港町
この町はとても静かなところで、ゆったりとした空気が漂っている。今日も港のすぐ近くでは少年たちが釣ざおを元気に振り回しながら走っている。海から道路を挟んですぐのところの墓地では彼岸があったからだろうか、まだ新しい花が風に揺られてたゆたっている。
巳緋はこの地にかつていたとされる海の神様のシンボルとして、この町で暮らしている。それは、何か投票で選ばれたものではなく巳緋の家系が担うことになっているから。だからそのことを知る齢百近いおばあさんやおじいさんに少し拝まれることはあるが基本的には本当にほかの子供と同じようにしている。学校に行って、家に帰ると手伝いをしてから宿題をこなす。他の子供たちも巳緋が神様のシンボルであることは伝えられている様ではあるもののあまり気にしている様子は無く、ただの町の住民として受け入れている。なにも特別なことはない。巳緋自身もシンボルであるということを知ってはいるが、あまり普段から意識することはない。むしろシンボルということに誇りは感じているものの少しこの小さな町で暮らし続けることになんとも言えない気持ちを抱えている。弟の立海はシンボルと言われる兄を慕っているらしくとても懐いている。
ある日、森側にある広い路を立海と歩いている時青年にあった。その青年はとても優しげな佇まいで、巳緋たちに話しかけてきた。
「こんにちは、こんなところでなにをしているんだい?」
「今日はあまりいつも歩かないところを歩こうと弟と言ってて。散歩が趣味なんです」
「散歩が趣味なのか、若いのに珍しいね」
「そういうあなたはどうしてここに?」
「今日はここを見回ろうと決めていたから、かな。あまり管理が行き届いていないからね、みている人がいないといけない」
「散歩ということですか?」
「んー、平たく言うとそうだね。君たちと同じ散歩だ。ご一緒してもいいかい?」
「いいですが、弟にも聞いてもらえますか?」
「そうだね、そうするよ。弟くん、僕も一緒に散歩してもいいかい?」
「いいよ! 巳緋兄がいいって言うならね!」
「ということは、良いということかな?」
「そうですね、ではご一緒にしましょう」
「あなたはお仕事はしてらっしゃらないんですか?」
「そうだね、最近はしていないかなぁ」
「生活できるんですか?」
「あまりお腹も減らないし疲れたりもしないんだ、だから問題ないよ」
「なんだか、生きてるか生きてないかわからないですね」
「んー、そうだね。確かに最近生きてる!! って思うことは、ないかなぁ。ただ町の流れに流されてふらふらと生きているよ」
「神様みたいですね! なんだか!」
ずっと巳緋の後ろについて静かについてきていた立海が話したところをみてその青年はすこし嬉しそうにしていた。
「そうだなー、神様か。そうだったら面白いねー」
確かに言われてみれば浮世離れしている青年は神様のようにも思えた。だから巳緋は質問してみることにした。
「あなたはいつからここにいるんですか?」
「......僕の父がいなくなってからかな」
「それはいつくらいでしょうか」
「いつだろう、もう随分と昔のことだなぁ。まだこの町に港もなにもない頃、誰もがそんなに豊かではない頃。でも今よりずっとのどかでゆっくりしていた......」
青年の目はいまこの町を見ていなかった。もっと遠く、ずっと遠くを見つめて何かを思い出しているようだった。まだ聞きたいことはやまほどあったけど帰らなくてはならない。巳緋は最後にこれだけ聞くことにした。
「あなたは、この町が好きですか?」
「好きか、好きだと思う。でも、それよりずっと、愛着のほうがある気がする。もうずっとここにいるから」
「そうですか、なんだかあなたがこの町を好きでいてくれてよかったです。とても」
「僕も、僕として話してくれる君と、君たちと出会えてうれしいよ。僕はきっとまだずっとここにいるから、何かあったら僕のところにおいでなさい」
優しい笑顔だった。本当はもっと話したかったけど、その気持ちは今度にとっておくことにした。
「じゃあ、また」
「うん、また」
「またね! お兄さん!」
「またね、立海くん」
家に帰るとすでに夕飯が出来上がっていた。白いご飯にはふわふわした湯気がたっていて今日採りたてだという魚はこんがりと美味しそうに焼かれていた。
「今日はどこに行ってたの? 近くに姿は見えないし他の子も知らないって言ってたから。ちょっとだけ、心配しちゃったわ」
「今日は立海と森側の路を散歩してたんだ、あまり行ったことがなかったから」
「そうだったの、よかったわ。あそこならきっと貴方達は守ってもらえるから」
「どういうこと?」
