表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ねこだまし

作者: 東雲 秋葉

 夕方。買い物帰り途中、僕は公園のベンチに座り130円の缶コーヒーを飲んでいる。

 くーーーーっ! この一杯の為に生きてあるって感じがするっ!

 ……なんてことには特にはならない。

 むしろ、微糖を選んだ気がするのに自販機から手に取ってみたら無糖だったこの現実に、生きている感じがしない。

(どうしよう、買い直そうかなぁ。でもお金がもったいないなぁ)

 そんな外野から見れば缶コーヒーを両手で掴み、睨め付けている変な図を作り上げている時のことだった。


 ――ガサガサッ


「!!」

 後ろの草むらから、草を掻き分ける音が鳴った。

 油断していたところに不意打ちの音。僕の体が電気が流れたようにビクッと反応し、無意識的にベンチから放り出されたように立ち上がる。

 例えるとすると、学校で授業中にコックリコックリと眠っていたところに先生からの一喝。それに驚き立ち上がって「エビピラフっ!!」とか叫んでしまうようなものだ。

 そして、草むらから出てきたのは――

「ね……こ?」

 猫。学名はfelis silvestris catus。ネコ目―ネコ亜目―ネコ科―ネコ亜科―ネコ属に分類される小型ほ乳類。

 そのイエネコの俗称である猫が草むらから出てきた。

「……猫か、ビックリさせやがって……」

 一匹。

 二匹。

 三匹。

 四匹。

 五匹。

 五匹の猫が草むらから現れた。

 そして一列に正しく並んで歩いている。

 そんな、一見普通のように見えて、よくよく考えてみると普通じゃなさそうな光景が目の前に現れた。

(この行列は一体何なんだ!?)

 こんな事、普通はあるだろうか。まず僕は見たことない。

 この異常な非日常的行列に、僕は一気に引き付けられた。

 猫達は一体何をしているのか気になって仕方がない。

 歩みからして、何処かに向かっているように感じる。

 これは……、付いてきてくださいと言っているようなものじゃないか。

 僕はフリフリと揺れ動く尻尾に目線を奪われながら、この猫達の後を付いていくことにした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 長いトンネルを抜けるとナンたらっていう一文があった気がする。その文を借りて今の状況を簡潔に説明すると、


 長い獣道を抜けると、そこは広場だった。


 いや、広場というか宴会場といったほう良いのだろうか。

 こんな人気のないところでやっている理由は僕には分からないけど、目の前では宴会が行われていた。

 広場の中央では相撲が取られていて、それを肴にするように何十人もの人達が囲って、酒盛りをしている。

(あれ、猫達はどこに行った?)

