命を削り
「「すごい……」」
生まれ育った故郷のフィーブスでは絶対に見られないような壮大な景色を目の前にして2人とも息を飲んだ。
「ランス心配してるかな……」
昨日の夜、気を失ったあとプリシラに起こされ、私は精霊術で眠らされた事を知った。プリシラが精霊術士だった事に驚いたけど、周りのみんなが倒れているのにはもっと驚いた。
プリシラに促されるまま身支度を済ませ私達は洞窟へと入った。丸一日歩き続けてようやっと出口まで辿りついたのだ。
「私ダメだな……」
着いたはいいけど、何をすればいいのか、何処に向かえばいいのかわからない。子供の頃からランスがいつも私が間違わないように導いてくれた。
つい、カッとなって突っ走る私を、いつもランスが後ろ髪を引っ張って止めてくれていた。ホントに引っ張るから痛いんだけど……。
「アリス……。泣いているの?」
「えっ?うそ……」
心配そうに私の顔を覗き込むプリシラに言われて初めて気づいた。私の目から涙が溢れていた。
「あんまり凄い景色だったから感動しちゃって……」
途方に暮れて涙がでたとは言えず嘘を吐いてしまう。そんな私の嘘は見透かされていそうだけど、プリシラは何も聞かずに同調してくれた。
「そうですわね……。本当に凄い……。きっと素晴らしい旅が待っていますわ。では、行きましょうか!」
途方に暮れる私とは対照的にプリシラは行動力がある。船に乗っている時には感じなかったけど、ひょっとしたら王女様ぶってただけで、これが本当のプリシラなんだろう。
洞窟から離れて私達は森の中に入ろうとする。道がわからないのに森の中に入るのは危険だと思うけど、理由があった。そこに道があったからだ。
森に入ろうとすると、急にプリシラが私を制し足を止める。
「何か聴こえますわ」
プリシラに言われ耳を澄ます。確かに動物の叫び声のような声が聴こえてきて徐々に近づいてくるのもわかる。何かに追われているような逼迫したような叫びに気持ちが焦る。
「か、隠れたほうがいいんじゃない!?」
「そ、そうですわね!隠れましょう!」
何処かに隠れなければと辺りを見回すが、森の中以外に隠れることが出来そうな場所はなく、とうとう叫び声の主が現れてしまった。
小さい身体は赤銅色で耳が尖っている。下半身には粗末な布を身につけていて、ポコっと飛び出したお腹は人間の子供のようだ。
「ゴブリンです!」
プリシラが叫ぶ。特徴は古い物語に出てくるゴブリンそのものだ。現れたゴブリンは3匹。向こうも驚いているのか、後ろを気にしながらこちらを見定めているようだ。
「ど、どうしよう!?」
「た、戦うしかありませんわ!」
そう言うなり、プリシラは剣を抜いて構える。お世辞にも強そうには見えないプリシラの構えを見てゴブリン達が笑ったように見えた。
ゴブリン達も持っていたナイフや短めの剣を構える。剣を持った1匹がプリシラに飛びかかる。
プリシラの重い剣はゴブリンの剣を弾くには遅すぎて、ゴブリンの剣がプリシラの胸に突き刺さったように見えた。
「プリシラ!」
ギャイイインと金属のぶつかる音がして、飛び込んできたゴブリンがプリシラから離れる。剣は鎧に当たっただけで済んだようだ。
「だ、大丈夫です……」
プリシラは強がるが、顔からは血の気が引き真っ青になっている。
“敵が来たら迷わず殺せるのか?”
“すぐに殺せる魔法を撃つことができるのか?”
ランスの言葉を思い出す。私だって2年も魔法学院で遊んでたわけじゃない。何もできないで死ぬのは嫌だ!