「海の神様はそこに住んでいるっていう言い伝えがあるのよ」
「そうなんだ、初めて知った」
「貴方達あそこにはあまり行ってないみたいだったから。それにもともとあそこはすこし危ない場所なのよ、立地的にね。だから伝えたら面白がって行くかもしれないでしょう? 危ないことになったら困るからわざと言わなかったの」
「僕たちが守ってもらえるとしても?」
「万が一のことがあるからね。でもいいわ、危ないことは伝えたから。行くなら気をつけてね」
「お母さん! お魚おかわり!」
「今日はこれで終わりよ、ちょうどしか買ってきてないもの。かわりに冷蔵庫にアイスがあるからとっていいわ」
「お! やった! 巳緋兄はなにがいい?」
「僕はまだいらないかな、立海のだけでいいよ」
「えー、そっかー。わかった!」
夕食と風呂を終えて。
「ねえ、母さん」
「なぁに?」
「港っていつからある?」
「港ってこの町の? 随分前からあるんじゃなかったかしら」
「具体的にわかる?」
「そうねー、戦国時代よりは前と聞いたことがある気がするけれど」
「そっか、ありがとう」
やっぱりだ、と巳緋は思った。どこか浮世離れしていたのは人間ですらなかったからだ。それに思い返してみるとお腹は空かないし疲れないと言っていた。もうあの青年は神様としか思えなかった。
次の日から巳緋は学校にある図書館にこもって郷土資料をあさりはじめた。この町は小さい割に歴史が深く伝承も多い。だから町で信仰している海の神様についての資料もたくさんあった。そうしてみていくうちに、やはりあの青年は神様だと確信した。そして自分はその神様のシンボルながらなにもしていない、出来ていない現状にうろたえた。でもまだ証拠はたりないからここで手を止めるわけにはいかなかった。図書館にある関連資料の最後の二冊というところで巳緋は一つの書き留めを見つけた。それは要約するとこういうことだった。昔、神とその神を守る守り人という二つの家系があった。そして神は神としての形を青年の姿でとることになっていた。それはこの町を愛する神がこの町の者を驚かさず静かに見守ろうとする慈愛からだった、らしい。
そこまで調べると翌日、巳緋は青年の元を訪れた。巳緋をみつけると青年は嬉しそうに笑った。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは。今日は聞きたいことがあって」
「巳緋君は何か知ることに貪欲だね、いいことだ」
「ありがとうございます。今日はあなたのことを聞きたいんです」
「なんだろう」
「前に聞いた、いつからあなたがここにいるのか。それと、あなたは二つの家系を知っているのどうか。最後に貴方の役割を」
「あまりはっきりおぼえていないんだ。だけど僕のはじめの記憶は、そうだなぁ、男がまろと自分のことを呼んでいたかな。二つの家系とはなんだろう、心当たりはあるね。それから僕の役割はシンボルを守ることだよ」
「ありがとうございます。あなたの答えを聞いた上であなたに伝えたいことがあるんです」
「それは?」
「あなたはきっと、守るほうじゃない。あなたこそ神様です」
「僕が? それは君の間違いじゃないのかな」
「そんなことないです。だって僕はお腹だって空くしすぐに疲れます。でもあなたはお腹は空かないし疲れもしない」
「確かにそうかもしれないね、でもそれなら家系はどうなるのだろう」
「多分途中で入れ替わってしまったんです。神様の方が神様という自覚を薄くしていった結果、どちらもが正確な役割をあべこべにしてしまったのだと。それで、僕、あなたと交代したいんです。元の関係に、正しい関係に戻したい。僕には荷が重すぎるから」
「でもね。僕は、あまりそれはしたくないな。見守る位置はとても楽しいんだ。それに神様だと自覚しておくのも別に興味がないんだ。ここに存在しさえしていればそれでいい」
「それでも僕が今の状況を変えたいと言ったら?」
「存外君は頑固さんだったみたいだね。そうだな、どうしても変えるというならこうしてほしい。君がもし亡くなっても君の子供や孫、もっと先までずっと、僕のことを伝えていって欲しい。神様ではなく君たちを、この町を見守っている男がいるから交流をするべきだと」
「......わかりました、そうします。これからも僕達と話をしてくれますか?」
「もちろん、僕もずっと一人は寂しかったところなんだ。立海くんも連れてきてくれるかな?」
「こちらこそもちろんです。きっと立海もあなたが好きだから」
「本当かい? それは良かった」
「この町は美しいですか?」
「そうだね、人も景色も自然だって全部きれいだ。僕は大好きだよ」
「僕もです」