 目の前の状況に気を取られすぎた所為で、見失ってしまったようだ。

 僕は辺りを見渡して猫を探そうとした、その時だった。

「おやおや。これは珍しいお客様だ」

「……え?」

 後ろから、年期の感じる深い声がした。

 振り返ってみると、長老という言葉が似合いそうな、顎に白い髭を蓄えた老翁がこちらを見つめていた。

「こんばんは。今宵は良い月が出ていますな」

 老人は僕にそう挨拶をすると、視線を軽く上に向ける。

 僕も彼に続いて夜空を見上げる。

「あぁ。満月か」

 空の頂点には満月が昇っていて、暗闇の世界を照らしていた。

「あの、おじいさん」

「何ですかな?」

「お客様が珍しいって……」

 僕は視線を広場に移す。相変わらず宴は盛り上がっていて楽しげな空気が此方まで伝わってきている。

「あんなに沢山集まって、ワイワイ騒いでいるじゃないですか。それなのに珍しいって、おかしくないですか?」

 僕が老人にそう尋ねると、老人は「はっはっはっ」と子供のように(声は年相応だけど)笑って、

「いやぁ、すいませんね。言い方が悪かったみたいだ」

「言い方?」

「そうですとも。私は「お客様」が来たのが珍しいと言ったのではなく、貴方みたいな方が――「人間」が来たのが珍しいと言ったのですよ」

 人間? 何を言っているんだ? この目の前にいる人だって人間じゃないか。

「「何を言っているんだこのジジイは。ボケてんのか?」そう言っているような顔をしていらっしゃる」

「いや、そこまで言ってないです」

「そして、「大丈夫かこのジジイ? 救急車とか警察とか呼んだ方が良いんじゃね?」とも考えている」

「いやいや、全く考えてないませんって」

「最後に、「明日はサンマにしよう」と思っていらっしゃる」

「…………おじいさん、貴男は何者ですか? 人の心を読むなんて、普通じゃない」

 まさか、明日の夕飯について考えていのがバレるなんて。

 この人、超能力者かもしれない。

「猫ですよ」

「……は?」

「猫。ネコ目、ネコ科、ネコ属の猫です」

「いや、それは分かりますよ。でもおじいさん、貴男どう見ても――」

「人間に、見えると?」

「ええ。「自分は猫だ」なんて言われても、猫が好きすぎて頭がおかしくなったとしか思えません」

 僕が老人にそう言うと、老人は少し考える素振りを見せる。

「それなら、証拠をお見せしましょう」

「証拠?」

「では行きますよー。3・2・1――」

 カウントダウンが0となった瞬間、ポンッ! という音と共に老人が煙に包まれた。

(なっ、なんだ!? 一体何処から煙が。手品か?)

 しかし、月明かりが唯一の光源とも言っても良いこの森の中で、仕込みなんて出来るのだろうか。

 そんなことを考えていると、煙が晴れ、そこには――、

「これで、信じていただけましたかな?」

 なんて、外見は可愛いのに声が残念な一匹の猫が、此方を見上げる形で二本足で直立していた。

「猫が……、立ってる」

「立ってますなぁ」

「喋ってる」

「喋ってますなぁ。あぁ、言っておきますが誰かが木陰で声を当てている訳ではありませんぞ」

「……まじか」

「マジですとも」

 俄には信じ難いことだが、その自信満々な姿から信じざるを得ない感じがする。

(……ん? 待てよ。さっきまで目の前にいた老人が実は猫だったんだよな。だとすると……)

 僕は広場の方を振り返る。

「ほほう、気が付きましたか」

「じゃあ、やっぱり?」

「そうですとも。あそこにいる者達もまた……」

 あぁ、僕はとんでもないところに来てしまったかもしれない。

「猫です」

 意識が遠くなっていくのを感じ、自然と瞼が閉じた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


(……ん?)

 後頭部に愛用している低反発の枕とはまた違った、柔らかい感触と共に僕は目を覚ました。

「あ、起きたんですね。いきなり倒れたと聞いたので心配したんですよー」

 本当に心配しているのか? と疑いたくなるような、元気溌剌活気の良い声が降りかかってくる。陰がかって顔を拝むことは出来ないが、声的には女性のものだ。

「は、はぁ……。すいません」

「もう。きっとカルシウムが足りないからこんな事になるんですよ。ちゃんと煮干し食べてますかー?」

「いや、別に……」

「やっぱりそうだ! そうだと思った、いや寧ろ確信してましたね。そんなアナタにプレゼントフォーユー。ほら、口を開けてください。あーんしてください」

 口を挟む間もなく繰りああ出される言葉の奔流にされるがままに、僕は取り敢えず口を開ける。

 開けた。

 僕の口の中に何かがねじ込まれた。

 取り敢えず噛んでみる。

 …………これはっ!!

「煮干しだ」

「イエスイエス。辛い現代社会を生き抜くアナタへの細やかな選別です。ふっ、お返しは要りませんよ」

 どうツッコんだらいいのか分からないが、これだけは言いたい。

 きっとこの声の主は今、良いことをしてやったぜと得意げに自慢げにハードボイルドな雰囲気を醸し出しながら――、


 ドヤ顔を決めている。


「コラッ。なんとみっともない顔をしておるかっ」

「あいたっ!」

 聞き覚える声と共に、スパーン! というハリセンで頭をぶっ叩いた、すかっとする音が鳴る。

「おじいちゃん! 可愛い孫の頭を叩くなんて、何をするんですかっ?」

 この煮干し狂い、あの老人の孫なのか。

「先ほどの顔を見る限り、どうせ客人様をおちょくっていたのだろう?」

「おちょくるだなんて、全く身に覚えがございませんね」

 無自覚か!?

