<11>初めての危機と、不協和音と
【Day 11】
コボルトエリア進出三日目を迎え、だいぶ余裕が出てきていた。前衛の力押しだけで行けることが確認できたので、魔法を多めに使って進んでいく。
「このまま、平定してしまうというのも考えられるか?」
秋月の問いは、やや楽観に傾いているようだ。
「いや、おそらくボスは強敵になると思う。踏破率は、最大でも九割くらいまでに留めておいた方がよいと思う」
手元の状況票で確認すると、第二エリアの踏破率は、七割に近づいていた。
「今日のところは、このあたりで切り上げ……」
「敵です。右。近いっ!」
安曇の声がめずらしく緊迫感に包まれている。ぼくの中で観察スキルが発動したのが感じられた。
「今までのコボルトと違う。警戒を……」
そこまで口にしたとき、思考が一気に揺らいだ。視界がぼやけて、意識の焦点が定まらなくなる。
そのとき、胸に激痛が走った。ぼんやりとした視界の中で、目の前に矢羽根らしきものが浮かぶ。
そう、矢羽根だ。コボルトが放った矢が、ぼくの胸に刺さっている。
意識の混濁が急速に減退し、思考能力が戻ってくる。
目の前に、風音の姿があった。二の矢、三の矢が切り払われる。座り込んでいたぼくにまっすぐに向かっていたそれらが、直撃していたらと思うとぞっとする。
秋月が前衛に近づき、治癒魔法をかけてくれる。身体の中に、ふんわりと活力が浮かぶのが感じられた。そのままぼくを引きずって後方に回り、代わって胡桃谷が前衛に上がっていく。決然とした表情が、整った顔に浮かんでいる。
練習していたとはいえ、見事な連携が展開され、その間にも両手刀が舞う。そのまま戦闘は終了し、すぐに風音が駆け寄ってくる。
「また助けられたね。ありがとう。……そして、あの時も」
「いいえ。あの時も、わたしはあなたたちを救えなかった」
手を握られてしまって、なんだかおおごとになってしまっている。
「あの、危機ではあったけれど、風音が二の矢以降を斬り払ってくれたし、治癒魔法もかけてもらったし、もうだいじょぶだよ」
跪いていた騎士が頷いたとき、城に戻らなくては、との想いが胸に浮かんできた。帰還命令が出されたようだ。
立ち上がると、陣形がすぐに整えられ、ぼくらは帰路につくことになった。
「弓や魔法を使うコボルトがいる、という情報はなかったな。この段階でこれだけ派手に傾向が変わっていれば、反町たちが黙っていたとも思えないし」
不思議そうに、秋月が呟く。確かにその通りで、遭遇していないと考えた方がよさそうだ。
「ここまでは来ないで、次のエリアに進んだんだろうな。レベルを上げることだけを目的にするなら、その方が効率的だし」
「そう考えると、踏破率は五割から六割で先に進むのがよさそうかなあ」
「こんな風に強いコボルトがいるのなら、ボスはもっと強いのかな?」
胡桃谷の言葉に、斥候役として警戒をしながら安曇が応じる。
「コボルトキング、みたいなのがいるんでしょうかね。そして、うさぎエリアにも、エリートうさぎ、キングうさぎがいるのかもしれません」
肉が締まっていて高く売れたりして、なんて話をしているうちに、城が見えてきた。そのまま城門をくぐると、入り口に紅い髪の女性の姿があった。
「ミイアさん、どうされました?」
「それはこちらのセリフです。いったい何があったのですか?」
「急に敵が強くなり、やられかけました。慢心があったようです。詳細はのちほどご報告します」
「はい、治療が必要なら、そのあとでかまいません」
小さく息をついて、ミイアさんは階段へと向かって行った。だいぶ心配させてしまったようだ。でも、流れからすれば、戦闘中に治癒を受けているのに、どうやって危機だと知ったのだろう? 出撃中の状況は、戦闘もリアルタイムの画面で見られたりするのだろうか。それも、今度聞いてみるとしよう。
報告のために始まりの間へ行こうとしたら、ミイアさんに確保され、別の場所へと連れていかれた。城の六階の、支配層の区域にある一室は、シャルラミア姫の執務室だそうだ。
なかなか豪華な部屋なのだけれど、どこかで見覚えがある。どうやら、始まりの間で映し出される映像の背景が、この部屋の壁だったようだ。
「それで、何が起こったのですか」
「はい、踏破率が七割を超えたところで、弓矢と魔法を使うコボルトらに遭遇しました。奇襲をかけられた形となり、混乱を引き起こすような魔法をかけられたところに、放たれた矢が直撃し、危うく命を落とすところでした」
「矢が一本当たっただけですか?」
「はい、当たり所が悪かったようです。そして、二の矢、三の矢が飛んできていたのを、高梨が防いでくれたので助かりました。どちらかが命中していたら、おそらく……」
「原因は、どこにあったと考えますか?」
「奇襲を受けたこと、混乱系の魔法から弓による攻撃が連続する形になったこと、といった不運が重なったところが大きいですが、それを防げなかったのは慢心ということになるかと思います」
「どのようにして同様の事態を防ぎますか」
「まず、踏破率は五割から六割程度までで、次のエリアに進むようにしたいと考えます。そして、前衛の防具は、できるだけ優先して整備するようにしようとも」
「それで、抜本的な対策と言えますか?」
「いえ、そうは言えません」
「でしたら……」
その後も、こってりと絞られる形となった。心配してくれている面もあるのだろうけど、冷ややかな態度と口調で問いを重ねられると、糾弾されているように思えてくる。ただ、検討しておけば、今後に役に立つことは間違いない。真摯に答えて、翌日の計画も説明する。
