゃ、試してはみたんだね」


「当たり前よ。俺もトウシロウも最強を目指す剣客、互いに竜虎の書を見せ合い、ともに修行をすることにした。そもそも師匠が俺とトウシロウに片方ずつ授けたのは文字通り、技と心をつなぎ合わさせるため。カミイズミ流の神髄が技と心にあると知らしめるためだったんだ」


「じゃあ、ふたりは協力してカミイズミ流の奥義を極めたんだね」


「いや、それはできなかった」


「どういうこと? それほどまでに難しい奥義だったの?」


「いや、それは分からない。今となっては真偽不明さ。しかし俺とトウシロウはカミイズミ流の奥義を修得することはできなかった。――なぜならば」


 一際、真剣な表情をする父さん。思わず僕は生唾を飲んでしまう。

 僕の喉がごくりと震えたとき、ローニン父さんは衝撃の事実を言葉にする。


「奥義を修得するよりも先に俺が兄弟子のトウシロウを斬り殺しちまったからだ」


 ローニンは淡々と悪びれずにそう結ぶと、僕に背を向けた。


 遠くからミリア母さんの声が聞こえてきたからだ。僕たちを心配し、夕飯が冷めることを気にしている。このままではどやされる、父さんは最後にそうもらすと、そのまま闇に溶け込み、神々の館に戻っていった。


 僕は父さんの背中をしばし見つめると、無言で彼の背中を追った。

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