「そんなことはない。恐らく散々煽った挙げ句に「アナタに足らないものは煮干しですね」とでも言って、煮干しを食わせておっただろ?」

「それが何か?」

「それがいけないことだと言っておるのだ……」

 老人のため息が聞こえてくる。ご苦労様です。

「さて客人様、お加減の方はもう大丈夫ですかな?」

「あっ、はい」

 僕は枕になっているものから体を起こして、老人の言葉に答える。

「いやはや、まさか気を失われるなんて驚きましたぞ」

「あはははは、スイマセン」

 原因はあなたなんですけどねっ! 取り敢えず笑って話を流しておくことにする。

「あぁそうだ。紹介が遅れましたな。私の名前はジンタ。周りからは長老などと呼ばれております。そして、隣にいる阿呆が――」

「阿呆じゃありませーん。ホタルでーす。ぶいっ」

 そう言って横ピースを決める煮干し娘、もといホタル。

 先ほどは拝むことが出来なかった姿だが、一言言おう、美人だ。

 そしてもう一言付け加えるとすると、どうしてこんな残念美人に育ってしまったのだろうか、残念でならない。

 僕の口から長老と同じ様なため息がこぼれる。

「あ、私の可愛さにときめいちゃいました?」

「それはない」

「…………」

 斬破離きっぱりと否定すると、彼女は自分のそのアイデンティティも台無しにするような顔で僕を見返す。いや、台無しだが、顔が整っている分様になっているのだから、辛うじてアイデンティティは守られているのかもしれない。

「客人様」

「はい、なんでしょう?」

「あちらをご覧ください」

 そう言って長老が示す先には、

「相撲、ですか?」

「ええ、相撲です。住んでいる地域を南北で分けた対抗戦をしております」

 南北対抗ねぇ。河童も相撲が好きらしいが、猫も相撲が好きなのか?

「そこで、です」

 長老は改まったような真剣な眼差しで僕を見つめ直す。

「実は対抗戦のメンバーだった一人が来られなくなってしまいましてな」

「ま、まさか……」

「お察しの通り、貴方に出てもらいたいと思いましてね」

 如何でしょうか? と尋ねられる。

「マジですか?」

「ええ、大マジですとも」

 僕の問いかけに、老人はにこやかに答える。

 どうだろう。猫と相撲を取るだなんて、この様体験は普通なら出来ないことだ。今現在、こんな不可思議な体験をしている僕が言うのも可笑しな事かもしれないが。

 まぁ折角だし、思いでの一つとして残しておくのも悪くないかもしれない。

「……分かりました。そのお誘い、お引き受けしましょう」

「おおっ、本当ですか!」

 長老の言葉にこれからの戦いの決意を含め、僕は力強く頷く。

「では頼みましたぞ。客人様の出番は一番最後。宴の花形の花形、大取りですぞ」

 運がいいですな。と長老は楽しそうに笑い始める。


 すいません。クーリングオフって猫相手にも効きます?


 消費者センターは何も答えてくれない。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「皆の者、楽しんでおるかーーーっ!」

 宴も佳境、長老が喉を枯らし声を絞り上げると、『うおおおおおおおおおお!!!!』と銅鑼を激しく打ち鳴らしたような音が脳を揺さぶる。

「みんなーーー! 煮干し食べてるーーー?」

 続いてホタルが煽り立てる。ノリ的にはライブの曲と曲の間でやるMCみたいな感じなんだろう。

 しかし一言言わせてもらうならば、それは「ない」だろう。

 案の定、周りの猫たちも「え、ちょっと何を言っているのか分からないんでが」的な困惑した表情でホタルを眺めている。

「え、あれ? みんなノリが悪いんじゃないの? みんな、煮干しですよっ! 煮干しっ!」

『に、にぼしー』

 取り敢えず合わせておこうという雰囲気がありありと分かる声が上がってくる。

「うんうん、さすがみんなっ! 伊達に煮干しを食べている訳じゃないねっ!」

『お、おーーーーー』

「さて、「煮干し一年分争奪戦・南北対抗相撲対戦」も次の一戦で終わりです。勝敗は五分五分。次の番で南と北、どちらが勝つのかが決まります!」

『おおおおおおーーーーーーーー!!!』

「ここで残念なお知らせです。我が北組の大将であるゴンザが所用のため、欠席となっています」

 北組からは阿鼻叫喚な声が、南組からは「勝ったな、風呂入ってくるわ」など、余裕の声が聞こえる。

「北組のみなさん! まだ諦めるのは早計ですよ! なんと、我らが長老は「こんなこともあろうかと」特別ゲストを用意していたのです!!」

 ホタルの発表に「さすが長老! 油断ならないお人だ」、「特別ゲスト? 一体誰だろう?」など期待の言葉がちらほら飛び交い始める。

 やめて、これ以上プレッシャーをかけないで。

 ホタルが僕にウィンクを送ってくる。なんだ、その「場は温めておきましたぜ」みたいな、やり切った感じの表情は。

「さて、登場していただきいましょう! ゲストのかた、どうぞーーー!」

 ええい! なるようになれ、だっ!