杖を構え思いつく限りで1番危険な呪文を口にする。
「世界の理我が魔力をもって覆さん。その身を焦がす炎は鋭い槍となり具現する。我が魔力と命をもって貫き燃やし尽くせ!炎の槍!」
本来ならば“我が魔力をもって”と唱える呪文を“我が魔力と命をもって”と付け足している。今の私の魔力では発動させることもできない魔法だ。けれど、命を削ることで強制的に発動させる事ができる。失敗すれば自分が焼け死ぬ事になるけど、1度だけなら媒体にしている杖が護ってくれるはずだ。
魔力と生命力を削りながら溢れ出す魔力の奔流に呑み込まれそうになりながらも必死に耐える。途中で止めることはできない。丈夫だけが取り柄の樫でできた杖が軋む音が聴こえてくる。
「お願い!」
願いが通じたのかどうかはわからないが、杖がバラバラに砕けると同時に炎の槍が現れてゴブリンにめがけて飛んでいく。
ゴブリンには直撃せずに足下の地面に刺さるがそれだけでも充分な効果があった。炎の槍は近くにいた2匹のゴブリンを巻き込み激しく燃える。悲鳴をあげる間も、もがき苦しむ暇すら与えることなく一瞬で炭に変化させた。
それを見ていた残りの1匹が慌てて逃げ出す。そうだ。逃げてちょうだい……。私にはもう1度魔法を使う魔力は残っていない……。
ゴブリンの後ろ姿を見ながら、立っていることすら出来なくなった私はその場に座り込んだ。すぐにプリシラが駆け寄る。
直後に聴こえた短い悲鳴はゴブリンのものだろうか?もう目を開けているのも辛い……。眠らせて……。
「アリス!しっかりしてください!」
プリシラに揺さぶられるが返事をする力もない。私はただジッと森の奥を見つめていた。誰かが近づいてくる。ランスだったらいいなと思ったけど、違うみたいだ。手に持っているのはなんだろう?プリシラ……、誰かが来るよ。逃げて……。
「あなたは!?……うっ……」
プリシラのくぐもった呻き声が聴こえてきたけど確認することはできず、真っ暗な世界へと落ちていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「2人は見当たらないな……」
周囲を警戒しながら洞窟の出口から離れる。空気が変わったような違和感を覚えて、今出てきた洞窟を振り返る。
さっきまであったはずの洞窟は視界から消えて一緒にいたはずのウッズも見当たらない。
「なんだこれ……。おい!ウッズ!何処だ!?」
返事がない。聴こえていないはずはない。洞窟から出て数メートルしか歩いていないはずだ。
「おい!」
「なんだ?兄ちゃん、急に声が聴こえなくなったぞ?」
何もなかった空間から急にウッズが現れる。
「どういうことだ?ウッズ、振り返ってみてくれ。洞窟が見えなくなった」
「うお!さっきまで見えてたんだぜ!?で、急に兄ちゃんの声が聴こえなくなってよ」
ひょっとしたらと思い、洞窟があった方向に戻る。またもや違和感があり、今度は洞窟が見えるようになる。ウッズが何かを話しているが声は聴こえない。
おそらく、この洞窟の出口は結界のようなものに覆われているのだ。ウッズがいる方へ移動し振り返ると、やはり洞窟は消えている。
「わかったよ。誰かが洞窟を見えないように魔法の結界を張っているんだ」
「魔法っていうと嬢ちゃん達か?」
「その可能性は低いな。アリス達がいつここを出たかはわからないが、近くにいないで魔法を維持できるような技量があるとは思えない。親父達の仕業かもしれない」
“ここには敵はいない”という親父のメッセージを思い出す。唯一かどうかはわからないが、上陸できる場所を安全な状態にしておくために洞窟の場所を見えなくしたのかもしれない。
「そりゃぁすげぇな。下のキャンプからはだいぶ前に出たんじゃねぇか?そんなに長く効く魔法もあるのかよ」
「同感だな。相当に腕の立つ魔術士が同行してたんだろうな。とりあえず、ここから離れようか。折角隠しているのを誰かに見られるのはマズイ」
そうだ。隠す必要があるということは、見られてはマズイ輩がいるという事と同義なのだ。
俺達は丘を下り洞窟から離れる。巨大な森の手前に差し掛かったところで細い道を見つけた。獣道とは違い明らかに人為的に踏み固められた道だ。
ウッズがしゃがみ、何かに触れる。
「兄ちゃん。これ見てみろよ」
ウッズが見せる指には血のような赤黒い液体が付着している。
俺も同じようにしゃがみ血のようなものに触れる。まだ乾いておらず、べっとりと指に絡みつく。すえた臭いは鉄を含み生き物の血液が固まりかけたものだと理解できる。しかも、その周囲には複数の足跡があり、争った形跡まで見られる。
「すげぇ臭いだな。こりゃぁ人間の血じゃねぇぞ。しかもまだ新しい」
アリス達の流した血ではない事にホッとするが、同時に血を流すような戦闘があった事にも不安を覚える。
血は点々と道に落ちており、まるで誘っているかのようにも見える。
「どうする?俺には罠にしか見えねぇ」
「あぁ。俺も罠だと思う。でも、これ以外に手掛かりがない。行くしかないだろ」
ウッズが頷き俺達は血の跡を辿りながら森の中へと進んでいく。