そして、こうなると、次はゴブリンのエリアに進むしかない。
夕食前に、油断により危機を招いたことを謝罪する。そして、ぼくだけのことに限らず、全体として再発防止に務める旨を表明した。
食べ始めたところで、ふと想いが口をついてこぼれてしまう。
「やられかけたのがぼくで、まだよかった」
聞き咎めたのは、秋月だった。
「そういうことを言うな。高梨に聞かれたら、半殺しにされかねないぞ」
隣席の風音が、じろりと秋月をにらみつける。不用意な呟きを、冗談にしてもらえて助かった。
「それはそうと、怪我の感覚がどんなだったかは、教えておいてもらえるか。ここが本当に現実世界なのかどうか、確定させるのはむずかしそうだが、事前に覚悟はしておきたいんだ」
無理もないだろう。本来なら、秋月はどう考えても荒事向きの人物ではない。
「そうだね……。混乱していた中でも、痛みと衝撃は本物だった。死にかけたときと、ほぼ同じような感覚だった」
「怪我で死にかけたことがあるのかい?」
「うん、昔ね」
「それは……」
そこで、音海さんが口を挟んだ。
「あの、そのあたりで……」
頷いて、ぼくはぎこちなく話題を変える。
「でも、いい教訓になったのは確かだな。うさぎエリアも、あのまま奥まで行っていたら危なかったのかも」
「深部へ侵攻するのは、二つ先のエリアの前半でレベルを上げてからだな」
応じる秋月の言葉に、美形の神官が不思議そうに首を傾げる。
「それだと、最後のエリアはどうするのかな?」
確かに。
「まあ、先のことはまた考えよう」
話を打ち切って、食事に集中することにした。
【Day 12】
第三エリアは、ゴブリンが出没する区域となる。コボルトエリアへの初進出時と同様に、まず一番隊が試し、二番隊が支援する形としてみる。その間、三番隊と四番隊は休養とした。
この日は朝から小雨模様だった。そういえば、これまでは晴れか曇りで、わりと過ごしやすい気候となっていた。当初は日焼けを心配していた女子陣も、さほど日差しが強くないこともあってか、やや警戒を緩めているようだ。
遭遇したゴブリンは想像通り、より人に近い体長、体型をしていて、戦闘も生々しいものとなった。百四十センチくらいが標準の高さのようで、青紫の肌色をしている個体が多く、尖り耳で細い目をしている。
一番隊のメンバーは、コボルトエリアに留まる危険を実感しているので、心理的な抵抗はあるにしても、圧し殺して戦ってくれている。ただ、二番隊の後衛や、支援隊については……。
一方で、戦力的には余裕がありそうなので、支援組の三番隊、四番隊を投入しないもっともらしい理由も見当たらない。仕方なく、午後からは支援隊も含めた二班編成に切り替える。
行軍中、まったく話が弾まないのは、前日にぼくが重傷を受けたことで、改めて戦いに倦んだ空気が生まれたためだろうか。それまで、危機らしい危機がなかったため、より強く影響が出てしまっているかもしれない。
攻略自体は順調に推移したが、城に戻る頃には、なんとなくぎすぎすした雰囲気がぼくらを取り巻いていた。
日次報告会は、今日もシャルラミア姫の執務室で行われる形となった。始まりの間の画面越しと比べて、より直接的に冷ややかさが感じられ、また違う緊迫感が漂う。
「報告します。ゴブリンエリアの攻略は、戦闘自体は順調に進んでいます。ただ……」
「戦闘以外に何があるのですか?」
「士気が下がっているように思われます。人に近いゴブリン相手であることに加え、昨日のぼくの大怪我による影響も出ているようでして」
口を開きかけたミイアを制して、青い髪のお姫様が澄んだ声で問いを投げてくる。
「話はわかります。なにか、提案があるのですか?」
「七日に一度程度でも、休みを入れられないでしょうか」
「とんでもありません。エストバル陣営との差は縮まっていないのですよ。これ以上差をつけられるわけにはいきません」
「三番隊、四番隊だけでも……」
「戦力的に、さほど落ちないのはわかります。ただ、全体をできるだけ偏りなく育成するという方針を放棄すると、際限なく崩れてしまうことを危惧しています」
冷ややかに切り捨てられると、二の句が継げない。代案も考えつかないまま報告を続け、執務室を辞去する形となった。
食堂へと向かう階段で、待ち伏せしている影があった。
「よくない話かな?」
「ええ。一部で不満が募っています。山本くんが煽っている面もあるようですね」
げんなりしていると、安曇が言葉を重ねてくる。
「戦いを厭う人と、不平分子とを切り離してしまうというのはいかがです? だいぶ運営が楽になると思うのですが」
「そうかもしれないけれど、直近の話としては、それを実行することで穏健派的な人たちまで離れてしまうのが怖いんだ。それに、先々には、現時点で切り離そうという人の力も必要になるかもしれないし」
「この世界のシステムなら、必要になった時点で育成を再開しても間に合いそうですが……、一体感的なところの話ですか」
頷くと、処置なしといった感じで肩をすくめられてしまう。
「あなたが選んだメンバーという訳でもないのに、ご苦労なことです。引き続き探っておきます」
「よろしく頼むよ」
自主的にさまざまなことを探ってくれる安曇は、まさに斥候のはまり役のようだ。感謝しながら、食堂へと向かう。今日の夕食は、あまり楽しい時間とはならなさそうだった。