 僕は広場の中央、決闘の場である土俵に上がる。

 土俵に上がると、「頑張れよーーー!」、「負けるなーーー!」と僕の登場を歓迎するかのような声援が叫ばれる。

「このゲストは、特別も特別、なんと「人間」の方なんです!!」

 一瞬にして場が沈黙した。

 え、なに? 何かやらかした? やっぱりヒトが出てくるのは駄目だったか。

 そう思っていたのだが――、

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』

 閑静のあとの歓声。

 僕は思わず「うお」っと上擦った声を上げてしまった。この大歓声の中での声なんて他の人に聞こえなんて聞こえなんてしないだろうけど。

「ゴンザが出られないと聞いてガッカリしたが、対戦相手が人間だとはな。なんという行幸だ!」

 場の盛り上がりに惚けていたが、突然声を掛けられたことで意識が覚醒する。

 目の前には、野性味あふれるウルフヘアーが特徴的な青年(とは言っても猫である)が立っていた。

 何というか、すごく強そう。

「よろしくな人間。俺はギンジ、お前の相手だ」

 そう言ってギンタは僕に宣戦布告すると、右手を夜空の頂で輝く満月に向かって振り上げた。

 このギンジの魅せるパフォーマンスによって、周りがより一層の盛り上がりを見せる。

 か、かっこいい……。

「さぁ! 北組と南組、両者が出そろったところで、南北対抗相撲対戦最終決戦を始めたいと思いますっ!」


 ――両者見合ってーーーー!


 僕は自然と腰を落とす。

 ギンジも腰を落とす。

 目からはギラギラとした闘志が感じられ、その視線が僕を射抜いてくる。


 ――はっけよーーーーい


 心臓の鼓動が高まる。深呼吸。

 喉が乾く。唾を飲む。

 足が震える。地面を踏みしめる。

 周りの声が遠くなる。ギンジだけに集中する。

 おいおい、緊張しすぎだろ僕。


 ――のこった!!!


 始まりの合図と共に、衝撃が襲ってきた。

 僕はこの衝撃に飛ばされないように、今よりも強く、強く、土を足の指で掴み、耐える。

 今、僕とギンジは互いの腰を掴み、組み合っている状態にいる。

 両者相手を押し出そうと、足から練り上げた力を余すことなく肩に、腕に伝え、全身を使って、押す。

 押す。

 動かない。

 押される。

 耐える。

 押す。

 動かない。

 押される。

 耐える。

「人間、やるじゃないか」

 頬から汗を滴らせ、歯を食いしばり、苦悶の表情をしたギンジが僕に話しかけてくる。それでも僕を押してくる力は変わらない。

「そっちこそ。お前本当に猫かよ。虎の間違えじゃないか?」

 僕はギンジの言葉に、皮肉を込めて答える。

「ははは。よく、言われるよっ!」

 ギンジからのプレッシャーが強くなった。

 この猫、まだ本気じゃなかったのかよっ?

 僕も押されまいと抵抗するが、微々たるものでしかない。

 軽自動車がダンプカーと衝突しているようなものだ。

 押され続け、土俵際に立たされた。

 足の裏で俵を踏み、なんとか持ちこたえているところだ。

 しかし、このままでは押し出されるのも時間の問題だろう。

 何か、何かか手はないのかっ!


 その時、ふとある考えが浮かび上がった。


 しかし、こんな事で窮地を抜け出すことが出来るのか?

 だめだ、余計なことは考えるな。

 どうせ負けるなら、何かをして、抗って、一矢を報いて負けてやるっ!


