航海
左手にはそびえ立つ岩肌、右手には何処までも続く海。すでに出航して2ヶ月が過ぎ船に載せた帰りの分の食糧までも底をついた。
「おい。ジャスミン。魔法であの鳥を撃ち落とせよ。俺は肉を食いてぇ」
5等騎士バルトス・ウォーレンが小さな渡り鳥を指差し近くにいたローブの男に話しかける。
「無茶言わないでくださいよぉ。それに僕の名前はジェームスです。魔法を撃ってもあんな小さな鳥に当たりっこないです。丸焦げでもいいのなら殺すだけならできますが」
「ちっ。使えねぇな」
「もう何度目ですか……。無茶苦茶だよ、この人は」
魔法は対人用か生活を便利にするためだけに改良されてきた。狩猟に特化した魔法というのは現在は存在していないのだが、この騎士は剣だけに生き魔法云々というのは全く理解していない。
「なぁ!シャーロット!肉を食いてぇ」
「名前で呼ぶな。エリスマン様だろう?それに、魚なら腹一杯食べてるではないか」
出航して1ヶ月ほどで流れの速い海流を抜けたまではよかった。しかし、抜けた先に陸地は見当たらず挙げ句の果てにはマストが折れ引き返すことすらできなくなっていた。今はただ緩やかな海流に乗り、少しずつ国から遠ざかっている。怪我人や死者こそ出ていないが、30人ほどいる船乗り、兵士達の表情には疲労の色が濃く見られていた。
「陸が見えるぞ!」
半ばから折れたマストで見張りをしていた船乗りが大声をあげる。
「陸だぁ?確かに陸に見えなくもないが小さくねぇか?」
バルトスは目を凝らすがハッキリと陸地であるとは認識できない。陸地に見える場所は現在の船の位置からはだいぶ離れているし、鍛えられた船乗りの視力は一般人とは雲泥の差があるのだ。
「おい。ジェロニモ。遠見の魔法をかけてくれよ」
「だからジェームスですってば!絶対わざとですよねっ!」
ジェームスはブツブツと文句を言いながらも呪文を口にする。
「見えました。僕に触れてください。同じように見えますので」
ジェームスの肩をバルトスが鷲掴みにする。
「痛いっ!痛いですって!触るだけでいいんですってば!絶対わざとですよねっ!」
続いてシャーロットもジェームスに触れる。
「まずいんじゃないですか?あちらも僕達に気づいていますよ!?」
「あぁ。わんさかいやがるな。数は100匹ってところか?」
「あれは……、戦闘の準備をしているな……」
遠見で見えた海岸沿いにはバルトスの言う通り100を超えるゴブリンが集結しており、それぞれが武器を構え調査団を迎え討とうとしていた。
「野郎共!敵がいやがる!戦闘の準備をしろ!相手は人間じゃねぇ。向かってくるヤツはぶっ殺せ!向かってこなくてもぶっ殺せ!」
隊長であるシャーロットより先に乗組員に号令をかけると「おう!」とあちこちから声があがる。兵士達だけではなく船乗りまでも武器を持ち戦闘態勢をとる。
「お前というやつは……。海賊じゃあるまいし、なんだその号令は……」
シャーロットが頭を抱え、ため息を吐きながら言う。
「こっちの方が気合いが入るってもんだ。どうせ騎士なんざ俺とお前だけだしよ」
小さく見えた陸地がどんどん近づいて、その全貌が把握できるようになる。陸地はそれほどの大きさではなく小さな森などもあるが、村一つ分といった広さであった。
また、海岸に集まる生物の体躯は人間の子供程度であるが赤銅色の肌、尖った耳までがハッキリ見え、明らかに人間ではないのがわかる。
「バルトス。こんな時だが、なぜお前はそこまでして昇進したいのだ?そう言うのには興味がないものと思っていたのだが」
陸地まであと100メートルごどまで迫ったところでシャーロットが口を開く。この船は座礁するまで止まることは許されず、あと数分の内に醜いゴブリンの集団に突っ込みことしかできない。
「珍しいじゃねぇか。そっちの名前で呼ぶとはよ。昇進だったか?いいぜ、教えてやらぁ。惚れた女が1等なんて称号をぶら下げてるもんだからよ。肩を並べるとまでは言わねぇ。せめてお前が恥ずかしい想いをしねぇためにも俺はもっと偉くなんなくちゃならねぇ。だからお前は俺が守る!これが終わったら俺と一緒になれ!」
敵を目の前にして突然の告白にシャーロットは目を丸くするが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「バルトス。知っているか?世間ではそれを死亡フラグというんだぞ?だが……、わるい気はしないな。いいだろう。この戦いが終わったらお前の妻になってやるぞ」
そんなやり取りをする当人達よりジェームスが真っ赤な顔をしている。
「なんて大胆な人達なんだ……。聞いてる僕が恥ずかしくなりますよっ!」
「ジェームス!お前が証人だ!この女は逃さねぇぜ!」
「わかりましたよ!全く!どこまでも勝手な人だなっ!ちゃんと僕の事も守ってくださいよねっ!」
船が座礁し船体を大きく傾かせる。醜悪な容貌のゴブリンに男達は怯むことなく突っ込んでいった。