 そして僕は行動に移した。




「さぁ、飲め飲め! 勝利酒だ!」

 軽快に笑うギンジに並々と酒を注がれる。

「そうですよ。何たって、今回のMVPなんですから!」

 ホタルに注がれる。

「客人様、もっと飲みなさいな」

 長老に注がれる。

 結果として、ギンジとの戦いは僕が勝った。今でも信じられない。

 僕がとった行動。

 それは「ねこだまし」だ。

 博打で、ギンジの腰を掴んでいた手を一瞬で離し、顔の目の前で拍手――ねこだまし。

 そしてギンジが竦んだところで背後に回って、押し出す。

 まさか、こんなに上手くいくとは思わなかった。

「それにしても……」

 僕は隣に置かれてた物を見る。

 勝利を納め一年分の煮干しを得た上に、MVPになった事による……サバ缶約百個。

 正直、使い道に困る。

 さらに気になるのが、

「チラッ……チラチラッ……」

 やたらとホタルがサバ缶を見ていることだ。

「いやぁ、私、煮干しも好きなんですけど、サバも好きなんですよねぇ」

「……」

「好きなんですよねぇ」

「……」

「大好きなんですよねぇ」

 こいつ、やたらと自己主張が激しい。

「何処かにサバ缶をくれる素敵な人、いないかなぁー」

 チラッ、チラッ。

 イラッ。

「そんなにサバ缶が食べたいなら、くれてやるっ」

 僕はサバ缶を一つとり、ホタルに放り投げる。

「いいんですか?」

「別にいいさ。むしろ有りすぎて困るくらいだし」

「あ、ありがとうございます! 感無量です!」

 ホタルは花の咲いたような表情を浮かべ、飛び込むように抱き着いて来た。

 ふわっと、甘いハチミツの香りが鼻孔をくすぐる。

「ちょ、おまっ」

「えへへー。私、あなたの猫になりますっ」

「いえ、結構だから」

「ガーーーン……」

 正直コイツと一緒にいると疲労で三日と持たない様な気がする。

 目の前で地面に四肢を付き、項垂れているホタルを尻目に、僕は立ち上がる。

 周りが「一体どうしたんだ?」という目で僕を見て来るが、気にしない。

 僕は胸いっぱいに空気を吸い、ここにいる全員に聞こえる位の声で叫んだ。


「皆も! サバ缶持って行けっ!」


 僕はサバ缶を散蒔き始めた。気分は歴史の教科書で見た「ええじゃないか」の様だ。

 歓声が上がる。


 こうして宴は更なる盛り上がりを見せ、相撲大会リベンジマッチとかも起きたりして、続いて行った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ユサ、ユサ。

 誰かに揺すられる感覚。

 この感覚で僕は目を覚ました。

「……ん…………?」

「あの、大丈夫ですか?」

 女性の声。

 僕は体を起こし、僕を起こしてくれた人の顔を確認する。

「えっと、ホタル?」

 この顔は紛れもなく、煮干しが大好きそうな人の顔だ。

「ホタル? あの、誰かと間違えていませんか?」

「え……?」

 しかし、否定される。

 一体どういうことだ?

 目の前にいる女性は間違いなく「ホタル」というメスの猫が人間に化けた時の姿だ。

 しかし、目の前にいる女性は「そうでない」と言った。

 まさか、昨日の夜にあったこと僕の妄想だったとでもいうのだろうか。

「取り敢えず、起きますか?」

 女性に手を差し出される。

 僕はその手を掴み、よいしょっ、と立ち上がる。

「えっと、すいません。人間違えをしたみたいで」

「いえいえ、気にしてませんよ。でも、女性の名前を間違えたりなんかしたらダメですよ?」

「あはははは」

 僕は女性の言葉に苦笑いをする。

 確かに。僕には余り関係ない事かも知れないが、浮気などをする男性はこの事で修羅場に繋がったりするみたいだからな。

「では、私はこれで失礼しますね」

 女性は踵を返し、公園の出口へ体を向ける。

「あ、そうだ」

 足を進める前に、女性は顔だけこちらに回す。

「今度来るときは《・・・・・・・》、伊吹島産の煮干しをお願いしますね」

 フフッ。と女性は笑って去って行った。

 今度来るときは……? 煮干し……?


「あっ!!!」


 僕は急いで彼女を追って公園を出るが、既に姿は見当たらなかった。

 どうやら僕は騙されたみたいだ。


 成程、これがホントの「ねこだまし」ってやつか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